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2007/10/20

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2):高速道路の真ん中にも側溝がありました篇
ノリック追悼記念レポート:本稿は、「雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇」より続く)

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← 掲げた写真は、04年7月25日、スクーターを駆り中央高速を使っての帰京途上、某SAの施設で小生が偶然、目にし、撮った燕の巣。燕の子供たちへ親燕が懸命に餌を運んでいた(「鳥雲に入る」参照)。

 その場を取り仕切る係員のような人が居たが、何を相談する知恵も浮ばない。

 間もなく、タイヤはボウズのままに、つまりノーマルタイヤそのままに、チェーン装着場をそろそろと…恐々と抜け出し、本線へ参入。
 そう、戦線復帰。

 だが、戦意はまるでなかった。
 戦意喪失していた。
 でも、走るしかない。誰も助けては呉れない。

 雪は止む気配がまるでない。少なくともその日一杯は降り続けるに違いない。
 雪国育ちの経験からして、止みそうにない空模様だと、痛いほど分かるのである。

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2007/10/19

水、海、と来ると、次は雲である!

[本稿は、「雲行き怪しき禁書(?)の禁(1)」の続きである。]

雲行き怪しき禁書(?)の禁(2)
  ~~水、海、と来ると、次は雲である!~~

 何年か前、NHK総合テレビの特集だったと思うが、(正確な題名は忘れたが)「深層海流二千年の大航海」といったテーマの番組を見たことがある。

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→ 10月18日の夕刻。雲の多い日で、時折、小雨も。雲の画像を得ようと空模様を写そうとしたら、月影が微かに…。

かがく用語集 深層海流二千年の大航海」(ホームページは、「NHKオンライン」)なる解説を読んで欲しいが、ここでは以下の点だけ転記する:

近年、深さ数千m~1万mもの深海に、ごくごくゆっくりとした海水の流れがあることがわかってきました。その流れは、場所ごとに決まった方向を持ち、約2000年で海洋を一周する循環をつくっています。この深層水は北大西洋で作られ、その循環が気候の安定化に重要な役割を果たしていることがわかってきました。

 深層海流…約2000年で海洋を一周する循環…これだけでも軽い眩暈の起きそうな話だ。
 以前、富士山頂に降った雨(雪)の水が富士山に浸透し、麓で湧き水として顔を覗かせるまでに千年の歳月を経るという話を初めて聴いて知った時の驚きにも匹敵する。

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木原光知子さん、死去!

 10月18日未明、木原光知子さんが亡くなられた(本名は「木原美知子」)。くも膜下出血のためという。
 享年60(59歳没)というのは、あまりに若い。若過ぎる!

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← 16日の営業も終わりに近付いた17未明。都内某所にて。ぼやけてしまった…。

 小生は彼女と面識があるわけではない。
 でも、彼女のテレビでの一言のお蔭で泳げるようになったと思っている:
泳げたぞ!

 ひたすら冥福を祈るばかりです。

参考
木原光知子さん死去…東京五輪競泳代表、タレントでも活躍」(YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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2007/10/18

雲行き怪しき禁書(?)の禁(1)

禁書(?)の禁を自ら犯してしまった!」なる雑文を綴ったことがある。
「禁書(?)の禁」と(?)を付したのは、言葉の使い方としてやや妥当性を書くからである。
 つまり、この拙稿では、本を買わないと三年前の四月に決めた誓いを自ら破ってしまったという話なのである。
 まあ、あまりに面白い本が、且つ、読むのに事情があったにしろ多少時間を要する本の登場が罪で、余儀なく買ってしまったのである。

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→ 昨年11月の某日。不穏な雲行きの空。

 さて、第二弾というわけではないが、また、「禁書(?)の禁を自ら犯してしまった!」なる拙文を綴ることになりそうである。
 といって、また面白そうな本、且つ蔵書として傍に置きたい本に出会ったということではなく、小生にとっては大切な試験がいよいよ来月に迫っており、今月末には模擬試験が予定されていたりして、本来、本を読むことに時間を割く余裕などあるはずがないのだし、あってはならない、でも、やはりこの期に及んでも本は手放せないし、それどころか、今日も図書館に行って、期限が来ていて返却すべき本やCDを返却したのみならず、CDだけならまだしも、ついつい本を物色し、借り出してしまったのである。

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2007/10/17

亀田の困った話?!

[今日の記事は、[mixi] に書いた今朝の日記を転記。]

亀田「柿の種」が小生のマイブーム! 今年の夏前から今に至るまで、やめられない。 在宅の日は、必ず食べる! ボリボリバリバリガリガリ…延々と。
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← 「260g スーパーフレッシュ柿の種6個装」(画像は、「亀田の柿の種スペシャルサイト」より。ホームページは、「亀田製菓株式会社」)「ピーナッツのおいしさUP!おやつにおつまみにいろいろな場面で大活躍の6分包入りの柿の種です」だって。

別にあの一家が憎くてボリボリガリガリバリバリしているんじゃない(嫌いだけどね)。
止められないの。

昔から嫌いじゃなかったけど、亀田の柿の種、柿の種とピーナッツの混ぜ具合が絶妙なの。
正確に言うと、柿ピーなんだろうけど、商品の名前が「柿の種」となってるから、柿の種。

ああ、止められない。
ガリガリボリボリポロッバリバリ(ポロッは、柿の種が一個、口から落っこちた音。もち、拾って食べる! 勿体無いじゃん)。
柿の種、食べすぎで体がおかしくなるってこと、ないよね。

調べたら、柿の種(ピーナッツなし)は1923年に、で、柿ピーは1955年に誕生。

今は塩だれ、ワサビ、チョコレート、マヨネーズ、青のりと、いろんな味付けの柿の種があるけど、小生は昔ながらの醤油味!

今日も、一眠りして起きたら、食後に棚に常備してある柿の種を食べるに違いない!

(夜は夜で、カップ麺! 営業の日の夜中にあるメーカーのカップ麺を食べて壺に嵌まってしまった。で、とうとう、最近は自宅でもそのある銘柄のカップ麺を食うようになってしまった。どうしたものか?!)

(余談)
あの、ちょっとだけ気になるんだけど、「亀田製菓株式会社」とあの亀田一家とは関係ないよね。
                        (転記終り)

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2007/10/16

ラジオ聴き、右の耳から左へと(2)

 ほとんど月に一度の楽しみとなっている、ベリーダンスのライブを楽しんできた。
 二人のベリーダンサーの踊り。それぞれに個性が大分違っていて、その二人を代わる代わる単独で、あるいは二人同時でという形で見ることができた。
 今は感想を書く余裕がない。

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→ 日本で初めてのベリーダンス専門誌が誕生! 『Belly dance Japan ベリーダンス・ジャパン Vol.1』(ムック、イカロス出版 9月7日発売) これは創刊号。残部少なし!

 数年前、あるサンバダンサーの屋内でのライブを見て書いた感想の一部を転記しておく:

 踊りの世界はまさに踊りの世界として自らの目と肌と体で受け止めるしかないのだろう。それは音楽に感激し、メロディーラインに乗り、リズムに体が揺さぶられる、ただ、そのことを堪能するようなものだろう。曲を聴いて、それなりの分析や薀蓄などを傾けられるのかもしれないが、まずは、聴いて(あるいは歌っているところを見て)楽しめるかどうか、なのである。

 あるいは、そんなことの一切は、まるで見当違いであって、大地というより、この世界、この宇宙そのものをイメージしているのかもしれない。それとも、大地から宇宙へ至るエネルギーの通路としての自らの体を意識しているのであって、踊るとは、そのエネルギーの充溢と発散のことなのかもしれない。つまりは、自在に動く体への喜びなのかもしれないし、自らの肉体と大地や世界や宇宙との交歓そのものを実現させているのかもしれない。

 むしろ、時に体をしなやかにくねらせるダンスを眺めながら、アフリカの乾いた草原を豹かライオンのような猫族の猛獣が、特に獲物を狙うでもなく、ただ足音も立てずにのし歩く、その様を想ってみたりしただけだ。白っぽい土煙。吹き抜ける熱い風。何処か血生臭かったりする大気。容赦なく照り付ける太陽。影と日向との輪郭が、匕首よりも鋭い大地。
 肉体。人間は、どうしても、モノを想う。思わざるを得ない。言葉にしたくてならない。
 言葉にならないことは、言葉に縋りつくようにして表現する奴ほど、痛く骨身に感じている。

肉体は、肉体なのだ。肉体は、我が大地なのである。未開のジャングルより遥かに深いジャングルであり、遥かに見晴るかす草原なのであり、どんなに歩き回り駆け回っても、そのほんの一部を掠めることしか出来ないだろう宇宙なのである。
 肉体は闇なのだと思う。その闇に恐怖するから人は言葉を発しつづけるのかもしれない。闇から逃れようと、光明を求め、灯りが見出せないなら我が身を抉っても、脳髄を宇宙と摩擦させても一瞬の閃光を放とうとする。

 踊るとは、そんな悪足掻きをする小生のような人間への、ある種の救いのメッセージのようにも思える。肉体は闇でもなければ、ただの枷でもなく、生ける宇宙の喜びの表現が、まさに我が身において、我が肉体において、我が肉体そのもので以って可能なのだということの、無言の、しかし雄弁で且つ美しくエロチックでもあるメッセージなのだ。
 そんなことを思わせてくれた裸足のダンスなのだった。
                (「裸足のダンス」より転記)

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2007/10/15

ラジオ聴き、右の耳から左へと(1)

 仕事中、ラジオで聞きかじった話を幾つか脈絡なくメモっていく。

● 11日(木)もそろそろ仕事が終わろうという時間帯だったと思うが、スポーツ放送の実況中継などで有名な、今はフリーアナウンサーの鈴木 文弥(すずき ぶんや、1925年 - )さんへのインタビューを聞いた。
「特にオリンピックでは1964年東京オリンピックの開会式(ラジオ。市川崑が監督を務めた記録映画で、開会式の場面で流される実況音声は鈴木のものである)や、全日本女子バレーボールチームが金メダルを獲得した試合の実況を担当。「金メダルポイント」、あるいは体操の「ウルトラC」という名言を発したことでも知られた。ほかに1970年・1971年のNHK紅白歌合戦で総合司会と実況を務めた」という人物である。

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← 「円谷プロダクション公式Webサイト Tsuburaya Station Web」参照

 我々の世代だと同氏はとても懐かしい存在でもある。
 今、またオリンピックを東京に招致しようと都知事らが頑張っているらしい。
 でも、せめて今世紀の後半くらいまではオリンピックは日本に来なくていいと思う。発展途上国でこそ、開催して欲しいと思う。
 そう、思わせるのは、1964年東京オリンピックがあまりに素晴らしかったという印象が今も鮮やかだからだ。
 その印象の一端を鈴木 文弥さんの実況が担っていたと思う。

 さて、いろいろあった中で、ちょっと、おやっと思ったのは、「ウルトラC」の話。

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2007/10/14

冤罪を晴らす日まで生き延びろ

富山冤罪事件」(「たむ・たむ(多夢・太夢)のホームページへようこそ」)が富山のみならず、全国区で話題になっている。
 もう、今日にもニュースの報道対象のメニューからは外れていきそうだけれど。

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→ 10月5日、都内某所にて。

 富山、そして冤罪事件ということで、主にラジオではこの話題がニュースで流れると、可能な限り耳を傾けてきた。
 けれど、それだけだったら、小生がわざわざブログで採り上げたりはしなかったろう。小生が関心を向けている話題は、「海自給油の「転用疑惑」、参院でも民主追及の構え」(「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」)など、数々ある。
 ただ、敢えて書かないだけである。

 給油活動の話題に付いても、一言、言いたいことはある。
「インド洋での海上自衛隊の給油活動継続問題で、民主党は海自が供給した燃料のイラク戦争への「転用疑惑」を参院でも追及する構えだ」というが、転用云々など、小生に言わせれば笑止な話だ。
 海上自衛隊が給油した燃料が直接にはイラクに向うアメリカ軍の艦船に転用されようが、アフガニスタンでの活動にしか使われていなくても、実質、アメリカ(軍)の仕掛けた(失敗に終った)イラク戦争に間接的にサポートすることになっているのは明らかではないか。

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雪の関越自動車道遭難未遂事件(1)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇
(本稿は、「ノリック追悼記念レポート:雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)」より続く)

 確か91年だったと思う。
(「趣味 オートバイ」にバイク乗りとしての大雑把な履歴を書いている。参照するも良し。)

Toyamaumi

← ありし日の富山の海。電車であるいはオートバイで帰省する折、富山の海を見ると、ホッとする。帰ってきたという感覚が胸の底から湧いてくる。なんて透明度の高い海だろう!

 当該部分を転記する(太字部分に注目):

1991年8月 7代目のオートバイ入手   パシフィックコーストPC800本田技研工業株式会社
ツーリングに行かなくなり荷物を積めるという利便性に走る。入手したその日は8 月5日。つまり本田総一郎氏の逝去の日。それ故か8年以上乗った。91年の12 月29日に東京から富山へ関越自動車道を走った。関越トンネルを抜けるとそこは雪国だった。あやうく関越自動車道で遭難しかけた。深い雪の中を数十キロも転んでは起こしを百回以上も繰り返してやっと塩沢・石打ICを降りた時、命のありがたみを知った。そのICを降りるだけに一時間以上を費やしたものである。その夜、やっと見つけた宿で凍て切った心身を炬燵で一晩中癒し続けたけれど、体の震えは止まらなかった。さすがにバイクはオートバイの店に置かせてもらい、列車で帰省。春3月になって引き取りに出向いた

 91年の12 月29日は、東京は快晴だった。だけど、やたらと寒かった。

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