もしも月がなかったら
2005年に開催された「愛・地球博」の「三菱未来館」で、「もしも月がなかったら」という企画展が催されていた:
「三菱未来館@earth」
← 画像(壁紙素材)は、「La Moon」より。拡大したほうが画像の見事さが分かる。
上掲の「三菱未来館@earth」の中の「三菱未来館@earthもしも月がなかったら EXPO 2005 AICHI,JAPAN」なる頁によると:
三菱未来館は、身近でありながらまだ未知の部分を多く残した「月」に着目。「もしも月がなかったら、地球はどうなっていただろう?」という素朴な疑問を入口に「いまこの地球に生きている不思議、その奇跡へのまなざし」というテーマで出展します。パビリオンは、映像シアターで米国メイン大学天文学・物理学部教授ニール・F・カミンズ氏の著書「もしも月がなかったら」をベースに映像物語が展開されます。
月がなかったら、月見が出来ないとか、風情がなくなるとか、まあ、科学の門外漢たる小生なら考えそうなお「もしも」像はいろいろ考えられる。
が、実は、月がなかったら地球は想像を絶する世界となっていただろうという。
同じく、「三菱未来館@earthもしも月がなかったら EXPO 2005 AICHI,JAPAN」によると:
月のない地球はわずか8時間で自転し、強風が吹く殺伐とした環境となり、まさに危機的状況を迎えるといいます。三菱未来館では、そうした月のない恐ろしい世界を再現した上で現在の素晴らしい地球環境を描き出すことで、月と地球の奇跡的なバランスの上で成り立つ地球環境の維持の大切さを実感してもらおうと考えています。
→ 『三菱未来館』 (画像は、「三菱未来館 - Wikipedia」より)
転記した文の中にもあるが、この企画展は、米国メイン大学天文学・物理学部教授ニール・F・カミンズ氏の著書『もしも月がなかったら ありえたかもしれない地球への10の旅』(竹内 均監修 増田 まもる訳 東京書籍 1999.7刊)をベースに話が展開されている。
「Amazon.co.jp 通販サイト」の中で参照されている商品の説明を若干、改行して示すと以下の通り:
「もしも月がなかったら?」…月のない地球は、自転速度が地球よりずっと速く、1日は8時間となる。強風が絶えず荒れ狂い、高山も存在せず、生命の進化も遅い。
「もしも月が地球にもっと近かったら?」…月がもっと地球に近いところにあると、公転周期が短くなり、日食や月食がひんぱんに起こる。近い月は宇宙から降り注ぐ隕石から地球を守る絶好の盾となる。また潮の干満差が激しく、地震も頻発する。
「もしも地球の質量がもっと小さかったら?」…地球が小さくなると、内部のマグマが減り、地殻が厚くなって大陸移動は起こりにくくなり、地震・火山活動の頻度が極端に小さくなる。酸素が少ないため、小型動物は生存しにくく、人類は肺を大きくするため、背を高くし胸を厚くするだろう…。
「地球の地軸が90度傾いていたら?」
「太陽の質量がもっと大きかったら?」
「地球の近くで恒星が爆発したら?」
「恒星が太陽系のそばを通過したら?」
「ブラックホールが地球を通り抜けたら?」
「可視光線以外の電滋波が見えたら?」
「オゾン層が破壊されたら?」
← ニール・F・カミンズ氏の著書『もしも月がなかったら ありえたかもしれない地球への10の旅』(竹内 均監修 増田 まもる訳 東京書籍 1999.7刊) 本の表紙の絵もいい!
以上、さまざまな「ありえたかもしれない地球」への旅をたどるシミュレーション・ロマンの本のようだ。
ひょんなことで本書のことを知ったばかりで、小生はまだ読んでいない。
この中の「オゾン層が破壊されたら?」はあまりに現実的過ぎて、ちょっと怖い。
それでもこれらの項目を思考実験風に考えると地球がいかに微妙で絶妙なバランスの上にあり、そうした偶然の数知れない積み重ねの結果として恐らくはそれでも必然的に生命が生まれたのだろうと感じさせてくれる。
生命の誕生にしてもとんでもない偶然の重なりがあって初めてのものだし、一旦、日の目を見た生命も幾度も絶滅の危機を迎えてきた。
どこかで生命の糸や繋がりが断ち切られていてもおかしくはない。
というより、可能性としてはとっくに死の星に成り果てていてもおかしくはないのだ。
ちなみに、「三菱未来館 - Wikipedia」によると:
愛知万博で出展された三菱未来館はその人気にも後押しされ、三菱重工業によって長崎県佐世保市の大型観光施設ハウステンボスに特殊効果映像シアター「ハウステンボスIFXシアター“Kirara(キララ)”」として納入され、2006年7月22日から来場者に公開されている。
さもあらん、である。
ネットで三菱未来館の評判を集めた頁が見つかった:
「よかった愛・地球博(愛知万博)のパビリオンは? 三菱未来館@earthもしも月がなかったら(企業パビリオンゾーン) -口コミクチコミ評判比較ランキング-」
「三菱未来館@earthもしも月がなかったら EXPO 2005 AICHI,JAPAN」の中を覗いてみても、映像が美しい(動画も今は未だ見ることができる)。
こうした映像というのは、先人にはなかなか想像が付かなかった、そもそも想像しようとさえ思わなかった世界ではなかろうか。
地軸が傾くとか、太陽が爆発する、ブラックホールが地球を通り抜けたら(…その前にブラックホール自体、20世紀の半ば過ぎまでは科学者だって全く考えが及ばなかったものだ)などなど、科学的探求と思考の深まりが齎した、空想の、しかしありえなくはない想像の世界の数々だ。
小生などは、「可視光線以外の電滋波が見えたら」という項目が興味ある。人間が見ている可視光線が波長的に極めて限定されていることは知られているが、では、科学的技術を使ってではなく、肉眼で今は不可視の光(電磁波)を見ることが可能となったら、絵画も映像もあるいは音楽も何もかもが劇的な深まり、あるいは広がりを見せる…のだろうか。
それとも、やはり馴れる?
あるいは、もしも、犬のような嗅覚の能力を人間が持ったらとか、コウモリのような超音波を聴く能力があったらとか。
ニール・F・カミンズ氏の著書『もしも月がなかったら ありえたかもしれない地球への10の旅』の中で、月が存在しない地球を「ソロン」と呼んでいる。
三菱未来館では、その「ソロン」の世界をCGで描いてくれているのだが、トーマス・コールもビエスタッドもF・E・チャーチも到底、描き得ない世界が創出されている。
まさしく、マットペインティングのみが可能にする世界なのかもしれない。
…尤も、絵の根底にはビジョンや透徹した思想や理想、宗教的観念、あるいはセンス・オブ・ワンダーのようなものがないとつまらないわけで、CGにしても、過去の絵画世界で描き示されている表面的図像ではなく、画家をして描き尽くさんとする精神に影響されているのだろうと思うのだが。
→ 画像(壁紙素材)は、「La Moon」より
別に科学至上主義というつもりはないが、科学が切り開き垣間見せた世界は劇的なものがある。19世紀が文学において世界文学が生まれた。
20世紀だってプルーストやマンらがいるのだが、しかし、科学者が描き出した世界や人間に強いた思考は凄まじいものがある。
少しは20世紀以降の文学書も読み齧ったことはあるけれど、科学のド素人の小生が読むサイエンスの啓蒙書の与えてくれる想像の世界を越える刺激にはなかなか出会えない。
とはいっても、文学も哲学も芸術も生活も、全ては科学技術と連動し交差し合っている。その突端がある意味、福祉や医療や介護の形で人間の世界で現実化しているのだろう。
もしも、の世界は、夢物語を描けるはずが、案に相違して、往々にして深甚な世界となりえる。
「もしも月がなかったら」も、お月さんがなかったら寂しいな、うさぎさんの住処がなくなっちゃうよ、くらいで思考が止まっていたほうが、無難なのかもしれない。
そうでないと小生のこと、「もしもツキがなかったら」なんて下手に考え出すと、終いには、「運の尽き」となりそうなのが目に見えているし。
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