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2007/12/28

70万ヒットしました

 ニフティのココログ版のブログ「壺中庵」へのアクセス総数(以下の3つの合計)が本日(28日)正午、70万ヒットを記録しました。

壺中山紫庵」(498750 → 07/12/30 50万ヒット)
壺中水明庵」(171792)
壺中方丈庵」(23790)

 2004年9月9日から、淡々と書き続けてきた結果と思っています。
 覗きに来てくれた方々、ありがとうございます。
 これからも、同じように続けていくつもり。
 応援、お願いします。

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富田木歩の周辺

 今日は一挙に二つの記事をアップ。
 一つ目の「アルトドルファー追記」はすでに未明、アップ済み。以下は、今日の第二弾だ。

Main

→ 版画「富田木歩」(昭和38年作・吉屋信子「墨堤に消ゆ」 小説新潮) (画像は、「版画「富田木歩」」より) 「墨堤に消ゆ」は吉屋信子のエッセイで、富田の句をいろいろと紹介している。この版画は、(小生の推測では)このエッセイに付せられたものなのだろう。『鬼火・底のぬけた柄杓 吉屋信子作品集』(講談社文芸文庫/2003)に所収となっているようである(本書については下記する)。

 さて、一昨日、「紙魚・白魚・雲母虫・本の虫」なる記事を書き綴っていて、あれこれ調べる中で富田木歩(とみたもっぽ)という俳人の存在を知った:

 ネットで紙魚という季語を織り込んだ句を探してみたら、下記の句が見つかった(「落葉のささやき 富田木歩 その6」にて):

なりはひの紙魚と契りてはかなさよ   富田木歩

 富田木歩なる人物は小生にとっては未知の方である。
 下記のサイトが非常に参考になる:
書評 (中島) 「鬼気の人 ー 俳人富田木歩の生涯」
 大して長くはない。一読することを願う。


「なりはひの紙魚と契りてはかなさよ」という句の中の「紙魚」、さらには「契り」に、いかに切ない、断腸の思いが篭っているか。それは彼の生涯を知れば自ずから分かるだろう。

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2007/12/27

ブログを改装した訳は

 看板を変えただけだから、模様替えというべきか。

「無精庵徒然草」は「壺中山紫庵」へ。
 これは従前通り、何でも日記。

「無精庵サンバ館」は「壺中水明庵」へ。
 これは大幅な変更なので、改装とか模様替えではなく、店舗の入れ替えに近いので、下記する。

「無精庵方丈記」は「壺中方丈庵」へ。
 これも従前通りで、基本的に俳句や川柳、小説を含めた創作の部屋である。

Article11

← クロード・モネ「かささぎ」 (画像は、「クロード・モネ-音楽・映画、言わせておけば」にて発見) クリスマスに見つけた綺麗な画。このような絵も描けるモネだったが、目の病気もあったのだろうか、後年は全く未曾有の画境を彷徨うことになる。いかにも児戯めいた和風庭園を造って、アトリエで筆を揮う。自然は彼の脳裏にあったというべき? 悲劇か偉業なのか。絵を描くとは一体、どういうことなのか。

 まず、「無精庵」は止めた。
 これは前々から止めたかった(「ぶしょう」じゃなく、「せいしがない」の意に誤解されそうだし)。ブログを始めた時、ブログってものの性格や、ブログをどれほど続けられるか自分でも分からなかった。
 なので、とりあえずということで、某創作系のサイトでのHN(ハンドルネーム)だった「無精庵」をブログの頭に被せたのである。
 既にブログを始めてからほぼ40ヶ月になろうとしている。ここまで続くとは思っていなかった。
 ま、下記する事情があるので、ついでだとばかりに、「無精庵」とはおさらばである。

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2007/12/26

紙魚・白魚・雲母虫・本の虫

 ふと、「紙魚」という言葉が思い浮かんだ。
 何故だろう。何故、唐突にこんな言葉が浮んできたんだろう。
 それほど考える必要はなかった。
 数日前、部屋の中の本の大半を処分したからだ。
 漫画の本を除くと、図鑑を含め本と呼べるものを買い始めたのは小学生の終わり頃からだったろうか。

071221

→ 過日、処分した本の一部。床に積んだ書籍の山の背後には図録が棚に納まっている。全てが消えてしまった。

 そう、本らしきものを読み始めたのは低学年の頃からだった。
 ガキの頃は近所に貸本屋さんがあって、ほぼ毎日、通っていた。
 借りるのはほとんどが漫画の本だったが、段々そこに所謂本が混じってくる。
 どんな本を借りたかは覚えていないが、小学生の高学年の頃から中学にかけては、SF関係の本が多かったように記憶する。
 というより、SF(空想科学)関係の本を読んだ記憶しか残っていないのである。文学関係の本は中学の終わり頃からようやく手が出始めたし、科学(の啓蒙)本は、そんなに冊数を読むわけではないし、図鑑に近い、挿絵(写真)の多いものを求めていたので(あまり活字が細かいとか多いと敬遠していた)、そういった傾向の本は貸本屋さんにはなく、特別にお小遣いを貰って、町の本屋さんで買い求めたのだった。
 記述をどれほど理解できたかは心もとないが、当時から挿画(写真)には魅せられていた。写真や挿絵で空想を逞しくするほうが好きだったように思う。

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2007/12/25

増山麗奈:そんなあなたに会いたくて(前篇)

 本稿は、新装開店の「壺中水明庵」へ移しました:
増山麗奈:そんなあなたに会いたくて(前篇)

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2007/12/24

「レンブラントの風景・風俗素描(後篇)」へ

 レンブラントらの素描(デッサン)画を見ていて、ふと、数年前に行った「ドレスデン版画素描館所蔵 ドイツ・ロマン主義の風景素描」展の時の印象を手元の画集(図録)を見つつ、思い出していた。

2003_180

← 『ドレスデン版画素描館所蔵 ドイツ・ロマン主義の風景素描』(ユリウス・シュノルの「風景画帳」、フリードリヒ、コッホ、オリヴィエなど 国立西洋美術館) 「シュノルは10年におよぶローマ滞在中、旅行先に素描道具を携帯し、自分が心引かれた風景を記録しました。風景画帳は、ドイツに帰国したシュノルが、イタリアでの風景素描から115点を選んだアルバムです」 …この図録は小生には宝物だ。

「ドレスデン版画素描館所蔵 ドイツ・ロマン主義の風景素描: ユリウス・シュノルの「風景画帳」、フリードリヒ、コッホ、オリヴィエなど」というもので、油絵・水彩など彩色された絵画を見慣れた小生には、物珍しさもあり、また、高名な画家が裃(かみしも)を脱いだような親近感を覚えたりしたものだ。
 ここしばらく我がブログで風景画を特集してきて(多分、あと一ヶ月ほどは特集が続くと思う)、また、デッサンをネットを通じてであろうと眺めてきて、少しは目も肥えた小生が今一度、上掲の展覧会を見ることが叶うなら、きっと違う感想を抱いていただろうと思ったりする。

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2007/12/23

髪は長~~い友達

 考えてみれば不思議なことかもしれないけれど、考えないので不思議ではないことっていろいろある…多分。
 人の髪って、何処まで伸びるのか。
 考えたことのある人は結構いるのではなかろうか。

Sironekoyasumi

→ 我が守り神である白猫さんの、在りし日の雄姿。3年前までは近所で見かけたのだが…。毛並みの話なので、久々に登場願った。懐かしい!

 三面記事なのか社会面の隅っこ、あるいは世界の珍しいニュースということで、何メートルも髪を伸ばし続けているひとのことを、時折、テレビそのほかで見聞きする。
 で、ついでながら、やはり誰しも考えたことがあると思うが、少なくとも酒の席か暇の徒然のお喋りのネタとして、腋毛やあそこの毛はどうなのかってことも、疑問として論議(?)されてきたことと思う。

 腋毛は、髪の毛のように伸び続けることはないのか。
 胸毛とか下(しも)の毛などは、伸び続けるようにはなっていないのか。

 あるいは、腋毛にしても胸毛にしても下の毛にしても脛毛(すねげ)にしても、本来的には伸び続ける素質(才能? 可能性?)があるのだが、生憎と、人類が衣服を着用するようになり、日陰の存在のように押し隠されてしまって、出る杭は打たれるではないが、伸びる髪だが邪魔なので衣服や肌に擦れて縮れ、あるいは日陰の身であることで世を儚んでいじけひねくれて、伸びるものも伸びることはないのか。

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