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2008/01/22

闇夜の一灯

☆以下は、SNC(ミクシィ)内のある尊敬する方の日記を読んで寄せたモノローグ風のコメント。
 小生には闇夜の一灯となっている某人の日記はSNCの中では公開されているけれど、その外への公開の意思は不明なので、小生が寄せたコメントのみ転記する(若干の追記あり)。

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→ 月曜日の午前、一週間ぶりにポートラム富山ライトレールの車両の愛称)に乗った。状況のためこのポートラムで富山駅に向ったのだ。

  === === === === ===

闇夜の一灯

 小生もブログで親しかった人に理由も告げられずにブロックされて悲しい思いをこれまで何度かしてきました。

 理由がまるで分からない。
 そもそも、無難なことしか書かない、書けない自分なのに、どんな発言(書き込み、あるいはレス)が原因で拒絶されたのか見当がつかないのです。
 そんなことがあると、ホントにネット(に限らず)を続ける意欲も気力も萎えてしまいます。

 実はこの三年はずっとそういう落ち込んだ状態。

 自分を叱咤して(でも、誰も自分が頑張ることを期待していないのに、頑張る意味もないし、叱咤する元気もまるでないんだけど)とにかく続けています。

 会ったことがなくても仲間だったと思っている相手に一方的に拒否されると、相手が何も言ってくれない(伝えてくれない)だけに悲しくて、創作意欲も落ち込んだままです。

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← 遠ざかっていくポートラム。洗練されたデザイン。素晴らしい乗り心地。静か。曇天くらいだったら、見え隠れする立山連峰を愛でることもできる。

 ネットといえど所詮は人間関係なのだとつくづく思います。
 実際の付き合いがなくても、時に心情的には実生活での付き合い以上に価値のあるもの。
 余計な義理や柵(しがらみ)がない分、余計に心の(ある部分、あるいはかなり深くまで)繋がりがあるのかもしれない。

 誰か一人自分の手の平から零れ落ちていっても、残りの人たちが居るじゃないかという慰めもありえるけど、やはり、それなりに拘留のあった人が理由も分からず一方的に(家庭の事情で、体の都合でネットを断念するなど、ネットから手を引くいろんな理由がありえると思うけれ、そういうのではなく、何かの誤解があって、あるいはこちらの無用心な発言やコメントのせいで)拒否されるのは、実に辛いもの。

 ネット仲間の輪から誰かが離れていくのは、いろんな徴候で察することができたりする。
 たとえば、こちらが相手のブログ(サイト)の日記(記事)にコメントを寄せる、相手もこちらがアップした時にはいつもではなくとも時にコメントを寄せてくれる。

 やはり、どちらかが圧倒的に著名だったり、忙しかったりといったことがない限り、当方と先方のどちらが多くコメントをするかはさまざまであっても、とにかくコメントやトラックバックなどの遣り取りがあるのが通例(そうでない事例も多い)。
 それが、こちらが相手の記事にコメントを書いても、相手はそのコメントには一応レスはしても、こちらの記事にコメントを寄せることは、段々間遠になり、やがて途絶えてくるようになる。

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→ 上京の列車の車窓から富山湾の海を見る。夜になると沖合いに停泊する船の、そして民家の灯りが闇に浮かびあがる。小生にはどんなイルミネーションよりこうした灯りこそが美しく眩しく思える。

 そうなったら、先方に何かの事情があったか、お互いの間に何か誤解や齟齬が生じたのか、経緯や状況は想像の限りではないとして、とにかく、相手のほうはこちらに(覗きに)来る気が萎えてしまっていると思っていいだろう。
 そのうち、相手は新たに違うサイトを立ち上げ、そのお気に入りリストの中に(前のサイトの時には入れてくれていたのに)入れてもらえていないという事実を知る。
 ああ、そうか、もう、こちらは仲間の輪には入れないって暗黙の、しかし厳然たる意思表示なのだなと分かる。

 そうなったら、仕方がない。深追いはしない。
 来るものは拒まず、去るものは(追いたいけれど)追わず、である。
 こちらの心に傷は負うけれど、どうすることもできないのだ。

 それでも、とにかくネットを続けるのは、意地なのだろうか。
 多分、いつかは分かってくれる。
 いつかは戻ってきてくれるという、かすかな望みがあるからだと思う。
 誤解もあるが、その誤解が溶けることもある。
 微かであろうと、いつか誤解が溶けるという期待がなくて、ネットであれ人間関係なんて続けられない。

 とにかくサイトを維持する。生意気にも自分が街の灯を気取るわけにはいかないけれど、淡々と、あるいは(外見上は)何事もなかったかのようにネットのサイト(ブログやホームページやミクシィ)を維持し続けるのは、それだけで、ほんの時々であっても、誤解が溶けて、あるいは元気が戻ってきて、何かの拍子に遠ざかったはずの誰彼がこちらのサイトに偶然にであっても再見して、ああ、なんだ、あいつまだしつこく頑張っているのか、そうか、じゃあ、自分もちょっと頑張ろうかな、なんて思ってくれたら嬉しいな。

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→ ここは朝日町辺りの海。「日本でも珍しい小石の海岸」であり、ヒスイ海岸としても有名だ。この辺りにある「浜山玉つくり遺跡」は、「日本ではじめてヒスイの玉造りの存在を証明し、工法工程を明らかにし」たことでも有名。「朝日町 - ヒスイ海岸」など参照。

 ホント、マジ、心底、嬉しいなって思う。

 闇夜の一灯。
 それは誰彼に対しての一灯であり、何よりも落ち込んでいる自分への一灯でもあるのだろう。
 だから、誰にも相手にされなくても、とにかく今日も淡々と、つまらぬよしなしごとを書き綴ってふざけてみたり、真面目になってみたり、怒ってみたり、悲しんでみたり、まあ、いろいろ足掻いてみるというわけなのだ。

 他に何が自分にできるというわけもないし。

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