初めての雪吊り外し
生まれて初めて雪吊りの撤去作業をやった。
正式な名称は分からない。雪吊り外し?
← 2月28日の光景。冠雪して見辛いかもしれないが、雪吊りされた松などが見えるはず。手前の二本が松で、一番奥の雪吊りは梅の木。
【雪吊り】とは、「歳時記 【雪吊り】」(ホームページ:「芭蕉/歳時記」)によると:
樹木に支柱を立てたり縄で枝を吊るなどして、北陸特有の湿気を多く含んだ重い雪から木々を守る「雪吊り」。雪の降り積もる前に行われる雪吊りは、金沢に冬の訪れを告げる風物詩となっています。
(略)
ちなみに雪吊りが必要な樹木には、松や桜、ツツジ、アオキ、八つ手があります。とりわけ松の木は、常緑の葉であるため雪の重みがひときわ加わることから最も念入りに施されることになっています。
「雪囲い」の撤去のほうは、「弥一は柴刈りに」に過日、その作業の一部に付いてレポートというか小文を書いた。
今度は、この先も多少は降ることはあっても大雪の懸念がなくなったということで、雪吊り外しというわけである。
それはいいのだが、実際に作業する人がいない…、小生を除いては…、ということで、小生がすることにした。
風がやや強めに吹いているが、まずは雨の心配はしなくてよさそう。
細々ながら仕事を始めたこともあって、日程的にも出来る時にやっておかないといけない。
というか、できないとは言えないときには断固、決行である。
その前に、納屋に仮置きしていて最後まで置き去りだった東京からの引越し荷物を家の中に運び入れ、納屋から出して座敷の廊下に仮置きしていたダンボール詰めの書籍類を再度、納屋へ(古い本は基本的に捨てるつもりなのだが、同じ箱の中に日記の類が入っている。日記類は残しておきたい。ただ、今は開梱してダンボールから日記類を分けて取り出す余裕がない。夏までに納屋の中でボチボチ作業することにしたのだ)。
この出し入れ作業に一時間弱。
これで(細かな作業を除くと)引越し荷物は全て取りあえずは家の中に運び入れ終えたことになる。
やー、目出度い。パチパチパチ……シーン。
本や雑誌の入ったダンボール箱は重い。
これまでの作業で既に汗ばんでいる。
実は先日来、風邪気味。
しかも、土曜日は近所の方の誘いがあって、夜、卓球をやったのだ。二十年以上の昔、サラリーマン時代に会社の倉庫でお遊びでピンポンをやって以来。
ほんの10分のつもりが、ついつい熱中して三十分あまりもやって、体の節々が痛くなっている。
→ 雪吊りを外し終え、スッキリした松。
そこへ荷物運びの作業。
そしていよいよ生まれて初めての雪吊り外しをたった一人でやる。
やり方なんて分からない。
十日ほど前、父に、暖かくなって雪の心配がなくなったら雪吊り外しをしないといけない。高いところで支柱となっている竹竿と松の木とが結び付けている縄を解くには、地上からでは高くて手が届かないので、ハシゴを掛けてやらないといけない…、そんな簡単な説明を受けただけ。
とにかくやるっきゃない!
地上から届くところのものは、植木用のノコギリでドンドン縄を切っていく。
ホントは縄を解くのだろうが、そこまでは出来ないので、片っ端から結び目の辺りで切っていく。
但し、縄は再利用可能と思えるので、縄の途中で切るようなことはしない。
雪吊りしてある木は三本ある。
一本は梅の木で、二本は松。
まずは梅の木から。
手を伸ばせば届く高さの縄の結び目はノコギリで淡々と切っていく。
大した支障なく、困難を感じることなく、切り終えた。
せいぜい、結び目を切った時、風が吹いていることもあり、縄の切り屑がパラパラ舞い散り落ちてきて、目に粉塵が入りそうになるのを目をシパシパさせて防ぐことくらい。
次はいよいよ手の届かない箇所に結び目のある松の木の番である。ハシゴも使う必要がある。
ハシゴを松の木に立てかけるのが案外と難しい。
松の幹にシッカリと立てかけないといけない。
が、枝葉が見事に張っていて、思うようには立てかけられないのだ。樹皮を痛めてもいけない。
力尽くでやると枝がポキンと折れそうである。
あれこれしているうちにも松の葉がポロポロ落ちてくる。
こうなったら、覚悟を決めて立てかけるしかない!
怖々ハシゴを登っていく。
ジュラルミン製のハシゴそのものはシッカリしている。
ただ、足場が思うように確かなものにできていない。
松の木がシッカリしていることを信じるしかない。
風を感じる。こんな時の風はあまり嬉しくはない。
松の木もいささか撓んで、ハシゴが揺れる気がする。
一歩一歩登っていく。
落ちたら、誰か来客でもない限り、しばらくは地面の上で空を眺めているしかないんだろう…、なんて弱気なことを思ってみたりする。
← 松や梅の木から撤去した竹竿や縄など。その下には使用したハシゴ。脚立があれば作業はもっと安全に円滑に出来たはずと、あとになって気が付いた!
ハシゴの半ばほどまで登る。
半ばより上に登らないのは、怖くて登るのが億劫なせいもあるが、松の木の枝葉が密集しいてい、体を入れる余地が少ないからである。
手を伸ばす。すぐに届く結び目もあるが、ギリギリ目一杯伸ばしてやっとノコギリの歯が届くかどうか、という結び目もある。
一本の松に付いて最低二回はハシゴの位置を変える必要がある。
一本目の松、二本目の松。
不思議なもので、最後の松が一番、困難だった。
他の松の木に比べ極端に細いわけじゃない。
枝振りの関係でハシゴの立てかけに一番、難儀を覚えたのである。
ハシゴのグラつきもなかなかのもの。
それでも無事、初めての雪吊り外し作業を終えることができてホッとした。
衣服には縄の切り屑ら松の葉の破片やらで埃塗れに。
それ以上に体中、汗ビッショリ。
あるいは、冷や汗か。
風を引いている、卓球を前夜やった、荷物運び、先々週からの馴れない仕事の日々、家事、そして、雪吊り外し作業…。
明日以降はきっと体の節々の痛みで起き上がれないかもしれない!
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コメント
雪吊りはいいですね、いかにも北国らしい風情が。
作業をする立場からすれば大変でしょうけれど。
僕が初めて雪吊りを見たのは、三十年ほど前に金沢を訪れた時のことですが、
銀行の店先の小さな植木にも丁寧に雪吊りが施してあるのに驚いたことを、今想いだしましたよ。
投稿: ゲイリー | 2008/03/18 22:48
ゲイリーさん
雪吊りの風景は、ただ見る分には風情があっていいものです。
小生は今回、三本の木の雪吊りを撤去しただけなのですが、もう精根尽きました。
ハシゴの架け方も、もっと検討すべきだった。
ま、いい経験とは云いかねますが、いい勉強にはなりました。
雪国の風情って、人々の工夫と労苦があったればこそのものだと、つくづく思います。
投稿: やいっち | 2008/03/19 03:07