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2008/02/23

厄介な荷物?

[過日の日記(備忘録)より]

引越しのための荷造りやら片付けも、ようやく先が見えてきた。
なんたって過日、四囲の壁が見えたのに続き、今度は床が見えたのだ!

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→ とってもすっきりした部屋。梱包を終え業者に寄る運び出しを待つダンボールが山積みに。荷物がないと案外、我が部屋も思ったより広い。真ん中に鎮座するこのロッキングチェアー(二代目)で幾夜、夜明かししたことか。これと机だけは郷里へ送るつもり。奥の書棚は四半世紀使ってきて愛着があるのだが、この際に捨てる決心である。問題は、非力な小生一人で階下へ運べるかどうか。

日曜日から本格的に作業を開始して、あと残すところは生活必需品や貴重品、衣類など少々(←と思ったのは大間違いだったことが後で分かるのだが)。
これらは、引越し当日に片付けるしかないので、梱包するわけにはいかない。

こうなると連日の、小生には過ぎた肉体労働や神経の使いすぎ、そのために張り詰めていた緊張の糸もちょっと緩んで、疲労がどっと出てきてしまう。

拍子抜けに近いような状態。

この勢いですぐにも引っ越そうかとも考えたけど、都合がいろいろあって若干、先延ばし。

ところで、引越しのための荷物の整理で頭を悩ませていた懸案事項が幾つかあった。

例えば巨大な収納式ベッド
入口からは入らず(これがそもそも計算違いだった)、業者と小生の手では足りず、友人を呼び、ベランダから二階の我が部屋へ機械を使わず人力のみで入れた。
数時間にわたる作業の果てに、ようやく部屋の中に収まった時には、みーんな、へとへと。
(このあと、このベッドの位置決めで一人、途方に暮れることになるのだが、これは別の機会に。)

今回は、業者を呼び、解体して入口のドアからおさらば。
跡形もなくバラバラな木屑に成り果てて。

僅か十七年の愛用だった。

他の家具類などは捨てるのみだったし(とは言っても、書棚などは大き過ぎて、どうやって二階から一階の所定の場所に持っていけばいいものやら、途方に暮れている…)、使う見込みのないコピー用紙類は図書館に提供し、本も一部は寄贈したが、厄介だったのがおカネ

といってもありあまるおカネの始末に悩んだ…わけがない!

実は小銭が憂鬱の種だったのだ。

今の部屋で暮らし始めて以来、十七年、溜め込むというより、買物をするたび釣銭でもらう小銭をその都度、ビンや空き缶に放り込んでいた。
それがいつしか、なかなかの量になってしまっていたのだ。

額は大したことがないはず。
何故なら、小銭ってことで、一円玉、五円玉がメインなのである。
一円玉は、たとえ千個あっても千円である。
そこに彩(いろどり)を添えるかのように五円玉が混じっている。

尤も、入居した頃は少しは実入りも良かった…わけでもないが、十円玉や五十円玉も放り込んでいた。
さすがに百円玉まして五百円玉などは小銭入れから空き缶へ、ということはなかった。

知り合いにはそんな奴もいて、一年間にビンに溜め込んだ五百円玉が数十万円になり、それを使って年末に小旅行に行くというけれど。

さて大量の小銭をどうするか。
数年ほど前、始末にこまった小銭を袋に入れて近所の郵便局へ向ったことがある。

窓口で預金をしたら、受付の姉さんが一瞬、困ったような顔をしたような。
悪い予感。
姉さん、小銭を持って奥のほうへ。

あああ、小銭を手作業で金種分けをして数えている!
小生、てっきり、機械でカウントするものと思い込んでいたから、ひたすら恐縮するばかりだった。

その時の総額は、二千円余り。
申し訳なくて、同じことはできない。

訊くと本局になら、自動でカウントする機械があるが、ちいさな町の局だと、まず備えていることはないのだという。
(後日談:その時、窓口で対応してくれたのこと。この小銭預金事件(?)があって数年後、事情があって隣町の郵便局へ行く機会があった。窓口を見て驚いた。あのときの女性が居るではないか。まさか、小生の碌でもない預金振りに辟易して局を変わったって事、ないよね ?! まあ、小生は彼女のことを覚えているけど、先方は知らん顔をしていたので、余計な心配だったと思うけれど。)


手元に残っている小銭は少なくともその時の十倍。

缶や瓶入りでは自転車では運びづらいので、まずは袋詰めの作業から。
硬貨は重いので、途中で袋が破けても困るので、丈夫な袋を選ぶ。

その上で小銭も数える自動預け払い機のある大きな局へ、小銭を詰め込んだ袋を持って自転車で。

重い! 自転車がふらつく。

それでも、幸い快晴だったので、あと数日でおさらばする町を名残りを惜しみつつ眺めながら、気分はツーリング。

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← 厄介というわけじゃないが、扱いに困っているのがこのお酒。小生が個人タクシーの資格試験(学科)に通った際に、二本セットでお祝いでもらったもの。身近に祝ってくれる人は、親などの近親者も含め、ただの一人も居なかった中で、唯一の、しかも意外な(?)人からのお祝いの届け物だっただけに、心底、嬉しかった。近親者はタクシーの仕事(我が仕事だ!)に全く関心を抱いたことはない。個人タクシーになろうと何年にも渡る懸命な努力を積み重ねてきたのに、そんな息子の辛酸には一顧だにしない。ただ、やめろの一点張り。
自分のようなものが十二年以上もタクシー業務という営業業務で頑張ってきたのだけれど、その苦労や頑張りを労(ねぎら)う素振りは全くない。楽しいことがなかったとは言わないが、労苦のほうが遥かに多かった。曰く言い難い日々を耐え、やりぬいてきたのだ。ご苦労さんの一言くらいあってもいいだろうに。だからこそ、祝いの酒は、誰からのものにしろ、たとえ自分が下戸で飲めなくとも、本当に嬉しかった。そう、嬉しかった! 引越しを終え落ち着いたなら、そのうち一人で自分を労ってやるつもりである。誰にも分からなくとも、親さえ頓着しなくても、頑張ってきたことは、少なくとも自分は知っている。それでいいじゃないか。やること、やれることはやったのだし。
思えば小生だって親たちに対してそうだった。四半世紀以上も昔、父がこの道一筋に働いてきた仕事をやめた時、自分だって息子として家族として祝うようなことは何もしなかったではないか。さらに言えば、母が長年、主婦として家事から農作業、畑仕事、草むしり、地元のボランティア、習っていた民謡(歌と三味線)の特技を生かしての福祉活動…。母は性格の明るさと矜持の年があって一家や一族や地元の輪の中心的な存在となってきた。そんな母が倒れた時にどれほどの労いや感謝の言葉を掛けたというのか、畏敬の念を抱き捧げたというのか。所詮は因果は巡る、なのではないか。
さてそれにしてもこのお酒はどうしたものだろう。既に一本はある業者の方にあげてしまった。残りは一本である。きっとまた誰か業者の人かいずれにしても赤の他人にあげることになるのだろう。それが小生流のやり方なのだ。思いを分かち合う相手が居ない以上、他にどうしようもない。思いが募るだけに、何も事情の知らないお酒好きの他人に提供し、美味しく戴いてもらったほうが、小生も気が楽なら、お酒も喜ぶに違いないのではないか。捨てるわけにいかないしね。

が、そんな気分はすぐに吹き飛んだ。
まず、自動預け払い機で預金しようとして失敗。
投入口一杯に小銭をザーと放り込んだのが拙かったようだ。

機械が悲鳴を上げ、トラブル。機械の使用不可になり係員を呼ぶ破目に。

一度に五十個の小銭しか預けられないということで、係員に叱られ、小銭を機械から取り戻し、窓口へ。

最初の日は、ハローワークへ行ったこともあり、時間切れで2往復しただけだったが、2回での預金額はなんと一万八千円ほどに!

でも、窓口でも注意を受けた。
なんでも、小銭の中に外国の通貨や、もっと情けないことには埃や髪の毛などのゴミが混じっていました。次からはそんなことにないように、だって!

そりゃそうだ!

翌日も行き、二日間に渡る小銭での総預金額は三万七千円となった!

思わぬ額だ。
引越しの費用の十分の一にもならないけど、まあ、気休めにはなる。

とにかく、懸案が一つ片付いたんだ!

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コメント

上のお話を読んで、もしかすると日本は科学文化的な後進性を示しているのではないかと思いました。商業小売ではコインの流通は重要で、レジスターなどを含めてなんとか解決されている筈なのですが、一体どうして解決しているのでしょうね。銀行に持ち込まれるときには小銭は既に封印されているのかもしれませんね。

さもなければ、通常の金融機関でこのような選別機がないのは考えられません。少なくともです、自動貯金機では大量に投入できるはずがなく、大きなプレートに上に載せて、選別をする機械とかが何処にもなければ、小商いの商店は金融機関と取引が出来ないでしょう?なぜそうした簡単な装置が無いのか?

幻のロッキングチェアー大公開でしたね。背後の扉は洗面所ですか?

投稿: pfaelzerwein | 2008/02/23 16:13

pfaelzerweinさん

小銭の件、自分で体験して日本の現状の一端を知った思いです。
小さな局では、小銭での預金の際は、金種を預金者が予め仕分けするのが常識だと、某大きな局の係員に言われました。
さも、世間知らずの相手に常識を教え諭すかのように。

小商いの商店は、日々、入金のその都度、金種ごとにまとめ、あとは銀行さんがザーと機械でカウントするのでしょう。

入り混じった大量の小銭を銀行の窓口に持っていったら、どんな対応が待っているのか、興味深いけど、怖いもの見たさの試みのようにも思えます。

実際、小銭をたくさん持っていった日は、しばらくしたら警察官が二人、自転車を飛ばしてやってきました。
強盗の下見と誤解され、通報されたのかと一瞬、思いましたよ!

> 背後の扉は洗面所ですか?

そう、ユニットバスのドアです。

> 幻のロッキングチェアー大公開

お恥ずかしい。

パソコンに向う時以外は、食事も含め、読書に居眠りなど大半の時間をこのロッキングチェアーで過ごしました。

田舎に持ち帰るつもりなので、多分、これからも!

投稿: やいっち | 2008/02/23 17:57

久しぶりにブログにお邪魔したら、もう引っ越されていたとは!
この街に17年間住まれていたんですね。
私は7年目に入りました。
たぶんかなりご近所だったと思います(笑)

富山でのご両親との日々のエッセイを楽しみに読ませていただきます。

投稿: サラス | 2008/03/02 23:35

サラスさん

近所同士だったようですね。

皮肉にも、引越しする前日には、関西方面のネット上の知り合いの方が仕事で大田区にも営業に来ておられるということで、お会いする機会がありましたよ。
一緒に青山の銀杏並木の道を歩いたり、喫茶店でお喋りしたり、ユニマット美術館へ行ったりしました。

サラスさんとは擦れ違いになったけれど、縁は切れていないと思っていいですよね。

17年…18年間、住んでいた大田区、そして30年間、住んでいた東京は、小生の第二の故郷です。
富山情報と併せ、発信していきたいと思っています。
これからも宜しく!

投稿: やいっち | 2008/03/03 01:01

>サラスさんとは擦れ違いになったけれど、縁は切れていないと思っていいですよね。

はい、こちらこそよろしくお願いいたします。

うちは例の神社から徒歩1,2分のところにあります(笑)やいっちさんとは同じ町内だったのかも!

投稿: サラス | 2008/03/04 00:18

サラスさん

その町には、魂の一部は残してきました。
これからもよろしく!

投稿: やいっち | 2008/03/04 00:33

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