« 2007年8月5日 - 2007年8月11日 | トップページ | 2007年8月19日 - 2007年8月25日 »

2007/08/18

「熊野」を「ゆや」と読むとは知らなんだ

「漱石の白くない白百合」の色話」は、半藤 一利 著『漱石先生ぞな、もし』(文芸春秋社)からの、色話と言いつつ、少しも色っぽくはない、まあ、言わずもがなの話である。
 本書からは話題は幾らでも拾えるが、ここでは少々分不相応な話題をあと一つだけ(後学のため)メモしておく。

 本書を昨日、読了したのだが、その中で、「熊野」と書いて「ゆや」と読ませている記述に遭遇し、やや驚いた。「熊野」で、どうして「ゆや」なのか。
 うっかり八兵衛ならぬ、弥七ならぬ、うっかり者の弥一こと、やいっちは、最初、何故か「やひ」とルビが振ってあるのかと思った。

Noh_a1

← 『熊野』 (ゆや) (画像は、「熊野 (能) - Wikipedia」より)

「やひ」というと、通常、漢字では「野卑」と書く。でも、仮に「熊野」と書いて「やひ」なら、あるいは「野卑」という言葉の語源は、何か深い謂(いわ)れがあるのではないか。
 語源話の好きな小生、これはブログの格好のネタになると、密かにほくそ笑んだのだった。

 が、本書を読了し、さて、記事に仕立てようと、当該の箇所(頁)を開いてみると、気のせいか「やひ」ではなく「ゆや」とルビが振ってある。
 あれま。どうしたことか。
 一晩のうちに、本書のルビが、あるいは本書そのものが差し替えられたのか。

続きを読む "「熊野」を「ゆや」と読むとは知らなんだ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/17

「漱石の白くない白百合」の色話

 自宅では、昨日のブログ日記にも書いたように、F.キングドン・ウォード著の『植物巡礼 ―― プラント・ハンターの回想 ――』(塚谷 裕一訳、岩波文庫)をヒマラヤやチベットなどの高峰や奥地を想像しながら読んでいる。
 車中では、半藤 一利 著の『漱石先生ぞな、もし』(文芸春秋社)を寸暇を惜しむようにして(このところ忙しくて本を読む時間が侭ならない…)読んでいる。

51qeq68j80l1

→ 半藤 一利 著『漱石先生ぞな、もし』(文芸春秋社) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)

 本書については、前々から読みたかったし、唾も付けていたのだが(拙ブログ日記「漱石とモナリザ・コード」で、「「妻の半藤末利子は、作家松岡譲と夏目漱石長女筆子の四女で随筆家」だという半藤氏の書いた「漱石先生ぞな、もし」などの漱石関係の本も読み浸ってみたい」などと書いている)、過日、図書館の書架を物色して歩いていて目が合ったので、即、手に取ったのだった。

 さて、本書をひも繙(ひもと)いていて、びっくりする記述に出会った(大袈裟か)。
『植物巡礼』も『漱石先生ぞな、もし 』も、並んでいる書架(コーナー)がまるで違う。たまたま、それぞれの興味・関心に従って手にし、両者を自宅で、あるいは車中で読み進めているに過ぎない。

 その『漱石先生ぞな、もし』の中で、『植物巡礼』の訳者である塚谷裕一氏の名前を目にしたのである。
 当然ながら植物学者として参照されているのだから、登場したって不思議ってことはないが、たまたま手にしている二冊が「塚谷 裕一」氏繋がりということに、ちょっと縁を感じたという(考えようによってはつまらない)話である。

続きを読む "「漱石の白くない白百合」の色話"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/08/16

プラント・ハンター! キングドン・ウォード

 過日より、F.キングドン・ウォード著の『植物巡礼 ―― プラント・ハンターの回想 ――』(塚谷 裕一訳、岩波文庫)を読み始めている。
 出版社の謳い文句は以下の通り:

植物探検家F.キングドン-ウォード(1885-1958)は,人生の大半を東アジアでの調査に捧げ,英国の寒冷な気候に耐える植物を数多く採集した.人々の周りを彩る,サクラソウ,モクレン,シャクナゲ,ユリ,リンドウ,そして愛好家の心をとらえてやまないシップ,青いケシや,茶,棺の木などとの出会いや様々なエピソードを記す.

41p13zhgfcl2

← F.キングドン・ウォード著『植物巡礼 ―― プラント・ハンターの回想 ――』(塚谷 裕一訳、岩波文庫)

 このブログもだが、この訳書は横書きの本。学校の理科などの教科書みたい。句読点も転記した紹介文と同じ。読みづらい。でも、興味本位で、そしてこんな奴がいたんだという驚きの念で読み続けている。

 まずは、「プラント・ハンター」とは如何。まあ、植物採集家なのだろうが、転記文にあるように、「植物探検家」と訳すべきなのかもしれない。
 でも、英語のままのほうが格好いいか。

続きを読む "プラント・ハンター! キングドン・ウォード"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/08/15

花火大会と空襲の間に佇む

 お盆の真っ最中である。お盆の帰省ラッシュが今度は往路のラッシュとなっている。
 猛暑日(「群馬県の館林で気温が40・2度を記録」!)の続く夏も、さすがに今頃ともなると、花火大会というイベントも大方は終ったようだ。

 尤も、東京に付いては、「日刊スポーツ主催 2007 神宮外苑花火大会」(公式サイト)が「2007年8月16日(木)」に催される。明日だ!
 しかも、予備日(17日(金))まで設けてある。

D21

→ 山下清『富田林の花火』(画像は、「山下清「富田林の花火」 ギャラリー小山 自由が丘にある画廊 山下清の絵画,版画を通信販売(通販」より)

 東京23区在住のものにはこれが最後のチャンスなのか(他にもこれから開催されるものがあるのかどうか、小生は知らない。調べたら、「世田谷区たまがわ花火大会」が「多摩川河川敷」にて「8/18(土)に開催されるようである)。

 今の所、小生は今年も一つも花火大会の会場へ足を運んでいない。

 ただ、都心を中心に都内をうろうろするという仕事柄、花火大会会場、あるいは見物スポットへのニアミスは少なからずある。

続きを読む "花火大会と空襲の間に佇む"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007/08/14

卑弥呼(古代の女性)像が変る!

 義江明子氏著の『つくられた卑弥呼―“女”の創出と国家』(ちくま新書)を読了した。この手の本には目のない小生、図書館で本書(の背)を目にした時は、刊行されて十年も経っている、ありがちな本なのかなという印象を受けた。
 タイトルが、何というか、悪くはないが、目立てばいいっていう感じを受けてしまったのである。

44800622891

← 義江明子著『つくられた卑弥呼―“女”の創出と国家』(ちくま新書) 秀逸! 古代や古代史を見る目が変る!

 が、本書は「2005-04-10出版」であり(僅か2年前の刊行!)、著者の義江明子(よしえ あきこ)氏も素人ではなく、「現在、帝京大学文学部教授。専門は日本古代史・女性史。(夫は、日本中世史研究者の義江彰夫)」というれっきとした歴史学者なのである。
 名前を知らないのは、小生の無知さは別にして、専門が「専門は日本古代史・女性史」ということで、女性には特に弱い小生、少々馴染みが薄いということもあるのかもしれない。

 まさに女性の視点からの著書。
 よって、女性の側の贔屓の引き倒しという面がないのかどうか、当初はつい、多少は(失礼ながら、不遜ながら)眉唾的な記述がないかと警戒心を持って読み始めてしまった(正直に書きすぎているかな?)。

 が、読み始めて、その論述の確かさと説得力ある記述にあっさり屈服してしまった。

続きを読む "卑弥呼(古代の女性)像が変る!"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/08/13

「07馬橋パレード」情報

07馬橋パレード情報」なる記事をアップしました!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/12

朝青龍バッシングはやっぱり異常だ!

[「朝青龍バッシング」問題については、「むらログ 朝青龍バッシングに高まる批判」や「むらログ こうして悪役に仕立てあげられる朝青龍」など「むらログ」の最近の一連の記事が一番、纏まっているし、かつ穏当なサイトだと小生は思っている。(8/19 追記)]

 朝青龍の<サッカーや仮病>にちなむバッシングはマスコミも角界も一般世論も異常なものがあった。
 しかも、 未だに一方的と思われる朝青龍バッシングが続いている。

 小生は既に簡単なメモを書いている:
朝青龍バッシングは異常じゃないの?

 このたび、「中田英寿氏HPで“仮病疑惑”に初言及「頑張れ、朝青龍!!」(SANSPO.COM スポーツ)ということで、当事者の一人でもある(マスコミの報道ぶりに辟易したという意味でも当事者の一人だ)中田英寿氏が今回の問題についてメッセージを発した。小生もほぼ同じ見解を抱いている。
 一部、転記する:
nakata.net -- 中田英寿オフィシャルホームページ 2007.08.10

正直、外から見ている俺には、何が本当で何が間違っているのか分からない。さて、朝青龍は本当に仮病だったのだろうか?少なくとも朝青龍本人が、それを認めたわけでもないのに、仮病であると断定したかのような報道がされているように感じる。優勝するほどの活躍をした人間が、歩くことも出来ないような怪我をしていたとは想像しにくい。もし、どうにか耐え抜いてきたけれど、次の場所に向けて横綱のなにふさわしい取り組みをするためには、怪我を完治させるために、巡業を見合すという選択もありえると思う。

もし怪我は紛れもない事実で、その治療のために場所後即、モンゴルに帰国しているとしたら?深刻な怪我は腕なので、子供たちとのほんの少しサッカーをするくらいであれば、それほどの支障もなかったとしたら?モンゴル政府と日本政府からの要請があり、さらに俺も参加すること決まっているモンゴルの子供たちのためのイベントで、日本とモンゴル両国のためにも、子供たちのためにもと、良かれと思ってやったことだったら?

巡業休業のことは何も知らなかったが、試合後に、俺は実際に、朝青龍自身から腕をかなり痛めていると聞いた。食事の皿を取るときにさえ痛がっていた。モンゴルには、その治療のために帰ってきたと聞いた。治療にいい温泉があるんだとも言っていた。

とはいえ、誤解を招くような行動には、もちろん問題はあったのだろうが、今回の騒動は、外から見ている限り、ここぞとばかりに、メディアも朝青龍をいじめているようにしか見えない。彼が横綱としてふさわしいとかそういうことは相撲の世界を分からないし、自分がコメントできることではない。横綱は強ければいいというものではないという、相撲の考え方もわからないわけではない。

ただ、二十一場所も、モンゴル人でありながら、たった一人で横綱として日本の相撲界を支えてきた。すばらしい結果を残しているアスリートであることは紛れもない事実だ。

すべての人に、この辺のことをもう一度考えてもらいたいと思う。メディアや周りの意見に簡単に惑わされない”自分”を持ってもらいたいと思う。

そして最後になったけれども、友達と言わせてもらえるのなら、朝青龍には、この騒動に負けることなく、一日も早く怪我を克服し、よりいっそう強い横綱として土俵に戻ってきてもらいたいと思う。

頑張れ、朝青龍!!


                        (転記終り)
 全文は、会員サイトである、「club.nakata.net」や「nakata.net mobile」などで読むことができる(らしい。小生は会員ではない)。

続きを読む "朝青龍バッシングはやっぱり異常だ!"

| | コメント (16) | トラックバック (8)

« 2007年8月5日 - 2007年8月11日 | トップページ | 2007年8月19日 - 2007年8月25日 »