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2008/03/26

帰郷して初めて散歩した(1)

 先日の夕方、帰郷して初めて散歩した。
 散歩しようと思えばこれまでだって出来ないことはなかったのだが、その気になれなかった。短時間であれ散歩したってことは、ようやくちょっとはこちらの生活に馴染んできたということかもしれない。

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→ 「富山県富岩運河環水公園」を象徴する「天門橋」を遠望する。

 先月の26日に帰郷したのだから、散歩しようなんて思い立つまでにまるまる一ヶ月を要したことになる。
 東京から富山へ。その前の仙台での歳月を加えると36年間、異郷の地にいたことになる。
 異郷と言っても、自分としては東京にずっと居続けるつもりでいたから、気持ちの中で東京を本当に異郷の地と自然に感じるには、きっとまだまだ時間が掛かるに違いない。

 さて、昨日の夕方、散歩したといっても、最初から散歩するつもりでいたかというと微妙である。
 過日、姪っ子が、自分の息子の卒園式だったということで、息子の晴れ姿を小生の父母(姪っ子にとっては祖父と祖母)に見てもらいたくて、姪っ子の娘も連れてやってきた。
 その際、せっかくだからと小生はプレゼント(自分が使うつもりだった36色の立派なクレヨン)をあげたり、デジカメで写真を撮りまくった。
 その写真の現像が出来上がっているはずだったので、引き取りに行く用事があったのだ。

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← これらの二つの塔は、「赤い糸電話」という名前で、恋人たちのメッカ?! なんたって、「愛の告白スポット」なのだ!

 自転車に跨り、颯爽と富山の町へ。
 無論、シャッターチャンスは逃したくないので、デジカメ持参で。
 胸中には、ついでだからほぼ(既に)完成している親水公園へ行こうかな、との思いも。
 外に出たのは五時二十分頃。
 晴れ渡った日で、まだ明るく、日没にはまだ間がある。
 写真店で写真を受け取る。
 綺麗に撮れている。
 なんとなく気分が良くなって、よし! 親水公園へ行こう!

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 親水公園と勝手に呼称しているが、正式名称は「富山県富岩運河環水公園」である。
 何度となく宣伝(?)も兼ねて書いたことがあるが、富山は「水の都」を標榜しているのだ!

 それこそ完成半ばの頃にこの環水公園へ近親者に連れて来てもらったことがある:
出来たばかりの郷里の公園を散歩した

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← 鳥たちが水辺で水面で戯れる。かづいて水中の魚を狙う鳥の姿も。

 小生が子供の頃は、この近くで遊んだこともあるし、小学生時代、級友が近くに家があって彼の家で待ち合わせして、その頃は健在だった三本立ての映画を安く見せてくれる映画館へ行ったこともある。
(その映画館は当時既に老朽化していて、数年もしないうちに火事で全焼してしまった。)
 けれど、その辺りは当時、子供には(女性にも)近寄り難い雰囲気があった。

 まず、臭かった。
 富岩運河環水公園とあるように、当時は未だ汚れの目立つ運河だったし、木場でもあった。
 木材(材木)が数知れず運河に浮んでいた。水に濡れた木材特有の気だるい匂い。人影も疎らで、何となく見通しの利かないような気がした。芦か葦の林の中から不意に見知らぬ男が姿を現しそうに思えた。
 実際には藪などはあまりなかったはずなのだが。

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→ 雲の形に見惚れ…。

 埴谷雄高の初期の小説の中に運河(?)の木材の下に潜って溺れそうになるという作品があったという記憶がある。
 木場の近辺から足が遠ざかって十年ほど経って、埴谷雄高の小説を読んだとき、ちらっとだが、木場の何処か沈鬱というのか異境めいた雰囲気の漂う光景を思い浮かべたものだった。
 
 富山は「水の都」を標榜しているのだと書いたが、それを象徴するのが「松川」(遊覧船! 「『東洋のベニス』水の都とやま 中村孝一」参照)でありこの「富山県富岩運河環水公園」なのだ。

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コメント

公式サイトを見ると、かなり大規模で立派な公園ですね。訪れれば爽快そう。
しかしまた、汚れた運河や木場であった頃の姿にも興味が涌きます。
昔むかし、子どもの頃の我が家の近所にも、材木置き場があったり、沼があったりしましたが、そういう、いわば町の余白の如き空間で遊んだ記憶はいまだ鮮明に脳内にあります。

ところで、「水に濡れた木材特有の気だるい匂い」というのは、まさにそう。巧い!


投稿: 石清水ゲイリー | 2008/03/27 10:39

石清水ゲイリーさん

「富山県富岩運河環水公園」はなかなかの公園です。

鳥たちも少なからず見受けるし。
もう少し木立が成長したら雰囲気が落ち着いたものになるのではと期待してます。

>しかしまた、汚れた運河や木場であった頃の姿にも興味が涌きます。

そう、あの一種独特の<場>は、戦後間もない頃のものだったのでしょう。
川辺には、掘っ立て小屋もあって、匂いも何もかもが異境って感じでした。

昔の木場だけじゃなく、近所にも藪があり(今は立派なマンション…社宅になっている)、空き地があり、林があり、農業用水には、メダカやフナが泳いでいたっけ。
その小川も、農薬が使われるようになって、子供たちの近寄り遊ぶ場所ではなくなってしまった…。

時代は綺麗さと清潔さと無駄のなさばかりを追求する。
それが悪いってわけじゃないけど、代償として失われるものも少なくはないってことですね。

投稿: やいっち | 2008/03/27 22:31

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