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2007/04/21

乗らぬならせめて挨拶欲しいよね

[以下は某所に書いた今朝の日記呟きであり独り言なので、やや生硬な表現があるが、寛恕願いたい。原題は「喫煙者への乗車拒否!」だった。文末などの()内の文章は、ここに転記するに際しての追記。]

 小生の車は禁煙車である。
 禁煙車であることの小生にとってのメリットは今の所、あまりない。
 ただし、メリットが全くないわけじゃない。煙草の煙にむせぶこともないし、吸殻の始末や煙草の灰でシーツが汚れることも少ないけど。

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→ 昨日の午後、青山墓地下の公園脇にて。ツツジ。いよいよ小生の好きなツツジの季節の始まりだ。ほぼ一年前の記事「ツツジの宇宙」など参照してもらえれば。「ツツジの季節の終焉…緑滴る」なんて記事もあるよ。

 座席の真っ白なシーツや足元のゴムマットが汚れるのは、雨の日は別として、ほとんどが喫煙者の煙草のせい。吸殻はさすがに捨てないけれど、灰はシーツに、ゴムマットに。
 そんな情けないことが少なくなった。

 でも、今の所、マイナスが大きい。
 禁煙車だから乗ってくるという人は今の所、皆無。
 逆に禁煙車だから乗らないという人が多い。
 というより、禁煙車だからと露骨に敬遠する人が目立つ。

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2007/04/20

銃と薬コズモポリスの主役なり?!

 ドン・デリーロ 著の『コズモポリス』 (上岡 伸雄訳、新潮社)を読了した。
 一気に読んだ。ということは面白かったから?
 とも言い切れない。評価乃至は読後感は自分の中で二分している。高い評価と無駄を配した、いかにもアメリカ流の小説の典型の一つに過ぎないのではないか…。

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← ドン・デリーロ 著『コズモポリス』 (上岡 伸雄訳、新潮社)

 どこか殺伐な会話に辟易して、幾度も読むのを放棄しようと思ったのも事実なら、これがアメリカのある種の現実…というより現実感そのものなのではないかという思いとが交錯して、最後まで揺れて止まなかったのである。
 一番、放棄したくてならなくなったのは、最初から最後まで主人公へ感情移入できなかったことに最大の理由がある。
 犯罪者、それこそ、長崎市長を銃殺した暴力団の奴だって、文学の主人公として描かれたなら、作家次第では愛憎半ばしつつも読み手の心を掴んで最後まで放さないということは十分ありえる。
 が、本書を読んで、最初から主人公にまるで魅力を覚えなかった。反感さえ抱かなかった。

 少し読み進めたら、あるいは憎みつつも、こういう人間が存在している! ここにいる! という強烈な現実感で共感する感覚を覚えるかもと思ったが、最後まで他人事に終始してしまったのである。
 そもそも、小説の主人公の設定は、安っぽい大衆小説なら魅力的、あるいは出来すぎのはずである。
 若くして投資家として成功を収め巨額の富を得た男。巨大なリムジンでマンハッタンを流す男。
 だが、それだけにはとどまらない。

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2007/04/19

徳川恒孝…江戸の世や今こそ思うありがたさ

 最近、何か扱い忘れているテーマがある…。
 何だろうと思ったら、読書拾遺!
 それもあるが、夕べ、ラジオで聴いた話シリーズを最近、全く、書いていない。
 って、そんなシリーズがあったかどうかも定かではない。
 あったことにして、久しぶりにメモってみる。

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→ 徳川恒孝著『江戸の遺伝子―いまこそ見直されるべき日本人の知恵』(PHP研究所)

 昨日は営業。冷たい雨の降る都内を車でウロウロ。
 といっても、景気が悪いこともあり、都内というのは大袈裟で、ほとんど城南の域を出ない。
 それも、渋谷や六本木を避けているから、海辺の城南限定。
 オートマ限定の免許は聞いたことが誰しもあるだろうけど、城南限定のタクシードライバーってのも珍しい?!

 家を出るのは朝の9時半過ぎ。営業は10時半過ぎの開始(朝礼から)で、途中必要以上の(異常なほどの)休憩を三度は断固取り、翌朝の6時過ぎまで車中で過ごす。
 そう、営業のたび、車中泊している…じゃない、車で営業しているのだ!

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2007/04/18

ヤンセンや北斎のエロ学ぶべし?!

4月18日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いてみた。
 今日が忌日という人物に、まあ、孔子は別格扱いさせていただくとして、葛飾北斎、ギュスターヴ・モロー、山本五十六、アルベルト・アインシュタイン…などと、気になる人、小生のガキの頃のヒーローだった人と、いろいろいる。

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← ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau「出現 (L'Apparition)」(1874-1876年 105×72cm | 水彩 | Musee du Louvre, Paris.)

 フランスの画家ギュスターヴ・モローについてはいつかは採り上げたいと思いつつ、果たせていない。今日は彼にスポットをとも思ったが、思えば葛飾北斎についても、他の人物との関連で言及したことはあっても、正面から俎上に載せたことはなかったような。

 といって、今更小生に彼に付いて語るべき何物もない。ただただ学生の頃から北斎の天才ぶりというのか、異形ぶりというのか、世界の同時代の傑物に比しても遜色のない際立った凄みに驚き呆れてきたのだった。

 知りたいことは、ネットでも、「北斎の生涯」や「葛飾北斎 - Wikipedia」などを覗けば大凡のことは分かる。
 そうはいっても、北斎は桁外れの創作家・芸術家・表現者なのだから、作品の数々を見るに限る。

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2007/04/17

この木なんの木、気になる木、機、器

 今日は後日談を二つ。
 一つ目は、「ウンチク癖はウォシュレットじゃ流せない」について。
 二つ目は、<コブシ>か<ハナミズキ>か、について。

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← 「温水洗浄便座一体形便器の無料点検・修理に関するお知らせ TOTO」(TOTO

ウンチク癖はウォシュレットじゃ流せない」なる記事では、あくまで、温水洗浄便座であるところの「ウォシュレット」を話題にしている。
 確かに、「ウォシュレット(Washlet)とは、東陶機器(以下、TOTO)が発売する、温水洗浄便座の名称である」。
「ゼロックスする」が特定の会社の商品名であり固有名詞(の動詞的形態を採った名称)であるように(古い?!)、あるいは「ホチキス」がやはり某会社の商品名(固有名詞)であって、一般的な呼称としては「ステープラー」であるように、「ウォシュレット」もまた、「東陶機器(以下、TOTO)が発売する、温水洗浄便座の名称であ」り、一般的な呼称としては、温水洗浄便座なのだろう。

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2007/04/16

雪国を夜窓に映し康成忌

 久しぶりに「4月16日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いてみた。
「1889(明治22)年、20世紀最大の映画作家・喜劇俳優のチャールズ・チャップリンがイギリスで生まれた」ということで、「チャップリンデー」だったり、小生の好きなシンガーソングライターの河島英五さんが亡くなられた日だったりする。
 今日はまた、「康成忌」、つまり、「小説家・川端康成の1972(昭和47)年の忌日」でもある。
 小生にとっては、1972年は高校を卒業し大学生になった年であり、春には「連合赤軍、あさま山荘事件」絡みの報道がテレビを占領していた年であり、好きな人と遠く離れた年であり、まあ、いろいろあった年で、印象深い年なのである。

 川端康成は、「門下の三島由紀夫の割腹自殺等による強度の精神的動揺から、ガス自殺した」のだった。

 が、小生、この自殺の理由が全く、納得できない。
 というか、生来の中途半端さが邪魔をして、この辺りのことを探求してみたことがないのである。
 晩年の創造力の枯渇のゆえ? まさか、やや中途半端ではあるが<夭逝>を果たした三島に川端が嫉妬したというわけでもなかろうが…。

 だから…、本稿で、今になって多少なりとも探ってみるというわけではない。

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2007/04/15

ウンチク癖はウォシュレットじゃ流せない

 下記は、某所に書いた日記(なのかどうか)。日記の題名は「ウォシュレット!! 」

田舎のトイレは数年前からウォシュレット。
小生、帰郷の折の密かな楽しみがウォシュレット。
たまらん!
ずーーーと、ウォシュレットしていたくなる。
これで開発され深みにはまった人も多いんだろうな。

 こんなテーマでブログの記事を書くのも今更だろうし、何を書くあてがあるわけじゃないけど、一度は触れたいウォシュレットなのである。
 小生はウォシュレットには縁遠く、実際に使ったのはウォシュレットが登場して随分経ってからのことだった。
 しかも、めったにない。
 あるいは、もしかしたら田舎に帰省した折に使うだけかもしれない。
 何年前に郷里の家に設置されたのか分からない。
 とくにかく、我が家にウォシュレットが?! と、妙な感動を覚えたものだった。
 小生の感覚からすると、どうにも似合わないような気がする。ほんの数十年前までは、つまり、小生のガキ時代にはポットン式トイレだった。
 それが、小生が学生となって郷里を離れ、何度目かの帰省をした折に我が家のトイレが世間並みに美麗なる和式の水洗に変貌を遂げていて感激したことも記憶に新しい(といっても、和式の水洗設置からも四半世紀以上!)。

 そして、今やウォシュレットの登場なのである。

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