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2007/12/26

紙魚・白魚・雲母虫・本の虫

 ふと、「紙魚」という言葉が思い浮かんだ。
 何故だろう。何故、唐突にこんな言葉が浮んできたんだろう。
 それほど考える必要はなかった。
 数日前、部屋の中の本の大半を処分したからだ。
 漫画の本を除くと、図鑑を含め本と呼べるものを買い始めたのは小学生の終わり頃からだったろうか。

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→ 過日、処分した本の一部。床に積んだ書籍の山の背後には図録が棚に納まっている。全てが消えてしまった。

 そう、本らしきものを読み始めたのは低学年の頃からだった。
 ガキの頃は近所に貸本屋さんがあって、ほぼ毎日、通っていた。
 借りるのはほとんどが漫画の本だったが、段々そこに所謂本が混じってくる。
 どんな本を借りたかは覚えていないが、小学生の高学年の頃から中学にかけては、SF関係の本が多かったように記憶する。
 というより、SF(空想科学)関係の本を読んだ記憶しか残っていないのである。文学関係の本は中学の終わり頃からようやく手が出始めたし、科学(の啓蒙)本は、そんなに冊数を読むわけではないし、図鑑に近い、挿絵(写真)の多いものを求めていたので(あまり活字が細かいとか多いと敬遠していた)、そういった傾向の本は貸本屋さんにはなく、特別にお小遣いを貰って、町の本屋さんで買い求めたのだった。
 記述をどれほど理解できたかは心もとないが、当時から挿画(写真)には魅せられていた。写真や挿絵で空想を逞しくするほうが好きだったように思う。

 これは漫画の本の影響なのか、単に文章を読むのが苦手だったに過ぎないのか。
 思えば、(誰しも男の子なら胸に手を当ててみれば、思い当たることがあるのではないかと思うのだが)、事典などでHな写真を探し求めて、懸命(?)に頁を捲ったものだった。

 タイミング良く(?)、小学校の終わりか中学生になった頃、我が家に日本百科事典が届いた。十数冊の、まさに威容を誇るもの。
 父らがどれほど事典を利用したのか分からないが(家族の誰にしても、事典の一冊でも手にするところを見た記憶がない…)、小生は、華族の目を盗んで、そう、こっそりと座敷に書棚に収められてデンと鎮座している事典を片っ端から読んでいった…と言いたいところだが、上記したように、とにかくHな写真や記述を追い求めて茫漠たる活字の旅をしたものだった。
 妊娠とか女とか結婚とか風俗(風俗へは足を運ばないが、風俗という言葉にはガキの頃からやたらと敏感だった)とか、ヌードとか、まあ、ガキが考えそうなキーワードが思いつくたびに、座敷に誰もいない時間を見計らって、静かに事典のうちの一冊を引っ張り出し、当該の用語のある箇所を逸る気持ちを抑えつつ、飛んでいく。

 …ん? 何の話だったかな?

 そうそう書店で買うのは、写真や挿絵の多い、科学関係の本がメインだった。海の神秘とか宇宙の謎とか、天文学の話とか、昆虫図鑑とか。
 さすがにHな本は当時は買えなかった。写真が一杯の本だったのに!

 最初は写真が豊富な本を選んでいたが、段々、活字が多い本へ手が伸びていく。それでも小説というとSFだった。推理(探偵)小説は、江戸川乱歩などを少々読んだが、どうも頭を使うのが苦手だったらしく、それより空想を逞しくするほうが楽しかったらしい。
 過去へ未来へ、遠くへ、深くへ。
 ここでない何処かへ!

 小学生の終わり頃から徐々に本らしきものを買うようになったが、やはり本格的に買うようになったのは、大学生になってからだった。高校時代は、3年間を合わせても百冊を越えるかどうかではなかったか(小遣いの問題もあるし、本を読む速度が遅いってこともあるのか)。
 それが、大学生になって、新聞配達などのアルバイトをする時間もあったので、月に二十冊ほどのペースで本を読むようになった。
 尤も、その全てを書店で買い求めたわけではない。
 まずは、学生ということで友人・知人の家に行き、書棚を眺め、借りられるものは借りる(逆も無論)。
 そして、図書館の利用。
 学生時代から今日に到るまで図書館(の中で、あるいは)で借りて読んだ本、そして友人に借りた本を合わせると、少なくとも千冊は越えているはず。
 同時に、年に百冊ほどは買う。学生時代から貧乏になって本を買えなくなった数年前までずっと。多分、三千冊ほどか。

 この冊数が多いか少ないかは別にして、小生の場合、愛書家でないのは、買った本は必ず読むということ。
 逆に言うと、読める範囲の本しか買わない。

 高価な本は図書館を使うか、読むこと自体をあっさり諦める。古書で気になる本を探し求めて古書店を物色して回る、なんてことはまずしない(探すためでなく、ただの楽しみで古書店にぶらっとはいることならあるが)。
 なので、読む本の数の多寡は別にしても、読書家とも言えない。
 まあ、平々凡々たる読書生活に過ぎないだろう。
 本の虫とは到底、呼べないわけである。
 
 それでも、蔵書は60年代の終わりからのものがある。下手すると四十年に渡る本の購入暦があるわけだ。
 過日、処分したものは、今の住まいに引っ越してからのものが大半で、ほとんどが90年代に入ってからのもの。
 90年代から本を買うのを基本的に諦めた数年前までの本で、それでも千冊はあっただろうと思う。
 しかも、そのうち、図録が三百冊ほどあったはず。
 貴重な本など持ち合わせていなかった小生だが、図録(カタログ)だけはちょっとしたコレクションだったかもしれない。

 何しろ、美術展巡りは東京に来てからの最大の楽しみの一つだった。学生時代を過ごした杜の都・仙台にも美術展があるにはあったが、東京の比ではない。
 もう、東京では毎年、大小あわせると数十は美術展がある。画廊での展覧会も併せると、カウントのしようがない。
 で、小生は、いつの頃からか分からないが、美術展に行くたびに図録を買うのが習慣になっている。
 習慣ではなく、そうすることに決めていた。
 当該の美術展の図録だけじゃなく、ショップで見かけた興味を惹く図録も入手してしまう。
 そうした図録が積もり積もって三百冊という数になったのだろう(これも、経済的な制約があったからこれだけの数に留まっていたのだと思う)。
 
 さて、今の住処に越す以前の本は、部屋に溜まるとダンボールに詰めて田舎に送っていた。
 それらの本は、ダンボールに詰めたまま蔵にでも仕舞ってあるのかと思ったら、ある時期までは、ダンボールを開いて、仏間など、普段人の出入りのない部屋の箪笥や棚に収められていったのだった。
 中には古い日記も入っていたのだから、恥ずかしい日記も読まれてしまった恐れがある(多分、好奇心の強い親だから読んだに違いない)!

 ある時期まではダンボールを開けたというのは、段々、棚に収めるスペースが無くなってきたということもあるし、本の重みでたたみの部屋の床が歪んできたということもあるし、もう、開梱自体が面倒になって、蔵にダンボールのまま積み重ねてお終いという具合に変わってきたということもある。

 本の虫と呼ぶには半端な読書しかしてこなかった自分だが、それこそ本の虫じゃないが、古い蔵書の山やダンボールの中などは、紙魚には恰好の生息場所にはなっていただろう。

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← 『連句・俳句季語辞典 十七季』(編著者:東 明雅・丹下博之・佛渕健悟) 部屋にある本の大半は処分したが、本書は辛うじて残した。寄贈を受けた本は残さなくっちゃね。

 紙魚三省堂の国語辞典(大辞林 第二版)によると:


しみ 【〈紙魚〉/〈衣魚=いぎょ〉/〈蠹魚〉】
(1)総尾目シミ科の昆虫の総称。体長10ミリメートル前後。体は細長く、尾端に二本の尾角と一本の尾毛がある。体は銀白色の鱗(うろこ)におおわれ、長い触角をもつ。和紙・衣料・穀類などを食害する。しみむし。[季]夏。

(2)特に、ヤマトシミのこと。古くから古書の害虫として知られる。日本から東南アジアに広く分布。雲母虫(きららむし)。[季]夏。《三代の―の更科日記かな/景山筍吉》


「三代の紙魚の更科日記かな(景山筍吉)」とか、「[季]夏」なんて出てきたので、もう少し「紙魚」について調べてみる。
 すると、「季題【季語】紹介 【7月の季題(季語)一例】」の一つとして、「紙魚」が載っている。
 つまり、夏の季語だということだ。

 俳句の季語辞典(『連句・俳句季語辞典 十七季』)に拠ると:

[晩夏・動物]衣類・書籍・紙類など糊気のあるものに害をなす虫。暗所を好み、滑るように走る。同類=衣魚(いぎょ)、紙の虫、雲母虫(きららむし)、箔虫(はくむし)、白魚(はくぎょ)、紙魚掃う。関連=虫干[晩夏]

体調1cm位。和紙でできた古書を好んで食う。体全体が銀白色の鱗で覆われ、きらきらと光つて見える事から雲母虫(きららむし)とも呼ばれる」というが、昔はよく見かけたが、最近、あまり目にしない。

 小生の部屋が清潔だから…ってことはありえない。
 十数年ほど前の本が一番、古かったから紙魚が棲み付く時間がなかったということか。
 怖いのは、小生の老眼の度が進んでいて、実は蔵書に結構、棲み付いているのだが、小生の目には見えないってこと。
 そうでなかったら、動きが素早い虫だというから、本の頁を捲った瞬間、さっと動いて姿を消し去ってしまうのか。これも、不快だ。

 本の虫。紙の虫。紙魚。どこか穀象虫を連想させる。情緒がありそうで、やっぱり、ない! どう見ても、しみじみなんて気分になれない。
 ただそれでも、ほんの数年、まして十数年ぶりに何処かの棚の隅っこやらダンボールの底などに追いやられていた本を手にすると、埃も立つが、懐かしさの感と共に黴が発生源ではないだろうが、古びた紙の匂いがまず漂ってくる。
 ああ、こういう本も読んだっけなんて思ってしまう。上記したように、小生は買い求めた本は冒頭から末尾の注釈まで、とにかく目を通すので、どの本も、最低一日か二日、分厚い活字の多い本となると、一週間とか半月とか、その本と付き合っていたことは間違いない。
 どの頁にも目を通している。詳細など覚えているはずもないが、それでも、頁を捲ると、ああ、こんなことも書いてあったと、遠すぎて分からなかったものが次第に焦点が合わさってくるように、あるいは霧が晴れてぼやけていた視界が急に開けてくるように、当時の興奮やら感動やら、その頃にあったことやらまでもが思い出されてくる。
 
 ネットで紙魚という季語を織り込んだ句を探してみたら、下記の句が見つかった(「落葉のささやき 富田木歩 その6」にて):

なりはひの紙魚と契りてはかなさよ   富田木歩

 富田木歩なる人物は小生にとっては未知の方である。
 下記のサイトが非常に参考になる:
書評 (中島) 「鬼気の人 ー 俳人富田木歩の生涯」
 大して長くはない。一読することを願う。

落葉のささやき 富田木歩 その6」や「書評 (中島) 「鬼気の人 ー 俳人富田木歩の生涯」」を読むと、「なりはひの紙魚と契りてはかなさよ」なる句の味わいが、痛いほどに感じられるはずである。

 そうか…。どうせなら、紙魚じゃなくとも、本の虫にならなくっちゃと、妙に感心してしまったのだった。


連れ添わん紙魚という名の本の虫    (や) 

                          (2007/12/24夜半に記す)

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コメント

「落葉のささやき」です。トラックバックの意味と効用など何も知らないのですが、とにかく嬉しいトラックバックでした。おもわず時間を忘れて読みふけっておりました。ありがとう。

投稿: mitleben | 2007/12/26 17:44

mitlebenさん
含蓄ある名前ですね。

富田木歩は、この記事を書く過程で出会った未知の方。
こういう方もいたんですね。
勉強になったし、感じるものがありました。

投稿: やいっち | 2007/12/26 19:09

「床に積んだ書籍の山の背後には図録」なども意外だったです。思ったより手元に書籍を置いてあるなとの印象です。上でも書かれてますが、集めることよりも読むことを主体としているので、図書館の貸し出しを含めて、一度読んだあとは売り払い、まわしているのかと思っていました。

なかなか手放せない書籍は多いものですが、特に図録などは資料になるので捨てられませんが、二度と読まない本や実用書で役に立たないものもい多いですよね。

私は最近は、資料的か、二度以上読まない本は出来るだけ買わないようにしています。少年の頃に自ら買った読んだ本も内容的に頭に入ってしまったものは二度と読むまいと判断して、随分と捨てました。

そうしたものは、そのときの判断が今後とも崩されることはなく、二度と中身を見ないと思います。それらに目を触れるのも時間の無駄のような気がしています。先日の美術展でも買う積りでいたカタログを見て、その内容の不必要な豊富さに驚いて、これは一生必要ないなと判断したのでした。場所も取りますし、買ったら積読本がまた増える。

私のような読書家から遠い積読家に比べても意外に捨てていないのに驚いたのです。BLOGタイトルの変更はいつからですか?

投稿: pfaelzerwein | 2007/12/27 03:19

pfaelzerwein さん
図録の前に本が積んであるのは、処分のため、あちこちの本を積み上げたのです。
積んである本は、数年前までのもの。
この数年は、年に十冊も買わないし。
というか、買えない!
近所の書店も数年前、コンビニに変わってしまった。

いずれにしても、今は、必要な本を図書館で借りる。この方針で行くでしょう。

BLOGタイトルの変更作業は26日の午後、行ないました。
その事情や理由は、今日(27日)の日記「ブログを改装した訳は」に書きましたよ。


投稿: やいっち | 2007/12/27 04:09

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