富田木歩の周辺
今日は一挙に二つの記事をアップ。
一つ目の「アルトドルファー追記」はすでに未明、アップ済み。以下は、今日の第二弾だ。
→ 版画「富田木歩」(昭和38年作・吉屋信子「墨堤に消ゆ」 小説新潮) (画像は、「版画「富田木歩」」より) 「墨堤に消ゆ」は吉屋信子のエッセイで、富田の句をいろいろと紹介している。この版画は、(小生の推測では)このエッセイに付せられたものなのだろう。『鬼火・底のぬけた柄杓 吉屋信子作品集』(講談社文芸文庫/2003)に所収となっているようである(本書については下記する)。
さて、一昨日、「紙魚・白魚・雲母虫・本の虫」なる記事を書き綴っていて、あれこれ調べる中で富田木歩(とみたもっぽ)という俳人の存在を知った:
ネットで紙魚という季語を織り込んだ句を探してみたら、下記の句が見つかった(「落葉のささやき 富田木歩 その6」にて):なりはひの紙魚と契りてはかなさよ 富田木歩
富田木歩なる人物は小生にとっては未知の方である。
下記のサイトが非常に参考になる:
「書評 (中島) 「鬼気の人 ー 俳人富田木歩の生涯」」
大して長くはない。一読することを願う。
「なりはひの紙魚と契りてはかなさよ」という句の中の「紙魚」、さらには「契り」に、いかに切ない、断腸の思いが篭っているか。それは彼の生涯を知れば自ずから分かるだろう。
(「書評 (中島) 「鬼気の人 ー 俳人富田木歩の生涯」」は、花田春兆著の『鬼気の人 俳人富田木歩の生涯』(こずえ 昭和54年)の書評である。この著者の花田春兆も、機会を設けて簡単にでも特集してみたくなる人物。「書評 (中島) 「折れたクレヨン 私の身障歳時記」 (花田春兆著、ぶどう社、1979年)」などを参照のこと。)
背負はれて名月拝す垣の外 富田木歩
この句を一切の予備知識なしで詠んで、どんな感想を持たれるだろうか。
幼い頃、母親か誰かに負(お)んぶされて(「負(お)んぶ」という言葉を使おうとして、もしかしてこの言葉は死語なのではないか、あるいは方言なのではないかと一瞬、使うのを躊躇った。思えば、近年、あまりこういう光景は目にしない…)、母の肩越し、垣根の外の夜空にぽっかり真ん丸な月影…。
この句については、あとでもう一度、採り上げる。
富田木歩の生涯に付いては、詳しくは分からないが、それでも「書評 (中島) 「鬼気の人 ー 俳人富田木歩の生涯」」のほか幾つかのサイトで紹介されている。
ここでは、このサイト(「水燿通信180号 俳人 富田木歩 向島便り(1)」)から一部、転記する:
富田木歩は、明治30(1897)年、東京本所区(現墨田区)向島小梅町に生まれた。本名は一。2歳のとき、病いにより歩行不能の体となった。加えて貧困のため、本人の強い希望にもかかわらず小学校教育も受けられなかった。文字は「いろはがるた」「軍人めんこ」などで覚えた。少年雑誌などを夢中で読む本好きの子供だったらしい。彼には4人の姉妹と兄、聾唖の弟がいたが、姉妹は貧困のゆえにことごとく遊郭に身を落とし、一人の妹と弟は結核で亡くなっている。木歩自身も、大正7年(21歳)ころから喀血するようになり、病臥の身となった。
彼の最期も無惨なものだった。関東大震災の猛火の中で死んだのである。享年わずか27歳だった。
転記させてもらった「水燿通信180号 俳人 富田木歩 向島便り(1)」には、「関東大震災の猛火の中で死んだのである。享年わずか27歳だった」という富田木歩の最期を知る新井声風との痛ましいエピソードも書いてある。
新井声風という存在があったからこそ、富田木歩の業容が残ったとも言える。
また、富田木歩が俳句を始めた切っ掛けや、山本健吉の木歩評などが載っていて、覗いてみることを勧める。
(「ケペル先生のブログ 富田木歩と新井声風」が非常に参考になる。)
ネット検索してみたら、下記のサイトが浮上してきた:
「恋歌 恋句 8.富田木歩」
このサイトを見出したことで、小生は(小生にとっては未知なる存在で、どれほど世に知られているか分からないが)自分が敢えて富田木歩という俳人の存在や句境など全般を扱う意思を殺がれた。
もう、「恋歌 恋句 8.富田木歩」(ホームページ:「Welcome to B-semi」)という頁を、これまで紹介してきたサイト共々覗いてもらえたら、それで十分である。
← 『鬼火・底のぬけた柄杓 吉屋信子作品集』(講談社文芸文庫/2003) 吉屋信子を少女小説の人と思われているようだけれど、そんな人も本書は黙らせるようだ。この中に上述した「墨堤に消ゆ」というエッセイが収められている。余談だが、「底のぬけた…」とあると、ふと、「結純子ひとり芝居 地面の底がぬけたんです」を連想する。
さて、「二歳のとき発熱が原因で生涯歩行のかなわぬ身となる」という富田木歩の生い立ちを知った上で、冒頭付近で掲げた句を再度、詠んでみよう:
背負はれて名月拝す垣の外 富田木歩
感想も句評もしない。
冒頭で予備知識なしで詠んだ時とは、随分、味わいが違ってきているに違いない。
ただ、句として単独で掲げられた時、名句とは言いづらいのかもしれない。
句に説明が施されて味わいが増すというのは、納得の行くような釈然としないような、もどかしさの感を覚えないでもないからだ。
そうはいっても同時に、句というのは、句だけがポツンと掲げられるというより、その句に句が詠まれた際の背景や新教など数行の文を付すことは間々ある。
むしろ、ある意味、その付された短文こそが句を引き立たせることが俳句が輝くかどうかの勝負の分かれ道という事情もある。
『奥の細道』も弟子が連れ添い、句と地の文の組み合わせがよく、芭蕉の境涯が調べられ、そうして句が独自の命を持ち始める。
代わりにというわけではないが、下記の日記がある:
「富田木歩 小さな旅」
さらにもう一句。
「恋歌 恋句 8.富田木歩」の冒頭にも掲げられている句を詠んでみる:
かそけくも咽喉鳴る妹よ鳳仙花 富田木歩
苦界に身を沈めた妹。肺結核で病臥し、「いましも死に近い妹の咽頭が微かに息を通わせる」…。
「富田木歩終焉の地である枕橋近くに句碑」が建っているが、この句が使われている。
→ 花田春兆/編著『日本文学のなかの障害者像 近・現代篇』(明石書店) 書籍紹介によると、「身近な近・現代文学でも、多くの作家が多かれ少なかれ障害者を扱った作品を残している。また、自らも障害を負った作家たちも、それぞれに珠玉の作品を残している。それらは個々の作家の障害者観を示すとともに、その時代の社会一般の対障害者観をも如実にうかがわせるものでもあるのだ。正規の歴史におそらく現われることもないであろう、障害者が社会からどのように見られどのように遇せられていたのかが、明確にうかがえるのだ。そうした障害者の実生活や社会や家庭内で受けなければならなかった処遇を、時代の変遷に絡ませて見捉えるという視点で、種々の文学作品を読み解く」。
木歩自身、健康を害し、病臥し、下記のような句を詠じる:
我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮 富田木歩
例えば、最後に掲げた「我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮」といった句。
もしも、本当に病魔で身動きが取れず、蜘蛛が糸を張ろうと、ウジが我が身の病患部を這おうと、何も出来ないときにこんな句が浮んだら…。
末期の一句。芭蕉の、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残して客死という最後は知られている。
でも、句を吐き出す気力もなくなったら。脳裏に句がかけ廻るだけだったら。
そんな末期を迎えた人も数知れずいるのだろう。
そんな幻の句を詠むことが叶うとしたら。
いや、叶わないほうがいいのか。
上記したように、関東大震災の最中に、不自由な体で迫り来る難儀を避けようもなく、富田木歩は亡くなっている。
なので、9月1日は「木歩忌」なのである。
その富田木歩自身の著作は下記のサイトで:
「富田木歩句集」(ホームページ:「鬼火」)
なお、文献については、下記が参考になる:
「落葉のささやき 富田木歩 その2」
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