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2007/10/27

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇」より続く)

 さて、話を戻そう。
 ワイヤー錠の威力は自分でも驚くほどのものだった。
 ワイヤー錠のお蔭で、一キロでの転倒は数回程度に減った。
 次のインターチェンジで降りるまでの十数キロの間での転倒も、今までの何キロかの間の転倒回数の数百回よりは減ること、請け合いである!

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← 「雪の関越自動車道遭難未遂事件」のあった翌年、つまり92年に色鉛筆で描いたもの。絵を描くことを試みたのは、子供の頃以来ではなかろうか。91年の年末のことが時折、悪夢のように脳裏に浮んでいた頃、気持ちを落ち着かせるため、ありあわせの色鉛筆でスケッチブックに、何かの写真を見ながら描いたのだった。 ← 大間違いだった。手元の絵をよく観たら、描いた日は72年の秋口となっていた! つまり、小生が大学に入学した年である。お詫びして訂正します。

 あまりに単調な時間が過ぎていていく。でも、濃密な時の連なり。
 雪は止む気配がない。
 前年に買った防寒具の性能がよかったのか、ヘルメットの下に目出し帽を被っているせいか、防寒着の上にさらに薄いビニールの合羽を羽織っている御蔭なのか、それとも下手すると五百回に達しようという転倒・引き起こしという作業の故なのか、体は寒いどころか、カッカしている。
 火照っていると言って過言ではない。

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2007/10/26

「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(序)

 事情があって、柄にもなく勉強漬けの日々である。といいつつ、手を休めてネットに音楽に窓外にと、集中が途切れる時間のほうが遥かに多いのは、否定しきれない…。
 食事の時間だからという理屈を付けて、テレビのスイッチをオン!
 モバイルのテレビなのだが、すこぶる調子が悪く、画面が出るまで下手すると十分以上もかかる。木曜日の夜にはとうとうダメになってしまった。
 そう、木曜日の夕方くらいまでは、辛うじて観ることができたのである。

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→ 何故か今年三月の画像。一番星なのかどうか。

 尤も、今だって、テレビを見ることはできる。何もテレビ自体が消え去ったわけではないのだから、小さいとはいえ、テレビ本体は今だって見ることができる。
 ベランダには十年近く頑張ってくれていた14型のテレビが雨風に耐えて、今も静かに眠っている。
 ブラウン管が6年か7年前にプッツンしてしまったテレビ。
 それがベランダで突然、音声を発したら、こっちが驚く。何たって、ブラウン管が可笑しいし、そもそも、電源のコードは故障した怒りに任せて引き千切ってしまっている。

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2007/10/25

「鳥の餌」へのアクセス

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 何故か、一昨年に書いた幻想風なナンセンス小説「鳥の餌」へのアクセスが多い。
 多分、「鳥 餌」などのキーワードでの検索でヒットしちゃうんだろう。
 せっかくなので、画像をサービス!

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「窓 辺 の 影」

[本稿は創作(旧稿)です。ただ、ふと、今の心境を現していると思えるので、旧稿を温める意味でもここに載せます。]

 何処ともしれない町を歩いていた。出歩くつもりなどなかったのに。
 北の方角の空を見上げると、ビルの屋上を覆うかのように、ボンヤリとした光があった。恐らくはその先に賑やかな繁華街でもあるのだろうと思われた。

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 俺は西に向って歩いていると思われた。背後の空の低いところに月が浮かんでいる。何処か赤っぽい印象を受けた。排気ガスで靄った大気が月を朧にさせている。そうでなかったら、まるで俺を追いかけるようにして何処までも付いて来る月に辟易したことだろう。

 でも、暈しの入った月など、屁でもない。ふん、何処までも、付いて来やがれ、である。

 もう、出来てから何十年も経つだろう黴臭そうなブロック塀に沿った道を歩いていた。街灯がないわけではないが、夏も終わりとなり、鬱蒼と生い茂った桜の葉っぱが光を地上へ届くのを阻んでいる。頭が蕩けそうなほど、蒸し暑い。
 道の先には蒼白いほどに照らし出された一角が望まれた。野球か何かのグラウンドだと思われた。こんな時間にも誰か使っているのだろうか。

 こんな時間…。一体、今は何時なのだろう。

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2007/10/24

「新作駄洒落ネタの数々」披露!

新作駄洒落ネタの数々」アップしました!
 自分は真面目だと確信している方は覗かないように!

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雪の関越自動車道遭難未遂事件(3)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(2:高速道路の真ん中にも側溝がありました篇)」より続く)

 そんな時だった。ふと、閃いたことがあった。
 紐はもうない!
 みんな使って切れ果ててしまった。
 でも、ワイヤーチェーンがあったことを思い出した。

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← 「ホンダ ベンリイ CB125T-I」(但し、小生が乗ったのはこれより前の世代の「ホンダベンリイCB125T」だった。残念ながら我が愛車と同じタイプのバイクの画像は見つからなかった。詳しくは後記する。画像は、「Hondaホームページ 本田技研工業株式会社」より)

 ワイヤーチェーンといっても、雪道走行用のタイヤに巻くチェーンではなく、盗難防止のためのワイヤーロックである。
 そう、ワイヤー錠(ワイヤーロック)である。しかも、装備重量が300キロに達しようという大型バイク用の、がっちりした、1メートル余りのワイヤーロックなのだ。
 それが標準装備されていたのである!

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2007/10/23

「夜という海」書いた

Mystery Circle 10-27締め切り分出題」参加作品を書きました:
夜という海

 ルール上、公表は後日となります。(07/10/29にアップしました!)

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→ 一昨年の師走、未明の都内某住宅地にて

 主旨については、「Mystery Circle 10-27締め切り分出題」を御覧願います。

 小生に付いては、作品の冒頭と文末が下記と決まっています:
また長い夜になる」から始まって「もう水をやろうと元には戻りませんでした」に終る。

 締め切りは上記のように『10月27日(土)21:00』で、まだ時間的余裕はあるのですが、私事の都合上、小生は今日がタイムリミットだったので、夜半にせっせと書きあげました。
 まあ、例によって変てこな作風なのは間違いない!

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2007/10/22

プルーストとシャルダンと…

 10月15日、月曜日は「ほとんど月に一度の楽しみとなっている、ベリーダンスのライブを楽しんできた」。
 当然ながら、往復共にバスや電車である。
 今や自宅では事情があって読書する時間の取れない小生、そういった車中が貴重な読書の場、移動する書斎となっている。

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← シャルダン「えい」(画像は、「アート at ドリアン 西洋絵画史」の中の、「シャルダン」より)

 その日、手にしていったのは、文中にあるように、マルセル・プルースト著『評論選Ⅱ 芸術篇』(保苅瑞穂編 ちくま文庫)だった。 
 車中では、ここでは採り上げないがレンブラントとシャルダンとについての批評で、読むのに夢中になり、また電車を乗り越しそうになった。

 再読となる本書についての感想は、以前、書いたことがあるし、改めて書く機会があるかどうか分からないが、前回読んでの感想では触れることの出来なかった、本書の中でプルーストが絶賛しているシャルダンのことをちょっとメモしておきたい。
 シャルダンといっても、『現象としての人間』などで有名な、カトリック思想家のピエール・テイヤール・ド・シャルダン(Pierre Teilhard de Chardin,1881年5月1日-1955年4月10日)ではなく、ジャン・シメオン・シャルダン(Jean-Baptiste Siméon Chardin, 1699年11月2日 - 1779年12月6日)である。

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2007/10/21

受肉された吐息

 青い空を見る。青い海を見る。その狭間を海鳥たちが舞い飛ぶ。遠くには幽かに不二なる山の優美な姿も望める。
 空には白い雲。海辺には寄せては返す波。浜辺に沿って緑なす松の並木が何処までも続いている。そして頬を撫ぜる潮風と、その香り。

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 絵のような美しさ。それとも写真のように木目細かな像。心地よさ。
 なんだか、倒錯したような表現だ。眼前に広がる光景を愛でていれば、それで十分じゃないか。何を殊更に人の手で描き叙する必要があろうか。

 言葉や描像で示すのが、余計だと言うなら、音楽はどうだろうか。情景をより豊かに、情緒に満ちて眺め入ることができるではないか。
 が、でも、やはり、眼前の世界を描き切りたい、しっかりと把握したい、理解したい、手中にしっかりと確保したい。それには、結局は言葉に行き着いてしまうのである。

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