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2007/05/12

崋山鳴動しても弥一は弥一

 学生時代に繰り返し読んだアルベール・カミュの『異邦人 L'ETRANGER』の冒頭の表現を借りると、「今日、崋山が死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない」ということになる。
 尤も、崋山は江戸時代後期に生きた画家(政治家)だし、実際に亡くなったのは天保12年10月11日(1841年11月23日)のことである。
 要するに昨日、ドナルド・キーン著の『渡辺崋山』(角地 幸男訳、新潮社)を読了したのである。
 ただその末期の姿や心持が余りに悲惨であり哀れでもあって、暗澹たる思いが重いのである。

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←  『ゴッホ・アルルの跳ね橋 ( 荷馬車 )』(「名画デスクトップ壁紙美術館」より)

 崋山は、「幕政批判で有罪となり、国元田原で蟄居することとなった」が、「翌々年、生活のために絵を売っていたことが幕府で問題視されたとの風聞が立ち、藩に迷惑が及ぶことを恐れた崋山は「不忠不孝渡辺登」の絶筆の書を遺し自らの人生の幕を下ろした」のだった。
 そう、実際は、「生活のために絵を売っていたことが幕府で問題視された」というのは実際にはあくまで風聞に過ぎなかったのだ。時の老中・水野忠邦は蟄居した崋山のことより、阿片戦争が勃発し、英国など欧米列強のアジアへの魔の手が伸びていよいよ日本に及ぶことへの危機感とその対応策で頭の中は一杯だったのだ。

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コント「乗っていいのよ」書きました

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→ 「文が解くベートーヴェンの不滅の恋」なる記事の冒頭に載せたツツジの画像。同じ場所で撮影した、あるトレーラー風のトラックの雄姿。画像を拡大すると…。そんな便利な装置があったんだね。

 コント「乗っていいのよ」を書きました。
 コントと銘打っていますが、これがホントにコントなのか、そこんところ自分でもよく分かりません。今度、トコトン考えてみます。

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2007/05/11

文が解くベートーヴェンの不滅の恋

 今週は、NHKラジオラジオ第一の「深夜便」で、評論家の青木やよひ氏による「ベートーベンのラブレター」と題された話が流れていた(月曜日から木曜日まで)。

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← 5月10日、都内某所にて。午後の二時前だったろうか、休憩しようと路肩に車を止めて、さあ、仮眠だと思ったら、すぐ脇のツツジたちの異様な姿に目を奪われた。すっかり萎れている。まだ、元気な花もあって、その対比が気になった。

 主な内容は、下記:

 ベートーベンの研究家にとって大きな謎は、彼の死後発見されたあて先のない熱烈なラブレターの相手の女性が誰かということだった。50年にわたってベートーベンを研究してきた青木さんは、ある女性を指摘してきたが、近年その女性本人の手紙が発見されたことから、青木さんの説が確認された。
 孤独で人間嫌いだったという定説とは異なる新鮮なベートーベンの姿を紹介していただく。

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→ 青木やよひ著『ベートーヴェン“不滅の恋人”の謎を解く』(講談社現代新書)

 生憎と、この放送があった時間帯(午後11:35~11:50)は、小生の仕事が一番忙しい(はずの)時間帯に相当し、まるっきりの聞きかじりになった。
 というか、ほとんど聞けなかったといったほうがいいかもしれない。夜半前後にのんびりラジオが聴けるようだと、小生も廃業間近である!

 青木やよひ氏の名は小生は、このラジオ番組で初めて知った。全くの初耳(多分!)。
2007年度文化学会講演会  ベートーヴェン ~その愛、生涯、芸術~ 」にて同氏の紹介文を見つけた。
「20歳代よりベートーヴェン研究に取り組み、1959年に世界で初めて、ベートーヴェンの〈不滅の恋人〉をアントーニア・ブレンターノとするエッセイをN響の機関誌に発表した。68年には、その論考を深めた一章を含む『愛の伝説』を処女出版する。」とか、「2001年には、これらを原作とするTV番組「ベートーヴェン・謎の恋人」がNHKで放映されて話題となった」とある。
 詳しくは上掲の頁をどうぞ。

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2007/05/10

文人は命からがら辛いもの

 小生は、過日より、ドナルド・キーン著『渡辺崋山』(角地 幸男訳、新潮社)を読んでいる。最相葉月著『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)も秀逸の伝記だったが、本書も単に渡辺崋山だからというのではなく、読み応えのある評伝である。

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← 高士観瀑図(こうしかんばくず) (「渡辺崋山 田原市博物館」収蔵品より)

 これまで、本書から枝葉的な雑文として「君の貞節堅固は、松や柏と同じである」や「歌舞妓人探しあぐねて木阿弥さ」を書いてきたが、本稿も同じく、本書の記述から本書のテーマに直接は関係のない話題をピックアップしてメモしておく。

 先に進む前に、渡辺崋山を紹介するサイト(博物館)を掲げておく:
渡辺崋山 田原市博物館
 崋山の画には、多用な画風が見られる。「華山の代表作 田原市博物館」なる頁参照。小生などは、「一掃百態図」や「四州真景図」など市井の風景などを旅の道すがら、サッと描いた画が好きだ。
(残念ながら、「四州真景図」の画像が見つけられなかった。)

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2007/05/09

あれこれと耳学問の日々過ごす

 この数日の間にラジオやテレビなどで見聞きした、科学関係の話題から幾つか(自分の興味に従って)ピックアップしてメモしておく。
 以下で紹介する話題のうち、「海水魚の淡水養殖成功」と「最も明るい超新星爆発観測」は、昨日の営業中にラジオで聞きかじったもの。
 連休明けで、暇なような忙しいような、つかみどころのない営業だった。昼間はそこそこに忙しかったものの、夜中はさっぱり…と言いつつ、実は、数日振りの仕事で、日中の疲労が夜に出て、夜半過ぎ、車中でたっぷり寝てしまった。

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→ 昨日の午後、そろそろ暮色の気配の漂う頃合、芝公園から東京タワー方面を望む。

 自宅の汚いベッド(しかも、汚い毛布)で寝るより、車中で睡眠を貪ったほうが気分がいいみたい。
 それとも、仕事をサボるのが楽しい…?!
 違います。仕事の心地いい疲労のせいで眠れるのです。


1.不思議な水 海水魚の淡水養殖成功
2.不思議な物質 暗黒エネルギーの謎
3.最も明るい超新星爆発観測


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2007/05/08

歌舞妓人探しあぐねて木阿弥さ

 歌舞伎は、「歌舞伎 - Wikipedia」に見られるように、「日本独特の演劇で、伝統芸能の一つであ」り、しかも「重要無形文化財。世界無形遺産」である。
 歌舞伎という言葉の語源も、「カブく(「傾く」が原義)の連用形からとされる。異様な振る舞いや装いをカブキといい、それをする人物をカブキ者と言った。歌舞伎の醍醐味はケレン味のある演出だといわれるのは、こういった背景にも由来する。つまり歌舞伎というのは当て字であるが、歌い、舞い、伎(技芸、芸人)を意味する、この芸能を表現するのに適切な文字である。ただし当初はその発生史から伎ではなく妓の字が使われ、江戸時代には混用していたようであるが、明治時代以降、現在のように統一した表記になった」とあって、なかなか興味深い。

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← Thomas F. Leims 著『Die Entstehung Des Kabuki: Transkulturation Europa Japan Im 16 Und 17 Jahrhundert』(Japanese Studies Library Brill Academic Pub) 翻訳されているのかどうか、分からない。河竹登志夫著『歌舞伎美論』(東京大学出版会、1989年)にトーマス・ライムス「16・7世紀のヨーロッパから見た日本芸能ー成立初期のカブキを中心としてー」からの関係する部分の引用があるという。

 歴史についてみると、「1603年に北野天満宮興行を行い、京都で評判となった出雲阿国(いずものおくに)が歌舞伎の発祥とされる。阿国は出雲大社の巫女であったとも河原者でもあったというが、定かなことは明らかでない。阿国はその時代の流行歌に合わせて、踊りを披露し、また、男装して当時のカブキ者のふるまいを取り入れて、当時最先端の演芸を生み出した。このころは能舞台などでおこなわれており、歌舞伎座の花道は(下手側が本花道、上手側が仮花道であることなども含め)ここから来ていると考えられる」とある。

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2007/05/07

君の貞節堅固は、松や柏と同じである

 小生の郷里の家の奥座敷には欄間額が掛けられている。
 いつの頃から掛けてあるのかは、分からない。
 その存在に気付いてからだけでも、三十年以上。
 物心付いて時にはあったのかもしれない。

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→ ドナルド・キーン著『渡辺崋山』(角地 幸男訳、新潮社)

 欄間額とは欄間に掛けられている横長の額で、和額とも呼称するらしい。
 事例などは、右記サイトを見て欲しい:「日本画 欄間額、和額 (20-50%OFF) 御表装処 御子柴

 その前に欄間とは何かを示しておく必要があるだろうか。
 今は欄間がテーマではないので、「欄間 - Wikipedia」を参照させてもらう。
 一部だけ、転記する:

欄間(らんま)とは、天井板と鴨居の間の空間のこと(障子や襖と天井までの空間)。明かり取りや換気などに用いられるスペースである。古くは平安時代の絵巻物にも原型が見られる。ここに格子や障子、透かし彫りの板をはめて装飾を施したことから、転じて装飾板自体も欄間と呼ばれる。

 郷里の欄間額は、奥座敷と隣の仏間との境となっている欄間に奥座敷を見下ろすようにして掛けられている。

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2007/05/06

駄洒落についての初歩的考察

 本稿の旧題は、「駄洒落についての初歩的考察(続)」 (02/03/17作)である。
 そう、「続」となっている。ということは、前篇があるはずで、本稿は承前とでも云うべき雑文のはずである。
 が、悲しいかな、前篇に相当する文章の所在が不明である。
 ネットでの投稿を始めて7年半年ほどになるが、この間、ほぼ毎日、何かしら一つは雑文(エッセイ、コラム、駄文、掌編、レポート、日記など)を書いている。

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← 小田島雄志著『駄ジャレの流儀』(講談社文庫) 拙稿小田島雄志著『駄ジャレの流儀』」は参考になりません!

 ということは、日数の数だけ何かの小文があるはずということになる。
 実際には、書かなかった日は年に一日か二日、あるかないかであり、逆に、日に二つ以上の一定の分量の小文を書いたことは、一昨年までは結構、あったはずである。
 なので、7年と半年分の日にち数以上の雑文がネット空間を行き交ったことになるわけである(ザッと数えても、数え切れない!)。

 その半分近く(あるいは以上かも)は、2001年の春先から配信し始めた(2004年の途中で途絶えてしまっている)メルマガで公表している。
 メルマガで公表した文章を後日、時間的な余裕のあるときにホームページに収めるというのが2004年の秋口までのパターンだった(その秋口以降は、メルマガでの掲載を飛ばし、最初からブログに書き込む形で公表するようになった)。

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