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2008/01/15

一本の木を友にして帰郷せし

 関越トンネルの両側では天気がまるで違うことをまた体験した。
 91年の関越道あわや遭難事件に比べれば大したことはないが。
 なにしろ91年の時はオートバイである。天候の違いをモロに身体で受ける。

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→ 関越トンネルまでの風景は概ねこんなもの。

 その点、一昨年の秋からは帰省は冬はもとより春や夏だって秋だって列車などの公共機関を利用する。
 万が一、雪のために立ち往生したって、列車の中だ。雪に降り込められることはない。
 せいぜい、05年末のこと、寒波の中の帰郷の折に、パンタグラフか何かの不具合で列車が走行不能になり、バスでの振り替え輸送になるくらいのものだ。

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← 関越トンネルを抜けると雪国。越後湯沢駅にて。

 それでも、晴れていた東京を立ち、高崎もその先も(外に出たら寒いかもしれないけれど)穏やかな日よりのように見えたものが、関越トンネルを抜け出た途端、もう、まさに雪国だった。91年ほどの降雪量ではないが、一面の銀世界になっている。
 関越トンネルを抜け出た時点では、終点の越後湯沢駅近辺も含め、あるいは霙(みぞれ)混じりの雪がチラホラ降っている程度。夜になったらあるいは本格的に降り出すのかもしれないが。

 関越トンネルを抜けてからは、越後湯沢も長岡も上越も直江津もずっと小雪がちらついていた。

 ただ、空は冬の北陸特有の何処か凄みのある、陰気な雰囲気が濃厚に漂う鉛色の空ではなく、ちょっと分厚い綿の雲を透かして、微かにだが日の光を予感させる。
 実際、雲の切れ間も海の向うにはあるようで、陽光が雲を貫き通し、直下の海か何処かを眩く照らしているようだった。

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→ 上越を過ぎて間もなく、海! 打ち寄せる波に凄みを感じる。
 
 長岡を過ぎ、上越を過ぎる頃には、海が見える。オートバイでの帰省でも、列車での帰省でも海が見えるタイミングを今か今かと待ち受けている。
 やがては富山にも続く北陸の海が見えるってことが嬉しいのだが、特にオートバイの場合、ひたすら単調な走行を延々と続けてきている。
 それが、海が見える地点まで来ると、あとひとっ走りという気分になる。元気が盛り返すのである。
 列車の旅でも、車中では読書と居眠りで決して退屈はしない。特に日中の移動だと、読書にも居眠りにも飽いたなら、窓外の景色を眺めるという楽しみもある。
 しかも、今回の帰省の旅は、旅のシーズンとしては季節はずれということもあり、指定席など論外で自由席のほうがガラガラなほど。

 東京から終点の越後湯沢までは隣には誰も座らず、越後湯沢で乗り換えてもしばらくは一人のんびりという状況を満喫することができた。
 さらに、である。
 長岡からは次第に乗り合わせてくる客も増えてきて、ほぼ満席になり、小生の隣にも客が来たが、他に空いている席がなかったようで、若い女性と相席となったのだった。

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← 雪は激しくない。風が冷たそう。海辺の家が凍えている。

 ただし、読書に付いては、ちょっと悩んだことがあった。
 前年末に書いたが、小生は自宅にある本をほぼ全て処分した。
 お蔭で部屋がスッキリした。
 それはいいが、本を買わない小生、帰郷の車中で読む本がまるでない。
 僅かに残った文庫本も、今更、繰り返し読みたいとも思えないものばかり。
 図書館から借りていて、読んでいる最中の本はあるが、万が一、旅の途中で汚したり紛失したりしたら困る(確か、絶版なので買って弁償することもできない類いの本)。
 で、迷った挙句、辛うじて書籍の処分の際、机の隅っこに隠れていた本を選んだ。
 それは、昨年の秋口に既に読了した(途中まで図書館から借りて読んでいて、あまりに面白いので、禁書の禁を破って買って、その続きを読んだ)、リサ・ランドール著の『ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く』(向山信治/監訳 塩原通緒/訳、日本放送出版協会)である。
 これなら、嵩張るが読み応えがある。
 それにしても、本がない部屋ってのは、大学入学したての下宿の部屋以来なので、どうにも殺風景なものである。柄にもなく女優のピンナップ写真を何枚も壁に貼っている。
 
 さて、上越を過ぎた辺りから海の気配が濃厚になる。海が見えなくても海が近いという雰囲気が何故か漂ってくるのだ。
 で、いきなり、海!

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→ 近場の白い部分は雪。遠目に薄っすら白っぽい部分は雲間から陽光が差していた。

 北の海。北陸の海、ガキの頃から見慣れた海である。
 特に高校時代からはちょっと悲しい思い出もあって自転車などを使って富山の海へ(あるいは川へ)何度となく感傷に浸りに行ったものなのである。
 そうすると、大概、富山(北陸)の空は曇天で、雪がちらほら降っていて、海も空も鉛色。我が心も灰色、ということになって、まことに好都合(?)というわけである。
 高校生の頃ともなると、少しは哲学書を中心に読書熱が高まっている。富山という山脈に囲まれた地にあって(井の中のナンとやら)、ああ、あの山の向こうには文学がある、哲学がある、思想がある、政治や社会活動がある、なんて幼稚なことを思い始めた頃でもあった。
 富山など北陸は雪に難儀し曇天に頭を抑えつけられている間に、東京など関東は快晴続きで、移動にも何の支障もない。活動や交遊も自在、なんて、妙な嫉妬心というか、ひたすら羨望の念で山の彼方を想っていたのだった。 
 周囲に文筆活動をする人間は居らず(実際は居たのだが、不勉強だし、高望みするばかりだから目に入らない)、本などというものは、東京などの山の向こうにいる誰か特別な人種の人たちがやるものだという思い込みに近い変てこな念に囚われていたような気がする。

 さて、関越トンネル辺りで山の向こうとこちら側とどうしてこんなに天気が違うのか。
 そもそも冬の北陸はどうして雪が降りがちとなるのか。
(尤も、温暖化の影響なのか、ここ久しく一メートルを越えるような積雪は滅多にないようだが。)

 北陸で一番、ひどい雪になったのは、所謂、サンパチ豪雪の時である。
1963(昭和38年)1月を中心とする日本海側の風雪、いわゆる“38・1豪雪”は戦後最大の風雪災害である」という。
 その当時、「北陸の気象官署に勤務」していたという方の回想文がある:
北陸豪雪 …その時」:

 冬型の気圧配置が卓越すると、通常は等圧線が縦縞模様になって、大陸の高気圧から非常に冷たい北西の風が吹き出す。冬の季節風である。この風が日本海を吹走して、相対的に暖かい海水から多量の水蒸気の補給を受けて湿った空気となり、脊梁山脈に突き当たって上昇気流を生じ、日本海側の地域に多量の雪を降らせる。

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← 吹雪になると、家々が吹き飛ばされそう。

 今回この回想文を読んで驚いたのは、大変な被害に遭ったのは北陸など日本海側なのは事実だが、実は、太平洋側も厳しい環境にあったということ:

 一方、太平洋側の地方も、厳しい冷え込みと乾燥に見舞われた。17日東京の最低気温は-5.3度を記録した。都市気候が顕著に現れる今日ではちょっと考えられない値である。19日には東京の湿度は9%まで下がった。このため都内ではガス漏れやそれに伴う火災が生じ、水道管の破裂が続出した。また伊豆諸島では荒天続きによる船の欠航で物資不足に陥るという事態も発生している。

 このサンパチ(38)豪雪の時は、まさに雪は白い悪魔だった。白い悪魔が跳梁したのである。
「死者231人、負傷者356人、家屋全半壊1.717戸」
 小生はこの頃、小学校の3年か4年だった。
 正直、鈍感な小生は雪の凄みを感じていなかった。
 むしろ、思い出の中では毎日が夢の世界だった。なにしろ、世界が真っ白なのだ。小生の頭の中も真っ白だった(あるいは、ただの空白だった?)
 家の出入りは二階から。あるいは、一階から積もった雪に階段を作ったり、トンネルを掘って、中をくぐって表に出た。
 例年だと冬の間に降り積もったり、あるいは屋根から雪下ろしして山となった雪は三月末か四月には消えるのが、この年の雪は平野部でも五月の連中を過ぎても残っていたはずである。
 そういえば、雪掻きに小学校の校庭に自衛隊が来たのを覚えている。
 自衛隊員の活躍をこの目で垣間見たのはその時が生れて初めてだった。
 その年の夏か秋に、小学校の校庭にスキーをするためのスキー山(雪山と呼称していた?)が作られたのは、雪で荒れた校庭を整備・整地するついでに、掻き削られた土を整理するためもあったのではなかろうか(推測)。

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→ 孤立した木が雪と風に立ち向かっている。

 で、小生はというと、一面の銀世界に舞い上がっていた。家の手伝いは何もしない小生だが、何故か雪掻きだけは大好きなのだった(単純な肉体労働が好きなようだ)。
(この頃、小生が雪に対してどんなに暢気だったかは、「真冬の明け初めの小さな旅」を読めばよく分かる! 尤も、この回想は38豪雪の前の頃の話なのであるが。)

 朝、起きたら食事前に、日曜日だと昼前に、午後からも少なくとも二度、夜に入っても、誰に言われるでもなくアノラックを着用し、長靴を履き、軍手を嵌めて、スコップで雪掻き、あるいは庭の松などの木々に積もって枝が垂れているのが可哀想で、物干し竿で雪下ろし。 
 雪は小止みなく降り続く。雪掻きしたところも、振り返ってみたら、もう、降ってきた雪で雪掻きした痕が消え去ってしまう。
 口惜しいので、また、最初の辺りに戻って同じことをせっせと繰り返す。
 ただ、屋根の雪下ろしだけはさせてもらえなかった。
 なので、これも物干し竿で届く範囲の雪を掻き削るようにして、雪を蹴散らす。
 白い悪魔が相手という感覚はまるでなかった。
 恐らく、ホントに大変なところは(屋根の雪下ろしとか、雪掻きして溜まった雪をどこに排除するかなど)父がやっていたのだろう。
 自分はただ楽しいからやっていた。
 でも、何が楽しかったのか、自分でも分からない。意地になってやっていたとも言える。
 自分が掻いたあとが、あっという間に雪に降り込められて努力のあとが水泡(降雪)に帰す。
 で、口惜しいからまた、雪掻きする。体はとっくに背中など汗でビッショリである。
 長靴の中も、雪が容赦なく入ってきて、冷たい。軍手は溶けた雪が凍って溶けてまた凍ってを繰り返して、しもやけで、作業を終えて炬燵に潜り込んで手や足を暖めても、ジンジンする感覚さえ蘇ってこない。

 さて、今回の列車での帰省は、旅としてはすこぶる順調だった。
 一切、トラブルがなかった。指定席券を取らなかったのだが、正解だったし、寝過ごして越後湯沢ではなく新潟に行くってこともなかったし(越後湯沢が終点の列車に乗ったから、乗り越しはありえないのだが)、列車が雪などのトラブルで立ち往生することもなかった。
 長岡から富山までは若い女性が相席だった…。
 が、小さな想定外の事件はあった。

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← もう間もなく富山の海が見える。

 一つは、越後湯沢で乗り換えの際、母が好きなので(小生も好き)笹団子を買うのが習いなのだが、売店の主人が店舗に不在でとうとう買いそびれてしまった。
 二つ目は、富山駅に着いたら、必ず買って帰ることにしている「マス寿司」と「あんころ」なのだが(東京駅では「ひよこ」をちゃんと買った)、マス寿司はあったが、「あんころ」がキオスクに売っていなかったのだ。
 なんでも、例の赤福事件の余波で、品物の製造が見合わせとなっているというのだ。
 仕方なく、コンビニで名前は同じ「あんころ」を買った。外見も味も違うが、まあ、食べたことに変わりはない!
 
 駅からは例によってライトレールに乗って我が家から最寄の駅へ。
 そこから夕焼けの残照を愛でつつ家路に。
 雪は日陰に僅かに溶け残った塊があるだけ。降っていない。

 家にたどり着いたのは、夕方の五時半過ぎだったろうか。
 これまでなら、この時間帯だと父母らは茶の間でテレビを見たりしているはずなのだが、今回は父は寝所からなかなか出てこない。
 母も、小生の声でやっと寝所から這い出てくる始末。
 なので、庭も玄関も茶の間も真っ暗だった。
 今の小生を象徴する一齣ではあった。

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コメント

帰省中なんですね、ゆっくりと身も心も休めてリフレッシュしてくださいまし。

日本海、実は見たことがありません。ヒスイ好きなので、いつかは糸魚川へ行ってみたいとは思っておりますが…(笑)
画像を見ただけでもブルっとしちゃうほどの寒さが伝わってきますね。

関越トンネルをくぐったのは小学生の頃、六日町の親戚宅へ遊びに行った時だけです。やたらと長いトンネルでしたね。

今はトンネルが苦手なので、車道のだったらなるべく避けたいですね。トンネル内で渋滞するともうアカンです(苦笑)

投稿: サラス | 2008/01/15 15:16

サラスさん

文末にちょっと示唆しているように、郷里では買物や炊事など家事をやるので、自宅でのようにはのんびりできません。

でも、今日の富山は快晴。ちょっと寒いけど、市内から立山連峰が実にくっきり望むことが出来ました。

昔と違って、一月でも快晴の日が案外とあって、日中は天候にさえ恵まれたら外出も苦にならない。
実際、今日も絶好の外出日和で、自転車で買物、ついでにちょっとミニ散歩。

関越トンネルは実に長いトンネルです。10キロもある。
新幹線という列車でさえ長く感じる。
オートバイで何度、通ったことか。排気ガスがひどかったし。

その長さが、トンネルの出口の前後での天候の違いを感じさせるのでしょう。
川端康成の『雪国』の冒頭部分の記述をこれでもかと感じてきたわけです。


投稿: やいっち | 2008/01/15 18:32

写真を拝見。まさに雪国ですね。

昔、札幌に住んでいた時は、
冬になると毎日吹雪で、
ほんとに厭になりました。
それで真夜中には、
除雪車が出動して雪を道路脇に盛り上げてゆくのですが、
その音がまたうるさくて。
まあ、今となれば懐かしいですが。

立山連峰は美しいですね。
その映像を脳内に再生するだけで、
清清しい気分になります。

投稿: 石清水ゲイリー | 2008/01/15 21:09

石清水ゲイリーさん

車窓からの撮影だし小雪の中の移動中なので鮮明な画像とは行かないけれど、それでも、撮ったものとしては見るだけで切なくなる物があります。

冬の北海道を経験されているのですね。これはまた想像を超えますね。
富山だと、除雪車も活躍するけど(ブルドーザーってのは、小学校時代に実見したけど)、38豪雪などの被害もあって、市街地どころか、車同士が擦れ違えないような、ちょっとした裏道でさえも融雪装置が完備しています。
雪が降ると、融雪装置がフル稼働。

大概の降雪なら、車道に関しては圧雪状態にはならない。
その代わり(?)、車道から飛ばされた雪、屋根からの雪などが溜まって、歩行者が歩く場所はなくなってしまう。
なんだか、地方都市の車社会化の矛盾を痛感させられます。

立山連峰を(市街地から)眺めたことがあるのですね。
今日15日は快晴で、立山連峰が実に見事でした。
買物の行き帰りに見たのですが、つい、携帯電話のカメラでパチリ。
デジカメを持参していたら、もっと撮ったのですが。

明日からは北陸特有の曇天になるとか。
束の間の快晴での買物でした。

投稿: やいっち | 2008/01/15 23:26

一番寒いときに帰省されたのですね。
どうぞ、故郷でリフレシュされますように。
私も那須から帰ってきました。
寒かったです。
北海道の寒さを忘れているようです。
三・八豪雪覚えていますよ。
あの頃は雪が本当によく積もりました。
前後した頃、夕張も大きな炭鉱事故があり、
坑内と外気温の差が事故を誘発したのかしらと、思ったりしました。
私も雪掻きよくさせられました。
“アノラック”、懐かしい響きです。

投稿: さと | 2008/01/16 11:16

さとさん

家事三昧(?)の日々です。
今日も氷雨の中、自転車で買物。
さすがに今日は曇天で立山も見えず。

那須も冬は寒そうですね。ワンちゃんたちにはどうなのかな。

雪掻き、子供の頃はただ楽しくてやっていたけど、今となってはただ難儀なだけです。
幸い、今日も冷たい雨が降っているけど、雪にはならずに助かっている。
このまま雪なしで冬が終わる…なんてことはなさそう。
今夜か明日には雪になりそうです。

アノラック! そう、昔はアノラックって言い方が普通だったような。
今じゃ、死語なのかな。
でも、使ってみたくて、わざとアノラックって言葉を出してみましたよ。


投稿: やいっち | 2008/01/16 15:29

ここのところ北陸と縁が深くて何回か往復しています。同じ所を写真に撮ってらしたのでちょっとうふふでした。携帯のカメラをガラスに固定して取ると蛍光灯が映り込みませんよ。お試しあれ。北陸本線は夏以外はほぼ毎回延着するので、越後湯沢の乗り換えは1本後を選んでいます。厳しい自然であることがよく分かります。

投稿: さなえ | 2008/01/17 18:54

さなえさん

そう、車窓から何度も同じようなところを撮っています。
でも、上越の先からはトンネルが26ほど続くのですが、その間、ずっと海が見え隠れするのです。
百キロ以上に渡って!
本文で書いているように海が見えると長旅が終わる(帰省の場合)という感懐があって嬉しくなるし、海が見えなると富山から遠ざかる…ということ海には思いいれしたくなる。

で、実際には30枚以上は撮っている!

>携帯のカメラをガラスに固定して取ると蛍光灯が映り込みませんよ

これは勉強になりました。車窓って、そもそも汚れているし、撮影した時は霙混じりの雪がちらついていたし、当然、窓に水滴がぶつかり流れて行くわけで、つい、カメラをガラス面に固定するのが躊躇われたのでした。
でも、今度、チャンスがあったら、トライします。

冬の上越線は関越の先は特に気候が厳しいからね。延着で済めば運がいいってことかな。バスへの乗り換えもあったし。
川端らの時代はもっと大変だったろうな。
そういえば、学生時代は富山から仙台までは、上野経由で一体、何時間掛かったっけ。
それからすると、随分、ましになったんだねー。

カキコに行きたいな。
でも、最近、書き込みが撥ねられちゃうんだよね。
寂しい。

投稿: やいっち | 2008/01/17 23:19

撥ねられるとのこと、失礼しました。なぜでしょうね。他からもクレームが来ています。すべて受け付けるという設定になっているのですが。ほぼ同時に他の人のコメントや設定等の入力が重なるとエラーが出るらしいので、偶然重なってしまったのかも。半角英字のみは撥ねられますが、英字のみではないですよね。お手数ですが、別の時にでも試してみていただけますか?
写真については、言葉が足りなくて失礼。私も同じ所を撮ったと言いたかったのです。海岸線や道路、小屋を特急の窓から狙っています。電柱などが入ってなかなか上手く撮れませんが。やいっちさんは富山に転居なさるのですか?日本一豊かな県だそうですが冬は大変ですね。

投稿: さなえ | 2008/01/18 13:12

さなえさん

>同じ所を写真に撮ってらしたのでちょっとうふふでした

なるほど、小生の理解が足りなかったですね。
そうか、「同じ所を写真に撮って」たんですね。
関越トンネルの手前や過ぎた辺りも風景も、撮ったんだけど、やはり、どうしても北陸の、特に冬の海辺って独特の雰囲気があって、撮りたくなりますね。

あの雪景色も北陸の何処かって感じですね。

今回は、特に海辺の小屋とか松(?)の木(林)などが冬の風情が濃厚でどうしても撮りたくなったんです。
蛍光灯、やはり野暮ですね。

書き込み、時間を置いてトライしてみます。ありがとう。

そうそう、小生のサイトもコメントは全て受ける。但し、スパムが多いのでチェックの上、アップする方式を採っています。
一時期は、スパムのIPを禁止にしていたけど、あまりに数が多いので、今は全て受ける。あとはチェックして判断するってわけです。
実は、不思議なのですが、明らかにスパムのIPをその都度、拒否していたのですが、そうすると、禁止するつもりのない、常連さんの方からのコメントも禁止になってしまうという事態を生じたのです。

なので、今の方式を選んでいる。とんでもないスパムコメントやTBも、画面に表示されないうちに、まとめて一気に消去する快感も味わえます。

投稿: やいっち | 2008/01/18 15:17

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