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2007/11/10

ボードレールと「雲」とブーダンと (前篇)

[本稿は、10月26日に書きかけていたもの。ボードレールの世界を「雲」をキーワードにちらっと眺めてみたいということで書き起こしていたもの。「雪の関越道であわや遭難事件」の記事の作成などに追われ、半端なままに放置していた。拙稿の冒頭に題名の出てくる『雲の「発明」』など、10月末には読了している。この記事を書く過程で、ウジェーヌ・ブーダンという画家に魅せられたこともあり、彼の絵を挿画として幾つか載せていく。]

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← ウジェーヌ・ブーダン『満潮の波止場, トローヴィル
』(画像は、「 世界最大のポスター、絵画、写真の専門店!」と銘打っている「AllPosters.co.jp」より ) ブーダンというと帆船(ヨット)の絵が好きだという方が多いのでは。彼の絵に船が描かれていることが多いのは、それもそのはず、彼は「船乗りの息子として生まれ」たのである。

 リチャード・ハンブリン著の『雲の「発明」 気象学を創ったアマチュア科学者』(小田川佳子訳、扶桑社)を就寝前、寝起きの時にちびりちびりと読んでいる。
 面白い。雲の科学なんて、ちょっと敬遠気味だった自分が勿体無いことをしていたと後悔させられる。
 お蔭で、最近、雲(海、空、水、湖沼、鳥……)がマイブームである。
「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(序)」なんて小難しい題名の雑文を書くことになったのも、気がつく人は気付いているだろうが、たまたま「耕雲」という言葉をテレビドラマの中で目にしたからである!

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2007/11/09

雪の関越道あわや遭難事件(7)

[以下は、「雪の関越道あわや遭難事件」のあった翌日の夜に書いた日記である。
 小生の記憶とは違う部分が結構ある。また、読み返して、ああ、そんなこともあったっけと思い出したことも。思えば随分、いろんな方に迷惑を掛け、あるいはお世話になっていたのだった。
 文中の太字部分はこれまで書いた回想レポート(ドキュメント)とは事実関係が違う部分、あるいは記憶に全くない部分である。
 今回は、予定では「雪の関越自動車道遭難未遂事件(7):これでエピローグにしたい!篇」をお送りするはずだった。
 が、つい先日、当時の手書きの日記が見つかったため、当該の日の日記を転記した文を「完結篇:これが全貌でした篇」に代わるものとして提供する。

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→ 手書きの日記の冒頭部分。レポート用紙だと6枚に渡って書いているのだが、活字にするとこんなものなんだね。当人が大騒ぎしていても、終ってみたら呆気ないエピソードに過ぎないってことなのか。

 無論、その日の日記に「雪の関越道あわや遭難事件(7:完結篇)」なんて題名など付すはずもない!
 実際、ほとんどが(7)として、期せずして「これでエピローグにしたい!篇」に相応しい総集編的記述になっているとも思える。

 なお、思いつくままに思い出すままに熱に浮かされるようにして書いたものなので、文章的に変な部分もある。改行も原文のままである(まさに日記なので改行などする必要もない。というか、正直なところ、改行するもなにも、溢れ出る言葉を書き記すのに懸命だったのだ)。読みづらいことは重々承知の上で、できるだけ原文の雰囲気を残すためもあって、改行その他も読み手への配慮を欠いたままにアップする。

 事情をご理解願い、寛恕を請うものである。
 翌日の31日には、何ゆえこんな暴挙に走ったかや、こうして命からがらの旅から生還し(ちょっと大袈裟?)、自分の限界や愚かしさに否応なく向き合ったが故に心が剥き出しになり、恋話など赤裸々に延々と書き連ねている。
 個人的には懐かしいが、野暮になるので手書きの日記のまま闇に埋めておく。 (転記の日に記す)]

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2007/11/08

空と山を眺め描くのみ…ラスキン

 一昨年、「ノルウェーの画家エドワード・ムンクが代表作「叫び」の背景を赤く描いたのは、火山噴火のせいで本当に空が赤かったから?」という話題を巡って、あれこれ綴ったことがある:
番外編「山焼く」

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→ ジョン・ラスキン 「早くから聖書と詩にめざめていたが、少年ラスキンをとりこにしたのは鉱物だった。天保2年の12歳のころ、鉱物に熱中して一人で鉱物事典を自作している」という。(文章・画像ともに、『松岡正剛の千夜千冊『近代画家論』1・2・3 ジョン・ラスキン』より)

 ムンクが友人との散歩中に血のように赤い空を見たこと自体は、ムンク自身の下に示す言葉もあって、事実のようだ。問題は、その背景であり、その空を見ての感じ方の如何なのである:

 夕暮れ時、私は二人の友人と共に歩いていた。すると、突然空が血のような赤に染まり、私は立ちすくみ、疲れ果ててフェンスに寄りかかった。それは血と炎の舌が青黒いフィヨルドと街に覆い被さるようだった。そして、自然を貫く果てしない叫びを感じた。

 こうした天災、自然現象が社会や政治・経済・文化に及ぼす影響は甚大なものがある。

 18世紀の日本での噴火に限っても(「18世紀の後半は異常気象」参照):

宝永4年(1707)に富士山大噴火
安永4年(1775)に三原山の噴火
安永8年(1779)に櫻島の大噴火
天明3年(1783)に浅間山の大噴火

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2007/11/07

絵画は自然科学的実践 ? ! …コンスタブル(後篇)

[本稿は、「絵画は自然科学的実践 ? ! …コンスタブル(前篇)」の続篇です。無論、マイブームテーマである「雲」の一環でもある!]

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← ジョン・コンスタブル『主教館の庭から見たソールズベリ大聖堂』(画像は、「ジョン・コンスタブル (ロマン派)」より。ホームページ:「アート at ドリアン 西洋絵画史・ギリシャ神話・聖書の物語」)

 さらに、「ジョン・コンスタブル - Wikipedia」によると、「コンスタブルは1776年、ロンドンの北東にあるサフォーク州イースト・バーゴルトに裕福な製粉業者の子として生まれた。画家を志したのは比較的遅く、20歳の時、商売を覚えるためロンドンへ出たときに、ジョージ・スミスという風景画家に出会ったのがきっかけという」が、以下、「ジョン・コンスタブル - Wikipedia」を参照願いたい。

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2007/11/06

阿久(あきゅう)なる縄文遺跡をいつか見ん!

 縄文時代観をくつがえした遺跡というと、筆頭に上がるのはやはり「三内丸山遺跡」(さんないまるやまいせき)だろうか。
三内丸山遺跡 - Wikipedia」によると、「遺跡には、通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫の他に、大型竪穴住居が10棟以上、さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されている」という。
特別史跡 三内丸山遺跡」なるサイトでは、三内丸山遺跡の紹介を動画の形で見ることができる。

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→ 「三内丸山遺跡」で復元された「大型竪穴式住居」(画像は、「三内丸山遺跡 - Wikipedia」より)

 さて今日は、小山 修三【著】『美と楽の縄文人』(扶桑社)を読んでいて、たまたまその存在を知った長野県は原村柏木にある「阿久(あきゅう)遺跡」のことを話題にしたい。

天竜川水紀行:遺跡I 縄文時代観くつがえす資料 ~阿久遺跡~」(記事は「長野日報 (Nagano Nippo Web) - 信州のニュース -」より)によると:

 三十万個もの石を集めて築いた、巨大な環状の祭祀(さいし)場。その中央に立つ立石からは、北に向かって二列の石列が伸び、間に蓼科山を見通した―。「環状集石群」と呼ばれる同祭祀場跡など、学術的な新発見が相次いだ原村柏木の国史跡「阿久遺跡」。貴重な遺構は「縄文時代観をくつがえす発見」とまでいわれ、全国規模の保存運動を経て今に残された。

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2007/11/05

雪の関越自動車道遭難未遂事件(6)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(6):番外篇:捜していた日記が見つかりました篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇」より続く)

 今回は、「これでエピローグにしたい!篇」をアップしてこの回想ドキュメント(レポート)は終わりにするつもりだったが、予想外の事態が発生し、急遽「番外篇」を提供する。
 一つ報告がある。
 ある意味、嬉しい発見があった。
 なんと、この「雪の関越道であわや遭難事件」当時の日記が見つかったのである!

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← 見つかった日記の冒頭付近。文字の乱れは線路の軋みでも愛の迷いでもなく、もともと乱筆(乱文)なのである!

 小生は手書きの日記を15歳の頃より今日に至るまで書いてきたのだが、二十歳までの日記は焼却してこの世にはない。
 が、それ以降の日記は多分、捨てていないので家の何処かしらにあるはず。だが、数ヶ月ごとにファイルに挟んだりビニールの袋に突っ込んで、溜まると他の古い書籍類などとともにダンボール箱に詰め込み田舎に送ったり(多分、納屋行き!)我が部屋の何処かダンボール箱の山の中に埋れていく。
 当然ながら91年頃の日記類など、古いからとっくの昔に田舎行きの憂き目に遭っているものと思い込んでいた。

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2007/11/04

「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(後編)

 本稿は、「「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(前編)」の後篇である。
 この手の文章は内容からしてあまり読まれないのは分かっているのだが、それはまあ、致し方ないとして、つい好奇心で調べ始めた以上は、ネットで分かる範囲で暫定的となるのは必定ながらも、一定の結論は出しておきたい。
 その上で素養のある方に、あるいはもっと探究心のある方にフォローしてもらえればと思う。

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→ 一昨年だったかの正月に富山の海辺で撮った松林越しの雲。これは何という名の雲だろう。鉛色の垂れ込めた分厚い雲が当たり前の冬の富山(北陸)でこんな晴れ渡った空なんて珍しい。言うまでもないだろうが、本稿にしても、小生のマイブームテーマである「雲」つながりの一環なのである。だから、雲の画像を載せている!

 ということで、さて、次は、「種月耕雲」である。

 似て非なる言葉なのか、似て、実際に含意も似ている言葉なのか。一体、誰の言葉なのか。やはり、道元の言葉なのか。

種月耕雲」でネット検索すると、トップに浮上するのは、下記の頁だった:
名古屋なんでも情報 - 284 種月耕雲

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