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2008/03/19

初めての障子紙の張替え

 前日の初めての雪吊り外しに引き続き、今日は初めての障子紙の張替えに挑戦。
 居間というか茶の間というべきか、食事も含めテレビを見たり、時に(親しい)来客の応対をも行なう、両親にとっては就寝以外の一日の大半を過ごす部屋。

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→ 茶の間の隣の部屋で障子紙の張替え作業中!

 父がヘビースモーカーということもあって、壁もカーテンもテレビも額入りの写真のガラス面も、炬燵の上掛けも花瓶も何もかもが煙草のヤニで橙色に染まってしまっている。
 一度や二度、雑巾掛けしたくらいでは、地肌が見えないってのは大袈裟か。畳さえもヤニ色だ!
 障子紙もこの数年、張り替えてないので、黄色を通り越してやはり橙色。
 しかも、甥っ子・姪っ子の子供たちがちっちゃな頃、面白半分に破ったあともあって、障子(紙)や襖、畳、桟などだけを見ると、廃屋同然?!
 但し、建物の土台や骨格は(希望的観測ながら)まだまだしっかりしている。

 家の外では草むしりも草花の手入れも畑仕事も、力仕事でない限りは母がやっていた(父もマメな性分で、これまでは週日は仕事で忙しい上に、休みの日は田圃やら植木の世話、その他もろもろのことをやってきた)。
 家の中でも事情は同じで、炊事や掃除から障子紙の張替えも母が主にやっていた。
 その母が病に倒れ、汚れ破れた障子紙の張替えの必要は父母ともに痛感していても、時折、茶飲み話に愚痴めいた形で話題にのぼったりはするものの、またすぐに忘れ去られてしまう。

 春めいてきたようである。
 黄砂か花粉か何か分からないが、風に埃が一杯混じっているのが分かる。
 障子の桟にも埃が目立つ。
 内向きだった気分が徐々にではあるが春の陽気に誘われてなのか、やや開放的な軽めなふうに変わって来つつるような。

 まあ、障子を外しても、寒風が気にならなくなったということもあるのだろう。
 彼岸が近付いている。
 薄皮の剥がれるように、心身からも重苦しいものが少しは取れてくれるのであってほしいが、何もかもが陽気に、というわけにはいかない。

 五十路ともなると年齢を一つ重ねるのもちょっと憂鬱になったりする。
 間違っても前の年より若々しくなる、なんてことはありえない。
 増して父母は八十台なのである。病気もある。
 以前、「今日も冷たい雨が降る」でも書いたが、気鬱というわけではないが、春の到来はホッとするようでもあり、草花の芽吹きや虫たちの蠢きの、その生命力の逞しさ、漲る力に自分の気力が負けてしまう、圧倒されてしまう。

 それでも春は春である。
 春が来る…、気分くらいは軽くなる…、そんな風であってほしいと思うばかりである。

 さて、朝、食後の一服(番茶)で寛ぎながら、テレビを見つつ、CMの折など部屋の中をボンヤリ見渡していると、嫌でも汚れ破れた障子紙に目が向いていく。

 先週のうちに障子紙と糊は買ってきてある。
 よし、昨日がめての雪吊り外しなら今日は初めての障子紙の張替えに挑戦だ! と思い立った。
 思い立ったら即、実行である。

 本来なら、作業の段取りなど考えなければいけないのだろう。
 しかし、無精者の小生、そんなことを考え出すと悶々とするばかりで、いつになったら実行するか知れたものではない。
 というか、何日先に障子紙の張替え作業が待っていると思うだけで憂鬱になるのだ。
 雪吊り外しにしても、日曜日の午後になって、引越し荷物の最低限の片付け作業が峠を越えたので、まだ午後の一時半過ぎで時間的余裕もあったし、いっそのこと今、やっちゃえとばかりに作業に取り掛かったのだった。

 茶の間には母しか居ない。父は風邪気味ということもあり、食後間もなく寝室に引っこんで仕舞った。
 いつもなら母も父と相前後して引っこむはずである。

 ところが、母の目の前で息子が馴れない障子紙の張替え作業をやり始めてしまった。
 これでは、おちおち休んでも居られない。
 母は、小生の作業ぶりを監督することに決めたようである。

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← 白く燦然と輝く障子紙。次には、同じく汚れきった、しかも剥がれ破れている襖に畳みに。ああ、切りがない!

 障子戸を外す。壁に立てかける。
 母が言うには、水タップリの雑巾で桟の部分を予め濡らしておくと、ペラペラッと剥がれやすい、そんな幅の細い奴じゃなくって一枚ものの障子紙なら手間が少なくて済む、表・裏を間違えないように、糊はパックか何かに入れて水で溶いておいて刷毛で塗れば塗りやすい、張り替えが終わったら壁に立てかけて乾かす、その前に霧吹きで水をサッと吹きかけておく、などなど。
 いずれも、ご尤もである。

 まあ、作業自体は順調に進んだものとしておく。
 誰も間近で出来具合をまじまじと眺めたりはしないだろうし。
 母も、立って見に来ることはできない。ただ、(遠目で)白くなった、と。
 父は、感想は何も言わなかった。
 夕方、姉が来た、しかも当の障子戸を開け閉めしたらしいが、障子紙の張替えには一向に気付かなかったとか。
 
 所詮は自己満足に終わるような代物ということか。
 ついでながら、雪吊りを撤去したことにも、今日までとうとう誰も気付かない。

 木曜日以来の風邪を雪吊り外しやいろんな雑事でこじらせなくて良かったと思うだけである(といいつつ、未だ直らない!)。

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コメント

初続きですね。故郷に帰って親がもしくは先祖が営んできたことを初めて学ぶと言うことをよく聞きます。東京の生活とは異なる生活感や雰囲気が伝わってきます。

しかし、多くの人は菩提寺などはあってもそうした故郷がないのですね。個人の回想には浸れても、日常生活に過去の歴史を見出せる人は少ないでしょう。

上の写真のカレンダーや写真は分かりましたが、柱に貼ってある菱型の意匠はなんですか?

投稿: pfaelzerwein | 2008/03/20 16:37

pfaelzerweinさん

> 故郷に帰って親がもしくは先祖が営んできたことを初めて学ぶと言うことをよく聞きます。

18で富山を離れ異郷(?)でずっと一人暮らし。
盆暮れの帰省を別にして36年ぶりの帰郷なので浦島太郎状態です。
高校までの友人・知人とは音信不通。ガキの頃、一緒に遊んだ仲間は、自分も含め、スッカリ面変わりしている。
昔の風習で消滅したものもかなりありそう。
何しろ、田畑が激減してしまったし、他の地から引っ越して来た人のほうが多いみたい。
それでも、親の世代は神社や寺を中心に縁を守っているみたい。その輪に加えてもらうかどうかは思案のしどころかも。
農協(支所)の輪もあったけど、支所が他所の地へ統合されてしまうので、その輪は風前の灯かも。

> 多くの人は菩提寺などはあってもそうした故郷がないのですね。

過日、他所の町で無縁仏が生じ、縁故を辿ったら、我が町の人の遠い親戚筋ということで、こちらのお寺へ墓変えしたってことがありました。
納骨する場所(お寺)があるってことは、故郷があるっことになるかどうか。

郷里は思い出の残る場所ってことになっていくのかな。

> 柱に貼ってある菱型の意匠はなんですか?

家紋でもなんでもなくて、ちょっと変わったデザインの温度計です。ガッカリ?

投稿: やいっち | 2008/03/21 02:49

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