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2007/07/21

今日はNASVAへ

[以下の日記は、ミクシィでの日記からの転記です。一部、改筆・加筆・改行してあります。]


今日はNASVAへ

 今日は、「自動車事故対策機構 NASVA」へ行って来た。

 個人タクシーの試験の申請をするには、無事故無違反5年以上などの資格のほか、健康診断など、さまざまな書類が要る。
 上記はその一つ。試験を受けるには受診してくる必要がある。

 朝は7時に起きた。休日にこんなに早く起きたのは久しぶりだ。携帯電話のアラームで起きたけど、ホント、起きれてよかった。ヒヤヒヤしていた。誰も起こしてくれないし。一人暮らしの辛さ。
 バイクでは行ったことがあるけど、電車では初めて。なので、電車の乗り継ぎでトラブルこともありえるし、朝食もとらず、慌しくも現地へ直行。

 すると、受付の30分前に到着。安心したら、急に腹が減った。

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2007/07/20

「愛の電化製品生活」書いた

 多分、多分に駄文な小品を書きました:
愛の電化製品生活

 掌編「虹の彼方に」を書いたら、バランスをとりたくなって!
 これら両方をあわせて読むと小生って奴が少しは分かる?!


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2007/07/19

創作を巡るエッセイあれこれ

 久しぶりに、「創作の世界の広さ思い知る」なんて創作を巡る雑文を綴った。
 数年毎に、創作意欲が高まったり、あるいは、創作すること、虚構作品を作ることを巡ってあれこれ随想をめぐらすことがある。
 以下、旧稿から関連する雑文を幾つか抜粋してみる。

[「読者のためか、自分のためか」より]
「読者のためか、自分のためか」ということになると、恐らくは自分のために書いているのだと感じます。読者を意識はしますが、それより書いている自分の興奮度や緊張度が高いかどうかを頼りに文章を考えます。
 普通は、多少なりとも構成を考え、多少なりとも、「承」「転」を考え、「結」を考えるのでしょうが、小生は、とにかくネタだけをまず、放り出します。一旦、放り出されたネタをころころ転がしているうちに「承」「転」に思い至るというわけです。
 こういう態度・姿勢ですから、無論、プロとは縁遠いわけです。
 (中略)
 虚構は、虚構であるが故に、思いっきり自分の中の、普通は表に出せないものを出しきれる表現手段だと思います。エッセイもコラムも、どうしても己の周辺の事実や己の関わる現実から離れることは難しいわけですが、虚構の中では恋もできるし、殺人もできる。
 ある種の、数学で言う虚数的な、もう一つの生き切れなかった現実を描ける楽しみが虚構世界を作る営為にはあるような気がします。
 で、きっと、才能があれば、読者を無視したかのような勝手な所業であっても、読者を楽しませることができるのでしょうね。
 才能とは、社会性に関わるもの。エゴに徹しエゴのために為しつつ、気がついたら他者のためでもある…、それが理想であるような気がします。
                        (02/10/01)

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2007/07/18

創作の世界の広さ思い知る

7月18日のミクシィ日記(コメント)から
 言葉って怖いよね。
 自分でブログなんて書いていながら、気付かないうちに舌足らずな表現になって、気付かないうちに人を傷付けたりしている…かも(誰も指摘してくれないと、そういう奴だって思われてお終いになる!)。

 創作でも、小生は実話はエッセイで小説は虚構(作り話)って決めているけど、それは、仮に実際にあったことが脳裏にあっても、書き出しの(冒頭の)数行を書いた時点で、その数行の言葉の連なりが命を持ってくる。
それらの一節の言葉がリアリティを持ってしまう。
 となると、ストーリーも、その冒頭のリアリティや使った言葉のイメージを背負ったものになる。
 で、ヒントや切っ掛けは実話であっても、それどころか実話に根差した話を書こうとしていても、気が付いたら、物語の森に迷い込んでしまっている。
 小生にとってストーリーって、物語の森からどうやって出口を見つけるかってこと、現実の世界へどう戻れるかってことみたい。
                          (以上、転記)

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→ 小ぬか雨の降る7月17日、都内某公園にて。花の名前は…。

 16日の夜半過ぎ、「虹の彼方に」という題名の掌編(短い小説)を書いた。
 ほぼ丸一日の営業を終え帰ってきて、某サイトの日記を読んだら、「言霊」という題名で気になる話が載っていた。
 残念ながら、人の日記なので内容を紹介するわけにはいかない。
 ただ、曲がりなりにも創作するのが好きなものとしては、言霊ということでなくても、言葉への関心、言葉の持つ力への感覚はちょっと敏感なものがある(と自分で思っているだけかもしれないが)。

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2007/07/17

「虹の彼方に」書きました

 掌編「虹の彼方に」を書きました。
 やや、切ないボクものの短編です。

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2007/07/16

「今日はエンサイオ」(注釈付き)

今日はエンサイオ」(07月15日のミクシィ日記。太字部分は別窓で補足説明あり)
 エンサイオってのは、英語で言えばエクササイズ(?)かな。
 要するに、サンバチーム・リベルダージの練習場へ行ってきたのである
 といっても、チームのメンバーである小生、日頃のサボりを反省して、久しぶりに練習に参加してきたというのではなく、受付当番だったのです。
 なので、日曜日であるにも関わらず、目覚ましを朝の七時過ぎにセットし、しっかり朝食を摂り、練習のスタジオの受付が始まる十時にはたっぷり余裕の九時半に到着。
 雨、しかも、台風の余波の雨なので、みんな来るのかなと思っていたら、十時過ぎはボチボチだったけれど、お昼過ぎにはスタジオがメンバーや新人さん、お客さんで一杯になってしまった。

 今日は、朝日新聞(海外版)の取材もあったりして、練習風景をカメラにバシバシ収めていた。
(ちなみに、カメラ小僧の小生、スタジオでは一枚も撮影したことがない。取材とはいえ、撮影する彼が羨ましかった?! 小生は、原則、プライベートの領域は撮らないことにしているのだ。仮に撮ってもアップはしない。)
 台風は関東の沖合いの離れたところを通り過ぎていったようで、雨はそこそこに降ったけれど、風はそれほど強くは吹かなかった。
 そんなこともあって、スタジオに来た人の数も多かったのか。
 否、風雨などものともせず、浅草に向け練習に熱が入っているということなのかもしれない。

2007cd1

← 「2007年AESAオリジナルCD」 (詳しくは後記する)

 午後は、バツカーダ(打楽器をメインとする演奏と歌と踊りが一緒になり、音と踊りの饗宴を現出する)が始まって、スタジオは凄い状態に。
 腰の重い、テンションの低い小生も、つい体が動く。
 なんたって、素敵な女性がいっぱい目の前で踊っているんだもの
 小生、03年からサンバに関わっていて、リベルダージのパレードの模様をカメラに収めているが、そのうち、05年度までの写真を(無償で)提供してきた。
 05年にリベルダージが3位になったので、おめでとうの意味を篭めて(勝手に写真を撮っていて、ゴメンなさいという気持ちと、ありがとうの気持ちも篭っている)。
 03年から05年だけでも千枚は軽く越えているはず
 あと百枚弱、残った。多分、リベルダージを辞めた人か、たまたまエキストラ(イレギュラー)で参加されているので、リベルダージの練習にはまずは来ない人も少なからずいるのだ。

 練習は四時で終わったが、その後、ミーティングがあって、さらに浅草へ向けての準備作業に入る。
 小生は、受付だけの積もりで来ていて、前夜、ほとんど徹夜状態だったこともあって(ダンサーさんたちの練習振りを見ることができる! 眠れなかったのよ)四時になる前には意識が朦朧状態になっていた。
 真っ直ぐ帰宅したが、帰りのJRの電車の中で居眠りしてしまった。駅を乗り過ごさなかっただけでもエライ!

 そうそう、欲しかった新年会のDVDや、浅草へ向けての上位の各チームのテーマ曲の収まったCDもゲットしてきた。
 台風も逸れたようだし、浅草へ向けて、風向きや良し、だね。
                      (ミクシィでの日記はここまで)

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2007/07/15

『今日われ生きてあり』の意味

 13日の金曜日というと、何だかヤバイ話のようだが、さにあらず、当日は営業の日で、当然ながらラジオに耳を傾ける日(もち、空車の間だけ!)。

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→ 『レイチェル―海と自然を愛したレイチェル・カーソンの物語』(エイミー・エアリク/文 ウェンデル・マイナー/絵 池本佐恵子/訳 BL出版)

 この日もあれこれ断片的ながらあれこれ話を聴くことができた。
 担当する車が変わり、FMが聴けなくなって、音楽とはかなり遠ざかってしまった。民放であるAMだって音楽は聴けるが、クラシックやラテン音楽やといった幅広いジャンルに渡って聴くことを期待するのは絶望的。
 まして、頼みの綱のNHKさんが相撲や野球の中継を始めてしまうと、聴く番組がなくなってしまう。
 仕方なく、FENを聴いたりして。

 それでも、夜が深まると共に、番組内容も落ち着きを増してきて、依然、音楽番組は限定的なままだが、NHKさんはいろんな話題を提供してくれて嬉しい(民放のラジオも多彩な話題を提供してくれるが、やはり、芸能やスポーツ関係に集中する。それらがつまらないわけではないが、もっと幅広く話題を拾って欲しいもの)。

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