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2008/01/06

マイスター魂「電球・小川愛明」

 土曜日、PCでテレビの番組表を見ていた。目覚めたのは辛うじて午前だけど、午前中は洗濯もあって、テレビどころではなかった。
 で、土曜日の予定はと見ると、いかにも録画番組ってので埋まっている。録画番組が放映されているたった今、出演しているタレントたちはハワイか何処かヴァカンスの真っ最中。
 そんなの関係ねぇー、じゃないけど、そんな番組、見たくねぇ!
 サッカーを見るか。それとも、読書に時間を費やすか。
 すると、16時から、『マイスター魂 「電球・小川愛明」』という番組のあることを知った。

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→ 吉村昭/著『光る壁画』(新潮文庫 新潮社) 「この作品は、朝鮮戦争前後の頃、日本で胃カメラの開発に熱い情熱に傾けた男達のドラマである」以下、「『光る壁画』(吉村昭著・新潮社)の書評」(ホームページ:「源さんの書評」)を読んで欲しい。この話は、NHKの「プロジェクトX」でも採り上げられたことがあるそうだ。本書は、下記する「電球屋・小川愛明さん〈1〉小型電球(上)」で紹介されている。

電球・小川愛明」っても、同氏の名前は初耳。でも、マイスター魂って言うくらいだし、電球ってあるからには、きっと職人の話なのだろうと見当を付ける(実は、小生、数年前にテレビが故障してからは、テレビ不在の生活を送ってきた。テレビを見ていたなら、この話題にはとっくに飛びついていたはずだ。昨年末、ワンセグテレビを買い、待望のテレビのある生活を再開できたのである)。

 よし、今日の朝食(兼昼食)は、16時だ!

 で、番組が始まるまでネットしたり読書で過ごす。それまで食事はお預け!

 小生、生来の不器用さとそれに勝る怠惰さで手仕事など全く無縁の人間。
 でも、だからこそなのか、職人の手仕事には憧れる。あるいは単純素朴に感心する。
 技能オリンピック関連の特集をNHKさんがやってくれるときは、欠かさず見る。
 携帯電話や医療器械などの最先端の製品だって、パソコンだって、ソフトも大事だけど、とどのつまりは製品の形で我々は接するしかない。そのためには金型が絶対に不可欠。
 その金型は職人が作る。最先端技術は、つまりは職人さんの手の指、手の平、腕、彼らの体や目や耳や、さらには勘に頼っている、乗っかっているのだ。

 小生、番組名の「電球・小川愛明」の「電球」で、即座にロクタル管の話を連想した:
週末まったり日記(ロクタル管篇)
 以下、旧稿から関連する箇所を転記する:

 灯下親しむ秋というわけではないが、晩秋にあって、オレンジ色の灯下で好きな本を手にまったりしたくなるのだ。
 それは、オリヴァー・サックス著『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』(斉藤隆央訳、早川書房)である。
 この本は、一昨年だったか、読んだばかり。
 そもそも小生は、オリヴァー・サックスのファンなのである。同氏の訳本は大概のものは読んでいるはず。
 本書は同氏の専門に関するものではなく、題名で想像が付くように自伝風な本。
 男の子なら多くの子が一時期は過ごす鉱物好き、メカ好き、科学好きの頃。
 同氏は、非凡な人間の非凡な少年時代を映し出してくれる。
 ある意味、小生のヒーローの少年の時期を垣間見るような気分。

 本書を思い出すとき、何故か連想式に脳裏に浮ぶ本がある。
 本というより、実際にはある有名な小説に併載された短い回想風の文章というべきか。
 それは、芥川賞を受賞した柴田翔著の『されど われらが日々』の単行本が刊行された際、同書に載っていた小品で、題名が「ロクタル管の話」だった。

 小生、受賞作品の印象は、読んだ直後に薄れてしまったが、こちらの佳品は内容は忘れたものの、印象だけは未だに鮮やかである。
 今風に言えばアキバ系というかオタクがかっているというべきか、真空管、とりわけロクタル管の美しさに魅了された少年の心理を描いた、文学的観点からしたら、なんてことのない小品である。
 けれど、小学生の終わりごろに天体望遠鏡を作って月を眺めて、その美しさに感激し、「ラジオの初歩」(だったかどうか覚束ない)という本を片手にラジオ製作に挑戦し、高校生になっても、何を勘違いしたのか物理クラブに入部し、アインシュタインを英雄視していた小生、光電子効果を使った照明(デコレーション)装置を作り、文化祭で披露したことのある小生には共感せずにはいられない作品だったのだ。

Lay's experiments [books 6-220] 真のオタク小説はこれだ!」なるブログには、嬉しいことに「ロクタル管の話」から抜粋した文章が載っている。
 是非にとは言わないけれど、チラッとでも、抜粋してある文章を読んでみて欲しいと思ったりする。

 オリヴァー・サックス著の『タングステンおじさん』は、こうしたマニアックなまでの心理や体験を非凡に敷衍したもの。
 読むだに懐かしさと賛嘆の念とで胸が一杯になる。


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← :柴田翔著『されど われらが日々』(文藝春秋)

 転記文中、「Lay's experiments [books 6-220] 真のオタク小説はこれだ!」なるブログを紹介し、上掲の稿をアップした際にはリンクも貼っておいたのだが、生憎、リンク先のブログは所在が分からなくなっている。
 そのブログから全く転記しなかったのは失敗だったと、こんな時には思ってしまう。

 代わりに、「真空管[ロクタル管]物語」に引用されている、柴田翔の『ロクタル管の話』からの抜粋文から、一部を再転記する:

 ねぇ、君。君は、ロクタル管を知っているかい。ロクタル管と言うのは、あの、ラジオに使う真空管の一種なのだ。(略)あの頃は真空管と言えばまずそういったダルマ管が大部分だったんだ。そう言う中でぼくらはどんなにかあのロクタル管に憧れたことか。その憧れを判って貰うために、どうロクタル管の美しさを説明したものか。
 ロクタル管という奴は実に確かな姿をしていた。直径役3センチ、高さ約6センチのガラスの円筒の中に、黒い、鉄でできた、細かい微妙な細工の、しかし同時に堅牢な電極がみじんの狂いもなく固定してある。円筒の下部にはGT管のような黒い大げさな、ベークライトのベースはなく、ただ、底面と側面、およびその両者の交わる角を保護するために、少し赤みを帯びて光る白い金属のベースが側面のごく狭い幅と底面を包んでいた。そしてベースの底面の正確な丸型の小さな八つの穴の各々の中央からは、ガラス面から直接抜き出た、電極に電気を伝える役目をする、短い、堅い、銅の脚が八本出ている。それらの脚の根本には、それらを支える硬いガラスの厚い小さな山が金属の穴にぴったりと盛り上がっている。それらの脚が一本を少しむりにねじれば、脚が折れるより先に、それを支える厚い硬いガラスの底面にぴしりと一筋の割れ目が走りそうだった。

 正直な話、一応は芥川賞を受賞した『されど われらが日々』を読むためにこの本を買ったはずだが、『ロクタル管の話』のほうが遥かに小生の琴線をヒットした。印象に残っている。
 上に転記したような文章を美しいとか懐かしいとか、そんな感覚を共有できるか否か、ま、嗜好の岐路ではあるのだろう。
 
 さて、前置きはこれくらいにしよう。
 肝心の番組は、期待以上に見応えがあった。
 この辺りのレポートは、小生の拙い文章より、本物の職人さんの手に委ねる。
 ネット検索したら下記のレポート記事が見つかった:
電球屋・小川愛明さん〈1〉小型電球(上)-手は語る-日暮里の町工場を歩く - 谷根千ねっと 阿部清司(あべきよし)
電球屋・小川愛明さん〈2〉小型電球(下)
(以下、「電球屋・小川愛明さん〈6〉電球屋の手」まで続く。)

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→ オリヴァー・サックス著『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』(斉藤隆央訳、早川書房)

 胃カメラにしろ、要は内視鏡が肝要である。
内視鏡 - Wikipedia」によると、「内視鏡(ないしきょう、endoscope)とは、主に人体内部を観察するための医療機器である。本体に光学系を内蔵し、先端を体内に挿入することによって内部の映像を手元で見ることができる」という。
 これには様々な技術が集約されている。技術の結晶である。この内視鏡の突端には、患部を照らす電球が不可欠である。
 今や胃カメラどころかカプセル内視鏡さえ登場している。これだって、内部にカメラが内臓されている。
 その際、電球はできるだけ小さいほうがいいに決まっている。
 さて、電球は手作りされている。

 肝要と思える部分を転記する:

 電球を成形することを「封止(ふうじ)」といい、その仕事場を「封止場」と呼ぶ。
 細渕の封止場は、ある種フシギなまでの"静けさ"を保っていた。それは、電球を手仕事でつくるために、機械音とは無縁であるからだ。
 暗闇に10台の「小型バーナー」の炎がほのかに灯り、数人の職人がその炎の前に腰掛けて作業する。聞こえるのはバーナーのシューッというかすかな音と、そこに空気を送る「エアポンプ」のモーターのカタ、カタ、カタ、カタといった連続音だけ。
 封止場を暗くするのは、職人がわずかな炎を見るためで、バーナーの火力が強すぎると、電球の成形に支障をきたすほど繊細な仕事だ、ということが推察できる。

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← NHKプロジェクトX制作班/編『プロジェクトX挑戦者たち 1  執念の逆転劇』(日本放送出版協会) 「敗戦間もない日本で、斬新な発想と、何にでも挑戦しようとする町工場との連携を武器に、世界が称賛する「胃カメラ」を完成させた男たちの熱気を伝える」話でもある「ガンを探し出せ―完全国産・胃カメラ開発」篇が含まれる。

 テレビでも小川愛明さんが神経を集中させてワザの粋を見せているところが見所だった。思わずテレビを見ている小生も息を詰めて見入ってしまう。
 とにかく、「一連の作業に機械はまったく介在しない。治工具もピンセットとヤスリを使うのみ」なのだ:
 

 1・3ミリ菅の封止を、若き小川さんは1日に200個以上こなせたというが、今ではできなくなった、という。
 なぜか。
 ふつう職人といえば齢(よわい)を重ねるごとに、その技能に磨きがかかるものだが、極小電球の世界はチットばかり事情が違ったからだ。
 小川さんの場合、微細なガラス管を細工する「目」と「指先の感覚」が、30歳を境にして維持できなくなったというのだ。難しい上に若くないとできないという、やっかいさ。当人でさえ、よくやれたなァと振り返るほどで、日本では今までに、元細渕の大塚さんと小川さんのふたりだけが、手がけた仕事でもある。

 どんな最先端技術の製品も、最後の最後は手仕事の腕に掛かっているのだということに、心底、納得させられた、実にいい番組だった。
 後継者となるべき若い職人さんの姿も番組で紹介されていて、心強く感じた。

 小さな電球というと、現代ではLEDを連想する。LEDの制作というと、胃カメラ用の電球の制作にも関わった(本稿の話の内容に直接関わって(登場して)いる)下記の会社の名前を逸するわけにはいかない。
 普通、会社のホームページというと、退屈至極か、体裁だけは美麗なものが多いが、この会社のサイトは実に楽しいし充実している:
手作り電球会社:細渕電球株式会社

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