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2007/12/15

レンブラントの風景・風俗素描(前篇)

[いよいよというべきか、今日はレンブラントの登場。レンブラントというと、どんな絵画を思い浮かべるだろうか。やはり、自画像? 50枚以上は自画像が残っているらしいし。いやいや代表作とも言うべき「夜警」(実は昼間の光景なのだが…。この絵にまつわるエピソードが面白い!)だろうか? 根っからのオランダ人。そして自分へのこだわり。知る人は知っているだろうが、「油彩だけでなく、エッチングや複合技法による銅版画やドローイングでも知られる」のである。今回は、必ずしも一般的ではないかもしれない側面にスポットを当てる。なんたって、「水」「雲」「空」「海」「川」「霧」が我がブログの今のマイブームテーマなのだ。ドローイングは特に画像を拡大して観ることを薦める。あ、個人的なことを書くと、我が部屋のユニットバスルームの換気扇のタイマースイッチが直った。これで、その気になれば入浴も何もできる!!(15日アップ当日追記)]


 事情があり、記事(本文)を「壺中水明庵」へ移動させました(09/03/13 記):
レンブラントの風景・風俗素描(前篇)

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2007/12/14

ベクシンスキー:廃墟の美学(後篇)

[本稿は、「ベクシンスキー:廃墟の美学(前篇)」の続編です。前篇でも書いたけど、本稿は翌日(正確には日付上、当日になっていたが)に試験を控えているというのに、ついついネット散策に夢中になり、あれこれ調べつつ書いたもの。内容に、というわけではないが、書いたり画像に眺め入ったりしていたその夜の自分の胸中などがちょっと懐かしい。滅びの美学。廃墟の美学。こうしたものにどうして人は囚われるのか。ベクシンスキーの場合は、ナチ下という過酷な体験がある。なんたってポーランドの人だからね。日本だって、ほんの数十年前、多くの都市が廃墟と化した。高層ビルが林立していても高速道路や地下鉄が縦横に走っていても、ちょっとした事件で美麗なビル群が廃墟と化してしまう。天国と地獄は常に背中合わせなのだ…が、そうしたことを忘れやすい、目を背けたいと思うのも人の慣わし。……と言いつつ、この数日、訳の分からないものが詰まったダンボール類を片付ける作業に没頭していた。見えなかった壁が多少なりとも見えてきて、感激。日常にあっては、こんなことも嬉しい。天と地もあるが、極大もあれば極小もある。崇高なる美もあれば、卑近な癒えもある。その両端に股裂きなのが人間なのか…な?(14日(アップ当日)追記)]


以下、本文は「ベクシンスキー:滅亡の美学(後篇)」へ移動しました。 (10/03/03 記))

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2007/12/13

ライスダール…さりげなく劇的に(前篇)

[本稿は、7日(木)に書いたもの。ようやくアップに扱ぎつけた。風景画となると、ロイスダール(ライスダール)を逸するわけには行かない。ライスダールの特徴は、(本文に示しているけれど)風景画に必ずのように雲が描かれている点にあると思える。雲の様子の変幻で光と影の織りなすドラマ、そして瞑想を誘う時の移ろいまでもが示されているようだ。ところで、ケネス・クラーク著の『風景画論』がなかなか読み応えがあったので、久しくその存在を気には掛けていたが今ひとつ手が伸びなかった、同氏著の『ザ・ヌード ―理想的形態の研究』(高階 秀爾 翻訳 , 佐々木 英也 翻訳 ちくま学芸文庫 筑摩書房刊 但し小生は単行本である美術出版社版で読む。ヌード画を大きな写真で観たいから!)を読み始めた。来年辺り、ブログ記事のメインの題材を風景画論から人物画へ、じゃなく、一気にヌード画に移るかどうするか思案中。深みに嵌まりそう!]

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← ケネス・クラーク 著『ザ・ヌード ―理想的形態の研究』(高階 秀爾 翻訳 , 佐々木 英也 翻訳 ちくま学芸文庫 筑摩書房) 「本書は、裸体像をテーマとした理想的な造形表現が、西欧美術の中でどのように変貌しながら生き続けていったかを跡づけたもので、該博な知識と鋭い観察に支えられたユニークな芸術論」だとか。

オランダ風景画の巨匠アルベルト・カイプ」なる記事の末尾で、ヤーコプ・ファン・ロイスダール(あるいはライスダールと表記)というやはりオランダの画家が気になると書いている。
 上の下書きは、11月19日頃に書いたもの。
 そのうち忘れちゃうかなと思っていたが、アルベルト・カイプ関連情報をネットで集めている過程で何作か観たロイスダールの絵の風景画の印象が脳裏に残っているようで、やはり、多少なりとも特集を組んでおきたくなった。

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2007/12/12

アルトドルファー:風景画の出現(後篇)

[本稿は、「アルトドルファー:風景画の出現(前篇)」の続きです。昨日(11日)、スーツを入手した。十数年ぶり。いろいろ面接もあるので、仕方なく。今日(12日)は流し台の脇の調理用ヒーターやらユニットバスの換気扇のタイマーの修理に人を呼んだ。でも、都合があってか修理は後日。ガッカリ。]

ロト (聖書) - Wikipedia」なる頁には作者名らしきものが見当たらない。
「ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)」なのか。
 今は、彼のことを調べる余裕がないので、興味のある方は、下記へ:
Hendrick Goltzius - Wikimedia Commons

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← ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius) 『Jupiter and Antiope』(1616) (画像は、「Hendrick Goltzius - Wikimedia Commons」より) 母乳アートの走り?

 あるいは、下記が詳しい:
古楽画廊-ヴァイオリン(25) Early Music Art Gallery  ―――リュート(25)―――」(ホームページ:「Early Music Art Gallery―――古楽画廊―――」)

 冒頭の一節のみ転記する。以下は、当該の頁で:

ハールレムで活躍したヘンドリック・ホルツィウスは、初期はオランダのマニエリスムを代表する版画家でした。火傷のために右手が使えなかったと言われますが、絵画の複製では素晴らしい技量を示し、「ローマの英雄 The Roman Heroes」 (1586)のシリーズに代表される、独創的な作品も残しています。

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2007/12/11

ハドソンリバー派絵画:F・E・チャーチ(前篇)

[文末近くで千住博氏著『美は時を超える』(光文社新書)を紹介している。と言いつつ、この記事を書いている最中(12月3日)に知った本なので、未読。数日後、早速、予約し借りてきた。…が、本の題名がうろ覚えで、同氏著の『絵を描く悦び』(光文社新書)を借りてしまった。著者名と出版社名や新書って条件には合致している ? ! 尤も、この本も絵画に限らず創作活動に携わる人には励ましの書、初心に還る書として、なかなかの本だった。それはそれとして、やはり、本稿に関係ある本だし、『美は時を超える』は近いうちに読むぞ!]

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← 千住博著『絵を描く悦び』(光文社新書) 冒頭に書いたように、『美は時を超える』と間違えて借りてきた本。でも、いい本だった。創作活動には無縁の小生だが、アーティストの真率な姿勢に感銘を受ける。

 ギャヴィン・プレイター=ピニー 著『 「雲」の楽しみ方』(桃井 緑美子 訳 河出書房新社)を読んでいたら、「雲」を描いたフレデリック・エドウィン・チャーチ (Church, Frederic Edwin(アメリカ1826-1900))という名の画家の絵に言及している箇所があった。
 小生は全く知らない画家。

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→ フレデリック・エドウィン・チャーチ 『Blueberry Hill, Vermont』 (画像は、「古き佳きアメリカンアートなど|★マーケティング戦略ビューロー@P-styleブログ★」で発見)

 フレデリック・エドウィン・チャーチという名だけでネット検索したら、下記のサイトがトップ近くに浮上:
肉筆複製画・美術品・絵画販売 ハドソンリバー派絵画

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2007/12/10

オランダ風景画の巨匠アルベルト・カイプ(後篇)

[本稿は、「オランダ風景画の巨匠アルベルト・カイプ(前篇)」の続きです。]

 アルベルト・カイプのことをもっと知りたくて、ネット検索を続けたら、下記の頁が浮上してきた:
古楽画廊-リコーダー(36)」(ホームページは、「西洋古楽(Early Music)関係の絵画画像を集めてみました」という「Early Music Art Gallery 古楽画廊」)

 この頁では、下記のような説明が得られる:

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← アルベルト・カイプ『釣り師と牛のいる風景 Herdsman with Cows by a River』(1650) (画像は、「アート at ドリアン 西洋絵画史・ギリシャ神話・聖書の物語」より)

オランダ南西部のドルドレヒト Dordrecht で生まれたアルベルト・カイプは、肖像画家であったヤーコプ・ヘリッツゾーン・カイプ Jacob Gerritsz. Cuyp (1594-1651/2) の息子として生まれました。彼は様々なジャンルの絵を描きましたが、今日では、1950年(1650年?)頃から描くようになったイタリア風の風景画によって知られています。

ところで、カイプはドルドレヒトから居を移さなかった上に、1660年代からはほとんど作品を残さなかったため、ターナー Joseph Mallord William Turner (1775-1851) やコンスタブル John Constable (1776-1837) らが活躍し、風景画が隆盛を極めた18世紀イギリスにおいて再評価されるまでは、ほとんど忘れられた存在でした。

ユトレヒトの親イタリア派風景画家、ヤン・ボト Jan Both (1610-1652) の影響を受けたと考えられるカイプの風景画は、オランダの風景に南国風の強い光のコントラストが加わり、早朝や夕暮れの光景は、ターナーの絵に大きな影響を与えています。

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2007/12/09

ベラスケス「侍女たち」の風景(後篇)

[本稿は、「ベラスケス「侍女たち」の風景(前篇)」の続編(後篇)です。]

 小生の手には余るので、ネットで見つけたあるサイト(「ミシェル・フーコーによるベラスケス「侍女たち」の読解」)の説明を援用させてもらう。

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→ バンヴィル,ジョン【著】〈Banville,John〉 高橋和久 小熊令子【訳】 『プラネタリー・クラシクス ケプラーの憂鬱』(工作舎) 本書は小説である。「ケプラーの憂鬱-詳細」参照。「「初めに形ありき!」宇宙における調和は幾何学に基礎があると信じ、天球に数学的な図形を探し求めたヨハネス・ケプラー。本書は、天文学に捧げた彼の半生を追いながら、科学的真理は幻想から生まれることを描いたヒストリオグラフィック(歴史記述的)・メタフィクションである。1981年度英国ガーディアン小説賞受賞作」だという。ケプラーは、プラトンの立体の夢を追ったのだろうか。

「フーコーの『言葉と物』も、それに近いと言えば近いことを問題にしています。「言葉」と「物」の乖離です。われわれは、「物」を見ているようで実は「言葉」を見ている。そういう意味で、われわれが生きている世界は「表象の世界」です。フーコーさんは、われわれが生きるこの現実としての「表象の世界」を鮮明に語るために、ベラスケスやドン・キホーテを取り上げているのです。物なら物という実体的な裏付けを欠いた「表象」が浮遊し、そんな「表象」たちが互いに他を支えあう形で自己完結している世界。そこにどんな力学が働いて「権力」や「主体」や「知」が生まれるか。これを説明するためです。」という説明も面白いが、ここは飛ばす。

 以下が肝心な点だろう:

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