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2008/03/30

「野原のことなど」再び

帰郷して初めて散歩した(1)」の中で、「富山県富岩運河環水公園」となっている場所は以前は木場だったと書いている。
 じっくりゆっくり時間を掛けて歩いてみないと断言はできないが、今となっては、木場の名残りなど微塵もないようだ。

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← ここが以前は木場だったとは思えないほどに<綺麗な>環水公園への変貌ぶりである。

 この環水公園も含め富山駅の北口側は、俗に駅裏(側)と呼称され、南側、つまり表側は早くからデパートなどの商店が建ち並び、市役所や県庁、大手の企業の本支店などがある。
 まあ、何と言っても駅の南側は城下町でもあり、富山城そして城を巡る堀があるわけで、早くから開けてきたのも当然なことではある。

 一方、北口側は、小生が子供の頃は、駅の間近には放送局も含め幾つか大きなビルが建っていたものの、せいぜい二階建ての民家が密集ということなく街道近辺を中心に続いているだけだった。
 駅を十分も離れると田圃や畑が広がり、集落のように数軒あるいは十数軒の農家(大抵が兼業農家)が固まって散在していた。

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2008/03/28

顔がお岩さんに

[数日前の日記より]

顔が東海道四谷怪談のお岩さんのような美人顔になりましたって、ことじゃない。

こけて、顔面をコンクリートの地面に強打し、右目(向ってだと、左目)の脇のコメカミの辺りと右眉の右端の上(額)にキズ、出血。

強打した部分が見る見る脹れ上がって、お岩さんのように片側の瞼も脹れて右眼が半白眼に。

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→ 藤原成一●著『幽霊お岩 忠臣蔵と四谷怪談』(青弓社)

右目だけ見ると、三昧境のお坊さんのようでもある?!

事故があったのは、一昨日の夜、アルバイト中でのこと。

駐車場で、車に乗るため、車のあるほうへ駆け寄ろうとした。
が、ちょうど足元に車止めがあった、が、運悪く足元ピッタリの位置で、小生は車止めの存在に気付いていない。
お客さんとの遣り取りがあり、注意が後方に奪われていて、振り返りざま、つい慌てて車のほうに駆け寄ろうとしたのだった。

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2008/03/27

帰郷して初めて散歩した(2)

 数年前、完成半ばの親水公園を散策したのは既に暮れなずむ頃合だった。
 今回は夕方にあと小一時間とはいえ、明るい。
 三月の下旬で、風も冷たくはない。
 自転車に乗り、あるいは自転車を公園の隅に置き、公園の風景を楽しんだ。
 立山の眺望も素晴らしい。青空に漂う雲も形が面白い。

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← はるかな立山連峰に眺め入る。富山駅から歩いて数分の公園でのひと時。

 しかし、何より予想外の嬉しさは、鳥たちの姿をたくさん愛でることが出来たことだった。
 鳩たちだろうか、何かの水鳥たちの溜まり場が設けられてあって、水辺には小屋(観察舎)が建てられてバードサンクチュアリとなっており、バードウォッチングと洒落込むことが出来るばかりではない。

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2008/03/26

帰郷して初めて散歩した(1)

 先日の夕方、帰郷して初めて散歩した。
 散歩しようと思えばこれまでだって出来ないことはなかったのだが、その気になれなかった。短時間であれ散歩したってことは、ようやくちょっとはこちらの生活に馴染んできたということかもしれない。

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→ 「富山県富岩運河環水公園」を象徴する「天門橋」を遠望する。

 先月の26日に帰郷したのだから、散歩しようなんて思い立つまでにまるまる一ヶ月を要したことになる。
 東京から富山へ。その前の仙台での歳月を加えると36年間、異郷の地にいたことになる。
 異郷と言っても、自分としては東京にずっと居続けるつもりでいたから、気持ちの中で東京を本当に異郷の地と自然に感じるには、きっとまだまだ時間が掛かるに違いない。

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2008/03/23

抜き足差し足忍び足の日々…バードウォッチング?

 郷里に引っ越してきて(出戻りして)あと数日で早くも一ヶ月が過ぎることになる。
 バタバタするばかりの毎日で、忙しくもあるが、何処かスローモーション映像の中にいるようで、時間の感覚が狂っているような気がする。
 それは、東京という大都会と富山との時間(経済)の進み方の実際的且つ感覚的な速度感や人や文化や歴史の厚みの違いでもあろうけれど、やはり個人的な事情に負うところが大きいようである。

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← 3月20日の午後。ジッと見ないと分からないかも。

 共に米寿を越えている父母との暮らし。
 体調のこともあり、生活のテンポが何事においても緩やか。
 協調心があるというのか、こちらまで家の中ではゆっくり緩やか。

 動作が緩やかだからといって、心の中までもがのんびりしているわけでは毛頭ない。

 むしろ思うこと願うこと意図することと、現実に出来ることとのギャップの大きさを日々そしてその都度、思い知らされる。

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2008/03/20

アーサー・C・クラーク死去

SF小説の大家、アーサー・C・クラーク氏が死去 」(ホビー マイコミジャーナル)というニュースが20日の新聞でもテレビでも流されていた。
「英国人小説家アーサー・C・クラーク氏が19日、移住先のスリランカで死去した。享年90歳、死因は心肺機能不全」という。

 小生にとってはアーサー・C・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke, 1917年12月16日 - 2008年3月19日)の『2001年宇宙の旅』や『太陽系最後の日』、『銀河帝国の崩壊』なども印象深いが、ノンフィクションものの『未来のプロフィル(Profiles of the Future)』 が彼の著作の中では思い出深い。
 SF作家としては、同じく大家のアイザック・アシモフとかハインライン、『スカイラーク』シリーズや『レンズマン』シリーズ等のE.E.スミス、エドガー・ライス・バローズのほうが好きだった。
 ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズ、アーサー・コナン・ドイル(小生にとってドイルは、『シャーロック・ホームズ』の作家ではなく、恐竜の作家だ)などなど。
 メアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン』はSF小説の先駆け的な作品? 彼女はこれを19歳の時に書いた!

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2008/03/19

初めての障子紙の張替え

 前日の初めての雪吊り外しに引き続き、今日は初めての障子紙の張替えに挑戦。
 居間というか茶の間というべきか、食事も含めテレビを見たり、時に(親しい)来客の応対をも行なう、両親にとっては就寝以外の一日の大半を過ごす部屋。

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→ 茶の間の隣の部屋で障子紙の張替え作業中!

 父がヘビースモーカーということもあって、壁もカーテンもテレビも額入りの写真のガラス面も、炬燵の上掛けも花瓶も何もかもが煙草のヤニで橙色に染まってしまっている。
 一度や二度、雑巾掛けしたくらいでは、地肌が見えないってのは大袈裟か。畳さえもヤニ色だ!
 障子紙もこの数年、張り替えてないので、黄色を通り越してやはり橙色。
 しかも、甥っ子・姪っ子の子供たちがちっちゃな頃、面白半分に破ったあともあって、障子(紙)や襖、畳、桟などだけを見ると、廃屋同然?!
 但し、建物の土台や骨格は(希望的観測ながら)まだまだしっかりしている。

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2008/03/17

初めての雪吊り外し

 生まれて初めて雪吊りの撤去作業をやった。
 正式な名称は分からない。雪吊り外し?

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← 2月28日の光景。冠雪して見辛いかもしれないが、雪吊りされた松などが見えるはず。手前の二本が松で、一番奥の雪吊りは梅の木。

【雪吊り】とは、「歳時記 【雪吊り】」(ホームページ:「芭蕉/歳時記」)によると:

 樹木に支柱を立てたり縄で枝を吊るなどして、北陸特有の湿気を多く含んだ重い雪から木々を守る「雪吊り」。雪の降り積もる前に行われる雪吊りは、金沢に冬の訪れを告げる風物詩となっています。
(略)
 ちなみに雪吊りが必要な樹木には、松や桜、ツツジ、アオキ、八つ手があります。とりわけ松の木は、常緑の葉であるため雪の重みがひときわ加わることから最も念入りに施されることになっています。

「雪囲い」の撤去のほうは、「弥一は柴刈りに」に過日、その作業の一部に付いてレポートというか小文を書いた。
 今度は、この先も多少は降ることはあっても大雪の懸念がなくなったということで、雪吊り外しというわけである。

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2008/03/15

寝台急行「銀河」ラストラン

 とうとうその日が昨日、来てしまった。
 寝台急行「銀河」ラストランの日。

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→ これは、夜の空を駆けて行くモノレールの勇姿。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をイメージしたくて撮ったもの。

「銀河」ラストラン  「ありがとう」とファンらがお別れ」(「NIKKEI NET(日経ネット)」より):

 14日午後11時、JR西日本の寝台急行「銀河」の最終列車がJR東京駅を大阪に向けて出発した。ホームには約2000人のファンらが駆けつけ、降りしきる雨の中、走り去る銀河を拍手で見送った。

銀河 (列車) - Wikipedia」によると、「「銀河」の列車愛称の由来は天体の銀河であ」り、「全車寝台車で編成されている急行列車である」。
 夜行列車を外から長めると、それこそ宮沢賢治ではないが、「銀河鉄道の夜」を髣髴させるし、夜空の「銀河」を連想する意味でも、「銀河」という愛称はロマンチックであり、ピッタリのものだろう。

 夜汽車。それだけでロマンを感じさせてくれる。

 学生時代、あまりレコードなど買って聴くことはなく、専らFMなどのラジオを楽しむほうだった。
 そんな中、数少ない例外の一枚としてグラディスナイツ・アンド・ピップスの「夜汽車よジョージアへ(Midnight Train To Georgia)」がある。
 紅一点のグラディス・ナイト(Gladys Knight)らのソウルフルな歌の数々もいいが、表題の「夜汽車よジョージアへ」をラジオで聴いて、その曲を聴きたいばっかりに買ったLPだった。
 夜毎、部屋の中を真っ暗にして聴き入ったものである。

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2008/03/10

弥一は柴刈りに

 御伽噺(説話)「桃太郎」は、以下のような話から始まっている。
 昔々ある所に、おじいさんとおばあさんがいた。じいさんは山へ芝刈りに、ばあさんは川へ洗濯に出た。ある日ばあさんは川で洗濯をしていると、上流から大きな桃が流れてきた。ばあさんはその桃を取り上げ、家へ持って帰って食べようとすると、中から男の子が飛び出した…。

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← 刈った柴。薪にはならず…。

 この話の周辺を巡っての与太話は、拙稿「桃から生まれた豊かな世界」などで書いていることもあるし、ここでは道草しない。

「じいさんは山へ芝刈りに」の「芝刈り」にちょっとこだわってみたいのだ。

 ネット検索で「芝刈り」をキーワードにすると、ある意味当然のことだが、「芝生」の「芝」を刈るという話が引っ掛かってくる。

芝刈り」ではなく、「柴刈り」と表記すべきだったのだ。
 小生が迂闊だった。

 芥川龍之介には、「桃太郎」と題された小品がある。
 御伽噺の「桃太郎」を芥川龍之介らしく捻った作品で、「芥川龍之介 桃太郎 青空文庫」で読める。
 短い作品なので、通読するだけなら数分ほどもあれば十分だろう。

 芥川龍之介の「桃太郎」では、「柴刈り」と表記されている…さすがに芥川龍之介は凄いなって、そういう話をしたいわけではない。

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2008/03/09

富山……佐伯有頼そして立山

 晴れて(?)富山県人・富山市民となった。
 なので富山関連の話題が自ずと増えていくものと思う。
 今日は、富山といえば立山、立山といえば佐伯有頼(さえきのありより 676年頃 - 759年?)ということで、佐伯有頼に付いて若干のことを自分の勉強のためにもメモしておきたい。

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→ 立山曼荼羅『相真坊B本』(個人蔵) 芦峅寺系 形態:紙本4幅 法量:150.0cm×216.5cm(内寸) (画像は、「立山曼荼羅の解説 富山県[立山博物館]学芸員 福江 充」より。「立山信仰と立山曼荼羅の解説」なる頁が充実している。)

 佐伯有頼でネット検索すると、筆頭に「佐伯有頼 - Wikipedia」なる頁が出てくる。
 冒頭には、「佐伯有頼(さえきのありより、 676年頃 - 759年?)は、飛鳥時代の越中の国司、佐伯宿禰有若の息子。霊示を受け、神仏習合の一大霊場である立山を開山したとされる。出家して慈興と号す。」とある。

 が、富山県人なら、そして立山(・黒部)を旅行したことのある方なら、必ずと言っていいほど「白鷹伝説」を観光バスのガイドさんなどから耳にしたことがあるものと思う:

有頼が父の白鷹を父に無断で持ち出し狩をしていると、白鷹は急に現れた熊に驚き逃げてしまう。有頼が矢で熊を射ると、熊は血を流しながら逃げていった。洞穴の中へと続く血の後を見つけ、弓を構えて中を伺うと、そこに居たのは矢を射立てられた阿弥陀如来であった。嘆き悲しむ有頼に向け阿弥陀如来は、白鷹もまた立山の神の化身で有頼を導くための使いであり、僧になりこの山を開くよう告げた。立山の為に生涯を尽くすことを誓った有頼は直ちに下山し父頼若にこの事を告げると、出家し名を慈興に改め、立山開山の為に尽力した。

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2008/03/08

雪女郎怖くて怖くて会いたくて

 東京での30年ほどの滞在の間に買い求めた本の大半は帰郷の折に処分した。
 それでも数十冊ほどは、処分の手の透き間から漏れ、今、郷里の部屋にある。
 まとめて業者に本を出した際には、机の裏側や積み重なっていた荷物に覆われていた押入れなどに隠れていて、生きながらえた。

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→ 3年前の帰省の折に撮ったもの。居間(茶の間)からの眺め。

 でも、中には敢えて残した本もある。
 寺田寅彦の随筆集であり中谷宇吉郎集である。
 相変わらず荷解き作業が続いていて、家事もあるし、その上、昨日からはアルバイトの形だが、仕事にありついたこともあり、じっくり読書という時間は取れない。

 そんな中でも、時間を掻き削るようにして、ちびりちびりと本を読んでいる。

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2008/03/06

久しぶりの床屋

久しぶりの床屋。
久しぶりって、どのくらい?
一ヶ月? 三ヶ月? 半年? 
まさか、一年ぶりってことはないよね。

ブー。
実は、この前、床屋さんへ行ったのは、1995年8月!

以前、何処かで書いたけど、前の仕事のための証明書写真を撮るため、仕方なく床屋さんへ。

1995年8月の前は、1994年2月末。京都の病院を退院する直前。

1994年2月末から1995年8月までの間、床屋さんへ行かなかったのは、1994年4月(退職が決まったのは、1994年2月末。退院し、会社へ行ったその日)から失業していたから、床屋さんなんて贅沢(?)は論外だったという事情があった。

その間は、自分でハサミやカミソリで鏡を見ながら適当にバッサバッサ。前のほうは鏡で調えられるが、後ろのほうは文字通り適当!

1981年4月から1994年3月までのサラリーマン時代は、近くに話のウマの合う床屋さんがいたので、半ばお喋り目的で月に一度のペースで頭をあたってもらっていた。

さて、話の流れからあるいは察することが出来るかもしれない。

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2008/03/04

最後の引越し?

 引越し。
 今回の引越しが最後となるのか。
 18歳で大学生として暮らすことになった杜の都・仙台へ向ったが、これは引越しとは云わないのだろう。
 単身赴任でもないし、単身赴学?
 やがてやっとこさで大学を卒業し、78年に東京へ。

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← 東京駅で新幹線に乗りしばらくはこんな風景が続く。

 何かの記事で書いたような気がするが、結構ドタバタしたものだった。
 折を見て、上京の顛末を詳しく書いてみたい。

 簡単にメモだけしておくと、上京を決心し、そのための軍資金が必要ということで得意の(?)ガテン系のバイト(小生、学生時代のバイトは二日間限りの家庭教師を除き、新聞配達など全て肉体労働系である)を学校で見つけたはいいが、その矢先にひどい風邪を引いてしまった。

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2008/03/03

『今昔物語』:風のかたみ

 ここしばらく、引越しの作業などで慌しく、音楽も聴けなければ本もろくすっぽ読めない日々が続いている。
 CDプレーヤーのほうは、先週末、梱包したまま蔵に積み上げていた山となったダンボールの中からようやく発見、夜になってショパンやバッハなどを聴いた。

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→ 福永 武彦 著『今昔物語』 (【解説: 池上洵一 】 ちくま文庫 筑摩書房 

 雑多な荷物が乱雑なままの我が部屋だが、不思議なものでロッキングチェアーに体を沈め目を閉じ流れ漂い時空を満たす音楽に聞き入っている間だけは、自分が異次元の世界に導きいれられたようで、気忙しい日々の俗事を忘れさせてくれる。

 本は、日記の「祈りでもなく」にチラッと書いているが、福永武彦 著『今昔物語』 (【解説: 池上洵一 】 ちくま文庫 筑摩書房)をちびちびと読んでいる。
 いよいよ引越ししようという前日に買ったもの。
 自分を慰撫するため、本は当分買わないという禁を破ってほぼ四年ぶりに書店へ足を運び物色し購入したのである。

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2008/03/01

久しぶりの雪の正月に思う

 帰郷して五日目になる。
 朝方には晴れていた空が、午後になると俄かに空模様が一転して掻き曇り雪になる…。あるいは、日中も夜も冷たいながらになんとか雨だったものが、夜半近くになって、あれ、雨音が聞こえなくなっている、さてはと、カーテンを開き窓の外の様子を窺ってみると、案の定、深々と雪が降っている、そんな経験を早くもこの数日の間に何度となく経験した。

2005

← 三年前の雪景色

 冬の富山にあっては珍しくもなんともないこと。
 当然のことだが、雪掻きも三度やった。
 まあ雪掻きというほど大して降り積もっているわけではなかった。スコップを使う必要もなく、スノーダンプを何度か往復させれば十分な程度のもの。
 それでもガキの頃にせっせと雪掻きした経験やスコップを握った感覚は蘇ってくる。

 六年ほど前の小文に、「久しぶりの雪の正月に思う」がある。近年の年始にしてはやや多めの雪が正月早々に降って雪掻きを余儀なくされた時の体験や感懐を綴ったものである。
 ちょっと懐かしいので旧稿を温める意味もあり、再掲する。

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