『新・京都迷宮案内』:この世でたった一冊の本
「新・京都迷宮案内」(パート5)は、都合さえ付くと比較的見ている番組である。
橋爪功扮(ふん)する新聞記者が京都を舞台に活躍する新シリーズ(以下、敬称は敬愛の念も込めて略させてもらう)。
小生は前にも書いたが、橋爪功という役者(の演技)が好きなので、彼が主演でなくて脇役であっても、出ると分かっていたら見るように心がけている。
→ 「新・京都迷宮案内」(2008)のポスター。画像は同番組公式ホームページより。
彼の関わる番組の中でも「新・京都迷宮案内」は、それぞれの回ごとに趣向が凝らされていて、見飽きないし、見終えても見たという手応えもある。
今日は、今年の第一回目の放送でもあるし、「盗まれた恋愛小説!“忘れえぬ女”の謎」の回をストーリーを追いつつ、追体験してみる。
ドラマの最後のどんでん返し的な話にしてやられたということもあるが、ゲスト出演していた水前寺清子の演技に感じるものがあったので、ちょっと採り上げてみたくなったのである。
水前寺清子は昭和20年の生れのようだが、番組では何歳の役だったのか。
大物タレントでもあり、厚化粧で年齢を誤魔化す道もあったろうに、薄化粧なのか、あるいは敢えて多分、役の上では60歳ほどの年齢に違和感を覚えさせないような感じを漂わせていた。
体型は、さすがにタレントらしく、随分と大抵の一般女性の六十代の方とは違ってスリムだが。
彼女の演技がうまいのかどうかは小生には分からない。
が、ドラマの最後での彼女の表情には歌手が本業とは思えない役者ぶりを見せていた(まあ、ドラマに相当出演してきたから当然なのかもしれないが)。
というか、ドラマの結末の意外性とその意外な終わり方や雰囲気を絶妙に醸し出していることに感じるものがあったから、こうして手間隙掛けてあれこれ書いているのであるが。
(橋爪功や北村総一朗、野際陽子らの達者な演技は言うまでもないし、まあ、今回は話題にしない。国生さゆりもオキャンなママさん記者ぶりをなかなかうまく演じている。『バレンタイン・キッス』、会社の倉庫でよく聴いたなー。彼女が41歳だなんて信じられない!)
京都へは、中学の時の京都・奈良への修学旅行は別にしても、何度となく訪れた土地。
といっても、小学四年生だった頃の手術のため京都の病院への入院や通院、93年の6月末から約一ヶ月の手術入院、94年1月からの約一ヶ月の手術入院、その後の数回の術後検査通院での訪問で、風情も旅情にも縁遠いものだった。
それでも二条城へは二度ほど、京都御所へも縁があって三回、中に入って見物する機会に恵まれた。
最後に京都御所の中に入れたのも僥倖に恵まれた。
というのは、記憶では94年の10月6日だったと思うのだが、その日が術後検査があって、前日の夜だったか当日の早朝だったか定かではないのだが、東京から夜行列車に乗って(「銀河」?)京都へ向った。
京都駅に降り立ち、駅前のタクシープールへ向おうと駅ビルを出掛かった際に、壁面にポスターかチラシが貼ってある。
そこには(正確な文面は忘れた)本日、京都御所を見学できますとある!
検査にはそれほど時間が取られなかったので、病院を出た後、まっすぐタクシーで京都御所へ向ったのである。 要するに、病院側の指定された日がたまたま京都御所拝観の日だったというわけである。
思えば93年や94年の入院や通院の際に、しばしばタクシーを利用したもの。
翌95年の秋にタクシードライバーとなったのは、この時の乗車経験が大きく預かっていると思う。
あるいは金閣寺や銀閣寺、天満宮、比叡山延暦寺…。まあ、通の方が行くような場所を物色して行くような心のゆとりはなかった(いずれもタクシーで!)。
京都の某所の味わいのある旅館に泊ったが、それも、翌日の入院を控えての宿泊で、郷里の駅を夜に出発し、夜中に京都駅に到着し、余儀なく宿泊となったらしい(のだが、小学四年の頃のこととて、事情は分からない)。
そうそう、大学は(京都ではないが)西洋哲学科に進んだのに、肝心の哲学の道を一度も歩いていない!
さてそろそろ本題に入らないと。
ストーリー展開は、途中の筋立ては、ちょっと無理があるかなと思うシーンもあるが(特に、「酔っ払った大洞と揉み合いになった際にその花を落として鉢を割ってしまう」場面など、ご都合主義の典型だろう。でも、瑣末な難点で最後の場面を見させてもらったことで十分、お釣りが来る)、さすがと思わせる部分も多い。
特に結末。今回は特にドラマの最後の最後まで見ないと見たとは言えないと思う。
まずは、ドラマの大枠を見てもらう。ドラマの登場人物の名前を予め押さえておかないと、展開が分からないだろうし。
以下は、テレビ番組表で見つけた内容紹介:
「新・京都迷宮案内 盗まれた恋愛小説!“忘れえぬ女”の謎」
脚本/西岡琢也
出演者/橋爪功 国生さゆり 小木茂光 市田ひろみ 西田健 北村総一朗 野際陽子 水前寺清子
京都日報社会部遊軍記者の 杉浦恭介(橋爪)は、楠本英輔(池田謙治)が病死したとの連絡を受ける。2年ほど前、杉浦が カルチャーセンターで「小説入門講座」の一日講師を頼まれたときの受講生だった。 杉浦は、社会部デスク・橘つた子(野際陽子)に命じられた仕事を断る口実に、楠本の葬儀に 出席すると言ってしまう。お目付け役の同僚・曽ケ端渚(国生さゆり)と葬儀に出向いた杉浦は、 楠本の妻・時子(高林由紀子)と花を届けに来た生花店オーナーの佐竹律子(水前寺清子)が もめているのを目撃する。数日後、律子が京都日報を訪れ、自分が書いた小説を出版して もらえないかと杉浦に相談を持ち掛けた。
さて、小生の覚束ない記憶を頼りにストーリーを追ってみようかと思ったら、幸いにもネット検索で素晴らしいブログを発見した。
小生が不安を覚えつつもストーリーを思い起こそうと思っていた、その先の道をしっかり付けてくれていたのだ!
そのサイトとは:
「何でも言わせろっ!新・京都迷宮案内第1話」
↑ 「京都迷宮案内」(1999)のポスター 画像は同番組公式ホームページより。
老婆心ながら追記すると、ドラマは三人の女性の一人の男を巡っての<確執>が筋立ての中心。
上で案内したように、一人は楠本の妻・時子(高林由紀子)であり、一人は生花店オーナーの佐竹律子(水前寺清子)であり、もう一人は……ジーンズが似合う後ろ姿の女。
ネタ晴らしになるが、楠本が惚れていて小説の上での構想(妄想)を練るのも、そのジーンズが似合う後ろ姿の女なのである。
楠本とその妻・時子はともかく、楠本とは生花店の律子は肉体関係はない(と律子自身が語る)。楠本は恐らくはジーンズが似合う女とも客と店の女の関係の域を出ていないだろう。
だけれど、心の交わりと擦れ違いは、誰の心にもキズを残すほどに熱いのである。
以下、「何でも言わせろっ!新・京都迷宮案内第1話」を参考に、多少の加筆を行なう:
杉浦は、ある朝、楠本英輔(池田謙治)という男が病死したとの連絡を受ける。楠本は、2年ほど前に杉浦がカルチャーセンターの小説入門講座の一日講師を頼まれた時の受講生で、わずか2時間だけの付き合いにもかかわらず、以来、葉書をよこしてくる相手だったが、杉浦には正直覚えがなかった。
しかし杉浦は、橘に命じられた仕事をサボる口実として楠本の葬儀に参列すると述べる。曽ヶ端が監視役としてついてくる中、葬儀に出向いた杉浦。曽ヶ端から香典費をくすねてはしゃいでいると、控室から茶封筒を持った女性が出てくるのが見えた。女性は停めてあった生花店の軽トラックの運転席にそれを放り込んでいた。
女性は葬儀に花を届けに来た生花店オーナーの佐竹律子(水前寺清子)で封筒の行方を巡って楠本の妻・時子(高林由紀子)と揉めている。封筒には『忘れえぬ女』とタイトルの付いた楠本の小説が入っており、遺体と一緒に燃やすつもりだったという。生花店の軽トラックに書かれた店の住所と葬儀会場が遠く離れていることに違和感を覚えた杉浦は、葬儀屋から、楠本が死んだ際に彼が入院していた病院に律子が居合わせた事を聞き出す。律子はその場で花の配送担当を葬儀屋に志願したらしい。
何故その病院にいたのか?という杉浦の突っこみに対し、律子はたまたま知り合いが入院してたからという。
が…「なんかしっくり来ないなァ…」と杉浦は納得いってない。楠本の妻・時子はその後も律子を訪ねて、しつこく原稿の行方を聞いてきた。
内容が私小説風の官能小説なのでその行方が気になるという時子だったが、本心ではそのモデルが誰なのかが気になる様子。数日後、律子が京都日報に現れ、自分が書き下ろした小説を出版してもらえないかと杉浦に相談を持ちかける。
杉浦の事はカルチャーセンターで知ったらしく、同じ講座を受けていた楠本とは顔見知りであり、杉浦は一応納得する。杉浦は取材のお礼という事で、律子の店から花を買っていき、下宿先の田舎亭の自室に飾っていたのだが、酔っ払った大洞と揉み合いになった際にその花を落として鉢を割ってしまう。
やれやれと後片付けをする杉浦だったが、その鉢の中に男女の似顔絵が書かれた鉛筆が埋められているのを見つけ、再びブンヤとしての興味が沸き起こるのであった。翌日、時子の家に行った杉浦は、楠本が執筆の際に使用していた鉛筆を見せて貰ったのだが、それは割れた鉢から出て来たのと同じ鉛筆…
杉浦は律子と楠本の関係を疑い、その事を律子にぶつけるが、結局ははぐらかされてしまう。埒が空かないと見た杉浦は、曽ヶ端を使って、子供が怪我をしたから手当を手伝って欲しいと言って律子を外に連れ出す。
杉浦はその隙に律子の家に侵入すると、自宅に来た葉書の筆跡と律子が持っていた原稿の筆跡を見比べ、それが楠本のものだと確信するのだった。その夜、原稿を活字に起こしながら「誰これ?」と首を傾げる律子の姿があった(誰かが原稿を見たという形跡が遺してあったのだろうか? で、見たのは杉浦だと察したのだろうか? それとも、活字に起こしている最中に初めて、律子は、楠本の相手は奥さんではないと気付いたのだろうか? この辺り、よく分からなかった。但し、いずれにしても、この段階では、杉浦は小説のモデルは律子と楠本だと思っている)。その真相は…?
後日、律子が京都日報を訪ねる。
律子は、事前に田舎亭に活字にされた原稿を届けており、出版化について話を進めに来たのだが、”内容はただの男女のエロ話で出版化なんて夢のまた夢”と杉浦が原稿をボロクソにけなした為、激怒した律子は京都日報を後にする。杉浦が心ない酷評をぶつけた理由は、『忘れえぬ女』のモデルにあった。
モデルは律子と楠本で、内容は二人の性愛について綴られたものであり、律子は正妻の時子に見せ付ける為にそれを出版化しようとしたと杉浦は考えた。
出来映えは実は悪い内容ではなく、内容の過激さから言っても出版社が飛び付いてくるレベルだった。
しかし、楠本が死んだ今になって、わざわざ波風を立てるような真似をするのは得策とはいえない。律子が鉢に忍ばせた鉛筆のようにひっそりと思いを秘める『この世でたった一冊の本』にすればいいじゃないか…と杉浦は連載コラム「京の散歩道」の中で律子に宛てて綴るのであった。後日、コラムを読んだ律子が杉浦に真相を語る。
楠本とは小説執筆の為に部屋を貸すだけの間柄で、実は男女関係はなかったという。
楠本が帰った後、ゴミ箱の中の使い終った鉛筆を集めていた律子は、自分と楠本になぞらえて男女の似顔絵を書いていたと語る。だが、この話には残酷な続きがあった。『忘れえぬ女』の女性は、ジーンズの似合う女性となっており、それは妻の時子でも律子でもない近所の喫茶店の店員だったのだ。
楠本はある時期から、その喫茶店の奥でしか小説を書かなくなったと律子は振り返る。この原稿は何も知らない彼女へのプレゼントだという律子は原稿を店に置いていくつもりだという。
「私、もう一度くらい恋が出来るかしら?」
そういって律子は泣きながら店を出ていった。杉浦は律子を無言で見送るだけだった。
ドラマでは、あくまで小説を遺して亡くなった男を巡る三人の心の葛藤と確執が主眼となっている。
だからこそ、最後の場面の意外性に満ちた展開が印象的なのである。
が、ドラマを少し離れた気持ちで見ることも不可能ではなかろう。
男はカルチャーセンターに通ってまで小説を書いた。喫茶店の奥に腰を据え、恐らくは彼として唯一の作品を書き上げた。
そこにはせいぜい店での挨拶や注文、勘定などの最小限の会話しか交わしえなかった女性への、男の表には決して浮かび上がることのない心情があるはずであろう。
(だからこそ、妻の時子は、棺と一緒に亭主のあからさまな浮気話を書き綴った小説を闇に葬り去りたかったのだろう。)
退職して、全ての社会的役割を失って、肩書きのない男が自らの生きた証(あかし)を密やかな恋、そして決して現実となることはない空想的な性愛を小説の形で描く。
描くのだし、虚構に過ぎないのだが、だからこそ、男の叶わぬ思いを注ぎ込む。
彼は妻とは形だけの夫婦だったのか。それとも、若い頃はそれなりに恋愛関係にあったのか、何も分からない。
ただ、人間、何十年も生きたら、一冊は本を書けるはずという。
その一冊さえ書き残すことなく大概の人はこの世を去っていく。
それもいいのだろう。
でも、飛び立つ鳥が跡を濁すことがあっても、それはそれでいいのではないかとも思ってしまう。
●1.「新・京都迷宮案内」を話題にする2チャンネルでちょっとしたエピソードを見つけた。
「新・京都迷宮案内」の第2話のロケに参加したという方本人の話のようだ。
どうやら、読売新聞東京本社文化部の森重達裕記者が取材を兼ねての体験出演をされたようだ。
調べてみたら、「テレビ朝日|新・京都迷宮案内2008」にもきちんと載っている。
← 「新・京都迷宮案内」(2006)のポスター。画像は同番組公式ホームページより。
以下、転記する:
「203 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2008/01/17(木) 01:37:26 ID:15lX8JPQ0」
昨年12月中旬、京都市内のホテルで行われた第2話のロケに参加した。杉浦の 同期社員の送別会シーンで、杉浦の同僚記者役を演じることになった。
脚本では特にセリフもなく、「記者が記者役なんて、できて当然」とタカをくく っていたが、猪崎宣昭(いざきのぶあき)監督から「一つ、セリフを言ってもらう よ」と言われ、急に冷や汗が出てきた。ほどなく主演の橋爪が姿を見せた。テレビで見たまんまの、味のある風貌 。肌ツヤもすこぶる良く、今年で67歳になるとはとても思えない。 顔見知りらしいエキストラに、「太ったんやないか?」などと柔らかい関西弁で気さくに話しかけていた。
しかし、撮影が始まった途端、橋爪はがらりと東京言葉のイントネーションに 変えた。舞台は京都でも、杉浦は東京の新聞社から転職したという設定だからだ。 その完璧(かんぺき)なイントネーションの使い分けに、まず驚いた。やがて、記者が登場する場面に。撮影テストで与えられたセリフ「オイ幹事!」 と言うと、橋爪が「もっと大声でやってみて」と注文をつけてきた。2回目、でき る限りの大声を張り上げると、「おぉ、それでいいですよ」とほめてくれた。そのうえ、本番になったら「何だモリシゲ、文句あんのか!」という、脚本にないアド リブまで返してくれた。
記者の出演も無事終了し、京都府警幹部役の北村総一朗と橋爪との会話シーンの 撮影が始まった。二人はアドリブでコントのようなやり取りを繰り返し、笑いをこ らえるのが大変。猪崎監督が「お願いですから、脚本通りにしゃべって下さい」 と下手(したて)に出て頼んでいたのが、なんともおかしかった。
撮影の進行を管理する佐藤鋼太ラインプロデューサーは、「このドラマでの橋爪 さんは、旅回り劇団の座長のような存在。共演者やスタッフに常に気を配ってくれるから、楽しそうな現場の雰囲気が画面からも伝わって、息の長い人気作になった のでしょうね」と話していた。記者が出演する第2話は、24日に放送される予定。
●2.ネット検索して関連情報を物色していたら、下記のブログ記事を発見:
「Grayman's compound eyes Go in through the narrow gate, because the gate to hell is wide 東山散策(その六) --- 狭き門より入れ…♪」
その冒頭に以下のように書かれている:
文学賞の最高峰といわれている、芥川賞と直木賞が発表された。
この発表にタイミングを合わせたのであろうか、“新・京都迷宮案内”の第一回放送は、小説をめぐる内容のものとなっていた。
なるほど! と気づかされた。正しい指摘かどうかは分からないし、穿った見方なのかもしれないが、小生は思わず納得した。
以下、ドラマの重要な舞台である「田舎亭」に関連する情報や画像も載っていて、興味深い。
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コメント
このドラマはけっこう好きで再放送の分もガッツリ観てます!
第一回目の内容ですが、最後のオチがどうもなんというか私的には不完全燃焼でした(笑)
えー、結局若い娘との妄想を書いてたんか~、人騒がせなって。男の浪漫かなんだかわかりませんが…。
ま、小説とは妄想を文章にしたものだからいいんですが(爆)
このドラマは出演者の平均年齢が高くて、落ち着いて観られますね。一番の若手でも私と同世代の国生さゆり、しかも普段厚化粧な彼女がスッピン!だし、所帯じみたファッション。なかなかいい味出してると思います。
以前住んでいた駅前のマンション前はロケがよく行われる場所で、水前寺清子と宇津井健をベランダから眺めていたことが…。昔「ありがとう」というドラマにも出てましたよね清子さん。
小説といえば、やいっちさんの文章力にはいつも感心しております。
私はかなり昔、ちょっと書いては新人賞に応募していた時期がありましたが、今は小説を読むことすら滅多になく…(汗)
そろそろまた、読んで、書いてみようかな…と思ったりもしています。
投稿: サラス | 2008/02/11 14:48
サラスさん
『新・京都迷宮案内』は、大人が見るに耐える番組ですね。安易な解決に持っていかないのがいい。
一回目の。まあ、話のメインは、男への女性の思い入れ…勘違い、擦れ違いですから、男は登場しない。
この脚本を書いた人も、小説家じゃないのでしょうから、小説の内容もちょっと安易に設定してしまっている(ちょっと、そこまでは想像が及ばなかったのでしょう)。
国生さゆり、(多分)スッピンで演技していますね。役者根性なのか、演出家の意図なのか。
水前寺さんも、年齢相応の草臥れた感じをスッピンで演じておられて、年季を感じさせました。
何事も、継続が命。読むのも楽しいけど、自分で書くこと(に苦労すること)で、小説の読みも深まるような気がします。
別に小説でなくても、エッセイだって、日記だって、ドキュメント(レポート)でもいい。
好きな分野で文章表現に挑戦すると、観光や映画や美術鑑賞、さらには街中探訪などを見聞きするのも一層、楽しくなるかも。
自分が書いて楽しい分野や題材、表現のスタイルが一番だし、継続するような気がします。
楽しみつつ頑張ってね。
投稿: やいっち | 2008/02/11 17:12