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2008/02/13

焼け野の雉(きぎす)

 昨日の記事「キジも鳴かずば打たれまい」で書いたキジに付いての諺(トリビア)が、今日になっても気に掛かっていた。

Versicolor

→ キジ(雄) (画像は、「キジ - Wikipedia」より)

「頭隠して尻隠さず」ということわざは、草むらに隠れたつもりになったキジの様子に由来している」(「雉の隠れ」とも)とか、「キジも鳴かずば打たれまい」といった諺である。
 国鳥なのに、どうしてこうした諺に引き合いを出されてしまうのか。
 しかも、「キジ - Wikipedia」によると、「頭が良くない」だなんて、あんまりな言われ方さえされている。

 が、昨日の記事の末尾近くに書いたが、キジの愚かしいかのような生態は、「オスの飛び立つ姿は力強く男性的,メスは「焼け野のきぎす」のたとえにあるように非常に母性愛が強い」という面とは、実は裏腹のように思えてきた。

森林警備中隊」(ホームページ:「森林警備中隊駐屯基地」)の中の項を転記させてもらう:

 『雉も鳴かずば撃たれまい』とか『雉の隠れ(頭隠して尻隠さず)』等、余り良い意味の諺ではないのがメジャーだが、『焼け野の雉』と言うような、キジの母性の強さを表した諺もある、営巣中のキジは、野焼きなどで火の手が迫ると、自分は軽々と飛んで逃げれるのに、懸命にヒナを安全な場所に誘導して避難させようとするコトにちなんだ諺である。

 キジの仲間はヒナを連れていたりするときに敵に出会うと『偽傷』と言って、羽を引きずるようにしてフラフラとおぼつかない足で、怪我をしたようなフリをして、飛べないこっちの方が捕まえやすいよ…と親が敵の目を引きつけてヒナを逃がす行動をすることが知られている。

 子供を連れて歩くことがあるメスと、ヒナたちは茶色がメインの色彩であり、一端藪にはいると発見は難しい、ヒナが藪に逃げ込むまでの時間を、親鳥が身を挺して稼ぐのである。


 すごいではないか。
 となると、キジがあれじゃ、掴まっちゃうよ、頭隠して尻隠さずなのは、当人(キジ)にしてみたら、計算付くの行動であるに過ぎないってことなのではないか。
 近くにヒナか仲間がいて、他のを助けるために犠牲に、囮になろうと、愚か(と誤解されてしまうよう)な振舞をしているだけなのではないか。
『雉も鳴かずば撃たれまい』とか『雉の隠れ(頭隠して尻隠さず)』等は、むしろ、キジの情愛の深さをこそ物語る諺なのだと理解すべきなのだろう。

 さらに、「キジ」(ホームページ:「桂川の鳥」)によると:

 キジは母性愛の強い鳥で、卵を抱いているメスは、たとえ山火事が発生して自分が焼け死ぬことになってもその場を離れずに卵を守り続け『焼野のキギス(キジの古い呼び名)』の諺もあるほどです。

 これを美談と言わずして何としよう!

 さて、キジというと、『桃太郎』である。少なくとも小生的にはそうである。
 お札のデザインのキジとは縁が薄いし、キジ鍋も食べたことはないし、最近、キジを見た記憶がない(あるいは視野の中にいても、うっかり者の小生には気づかないだけなのかもしれない)。
 なので、『桃太郎』とキジの話題を少々。
 ガキの頃、絵本は好きだったし、『桃太郎』は冒険に飛んでいて面白かった。

 それにしても、何故、キジなのだろう。
 そもそも「イヌ」と「サル」は、犬猿の仲ではなかったのか。そこに「キジ」を加えるとは、犬猿の仲を取り持つ(鳥持つ)という意味合いが含意されているってことはないのか(一体、犬猿の仲って言葉はいつ頃から使われだしたのか)。

 大体、「サル」とか「イヌ」と、一般的な呼び名なのに対し、「鳥(トリ)」ではなく、敢えて「キジ」と種類までが限定されているのが謎である。つまり、「サル・イヌ・トリ」ではなく、「サル・イヌ・キジ」。
 もしかして、「サル・イヌ・キジ」は、陸と海(川)と空のそれぞれを象徴させたとか…。

 あるいは、古代においては、「鳥」は「トリ」ではなく、「キジ」と呼称されていたのか…。
 それとも、本稿で採り上げたように、「キジ」の優れた母性や愛情・知恵を古代の人も知っていたから、敢えて知恵と情愛の象徴として「キジ」を挙げたのか。
 
 謎は深まるばかりである。
 妄想は尽きない!

 やはり、無難なところで、「桃太郎 - Wikipedia」の中の解釈の項で示されているように、「鬼は、風水では丑と寅の間の方角(北東)である「鬼門」からやって来ると考えられている事から、桃太郎はそれに対抗して、裏鬼門に位置する動物(申(サル)、酉(キジ)、戌(イヌ))を率いた、という解釈」に拠るべきなのか。
 一筋縄では行きそうにない、歴史の闇に紛れてしまった秘密がありそうである。


「桃太郎の神話は日本で一番古い書物の古事記に記してあります」という、「桃太郎伝説」そのものについては、今回は扱わない(一層、詳しくは、「古代史の扉 桃太郎伝説」へ)。
 既に駄文などで扱ったこともある:
桃太郎伝説と織田信長
桃から生まれた豊かな世界

 最後に余談を一つ。
 文部省唱歌「桃太郎」(作詞者不明、作曲・岡野貞一)は、小生もガキの頃、歌った記憶がある。軽快な曲で歌いやすかっし、楽しげ。
 ただ、愚かな小生、歌詞の「桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけた黍團子、一つわたしに下さいな」の「黍團子(きびだんご)」の黍(きび)が分からず、これってもしかして、キビじゃなくってキジのことじゃないの、キジを殺して団子にしちゃったんじゃないのって、チラッと思っていたことがあった。

 まあ、微笑ましい誤解ということであろうか。

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