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2007/12/23

髪は長~~い友達

 考えてみれば不思議なことかもしれないけれど、考えないので不思議ではないことっていろいろある…多分。
 人の髪って、何処まで伸びるのか。
 考えたことのある人は結構いるのではなかろうか。

Sironekoyasumi

→ 我が守り神である白猫さんの、在りし日の雄姿。3年前までは近所で見かけたのだが…。毛並みの話なので、久々に登場願った。懐かしい!

 三面記事なのか社会面の隅っこ、あるいは世界の珍しいニュースということで、何メートルも髪を伸ばし続けているひとのことを、時折、テレビそのほかで見聞きする。
 で、ついでながら、やはり誰しも考えたことがあると思うが、少なくとも酒の席か暇の徒然のお喋りのネタとして、腋毛やあそこの毛はどうなのかってことも、疑問として論議(?)されてきたことと思う。

 腋毛は、髪の毛のように伸び続けることはないのか。
 胸毛とか下(しも)の毛などは、伸び続けるようにはなっていないのか。

 あるいは、腋毛にしても胸毛にしても下の毛にしても脛毛(すねげ)にしても、本来的には伸び続ける素質(才能? 可能性?)があるのだが、生憎と、人類が衣服を着用するようになり、日陰の存在のように押し隠されてしまって、出る杭は打たれるではないが、伸びる髪だが邪魔なので衣服や肌に擦れて縮れ、あるいは日陰の身であることで世を儚んでいじけひねくれて、伸びるものも伸びることはないのか。

 下の毛も思春期頃から伸び始めても、一定のところで大概の人の毛が伸びなくなるのは、あるいはやはり、常に日陰の身でありトランクスかパンツかパンティの中に押し込められており、擦り切れ、頭を押さえつけられ、たまに入浴の際にお湯に漬かってのびのびしたなと油断したら、あっという間にパンティか褌(ふんどし)の中に押し込められて、闇の中に沈められ、あるいは、これこそが猛烈なストーム、下の毛にとっては災難なのではないかと思われるが、男女(男男あるいは女女)の交合の際に、激しく擦れ合って擦り切れ、撫でつくされ掻き分けられ、さらには邪魔だとばかりに邪険にされて、やはりいじけひねくれ根性も曲がっていってしまって、伸びるものも伸びないのだろうか。

 この辺りは、一生、真っ裸で過ごし、且つ、他人との激しい関わりを断った状態で過ごすという、やや過酷な実験を試みないと、下の毛や胸毛、脛毛が何処まで伸びるのか、それとも、もう、遺伝子レベルで伸びちゃならないものと運命的に定められているのか、分からないのかもしれない。
 まして、腋毛となると、腕を上げっ放しにして生活をすることを強制されないと、脇の下にあることが腋毛の無辺大・無制限の成長を妨げているのかどうかは、分からないわけで、多分、半永久的に腋毛の潜在的な成長能力の可能性は不明なままなのであろう。
 ああ、哀れなるかな腋毛よ。そして、腋毛と同士と思われる胸毛よ脛毛よ下(しも)の毛よ。

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← ニコラス・ウェイド/著『5万年前 このとき人類の壮大な旅が始まった』(安田喜憲/監修 沼尻由起子/訳 イースト・プレス) 本稿を書き起こす切っ掛けとなる記述のあった本。下記参照。

 ここでもう少し疑問を掘り下げてみる。
 つまり、人間がサルのように、真っ裸で(サルさんたちが真っ裸なのかどうかは、判断の基準次第ではある。ほぼ全身、体毛に覆われているのだから、衣服を着ていないという意味では裸だが、顔やお尻など一部を除いては皮膚が見えないという意味では裸ではないとも言える)過ごしたなら、頭髪のみならず、全身の体毛が伸びるのだろうか。
 あるいは、少なくとも、腋毛や胸毛や脛毛、陰毛(面倒なので以下、陰毛と表記する)は、我が天下の到来とばかりに伸び放題になるのか。

 それとも、一定の長さになったら、つまり、おサル(本稿ではサルの中でも、特にチンパンジーを想定している)さんたちやワンちゃんネコちゃんたちと同じような長さに毛が伸びたらその時点で毛の成長(伸張)は止るのか。
 あるいは、人間だけは、腋毛も陰毛も伸び放題となる、つまり、遺伝子的に長さが一定レベルで止るという制御機構がおサルさんたちのようには働かなくなっているのか。

 さて、こんな多少、マニアック(とも思えない。大抵の奴は一度ならず考えたことがあるに違いないのだ)な疑問を今更ながらに抱いたのには、切っ掛けがある。
 ニコラス・ウェイド/著『5万年前 このとき人類の壮大な旅が始まった』(安田喜憲/監修 沼尻由起子/訳 イースト・プレス)を読み始めたのだが、この中に気になる記述があったからである。
 本書の[要旨]は、「あなたの祖先は、5万年前にアフリカ大陸を脱出した150人あまりの集団のなかにいた。ヒトゲノムが紐解く、人類史の驚くべき真実」とのこと。

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→ 小生の腋毛か下の毛の画像を載せようと思ったが、勇気がなくてやめた! 代わりといっては語弊が生じそうだが、ケネス・クラーク著『ザ・ヌード  理想的形態の研究』(高階 秀爾 翻訳 , 佐々木 英也 翻訳 ちくま学芸文庫 筑摩書房)の画像を載せる。過日、読了した。こんなに重厚な内容とは思わなかった。ラスキンの絵画論関係の本の代わりだったが、じっくり読むに値する本だった。
 
 ヒトがチンパンジーと進化の途上で分化し、さらに体毛を失うという過程を通っている。その際には体毛の下の白い肌が露出し陽光に晒されてしまうという危険があった。
 日射を浴びるさまざまな危険を肌は黒くなる(遺伝子を持つこと)ことで克服してきた。
 が、「ヒトの毛にはもう一つ、妙な問題がある」として、以下の文章が続く:

 伸びつづける髪の毛だ。チンパンジーも髪をカットしたりするのだろうか。ヒトの頭髪はチンパンジーとちがって、どんどん成長しつづける。ヒトの髪の毛嚢(もうのう=真皮内で毛根を包んでいる)がチンパンジーのようだったら、一つの毛嚢は数週間、一本の髪の毛を伸ばしつづけ、一定の長さに達すると髪の毛は抜け落ちる。ついで、毛嚢は別の髪の毛を伸ばしはじめる。人間ではこのサイクルはチンパンジーよりずっと長く、何週間にも及ぶ。
 髪の毛の成長がコントロールされていないのは自然選択にかなっていて、じつにさまざまな情報を提供する。どこの社会でも、人間は髪の手入れに余念がない。カットしたり、最新のヘアスタイルにしたり、三つ編みにしたり、カールさせたり、くせを矯正してまっすぐにしたり、飾りつけたりして、見た目にきれいにしている。髪をボサボサにしていれば、ホームレスになったか悲しみのどん底にあるしるしだ。その点、こざっぱりした頭髪はその人の健康状態や富や社会的地位を伝える。頭髪は社会的な信号を送っているわけだが、そうなる前にヒトがあきらめなければならないことがあった。ほかの類人猿のような、自然のままのヘアスタイルを維持できなくなることだ。それで、ヒトの頭髪は際限なく手入れが必要なのである。


 本書での主旨は、ヒトはサル(チンパンジー)たちの毛づくろいの代わりに言語を発達させることでコミュニケーションを図ってきた。その意味で頭髪が人間の場合、チンパンジーと違って際限なく(少なくともチンパンジーよりはずっと長いサイクルで)伸び続けるのは、結果として人間らしさをも発達させたということにある。

 ヒトの進化の過程の何処かで、体毛が失われ、さらに伸び続ける頭髪、さらには始末に負えない頭髪との格闘(あるいは戯れ)、体毛が体中にあることで悩まされつづけてきた毛虱(けじらみ)から体毛をほぼ喪失することでの解放、僅かに陰毛の周辺ばかりがこそばゆく、密かなる対処を迫られるという人間的特徴が生れたわけである。

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← デズモンド・モリス著『裸のサル』(日高敏隆 訳 角川文庫) (画像は、「松岡正剛の千夜千冊『裸のサル』デズモンド・モリス」より) この本の記述には毀誉褒貶があるのはご存知のとおり。それでも、多くの読書士に刺激を与えたことは事実。小生もその一人。繭に唾しつつも一読するのを薦める。著者のこの一冊には勢いがある。丁度、書き手としての旬の時期の本だったのだろう。

 チンパンジーにも頭髪はあるが、少なくとも人間のように伸び続けて何メートルになるってことはない。
 チンパンジーの髪が何処までも伸びる人間の頭髪のようだったら、始末に終えなかったろう。走ろうと思っても、髪の毛が下まであって、引きずるか、あるいは自分の髪を踏んで転ぶことも考えられる。
 いや、喧嘩でもしようものなら、髪を引っ張られて大変だ(逆に長い髪で相手の首を締め付けることもできる ? !)。

 なるほど、真相(つまり遺伝子的に何ゆえ、人間の髪が伸びるようになったのかの、進化上のメカニズム)は分からないが、髪が伸び続けることに、人間の社会性との深い相関関係があるのだろうと察せられるわけである。
 その意味で、床屋さん(理容店や美容院)の存在意義は、人類史的な次元に達するものなのだ。

 本書では触れていないので分からないが、腋毛や胸毛、背中の毛、口髭、顎鬚(あごひげ)、陰毛、脛毛、指や手の背の毛などは、チンパンジー(や犬や猫などの動物)と同じような遺伝子レベルでの制御下にあり、多分、何処までも放恣に伸び続けるようなことはないのだろう。
 ただ、パンティを穿いたりしなければ、もっと素直なスレンダーヘアーになるのだろうが、実験で確かめられないのが惜しい(大して惜しくはないか。縮れていたほうが可愛いし)。

 昔、髪は長~~い友達というCMがあった。「髪」という漢字を分解すると、(大よそだが)髪(つまり毛)と長いと友達とに分解できることを織り込んだ、まあ、上手と言えば巧みなCMで、印象的だった。
 が、上記したことを更に含意してのCMだったら、これはもう、哲学的とまでは言わないにしても、人類学分子生物学的裏付けのある、深遠極まりないCMということになるのだが、さて、この辺りの狙いなどは、CMの製作者に尋ねてみないことには分からないことである。

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→ 島泰三/著『はだかの起原 不適者は生きのびる』(木楽舎) 「著者は「最適者は生き残る」としたダーウィンの虚飾を理論的に具体例をあげながら剥いでいく。無防備な「はだか」になった人類が最適者であるはずがないのだ。そして驚くべき結論……。人類が「はだか」になったこと、それでも生きのびてきたこと、今起こっている地球の環境破壊、これらが全てつながっていくのだ。」 ハダカの獣としてのヒトについては、一般書では本書が面白いし参考になる。小生には、「はだかの起原、海の惨劇」や「「はだかの起原」…シラミから衣類の誕生を知る?」という拙稿がある。不適者や弱者のサバイバルこそがヒトたらしめた…。読んで面白いかも。

 あるいは、人間が言語を発達させたのも、そもそもは、放恣に伸びて止まない頭髪のせいではなかったのか。その頭髪の処理に困り、髪の手入れに追われ、あるいはヒトの髪の世話を焼くことになり、その際には長さがどうの、髪型がどうのと、身振り手振りで意思や気持ち、意図を伝えようとしたが、隔靴掻痒で、どうにも歯がゆく、最初は唸り声、怒鳴り声の応酬だったものが、段々音声(発声)が微妙で多彩になり、やがて髪の手入れの意図を伝えるという次元のコミュニケーションの手段に過ぎなかったものが、次第にコミュニケーションの応用範囲が広がり、ついにはヒト社会(仲間集団)全般に渡るコミュニケーションツールとして言語が用いられるようになった…つまりは今のようなヒト社会の原型が成ったのではないか……。
 そんな憶測をしようかなんて誘惑に駆られたりもする。
 だから、床屋さんはみんなお喋りなんだ。もしかして彼ら理容師・美容師らは人類の恩人なのであり、今も人類の最先端を行く連中なのかもしれない、なんて。


 なお、小生には、体毛を失った謎、ヒトが言葉を持つに到った人類学的・進化論的謎に挑んだ、熟読玩味に値する下記の論考(??)がある:
『ヒトはいかにして人となったか』(蛇足篇/及び補足)
 異論反論百出だった(論旨の上でも内容面でも問題が多いという意味で)問題の論考を読んで大いに想像(妄想)を逞しくしてほしいものである。

髪の毛はヒトの証し長き友    (や)
                            (07/12/23 記)

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コメント

人間の体の一部について考えれば髪の毛ならずもたくさんの疑問なり興味が湧きますね。
ちなみに私の髪の毛は伸びる前に抜け落ちます^_^;
若いときには(今も若いと思っているが)髪の毛が伸びるのが早く、さらに硬いがために毎朝のセットに時間ばかり掛かっておりましたよ。
二枚目は辛いな~などと(-。-)y-゜゜゜

投稿: 吾亦紅 | 2007/12/24 15:54

吾亦紅さん

抜け毛はある年代になったら仕方ないですね。白髪とかも。
小生、抜け毛には随分と悩まされてきたような。
でも、一応、53歳の今も必要十分な量の髪は残っています。
でも、数年前から白髪が目立つようになってきたけど。

小生の場合、吾亦紅さんとは逆で髪の毛が柔らかいのです。
なので、髪型が決まらない。長いと、鬼太郎のような髪型になってしまう。
といって、パーマは嫌いだし、ポマードなど整髪料は大嫌いなので、髪型を決めるには、シャワーを浴びたあと、タオルを頭にずっと巻いて、型を矯正します。
朝のセットは、櫛で数回、梳ったら、もう、十分です。

吾亦紅さんほど、二枚目じゃないので、髪型にしても、基本的にはほったらかしです!

投稿: やいっち | 2007/12/24 16:35

やいっちさん、私も寝癖を取るために頭にタオルを巻いておきますとターバンのようだと笑われた事があります。
遠い昔のような ^_^;
私は年を越して3月になりますと63歳になります。
でも、なぜか友人はやいっちさんの年代の人が多いです(=^・^=)

投稿: 吾亦紅 | 2007/12/24 20:56

吾亦紅さん

髪は長い友達…なんて、自分が(願望を篭めて?)思っているだけで、髪の毛さんは、ドンドン勝手に抜け落ちていくし、白くなっていくし、少なくなっていく。
どこか人生のよう?

吾亦紅さんは、宗匠のような立場にもあるわけで、年下の人たちが慕い寄って来るのでしょうね。

小生は、どちらかというと一人ぼっち。こんな心境でしょうか:

月影の見え隠れする小路かな

投稿: やいっち | 2007/12/24 22:27

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