« 一本の木を友にして帰郷せし | トップページ | 銀嶺創作日記 »

2008/01/16

銀嶺日記

[本稿は1月15日の夜半過ぎに書いた呟き風な日記。「銀嶺」という言葉は雪国だと何処でも使われがちで、富山においてもしかり。立山など冠雪した北アルプスの山々の稜線が麓どころか富山市街地からでも見事に遠望できるので、富山の人間にとっても銀嶺という言葉が慕わしいのである。なので、富山には銀嶺という名の宿や、その名も「銀嶺立山」という立山酒造さんの吟醸酒もある。]

0801151

← 市街地から遠望する立山連峰。15日の午後、携帯電話のカメラで撮影。本文参照。

月曜日の夕方に家に着いた。
夜、早速、食事の用意。
幸い、姉が食材を用意してきてくれたし(おでん!)、御飯もあったので、温めたり、食卓にあれこれ並べたり、あとは片付けやら洗濯モノの取り込みとか。

郷里で小生が過ごす部屋は冷え切っている。電気ストーブで暖めるけれど、寒い。
掃除はまるでやっていないので、とうとう夜中に掃除機を掛けた。

帰省している間小生が居住する部屋の机の上に、母の傘寿を祝う表彰状と副賞の立派な置物風時計が置いてあった。
剥き出しの表彰状……。表彰状を入れる額を買って来いってことかな。

火曜日の朝は焦った。夜更かし(徹夜)に慣れてしまっているので、寝るのが遅い。
でも、八時前には起きないと、ゴミだしができないし、御飯の用意もできない。

結局、八時過ぎに目覚め、ゴミだしは間に合わなかった。
御飯の用意はなんとか、前夜の残りのおでんを温めて。

やがて母は入浴が楽しみでもあるリハビリセンターへ。

Dscn1021s

→ 「立山」 (画像は、「立山 - Wikipedia」より)  晴れていれば、「立山連峰は富山県のほぼ全域から見ることができる」。無論、富山市街地からも。我が家からも、一歩、庭に出ると巨大な屏風のごとく目に飛び込んでくる。

昼は父と二人、食事。
これも、ドジ。
八時過ぎという小生にとっては驚異的な早い時間に起きたため、完全な寝不足で、食事や片づけを終えたら、寝なおし。
起きたら正午を過ぎて三十分。
御飯は父が炊いてくれていた!


慌てて、オカズを用意。

食後、父は、早めに寝所へ。母がリハビリに行っている間に寝てからだの疲れを取るのが習慣になっているとか。

小生は洗い物を済ませ、テレビ(随分前の「相棒」)を見たり読書したり、買物へ。
母の好きなレンコンの天ぷらを買ってくる。その店の油はいい油とかで、カロリー的にもいいのだとか。

火曜日は快晴で、外に出た瞬間、立山連峰に日が当ってキラキラしている。雪が降り積もっているが、稜線の陰影がくっきり出ている。
雪の立山連峰は恰好の画題(絵や写真の題材)なのだ。

小生、生憎、デジカメは持っていなかったので、携帯電話のカメラでパチリ。

080115shuro

← 庭の棕櫚。目をやや右手に移せば立山連峰が見えるはず。

買物を終え、家の前の地蔵堂(お地蔵さんが33体、並んでいる)の撮影をしていたら、そこに車が。福祉施設の車。リハビリからの戻りの車だ。

慌てて車椅子を取りに玄関へ。
(普段は、リハビリの方が母の両脇を抱え、玄関まで導くのだとか。)

母はリハビリでの入浴が楽しみ。たまに、カラオケもあったらしい。母は民謡を習っていたので、声が出たのだ。今は…。

玄関。母が靴を脱ぐ。ベニクロ式のズック。
靴箱。母の靴が何足も並んでいる。もう、履くことのない靴。

やがて夕食。鍋物。前日から用意してある生もの(魚介類)なので、早めに火を通したほうが無難かと。
長年、母の領域であった台所。帰省するたびに母があれこれやってくれたけれど、もう、この四年ほどは、父があるいは小生がいれば小生が台所で動く。
食器類は、普段は父が洗うのだろうが、茶碗の裏など、汚れが目立つ。目が弱っているのか、それとも、やはり年寄りには細かいところまで丁寧に洗うのが億劫なのかもしれない。

姉が夕食のオカズなどを届けてくれたりするが、冬は営業の繁忙期で洗い物までは手が回らない。

080116

→ 我が家の前にある地蔵堂。お地蔵さんが33体(?)並んでいる。何処から集められたのか小生は知らない。いずれ、旧赤祖父領近在からなのだろうけれど。

食器棚の隅やら天井の隅など、包装紙や紙袋の類いが一杯、溜まっている。今後、いつか、使う機会があるのかどうか。
食器棚の上には、麦藁帽子が数個。
その中には母が被っていたものも。

冬が近付くと、雪囲い・雪吊り。それも今は出入りの業者に任せている。問題は雪掻きだ。
小生がいない間は父がやるしかないのだろうが、なかなか辛いものがあるだろう。

母は自分が何も出来ないことを零す。でも、母がいるから帰る息子もいるのだけれど。
かく言う小生も怠け癖が付いていて、体が鈍っている。

職探しもしないと。何の能もない。不況の富山で仕事があるのかどうか。

|

« 一本の木を友にして帰郷せし | トップページ | 銀嶺創作日記 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

富山情報」カテゴリの記事

思い出話」カテゴリの記事

コメント

 母がいるから、実家に帰る。
 そういうの、わかる気がします。

 何かができるできないではなくて、「そこにいてくれるだけでありがたい」。
 母親って、そんな存在だと思います。

投稿: RKROOM | 2008/01/16 23:35

RKROOM さん

>何かができるできないではなくて、「そこにいてくれるだけでありがたい」。

そうですね。
本人は家事は勿論、田圃や畑仕事、民謡でのボランティア活動と働きづめの生活を送ってきたし、何かしないと居られない、何かしないと役に立っていないと感じてしまうし、そう愚痴る。
今でも、歩けないので、洗濯は自分のできる数少ない仕事だと、洗濯機の傍で洗濯。脱水まで。
干すのと取り込み(小生が居ない時は)は父の役目。
取り込んだ洗濯物を畳むのは母がやる。
手の細かな動きが出来ない(目も眼鏡を諦めるほどに弱っている)ので、縫物ができない…。

以前、母や父のまさかの時の連絡のため(父が欲しいと言ったんだけど、目的は母のためだったみたい)、携帯電話を買ったんだけど、折り畳み式のを買った。
それが失敗のもと。
電話番号は簡単な設定にできるけど、折り畳んである携帯を母の手では開けない。
これじゃ意味がない。
買い換えないと。

と、それはそれとして、何かができるできないではなくて、「そこにいてくれるだけでありがたい」。とは想うけど、さて、自分に対してそう思えるか。自分が何も出来ないからだになったとき、何を支えに生きるか。
人に対して、母に対してはあなたが居るからとは思えても、自分に対して生きているだけとなったら、どう考えていけばいいのか、皆目、分からないのです。

投稿: やいっち | 2008/01/17 01:22

やはりお母さんって特別な存在ですね。
私はほとんど母と一緒に生活してきたせいか、あまりありがたさをわかっていないですね。
一時、横浜と東京で離れた時も週に一度はハマに戻っていましたし…。
うちはもうすぐ80ですが、ありがたいことに私よりも丈夫でボランティアとかに駆け回っています。
感謝しないと…。

いいですね~立山連邦!こういった景色が市街地からも見えるなんて最高ですね。

投稿: サラス | 2008/01/18 00:01

サラスさん

小生の父は、昨夜、何かのテレビ番組を見て、物心付くか付かないかという頃に父親に捨てられた(実は、捨てたんじゃなく、母親が新しい男が出来たので娘を連れて男の下を去ったんだけど)若い母親の話に見入っていました。
義父と連れ添った母は、義父と母に子供が出来ると、連れ子の娘を虐待(DV)し、邪魔者扱い。
そんな中、捨てていった(実は違うんだけど)父に会いたい、暖かそうな父の背中を最後に見た記憶が忘れられないという娘(今は子供が出来て若い母親となっている)。
娘(若い母)は捨てていった(かもしれない)父親に会うべきか、会うと余計に苦しむことになるのではと、父親を探し出して会うことに危惧の念を抱く番組のコメンテーター。
結局、娘(若い母親)のどうしても本当の父に会いたいという気持ちに複数いるコメンテーターらも押され、父を探し出すことに。

結果的には父親が見つかった。母と娘が最後に父親を見たとき、背中を見せていたんじゃなく、振り向いて母子に挨拶しようとしたんだけど、娘に「おじちゃん」と言われて、ああ、もう、他人になったんだなって思ってしまった、なのでもう母子には会わないほうがいいと身を引いたのだとか。

番組の最後に探し出された父親が娘(今は母親となっている)と対面する涙のシーン。

父はそれを見て、どんな父親でも娘は会いたいモンなんだ…と呟くような(茶の間に居るものに主張しているような)一言。

サラスさん、お母様が元気で活躍されているとのこと、いいですね。素晴らしいです。
誰しも親にはそうあってほしいと思うものですね。

投稿: やいっち | 2008/01/18 09:59

色々と大変そうですね。天気の良い時にでもまた立山連峰の写真でも写して見せてください。

上越線は乗ったことがないので今一つ風物が分らないのですが、隣に乗り合わせた若い女性は直江津周辺の女だったのでしょうか?興味深いです。少し分ると「雪国」も、もしかすると読めるようになるかもしれませんね。

投稿: pfaelzerwein | 2008/01/19 05:43

pfaelzerwein さん

立山連峰の雄姿は、天気に恵まれれば撮ることは可能だけど、やはり大概、どうしてもビルや電柱などに光景の一部が遮られる。
絶好のスポットは、車で二十分ほどの呉羽山のドライブウエーの展望スポットがいいようです。高台だし。富山市の市街地も一緒に展望できる。
ああ、車が欲しい!

列車で乗り合わせた女性? 気になりますね。
小説の形で書くと面白いだろうけど、どうしても、脳裏で「雪国」と比べられそうで、書く前から気合負けしてしまう。
そのうち、こっそりと…。誰もが忘れた頃に…、ね。
(その女性は、乗ってきたのは長岡だったと思いますが、小生と同じ富山駅で降りていかれました。偶然ですが!)

投稿: やいっち | 2008/01/19 11:16

職探し?
弥一さんタクシーの運転手辞められたのですか?
僕もねえ、母が異様な行動を取るー親戚の人が家に来ていると言い張る、見知らぬ人が寝ていると言い張る、間で母の異常に気付かなかった。
もう少し早く気づいていればー。
しかしその母も今は特養ホームでぬいぐるみに囲まれて幸せに暮らしています。
今僕に言えるのはすべての存在はつながっていて、すべての存在がいとおしいということそれだけー。
ヘルパーの資格も取りましたがキャリアアップしようかなと考えています、「サービス提供責任者」の資格を取ろうかなとー。
弥一さんのお母様もうちよりは元気そうなのでリハビリがきくといいですね。

投稿: oki | 2008/01/19 22:24

okiさん

okiさんの活動は敬服しております。

>今僕に言えるのはすべての存在はつながっていて、すべての存在がいとおしいということそれだけー。

なかなか言えることじゃないですね。経験が言わせることなのでしょうか。

小生は、雑務を片付けたら本格的に職探しです。

小生のお袋のことは、差し障りがあるので、細かい事情は省いています。なかなか厳しいものがありますよ。

投稿: やいっち | 2008/01/20 00:20

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 銀嶺日記:

« 一本の木を友にして帰郷せし | トップページ | 銀嶺創作日記 »