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2008/01/30

『老人と子供のポルカ』の頃

[ あるところで、『老人と子供のポルカ』に関連する話題を見かけた。懐かしい! 懐かしいし、5年弱前にも、あるメルマガでこの歌のことが話題になっていて、気になると何か書きたくなる小生、下記のような雑文を綴っていた。せっかくなので(?)、ここに再掲しておく。なお、掲げた画像は本文と全く関係ない。過日、上京する列車の車中から撮ったもの。当時も今も不思議というか尋ねてみたいのは、本人はどういうつもりでこの歌を歌ったのか、何ゆえ引き受けたのかということ…。 (08/01/30 記)]

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『老人と子供のポルカ』余談

 Sさんのメルマガで『老人と子供のポルカ』(早川博二作詞・作曲 歌:左卜全とひまわりキティーズ)のことが話題になっていた。
 誰か、実際に聞いた人がいないでしょうか、だって。そんなことなら我輩に聞いてくれればいいのに…なんてのは嘘だぴょーん。

 そのSさんは小生よりずっと若い。
 その点、小生は、『老人と子どものポルカ』を高校生になりたての頃に聞いたのだ。歌謡曲や演歌が全盛で歌番組はクイズ番組と並んで庶民がテレビで楽しむ大きな娯楽源になっていた。

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2008/01/29

獰猛なる信仰の行方

 S.グリーンブラット著の『驚異と占有―新世界の驚き』(荒木 正純【訳】 みすず書房)を暇に飽かして一気に読了。
 出版社の内容紹介によると、「新大陸を発見したコロンブスの「驚き」は、なぜ必然的に、その「土地の占有」と結びつくのか?多くの記録文書や報告、物語を解読しつつ、植民地化への心理機構をみごとに分析した出色の論考」だって。
 1994年の刊行なので、新著とは言えない。

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→ S.グリーンブラット著『驚異と占有―新世界の驚き』(荒木 正純【訳】 みすず書房)

 本書を読んで、改めて感じたのは、世界を席捲し支配するのは、信仰と権威の強さなのかなってこと。思い込みの強さがある限り、どんな野蛮も合法化されるし正当化できてしまう。
 世界支配は、富への欲望もあるけど、世界の風景を己が信仰の色に染め上げてしまおうという、獰猛なまでの信仰心こそがエネルギー源のように今更ながら思える。

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2008/01/28

オカマの話?

1月25日の夜のこと。

残り少ないおコメ。

なので、丁寧に御飯炊き。

1)電気炊飯器のオカマ(内蓋)を取り出す。

2)おコメを二合入れ(2号さんを入れちゃダメだぞ!)、そのおコメに市販のペットボトルの水(信州安曇野の水)を適量浸す。

3)おコメに水が十分浸透するのを待つ。

4)おコメに安曇野の水が浸透したのを確かめて、磨ぐというより軽くすすぐ。
(一人で食べるから、丁寧に磨ぐ必要はない)

5)磨いだおコメの入ったオカマを電気炊飯器に戻す。

6)電気炊飯器のスイッチをオンにする。

7)待つことしばし。

はて? グツグツ煮え立ってきて…という段階がなかったような。

なのに、炊飯器は炊飯から保温へと切り替わった。

グツグツ煮え立つのに気づかなかったのは読書に夢中になっていたから?

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2008/01/26

三途の川と賽の河原と

 前回に引き続き、「さいたま川の博物館」での、「平成11年度第2回特別展「三途の川」」を道案内に、三途の川のこと、そしてできれば、賽の河原について幾分かでも学んでおきたい。

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← 陸信忠(りくしんちゅう)筆本『十王図』(絹本着色 各縦83.2 横47.0(cm) 中国・南宋時代) (画像は、「奈良国立博物館」より) 「人が死後に赴く冥土(めいど)には、亡者の罪業の審判者として閻羅王(えんらおう)(閻魔王)など十人の王が」いる。「十図はいずれも王が冥官たちを伴い、椅子に掛けて机に向かい罪状を調べており、前には裁きを受ける亡者や、あるいはすでに有罪とされた亡者が様々の刑罰を受ける様子などが獄卒の鬼たちと共に描かれる」。個人的には、「壺中水明庵」を舞台に風景画をテーマにブログ記事を綴っている小生、「なお王の背後の衝立(ついたて)にはどれも水墨山水図が描かれ、日本への水墨画導入にこれら画中画が一つの役割を果たしたと考えられる」という点が関心の的。「奈良国立博物館」に所蔵されるという「騎象奏楽図」を見てみたい。

 こんなことを学んでどうなるというのか、どんな意味があるのか、少なくとも小生にはさっぱり分からないのだが、何故か惹かれるものがあるので(そろそろ呼ばれている?)、ひたすらに好奇心に駆られるままに、かといって、あまりに深入りして、それでは、自分で訪ねてみようとばかりに、往って(逝って)還らぬ人にならぬよう、浅瀬を選び、できれば、三途の川の中に足を浸さないだけではなく、飛沫さえ浴びないように、用心を重ね、不摂生なる日頃の生活をほんの少しは慎みながら、まあ、表面的なこと、触りのところだけを、無論、差し障りに至らぬ程度に、触れてみよう。

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三途の川のこと

 あるサイトの掲示板で、千葉県には、三途の川という名の川があるという書き込みを見つけた。まさか、という気持ちと、でも、あっても可笑しくはないという気持ちとが相半ばしていたが、とりあえず、ネット検索。キーワードは、勿論、「千葉県 三途の川」である。
 すると、検索結果リストの筆頭に、「特別展点描  発見!「三途の川」」という表題のサイトが登場するではないか。

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→ 錦絵『三途川老婆』 (画像は、「特別展点描  発見!「三途の川」」より)

 その冒頭には、「さいたま川の博物館では、今年度第2回の特別展「日本人の他界観を探る-三途の川-」を開催しましす。」とある。
 続いて、「「三途の川」は、皆さんも知ってると思いますが、人が死んでからあの世に行くときに、必ず渡らなければならないとされた想像上の川です。しかし、特別展の開催を準備していた私は、ふと、「三途の川」という川は、実際にこの日本にあるのだろうかという素朴な疑問がわきました」とあるではないか。小生と同じような疑問を持たれる方がいらっしゃるわけだ。

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銀嶺メモ

 真冬の月というのは、何か凄まじいものを感じさせる。
 空気が澄んでいるせいか、地上の全てが輪郭も鮮やかに浮き彫りにされてしまう。未明の頃に、人気もない公園の脇に車を止めて、月の影を求める。月の大きさなど、いつもそれほど変わらないはずなのに、目に痛いほどに輝いていて、大きさの感覚を微妙に狂わせてしまう。

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 真冬の、それも深更の月の影を愛でるようになったのは、東京に暮らし始めてからだと思う。
 郷里(富山)に居る時も陸奥(みちのく)に学生時代を過ごしていた時も、今ほどには冬の夜に月を眺め上げることはなかった。

 別に自分が若い頃より風流な人間になったというわけではない。
 まずは、東京(太平洋側)に暮らしているので、ほぼ毎日のように快晴の夜空に恵まれるという条件がある。
 同時に、ほんの数年前は真冬だろうがいつだろうが、いつも忙しかったので、真夜中であってもゆっくり休憩時間を取ることなど考えられなかったのである。

 東京に住んで働いているということ、そして不況が月への思い、あるいは月に刺激されてのあれこれの想いが募るというわけである。
 皮肉な現実。でも、せっかくだから、たっぷりじっくりゆっくり堪能させてもらうとしよう。

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2008/01/24

「フルスイング」にフルウルウル!(後篇)

大きな耳、小さな口、優しい目

 主人公(高林:高橋克実)が通信教育で教師の資格を取り、二週間という規定の教育実習のため、とある高校に行く。
 主人公(以後、高林と表記する)は、妻子(息子。中一。少年野球チームに所属。でも、将来の夢は鉄道マン!)がいる。単身赴任。できれば長年務めた野球のコーチという仕事を続けたいと思っている。だから、周囲からもどうせ腰掛だろうという冷ややかな目で見られるわけだ。
 指導教諭の天童からは、「あなた、本当に教師をやるつもりですか」と問い質されたり。

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→ 新垣一馬(あらがきかずま)…小林克也(こばやしかつや)

 高林は初めて教壇に立って、何を喋ればいいか戸惑う。
 いつもニコニコ笑顔を絶やさない彼も、顔がややひきつっている…ような。

 壇上のロートルの新米教師、それも実習生を目にして、生徒たちも、お手並み拝見と冷ややかだったり好奇心たっぷりだったり、隙あらばからかってやろうと虎視眈々だったり、あるいは、全く無関心を装っていたり(問題児の和人が、初回のドラマの黒子役)。
 
 高林はしばらく、生徒たちを見渡す。口を開くタイミングを見つけかねている。

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2008/01/23

「フルスイング」にフルウルウル!(前篇)

 前の会社の都合で正月には帰省できなかったが、それでも中旬には遅ればせながらの帰郷を果たした。
 父母のことその他の人間関係などは追々書いていくとして、帰郷して嬉しいのは炬燵があること、それとテレビがあること。
 炬燵に付いてはわざわざ「炬燵」や「コタツムリ」それぞれについて短からぬエッセイを書くほどこだわりがある。
 入れるのは田舎でしか機会がないから、まあ、年に数度しか会えない恋人(?)に自宅で足下の密会(?)をするようなもの。
 ガキの頃の炬燵での思い出は少なからずある(これも別の機会に書く)。

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↑ 『フルスイング』 (本画像も含め、以下全ての画像は、「フルスイング NHK 土曜ドラマ」より)

 で、テレビ。
 小生はガキの頃(東京オリンピック開催前だったか、美智子皇后のご成婚の頃だったか覚えていない)に我が家にテレビがやってきて以来のテレビっ子である。
 小学生の小生には、例えば冬は炬燵に入りながら漫画を読むか画くかしつつ、近くにはテレビが映っている(その気になれば見れる)ってのが至福の時だった。

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2008/01/22

闇夜の一灯

☆以下は、SNC(ミクシィ)内のある尊敬する方の日記を読んで寄せたモノローグ風のコメント。
 小生には闇夜の一灯となっている某人の日記はSNCの中では公開されているけれど、その外への公開の意思は不明なので、小生が寄せたコメントのみ転記する(若干の追記あり)。

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→ 月曜日の午前、一週間ぶりにポートラム富山ライトレールの車両の愛称)に乗った。状況のためこのポートラムで富山駅に向ったのだ。

  === === === === ===

闇夜の一灯

 小生もブログで親しかった人に理由も告げられずにブロックされて悲しい思いをこれまで何度かしてきました。

 理由がまるで分からない。
 そもそも、無難なことしか書かない、書けない自分なのに、どんな発言(書き込み、あるいはレス)が原因で拒絶されたのか見当がつかないのです。
 そんなことがあると、ホントにネット(に限らず)を続ける意欲も気力も萎えてしまいます。

 実はこの三年はずっとそういう落ち込んだ状態。

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2008/01/21

銀嶺創作メモ

ある種のアゴニー(agony:苦悶)?

 引き裂かれた感じとしか言いようのない感覚。気がついたら、物心付いたら既にもう開くべきでない、開くはずのない場所にポッカリと口が開いてしまっている感覚。

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 掌編ではいろんな世界を描いているが、半分以上は<ボク>モノだろうと思う。
 自分で書いてきたのに無責任ということになるのだろうが、丁寧に数えて見たことがないので、自分でも断言できない。
 初期の頃はそうでもなかったのに、段々、ガキもの、ボクものが増えてきているようで、近年は大半がボク(ガキ)ものの短編となっているようだ。
 何故なのだろう?

 創作に限らず書きたいという気持ちが止まないのは、時に寝る時間を削っても、あるいは疲れた体を引きずってでも、書くネタがあろうとなかろうと机に向うのは、向わせるのは、自分ではどうしようもない、引き裂かれているとう感覚、空白の崖下へと呑み込まれ落ち込んでいってしまっているという実感めいたものが、根源的に自分の中にあるからだ。

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2008/01/20

銀嶺創作日記

 昨夜、久しぶりに掌編(短い小説)を書いた。
 PCに向った時には既に夜半を回っていた。

 何を書くあてがあってPCに向うわけじゃない。
 というより、エッセイやレポートなどは一応はテーマがあって画面に向う…こともある。

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→ 霙(みぞれ)のような小雪の降る中、いつものように自転車でスーパーへ。買物を済ませて自転車のほうへ向ったら、小鳥が一羽、スーパーの敷地でエサ探ししていた。自分のエサなのだろうか、それとも、この鳥は親鳥で、ヒナのためのエサを探してる?

(実際には、タクシードライバーの現役をやっていた時も、ほとんど徒手で画面に向っていた。書くテーマは机に向かい、PCを立ち上げ、あちこちのブログやらミクシィやらを見て回って、さんざんジタバタした挙句、ようやく覚悟を決めて書く…いや、書こうとしていた。何か書くことがあろうがなかろうが、書くってのがノルマだった。しかも、翌日は仕事を控えているので、テーマの決定から資料・情報集めの、そして執筆の時間を含めてタイムリミットは2時間。夜半を回った二時にはPCを閉じるのだ。絶対に寝不足でタクシーの営業はしない。これは鉄則である。)

 が、創作となると、全く徒手空拳である。何もテーマは決めない。今日は書くと決めたら、書く。創作する。話を構想する。
 いや、実際には構想などしない。

 最初の一行を決める。それだけだ。
 あるいは、何か、その日、その時、気になった、あるいはふと浮んだ一言、何かのイメージ。それだけが頼りだ。

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2008/01/16

銀嶺日記

[本稿は1月15日の夜半過ぎに書いた呟き風な日記。「銀嶺」という言葉は雪国だと何処でも使われがちで、富山においてもしかり。立山など冠雪した北アルプスの山々の稜線が麓どころか富山市街地からでも見事に遠望できるので、富山の人間にとっても銀嶺という言葉が慕わしいのである。なので、富山には銀嶺という名の宿や、その名も「銀嶺立山」という立山酒造さんの吟醸酒もある。]

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← 市街地から遠望する立山連峰。15日の午後、携帯電話のカメラで撮影。本文参照。

月曜日の夕方に家に着いた。
夜、早速、食事の用意。
幸い、姉が食材を用意してきてくれたし(おでん!)、御飯もあったので、温めたり、食卓にあれこれ並べたり、あとは片付けやら洗濯モノの取り込みとか。

郷里で小生が過ごす部屋は冷え切っている。電気ストーブで暖めるけれど、寒い。
掃除はまるでやっていないので、とうとう夜中に掃除機を掛けた。

帰省している間小生が居住する部屋の机の上に、母の傘寿を祝う表彰状と副賞の立派な置物風時計が置いてあった。
剥き出しの表彰状……。表彰状を入れる額を買って来いってことかな。

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2008/01/15

一本の木を友にして帰郷せし

 関越トンネルの両側では天気がまるで違うことをまた体験した。
 91年の関越道あわや遭難事件に比べれば大したことはないが。
 なにしろ91年の時はオートバイである。天候の違いをモロに身体で受ける。

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→ 関越トンネルまでの風景は概ねこんなもの。

 その点、一昨年の秋からは帰省は冬はもとより春や夏だって秋だって列車などの公共機関を利用する。
 万が一、雪のために立ち往生したって、列車の中だ。雪に降り込められることはない。
 せいぜい、05年末のこと、寒波の中の帰郷の折に、パンタグラフか何かの不具合で列車が走行不能になり、バスでの振り替え輸送になるくらいのものだ。

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← 関越トンネルを抜けると雪国。越後湯沢駅にて。

 それでも、晴れていた東京を立ち、高崎もその先も(外に出たら寒いかもしれないけれど)穏やかな日よりのように見えたものが、関越トンネルを抜け出た途端、もう、まさに雪国だった。91年ほどの降雪量ではないが、一面の銀世界になっている。
 関越トンネルを抜け出た時点では、終点の越後湯沢駅近辺も含め、あるいは霙(みぞれ)混じりの雪がチラホラ降っている程度。夜になったらあるいは本格的に降り出すのかもしれないが。

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2008/01/13

コタツムリ今昔

 電気炬燵と富山の人間との意外な関わりをテレビで知り、富山県人としてその周辺を探るべく、「電気炬燵と歩めなかった半世紀?」なる雑文を綴った。
 するとそのさなか、久しぶりに「コタツムリ」という言葉に遭遇した。

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→ 松澤絵理著『コタツムリ』(新風舎

コタツムリ」という言葉は、今やもう死語と化しているのだろうか。
 先に進む前に、ある年代より若い人には耳馴染みではない可能性があるので、まずは「コタツムリ」の意味を説明しておくべきか。

炬燵 - Wikipedia」によると、「炬燵」の「表現、呼称」なる項に以下のように説明されている:

現在の「こたつ」の漢字表記はもっぱら「炬燵」であるが室町時代には「火闥」、江戸時代には「火燵」と表記された。なお、燵は国字である。また略称として「こた」があるがあまり用いられない。しかし、丁寧語の「お」をつけた「おこた」という言い方は多く女性に用いられている。

また、炬燵と一体化して生活することを「かたつむり」をもじって俗に「こたつむり」と呼ぶことがある。

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2008/01/12

電気炬燵と歩めなかった半世紀?

 冬になると炬燵が恋しくなる。
 だったら、炬燵くらい買えよってことになるが、生憎、懐具合の淋しさはともかくとして、我が部屋の中があまりに汚すぎる。狭い。
 よって、置き場所もだが、床が汚すぎるので、炬燵を置く気になれないし、ましてたとえ座布団などを敷くにしても座る気には到底なれない。
 自分の部屋なのだが、いやなのである。
 でも、炬燵が恋しいってのは正直なところ。

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← 歌川国芳『炬燵に美人』 (画像は、「Cat-City Museum:猫と浮世絵」より)

 年末年始など郷里に帰省するのが常なのだが、楽しみは炬燵である。
(尤も、郷里の家で炬燵が不可欠なのは、木造の古い和式の家屋なので隙間風が凄く、炬燵なしでは居られないってこともある!)
 小生は18で郷里を離れたが、そんな少年時代までの思い出が炬燵と共にあるように思えてならない。
 幼少の頃は掘り炬燵で、炭が熱源だった。
 いつから電気炬燵に変ったのか、覚えていない。兼業だが農家ということもあり、結構、遅かったような。帰省の折、時々、朝などに炭を継ぎ足しさせられたこともあるから、二十歳前後?

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2008/01/11

芝浦のこと、再び

[本稿は、風景絵画探訪の小文「ピエト・モンドリアン(後篇:抽象性に宇宙を見る)」からエッセイ風な部分を抜粋したものである。会社があった海岸地区や最寄のJR駅から会社へ到る地区である芝浦近辺についてはまとまった形で文を綴ったことはない(はずな)ので、断片的なものだが、志賀直哉の代表作の一つ「城の崎にて」を巡ってのこぼれ話的なあれこれを綴った「芝浦のこと、「城の崎にて」のこと」から芝浦辺りの思い出を綴ったくだりを併せて載せておく。]

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→ ネット仲間の方からもらった画像です。本文とは関係ありません。とある地方の民家の電飾。地元では有名らしい。拡大してみると、一層、見事さが実感できます。

ピエト・モンドリアン(後篇:抽象性に宇宙を見る)」から
芝浦のこと、「城の崎にて」のこと」から

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2008/01/08

箱根駅伝…観戦記?

[以下、駄文風日記風レポートが始まります。読売新聞社主催の箱根駅伝について、ちゃんとした様子を知りたい方は、下記がいいです:
箱根駅伝公式Webサイト
箱根駅伝ミュージアム
 なお、この頁の最後に秘蔵画像が ! !

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→ 第84回箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)のポスター。

 走る。ただ淡々と走る。胸の中ではどんな思いが沸き立っているのか、それとも先へ先へと逸るばかりで、脳裏は真っ白なのか。
 昔、アラン・シリトーの小説に『長距離走者の孤独』(新潮文庫)ってのがあって、小生は、その題名に惹かれて手に取ったものだった。

 主人公の「スミスは、練習のために早朝から走る。走りながら、いろいろなことが彼の頭の中に浮かんでは消える。いろんなことを考えながら、ただ黙々と彼は走る」、社会の底辺を生きるしかない若者。
 本書が訳されたばかりの頃は、高度経済成長の真っ只中を突っ走っていて、当時は小生にしても実感などどれほど感じ取れたか覚束ない。

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2008/01/06

マイスター魂「電球・小川愛明」

 土曜日、PCでテレビの番組表を見ていた。目覚めたのは辛うじて午前だけど、午前中は洗濯もあって、テレビどころではなかった。
 で、土曜日の予定はと見ると、いかにも録画番組ってので埋まっている。録画番組が放映されているたった今、出演しているタレントたちはハワイか何処かヴァカンスの真っ最中。
 そんなの関係ねぇー、じゃないけど、そんな番組、見たくねぇ!
 サッカーを見るか。それとも、読書に時間を費やすか。
 すると、16時から、『マイスター魂 「電球・小川愛明」』という番組のあることを知った。

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→ 吉村昭/著『光る壁画』(新潮文庫 新潮社) 「この作品は、朝鮮戦争前後の頃、日本で胃カメラの開発に熱い情熱に傾けた男達のドラマである」以下、「『光る壁画』(吉村昭著・新潮社)の書評」(ホームページ:「源さんの書評」)を読んで欲しい。この話は、NHKの「プロジェクトX」でも採り上げられたことがあるそうだ。本書は、下記する「電球屋・小川愛明さん〈1〉小型電球(上)」で紹介されている。

電球・小川愛明」っても、同氏の名前は初耳。でも、マイスター魂って言うくらいだし、電球ってあるからには、きっと職人の話なのだろうと見当を付ける(実は、小生、数年前にテレビが故障してからは、テレビ不在の生活を送ってきた。テレビを見ていたなら、この話題にはとっくに飛びついていたはずだ。昨年末、ワンセグテレビを買い、待望のテレビのある生活を再開できたのである)。

 よし、今日の朝食(兼昼食)は、16時だ!

 で、番組が始まるまでネットしたり読書で過ごす。それまで食事はお預け!

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2008/01/05

不入斗のこと

[本稿は、4年余り前に書いた旧稿だが、「太田神社は市野倉にあります」で市野倉という大きくは入新井(いりあらい)も含む武蔵野台地の話題を書いたので、関連する記事ということでブログにアップする。本文に追記の形で書いておいたが、今回のアップに際し、本稿を書いた当時には生きていた頁が消滅していたという悲しい事実に気づかされたが、代わりに、後出する充実した頁を発見することができた。悲喜こもごもというところか。(08/01/05 アップに際し付記)]

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→ 川瀬巴水『東京20景 「池上市之倉 夕景」』(昭和3年(1928) 版権所有・渡邊庄三郎 大田区立郷土博物館蔵) (画像は、「江戸時代の入新井町略図と川瀬巴水の新版画」より。後出する)

 不入斗を「いりやまず」と、すんなり読める方というのは少ないのではなかろうか。
 小生にしても、ともすると「ふにゅうと」と読みそうである。ただ、多分、この読み方では違うだろうとは思うので、喉まで「ふにゅうと」が出かかっても、なんとか出さないで我慢するとは思うのだが。
「斗」が厄介で、俗な表記での闘争の「闘」の代わりに使われることがあるので、「と」と読むのだろうと憶測はする。で「はいらずと」などと無理矢理な読み方も試みるが、やがて諦めて、ダンマリを決め込むしかなくなるのだろう。

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2008/01/04

太田神社は市野倉にあります

 昨年、「帰郷していた際に、郷里の神社に初詣しそびれたからというわけではないが、東京での地元の神社である太田神社へ初詣に行ってきた」のだが(「初詣太田神社で決まりです」)、今年も二日、天候に恵まれたことだし、太田神社で初詣してきた。
 三日は箱根駅伝の復路をチラッと観戦。箱根駅伝観戦レポートは、後日、書くかもしれない。共に自転車を駆ってのお出かけ。

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← 正月二日、地元の太田神社で初詣。昨年、太田神社の画像は幾つか載せているので、ダブらない画像を選びたい。「昭和7年に氏子により奉納された御影石の鳥居」に注目。

 太田神社のことは上掲の記事を参照してもらおう(太田神社の名前の由来や、大田区という区の名称の由来など興味深い話を書いておいた)。
 今回は、太田神社は「市野倉と言われた武蔵野台地」にあるということなので、この「市野倉」や近くを通る池上通り(池上道)の周辺を探ってみる。

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2008/01/01

明けましておめでとう!

 明けましておめでとうございます。
 今年も宜しくお願いいたします。

 早速、今年の第一弾の記事をアップしました:
前田常作:曼陀羅画に壺中天!
 第二弾:
宮沢賢治から昇亭北寿へ飛びます!
第三弾:
初夢」(創作)

 コメント、メッセージ、お待ちしています。

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