芝浦のこと、再び
[本稿は、風景絵画探訪の小文「ピエト・モンドリアン(後篇:抽象性に宇宙を見る)」からエッセイ風な部分を抜粋したものである。会社があった海岸地区や最寄のJR駅から会社へ到る地区である芝浦近辺についてはまとまった形で文を綴ったことはない(はずな)ので、断片的なものだが、志賀直哉の代表作の一つ「城の崎にて」を巡ってのこぼれ話的なあれこれを綴った「芝浦のこと、「城の崎にて」のこと」から芝浦辺りの思い出を綴ったくだりを併せて載せておく。]
→ ネット仲間の方からもらった画像です。本文とは関係ありません。とある地方の民家の電飾。地元では有名らしい。拡大してみると、一層、見事さが実感できます。
1.「ピエト・モンドリアン(後篇:抽象性に宇宙を見る)」から
2.「芝浦のこと、「城の崎にて」のこと」から
1.「ピエト・モンドリアン(後篇:抽象性に宇宙を見る)」から
オランダ生れのモンドリアンがパリへ出たのは案外と遅い。39歳前後。チーズ、チューリップ、風車で有名なオランダだが、同時に、リベラルな気風や風土、そして「堤防により囲まれた低地」という土地柄もモンドリアンの画風の基本にあるような気がする。
大地という感覚はオランダ人にはあるのだろうか。
アメリカや中国、ロシアなどの大陸、それこそ火山と地震の国である日本でさえ、大地の感覚はそれぞれ異なるのだろうし、改めて説明を求められても困るものだとしても、多少なりとも持っている(人が多いだろう)。
海より低い土地! 堤防に囲まれた干拓地。オランダ語のネーデルラント自体、「低地の国」「低地地方」を意味する普通名詞に由来する(オランダが低地という話については既に触れた)。
地に根差しているという感覚より、もっと違う感覚がモンドリアンなど一部のオランダ人にはあったのでは。
風景というのは天然自然にそこにあるのではなく、人の手が加わって、時に如何様にでも変貌しえるという人工的な土地に生まれ育ったものでないと分からない感覚。
小生は、湾岸地域にある会社で13年、勤めた経験がある。当然、埋立地である。会社の目の前に首都高速、会社と湾岸道などを挟むように運河が走っている。近くにはモノレール。
ちょっと歩けば地下鉄が走り、小生が働いていたビルの屋上にはヘリポート。轟音が鳴り響くかと思ったら、羽田空港に離着陸する飛行機の音。
← イヴ・サンローラン、モンドリアンルック (画像は、「モンドリアン・スタイル(Mondrian style)」より)
通勤時、運河に架かる橋から運河を、あるいは岸壁を眺めたりすると、別に足元が揺らいでいるわけでもないのに、浮遊感のような心もとない感覚に見舞われるような気がした。
ちょっとした地震があったら、ズブズブと足が沈み込んでいく…。
運河を東京湾のほうへ目をやると、実際には見えないが夢の島があるはず。
夢の島! なんて素敵な名前。誰が名付けたんだろう。人が街が廃棄したゴミを埋め立てた島なのに、夢の島だって。
たまたま内海にあるだけで、名前からしたらまるで空中楼閣であるかのようだ。
ただ、その楼閣の庭は地下からメタンガスなどが噴出して来る…。断末魔の命の末期の喘ぎのように。
下で掲げるモンドリアンの抽象画の幾つかは、何気なく見ると時折、大地の罅割れに思えたりする…。
(小生が働いていた当時の風景とは様変わりしているが、今の芝浦の様子ということで、「写真倉庫の奥 #384 写真「2008年 初撮り」」など覗いてみる?)
実際にはそんなはずはない、はずである。
ちゃんと埋め立てしてあるのだ(多分)!
埋立地、運河、高架となっている首都高、そして空中をレールにぶら下って走るモノレール、ニョキニョキと高層ビルが建ち並び、やがてはレインボーブリッジが運河を越えて渡されているのを見ると、全てが虚構とまでは言わないとしても、何事も厳然としてそこにあるのではなく、人の手によって大概の時空間は現出しえる、演出される、造成される、CGより遥かにリアルな時空間が創出されつつあることを感じさせられる。
何処かの設計者が構想した(通りにはいかないとしても)机上の(空)論が、メビウスの輪のように、空のはずが気がついたら実の空間になって、そこに日常が生れる…。
しかも、そうして創出された時空間という4次元世界に人が車が自転車が乳母車が行き来する。夢ではなく、現実がそこにある!
→ 04年12月下旬の夜、芝浦にある某公園で撮った東京モノレール。夜、見上げると、銀河鉄道に見える ? !
「モンドリアンは宇宙の調和を表現するためには完全に抽象的な芸術が必要であると主張し、水平・垂直の直線と三原色から成る絵画を制作した」というが、抽象性は決して冷たい仮構の時空を意味するのではなく、人間味を内に含みえるものであるのだ。
数式と記号と法則と規則と法規と習慣と惰性とが相俟って、つまり人間の目が手が加わることで手垢が付いて、気がついたら温みのある、退屈にも覚えることもある、そんな馴染みの時空へは抽象性はひとっ飛びであり、湾岸地区だって人が実際にそこで働き暮らせば、従前の古臭く汗臭い人間的次元からはそんなに遠くはないことを思い知らされる。
この海岸地区での小生の不思議な感覚とオランダという国土の大きな割合を干拓地が占めている国に生まれ暮らしての感覚と同じ地平で考えるのは無理があるのは言うまでもないのだが。
ただ、モンドリアンというと抽象的と決まり文句で言われるのだが、だったら、時空間を数学や論理学や物理学で表現するという意味での抽象化とはまるで違うことが、この言い方では説明できない。
モンドリアンは決してトポロジー的な表現をしたわけではなかろう。
あくまでモンドリアンの感じ思う(建物や人間、花、部屋、道路を含めた)それこそ人間的な風景の粋を抉り出そうとした、その意味での抽象化のはずなのである。
(以下、略)
2.「芝浦のこと、「城の崎にて」のこと」から
小生は78年の春に陸奥(みちのく)の杜の都・仙台から上京してきた。三年ほど落合近辺でアパート暮らしをしたあと81年の三月末から高輪へ引っ越した。
早々に哲学や文学への自分の能力に見切りを付け、港区は海岸にある会社に勤め始めたのである。それは当時としてはその辺りでは目立つ大きな倉庫の一角にあった。倉庫の屋上にはへリポートがあるから、尚のこと、目立ったものである。
思えば、天気のいい日など、屋上で運河を眺めたりして日向ぼっこなどしたものだった。へリポートは屋上の更に上にあって立ち入ることはできなかったが。
会社が港区海岸にあるから、住む場所も歩くかバスで通える範囲ということで物色しようと思ったら、ひょんなことから高輪のマンションの一室が紹介されたのである。狭い部屋だったが八階建ての八階にあったので、当時だと、それなりに高い建物で、眺めも良かった、と書きたいところだが、目の前に都営の巨大な団地が何個も並んでいるし、しかも、それらはやや高台になった地の上に建っているから、眺望を阻まれるような圧迫感があった。
すぐに馴れたけれど。
← ヘリポートのある場所を示す地図。同じビル内に小生が働いていた会社があった。(画像は、「東京倉庫運輸」より。この頁の表紙画像が素晴らしい。小生が通っていた十数年前とはまるで風景が変貌している!)
さて、地図を見ればすぐに分かるが、会社のある海岸に向かうには芝浦という地を経由する。会社の最寄り駅というと、山手線の田町駅か品川駅なのだが、小生の住む一角からはバスの運行ルートからしても田町駅が一番利便性があるということになる。
入社した当初はバイクもなく、バスを利用しての通勤となった。
バスは自宅からは田町駅まで行く。そこで高架ともなっている駅の改札口脇を渡り抜け、駅の裏に出る。そこが芝浦である。
駅の裏。当時は、まさに駅の裏だった。うら寂れたような、場末の感が濃厚だった。屋形船の店があったり、ポツポツと建物があるのだが、目立つのは倉庫だった。田町駅から海岸にある倉庫へ歩いていくと、途中、運河の支流に渡された橋を幾つか越えることになる。
溝(どぶ)臭くて、水は濁っているし、橋も古臭く、場末の雰囲気が濃厚だから、映画やドラマの撮影によく使われた。撮影の場に遭遇することもしばしばだった。主に刑事モノ、犯罪モノドラマで、人影の疎らな寂れたような、何処か荒んだかのような、この町に紛れ込んだなら、たまに見かける人はみんな訳ありなような、そんな雰囲気は、横浜の埠頭とか、芝浦や海岸の埠頭と並んで人気の撮影スポットだったのである。
そんな芝浦を抜けて更に駅からは遠い、海辺(正確には運河縁)に近い海岸へ歩いていく。あるいは乗客も疎らなバスに揺られていく。
なんだか、ものを書くことを諦めた人間の遺棄場所のようでもあった。自分でそのように落ち込んでいた。
なれど、人間は馴れる動物である。会社員としての生活は、会社の仲間に恵まれたこともあって、結構、楽しかった。日曜出勤も多く、しばしば残業だったりするが、肉体労働は精神的に落ち込んでいた自分にはリハビリになったような気がする。
日曜が休みの時は、テニスに誘われることもあったし、やがてゴルフを覚えたりもした。スキーにも何度か。
さて、芝浦の話題を持ち出したのは、思い出話をするためではない。
ひょんなことから、ある小説家がさる名作を書く動機、あるいは契機となる事件が起きた場所が芝浦だったと知ったから(再認識させられたから)である。
その小説家とは志賀直哉であり、その名作とは、「城の崎にて」である。
(以下、略)
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コメント
やいっちさん、コメントが遅くなってしまいましたがリンクをありがとうございます。
私も意図せぬ事ながらここに住むことになり半年が過ぎました。
志賀直哉の「城之崎にて」は私も好きで何度か読みましたが、芝浦が関係しているとは知りませんでした。
大阪に住んでいる頃に一度訪れたこともあります。
手元に無いので確かな記述は出来ませんが「一枚だけひらひらと揺れる葉」の部分があったと思います。
その情景が妙に頭に残り(浮かび)気になりながら行ったものです。
投稿: td | 2008/01/12 20:57
td さん 来訪、コメント、ありがとう。
「芝浦のこと、「城の崎にて」のこと」
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2006/05/post_8aa6.html
この小文は、ある意味、創作とは何か、作家とはどういう営為を為すものか、現実と想像(虚構)との関係など、あれこれ思い惑ってみたものです。
今となっては懐かしい文章だなって、今、改めて読み返して感じました。
芝浦に限らず、あの海岸地区は、埋立地。
ということは、山手線の内側のようには、そもそも倉庫街だったりして、人が住み暮らすという歴史は乏しい。
よって、文学に関わる歴史に残るエピソードは、それほどない地域でもある。
そう思って期待はあまりしていなかっただけに、こうした歴史、文学的エピソードを見つけること、同時に拙いながら自分なりの憶測を逞しくする機会を持てたことを嬉しく思ったものでした。
td さんが昨年のいつからか、芝浦に縁を持たれたこと、そして以前の東京タワーとは一変した芝浦地区の運河などの魅力を写真にして見せてくれること、これまた勝手ながら小生、嬉しく思ったものでした。
(今度、写真をどれか拝借させてもらいたと、結構、マジに思っていますよ。)
投稿: やいっち | 2008/01/12 23:07