« 2007年5月13日 - 2007年5月19日 | トップページ | 2007年5月27日 - 2007年6月2日 »

2007/05/26

誰もいない森の中の倒木の音

 ハズラト・イナーヤト・ハーン著『音の神秘―生命は音楽を奏でる』(土取 利行訳、平河出版社)を読了した。
 といっても、本書のような神秘性・宗教性の高い本を読了したというのは、やや難を感じる。
 かといって、目を通したというのも、見下しているかのようで、やはりこそばゆい。
 いっそのこと通読したと、あっさり表現しておけばよかったのか。
 さすがにこの手の宗教書ではないが、「音楽は宗教そのもの」と言い切る強烈な宗教的信念を持つ方の本に、安直に感想文など綴れない。

2007_0223070221tonai0018

← 今年二月、夜の代々木公園で見かけた謎のドーム群。

 金曜日は所要があって予定を変更し、休みを取ったが、時間が取れたので、上掲書の「訳者あとがき」をパソコンに転記する作業に没頭した。
 筆者のイナーヤト・ハーンについての情報がネット上では(日本語では)あまり見つからなかったから、折を見て、転記した文の一部か全文をアップするつもりでいる。

 さて、上掲の本を読んで、音楽、もっと言うと、音への思いを改めて巡らせてみた。
 音、それも沈黙の音を巡っては、過去、若干のエッセイを綴ってみたことがある:
誰もいない森の音

 さすがに、イナーヤト・ハーンの域には遥かに及ばないのだけど、上掲書を読みつつ、「夜 の 詩 想」などと共に、ふと思い出されたエッセイのうちの一つなので、せっかくなので改めて日の目を見させてやりたいのである。
石橋睦美「朝の森」に寄せて」と併せて目を通してもらえればと思う。

続きを読む "誰もいない森の中の倒木の音"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/25

日常と非日常とを飛ぶまりや

 竹内まりやさん(決して、竹内まりあ、ではない!)のオリジナル・アルバムが5月23日、発売となった。
 アルバム・タイトルは、『Denim(デニム)』だとか。
(「竹内まりや オフィシャルサイト」参照)
 23日は、営業の日だったが、朝、出かける前、既にテレビで彼女の待望のアルバム発売が話題になっていて、何曲か聴くことができた。

Cd_denim2503

→ 竹内まりやDenim(デニム)』(ワーナー・ミュージック・ジャパン)

 小生は、デビュー当時から彼女の歌に好感を抱いていた。でも、アイドル歌手全盛の中にあって、彼女が至上の存在だったというわけではなかったように思う。
 彼女の歌におやっと思わされたのは、2003年に出されたカヴァーアルバム「Longtime Favorites」を聴いた時。
 というか、小生、アルバムは買わない(買えない)ので、全てラジオで聴いていた。「山下達郎のミュージカル・サポートによって」なるこのカヴァー曲集、日本人の歌手が歌う欧米の歌のカヴァーで(ほぼ)初めて小生が感心したのだった。
 こなれた英語、それでいて日本人の耳に心地いい発音の英語(など)を安心して聴き入ることができた。

続きを読む "日常と非日常とを飛ぶまりや"

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007/05/24

レイチェル・カーソン生誕百周年!

 NHKラジオ(第一)の「ラジオ深夜便」でこの月曜日の深夜から4日間に渡って(今夜が最後!)、下記の番組が流されている:

自然と共に生きること~生物学者レイチェル・カーソンの贈り物
レイチェル・カーソン日本協会理事長 上遠恵子

51tt7j3x4zl1

← リンダ・リア著『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』(上遠 恵子訳、2002/08東京書籍刊) 秀逸! レイチェル・カーソンを知らない人も、本書を読むことで身近に感じられる。生物学者であると同時に一人の女性として病を抱えつつ(『沈黙の春』を執筆中に癌宣告された!)、信念に生き抜いた方だったのだ。

 どうやら、今週末の5月27日(日)はレイチェル・カーソンの生誕百周年となることにちなんでの特集のようだ。さすがにテレビで扱うにはもう過去の人になりつつあるということなのか。
 これほどに社会に警鐘を鳴らした人もなかったように思うのだが。
 小生は、彼女の生誕40周年である2004年に一年遅れる一昨年、彼女の本、彼女についての本を纏めて読む機会を持ったので、今、改めて繰り返すつもりはない:
「沈黙の春」(2005/05/23
「センス・オブ・ワンダー…驚き」(2005/06/04
「レイチェル…島尾敏雄…デュ・モーリア」(2006/05/04

続きを読む "レイチェル・カーソン生誕百周年!"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007/05/23

おじさんとおじいさんとの出会いかしら

今日の日記から(一部、加筆)
 交差点での自転車同士の接触事故。小生の自転車の側面(後輪)におじいちゃんの乗った自転車が接触。小生は倒れなかったけど、おじいちゃんは倒れた。
 おじいちゃん、小生に向って曰く、「もっとうまくかわしてくれれば」だって。
 普通はぶつかりそうになったら、ブレーキを掛けるんじゃないのか?

2007_0522070522tonai0024

→ 銀座にて。通ってみたけど誰も手を挙げてくれなかった。小生、お手上げ!

(後で分かったのは、配送のためか、出来上がったばかりのナットがたくさん入ったダンボール箱を自転車の荷台に積んでいて、重く、ブレーキを掛けないで交差点を通過したかったらしい。)

 次第に交差点に人が集まってくる。
 いろいろアドバイスを呉れる人も居る。
 どうやら、小生が加害者でご老人が被害者というイメージで見られているらしい。
 確かに、ご老人は自転車もろとも倒れていて、なかなか起き上がれない状態で、一方、小生はというと、後輪にチョコンといった感じでぶつかられたが倒れなかった。
 自転車を道路の路肩に寄せて止め、ご老人のところに駆け寄る。

続きを読む "おじさんとおじいさんとの出会いかしら"

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2007/05/22

使えないタクシーチケット

使えないタクシーチケット」(5月17日)

 昨夜、何処かの駅で乗せたお客さん、珍しく長距離の方だった。
 それはいいのだが、目的地に着いて、支払いはチケット。
 それもいいのだが、実はそれは弊社とは契約のないチケットだった。
 チケットの裏側に契約している諸々の会社の会社名やマークや電話番号が列挙されているが、弊社は見当たらない!
(しかも、不気味なことに、電話番号からすると、名古屋のタクシー会社ばかり! ますます怪しいチケットかも、という思いが募る…。)

2007_0522070522tonai0023

← 春の交通安全運動は5月20日に終わった。相変わらず自転車や子供、高齢者の事故が多いとか。白バイさんも大忙しだった?!

 となると、会社は納金にそのチケットは認めない。現金で立替の形で(とはいっても、チケットの会社が払ってくれこその立替で、ダメなら、自腹!)ドライバーたる小生が1万円以上を納めることになる。

 そういえば、駅のタクシー乗り場でお客さんが乗った時、口の中で「○△■は……」と独り言のように何か呟いていたが、チケットが使える(契約している)会社かどうかで、迷っていたのだろうと、あとで振り返ると思い当たってくる。
 乗り場には、工事の関係もあり、空車は小生の車が一台あっただけ(実は、工事現場を囲う塀の向こうには他にも何台か空車があったが、乗り場からは死角だったのかもしれない。
 つまり、お客さんは、乗れる時に乗らないと空車がいつ来るか分からないと判断し、乗っちゃえ!と思われたのかもしれない(あくまで推測)。

続きを読む "使えないタクシーチケット"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/21

今日は自転車で…

 今日は自転車で散歩…じゃなくって、自転車を駆って個人タクシーの勉強会の会場へ。
 そう、小生、個人タクシーのドライバーになるべく、勉強を開始しているのである。
 …というのは、ややウソがある。勉強会へ通い始めているだけで、まだ、勉強はやっていない!

0705201

→ 画像は、勉強会の帰り、とある運河に架かる橋の上から東京湾方向を撮ったもの。青色が冴えていた! 今、自宅で読んでいるミシェル・パストゥロー著『青の歴史』(松村 恵理/松村 剛 訳、筑摩書房)の引き寄せた僥倖なのか。

 個人タクシーのドライバーになるには、勉強もだが、その前に資格を得るのが大変である。(個人タクシーになるための資格要件については、末尾にメモしておく。)

 自宅から会社へはドアからドアで片道25分(正味20分余り)だけど、自宅から会場へは、それよりやや遠くて正味35分ほど。 まあ、距離的に絶好のサイクリングロードだった。

 快晴無風と天気にも恵まれ、勉強会へではなく、何処か景勝地へでもツーリングに出かけたい気分だったけど、そうもいかない。
 今回で勉強会は2回目。前回も自転車で行きたかったのだけど、雨が降っていて、断念。バスや電車を使ったので、繋ぎが悪かったこともあり、片道一時間余りを要した。
 それを思うと、今回は夢のような快適なサイクリングができた。

続きを読む "今日は自転車で…"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/05/20

「公園の手品師」の時代、再び

 ホームページを開設して6年余り、ブログに嵌まってからも、あと三ヶ月余りで3年となる。
 過去のいろんな記事を何かの折に読んで、メッセージを呉れたり、ネットの輪に加えてくれたりという機会にも恵まれることがある。
 旧稿である「「公園の手品師」の時代」もそんな僥倖を与えてくれた小文の一つである。
 そんな機会に際しないと、二千個ほども書いてきた過去の雑文(一年360個以上を7年以上。しかも、あくまで公表したものに限るとしての数)を読み返す気にはなかなかなれない。
 というか、別に無責任というわけではないが、どんな記事を書いたかも、忘れてしまうことさえある。
 コメントやメール、そのほかでアクセスしてもらって、ああ、自分はこんな記事も書いたんだと、自分で感動することもある。

2006_08140608140012_2

← 昨年の夏、都内某所の路肩にて。妖しい月影に見守られながら夢路へと。

 さて、「「公園の手品師」の時代」を久々に読み返してみて、末尾近くの「不況がどこまで続くのか誰にも分からないようだ。しかも、今が経済的状況の点でどん底かどうかさえ、確(しか)とは云い難いのが情ない」という一文が気にかかった。
 この随筆を書いて5年と半年以上を経過しているが、今も状況が一向に変わっていない!

 それはそれとして、文中にも引用してある「公園の手品師」という曲の歌詞の中の、「銀杏(イチョウ)」が気になった。
 中学や高校などの授業中というと、窓の外の銀杏並木をずっと眺めていたという印象ばかりが鮮明なのである。
 というのも、小生なりの肉体的事情があって、授業には到底、集中できなかったからなのだが、でもそのお陰で、陽光に映えてキラキラする光景という眼福をたっぷり得たのだから、不遇とばかり思うのは賢明ではないのかもしれない。

続きを読む "「公園の手品師」の時代、再び"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2007年5月13日 - 2007年5月19日 | トップページ | 2007年5月27日 - 2007年6月2日 »