アダム・エルスハイマー:夜の静謐と幻想の人(後篇)
[本稿は、「アダム・エルスハイマー:夜の静謐と幻想の人(前篇)」より続くものである。身辺の変化がある。関連してこの数日、何人かの人と話す。親身になって話し相手になってくれる人がいたというだけで嬉しかった。でも、小生は頑なな奴。聴く耳を持たない奴って思われただろうな。自業自得ってことか。今日、何年ぶりかで出前を取った。味噌ラーメンと鳥のから揚げと御飯。美味しかったし嬉しかった!]
「エジプトへの逃避」など、本来はその絵画作品の手前に描かれる、聖書に由来する物語の描き方にこそ関心が集まるべきなのだが、エルスハイマーは実は、そんな物語(ほとんど片手間に、あるいは申し訳程度)よりも、本来は背景のはずの風景にこそ関心があったのではないかと思えてくる。
→ ピーテル・パウル・ルーベンス(Pieter Paul Rubens) 『The Head of Medusa, c 1618 』 (画像は、「Mythos Agora Fine Art Prints Peter Paul Rubens」より) ルーベンスは何だってこんな絵を描いたんだろう。神話由来だから? でもこの絵の凄み!
その意味で、神話や聖書や宗教的縛りから人間の肉眼での観察(道具として望遠鏡や顕微鏡などを使うことも含めて)にこそウエイトが置かれていく、そんな時代の転換を一つの絵画作品の中で如実に示されているともいえそうな作品なのかもしれない。
いずれにしても、『Flucht nach Ägypten(エジプトへの逃避)』は見飽きることのない作品であることは間違いないのではないか。
ここまで書いてきて、「トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera Devil in the Detailー細密画の巨匠」なる頁を発見。
もう、この頁を閲覧・閲読するだけで十分、アダム・エルスハイマー理解が叶うかも。
← アダム・エルスハイマー(Adam Elsheimer) 『ミネルバの王国』(8.7 x 14.6cm 銅版に油彩) (画像は、「トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera Devil in the Detailー細密画の巨匠」より。同頁の解説を参考にして欲しい。) この作品も拡大して鑑賞すべし! この絵と「エジプトへの逃避」とは地球儀と天体観測などを考えると、エルスハイマーの意図するものが見えてきそうな気がする。
Adam Elsheimer (1578~1610)はドイツ、フランクフルト生まれである。32歳という若さでローマにて没。その短い生涯の中で、銅版に描かれた小さな細密な絵画作品ー通称キャビネットペインティングとも呼ばれる箪笥の部分を飾るために制作された絵画の伝統ーを残した。完璧主義とややメランコリックな性格の故、制作ペースは遅く残された作品で確実に彼のものとわかっているのは40枚ほどという寡作の作家である。経済的にも恵まれず多難な人生であったが、後世の作家に残した影響は多大であった。ルーベンス、レンブラント、クロード・ロランなどの有名な画家達の作品にその足跡はくっきりと刻まれた。特に同時期にローマに滞在したルーベンスは生前からエルスハイマーと交流があり、早逝の折に、ルーベンスは以下のような畏敬の言葉を残している。
「この偉大なる画家の喪失によって絵画そのものが喪に服さねばならない。彼の芸術の後継者を探すことは容易ではあるまい。細密な人物像、風景、そしてその他の題材において、彼の右に出るものはいないだろう。」
フラマン派の大画家をしてこのような言葉を述べさせるエルスハイマーはただ者ではない。
→ ケネス・クラーク 著『風景画論』 (佐々木 英也 翻訳 ちくま学芸文庫 筑摩書房)
こういう頁(サイト)に遭遇することはネット散策の喜びの一つである。
ただ、同時にここまで充実した紹介があると、小生などが敢えて記事に仕立てる意味がなくなる。
実際のところ、最初にこの頁を発見していたら、さっさと違う話題を探すことになっていたはず。
「トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera Devil in the Detailー細密画の巨匠」によると、「Dulwich Picture Gallery (ダリッジ絵画館)」で催された特別展の名称は「Devil in the Detail」で、字通りの訳は「悪魔的緻密さ」だという。
← ホイッスラー Whistler (1834-1903) 『黒と金のノクターンー落下する花火』(1875 Oil on wood
60.3 x 46.6 cm (23 3/4 x 18 3/8 in.) Detroit Institute of Arts) (画像は、「ホイッスラー (印象派)」より。ホームページ:「アート at ドリアン」) この絵の陳列を見てラスキンが酷評。怒ったホイッスラーはラスキンを侮辱罪で訴えた。バーン・ジョーンズはラスキンの弁護に立った。ケネス・クラークもかなり辛い評価。下記する転記文参照。小生は、初めてこの絵(画像)を観ると思うのだが、気に入っちゃった! 実物をずっと眺めたら分からないとしても。
自然科学とは何ぞや、なんて分不相応な野暮な問いは控える。
ただ、極大(天体望遠鏡)や極小(顕微鏡)への際限のない好奇心と情熱(それとも不安)が、そのエネルギー源になっているとは思う。
ビッグバンという言葉を使うのは見当違いだと承知の上で使うと、コペルニクス的大転回と大航海時代という当時にあって、世界は地球においても、宇宙においても、手の平の世界においても、ビッグバンしていた時代だったと言えそうに思う。
空を仰いでも天が天蓋としてあるのではなく、ケプラーらによって天蓋に穴が開けられてしまった。神話や宗教に風穴が開いてしまったのである。
その穴を覗き始めた人びとは、ただただ覗き見る営為に没頭するのみだったのではなかろうか。
→ クロード・ロラン Claude Lorrain 『川から救われるモーセのある風景(Landscape with the Finding of Moses)』(1639-1640年頃 209×138cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)) (画像は、「クロード・ロラン-TOPページ-」より。ホームページ:「Salvastyle.com サルヴァスタイル美術館」) 「(前略)その理想化された非常に美しい情景描写は、観る者を圧倒し本主題の世界観へと惹き込む。本作では緻密な描写に代表されるクロード・ロラン初期の技巧的様式から逸脱し、成熟期にみられる統一的な極めて質の良い風景画として高い完成度を示している」など、「クロード・ロラン-川から救われるモーセのある風景-」なる頁を是非、覗いてもらいたい。クロードは、エルスハイマーらの影響を受けたものの、小生にはあくまでクロードはクロードと思われる。
新世界に接した人たちには、新たに発見された天窓からは、何が見えるかは、観た人の観察眼次第だと思われたのかもしれない。
人によるだろうが、時に画家であってさえも自然科学的希求の念と見紛うような観察眼で自然に見入り画業に専心した人もいた、そしてそれがアダム・エルスハイマーだったのではないかと思う。
せっかくなので、ケネス・クラーク 著の『風景画論』 (佐々木 英也 翻訳 ちくま学芸文庫 筑摩書房 小生は岩崎美術社版で読んでいる)からアダム・エルスハイマーについての記述部分を転記する:
← ルーカス・モーザー(Lucas Moser) 『 ティーフェンブロンのマグダレーナ祭壇』 (画像は、「Lukas Moser - Wikipedia」より) 下に転記したケネス・クラークの文を参照のこと。
夜は自然主義絵画の主題でない。「ホイッスラー氏の絵は、夜を描こうとして失敗した無数の例のひとつにすぎない」とバーン・ジョーンズはラスキン裁判で述べている。一面に暗い色を塗ったところで単に視覚的にも人を説得することができない。詩的想像力を触発させる媒体になり変わることが必要である。一六〇〇年ごろ、ローマに風変わりで独自の濃密な詩才にめぐまれた風景画家が現れた。フランクフルト生れのアーダム・エルスハイマーである。彼はエドガー・アラン・ポーのように、自己の達成したものよりも他に与えた影響力の方が大きな芸術家のひとりである。ルーベンス、レンブラントまたクロードはそれぞれの芸術の発展に際してエルスハイマーから何かしら決定的なものを受けている。さらに驚くべきは、それぞれが異なったものを受けていることである。エルスハイマーはローマで十年間仕事をしてのち、一六一〇年この地に歿した。したがって当時流行のローマ的風景様式つまりブリルとドメニキーノの様式を用いてはいたが、精神的にはアルトドルファーの直伝であった。彼は古典的な情景を描いているが、そこには奇態な強度の光の効果がある。七宝のようなその特質はまったくドイツ的であり、アルトドルファーを越えてティーフェンブロンのルーカス・モーザーを想わせる。エルスハイマーはこれら百年前の夜の幻想を新しい器に盛って表現した。ミュンヘンの《聖家族のエジプト逃避》ではおよそ絵画である限り具えていなければならなぬ装飾的要素をまったく犠牲にすることなく、こうした主題に許されるぎりぎりの地点まで真実に夜の幻想を描き進めている。イギリスの詩を少しでも学んだ者なら、一七世紀初頭の人びとが夜の美しさに何らかの感興を覚えていたことをあらためて教えられるまでもないであろう。『ロミオとジュリエット』『真夏の夜の夢』そして『ヴェニスの商人』すら、ヴェネツィアの芸術家たちがふだん<夜曲(ウン・ノッテ)>とよびならしていたあの詩的情景を踏んである。それはロバート・へリックその他の抒情詩人の主題を説明するため<夜想曲(ア・ナイト・ピース)>という言いまわしを使ったのと同じやり方である。一六三八年二月チャールズ一世の前で上演されたサー・ウィリアム・ダヴェナントの『ルミナリアあるいは光の祭典』のためイニゴ・ジョーンズが設計した舞台装飾では、これら夜の抒情詩とエルスハイマーが結びついている。この舞台のためのデッサンが現在チャッツワースにあって、その中にはイニゴ・ジョーンズの伝記作者たちが一六二九年のルーベンスのロンドン訪問と結びついて考える夜の情景が入っている。だが当時のルーベンスの風景画はまだ鋭敏かつマニエリスム様式であったところからして、ジョーンズのこの夜景に反映しているものがエルスハイマーの影響であることは疑いない。すでにこのころエルスハイマーの絵、銅版画、素描がイギリス蒐集家の陳列棚に収められていたのである。
(07/12/09作)
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