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2007/12/19

ライスダール…さりげなく劇的に(後篇)

[本稿は、「ライスダール…さりげなく劇的に(前篇)」の続篇である。風景画が絵画のジャンルとしてのピークを迎えるのは19世紀。が、それはまた陳腐化というのか、まさに家の壁に相応しいオシャレな飾り物と化してしまう。でも、今日、アップするライスダールの活躍した17世紀は勃興期の人。自然への畏敬の念に満ちている。が、そうした彼の作品をも我々は綺麗な絵としてしか鑑賞できなくなっているのではないか。風景画の陳腐化というより感性の磨耗でありセンス・オブ・ワンダーという感覚の欠如こそが真相なのかもしれない。

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→ 川瀬巴水画『大森海岸』(画像は、「hanga gallery Kawase Hasui」より)

 コメント欄にも書いたが、何故か昨夜の9時台の途中から「川瀬巴水」関連の記事へのアクセスが急増した(夜中の1時までに750回ほど)。時間帯からして「開運!なんでも鑑定団」が切っ掛けに思えるのだが、本当のところは分からない。
 風景画というより叙景画、叙情画、情緒画である川瀬巴水の世界。あまり対比する意味はないと思うが。(19日、アップに際し追記)]


ライスダール…さりげなく劇的に(後篇)

「独立したジャンルとしての「風景画」の成立は17世紀オランダに始まると言ってよい」とした上で、下記の記述が続く:

17世紀のオランダにおいて風景画が栄えた背景には、市民階級の勃興がある。カトリックのスペインの支配から独立を果たし、プロテスタントの共和国であった当時のオランダにおいては、海外貿易による富を背景として富裕な中産市民層が勃興した。教会や大貴族に代わって新たな絵画の注文主・享受者となった中産市民階級の家屋を飾るにふさわしい絵画とは、大画面の宗教画や歴史画よりは、より小規模な風俗画、静物画、風景画などであったろう。

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← ヤゴブ・ファン・ライスダール(ヤーコプ・ファン・ロイスダール)作『ユダヤ人墓地(Jewish Cemetery)』(1655-1660年頃 141×182.9cm | 油彩・画布 | デトロイト美術館) (「17世紀オランダ絵画黄金期最大の風景画家ヤゴブ・ファン・ライスダールの最も世に知られる傑作『ユダヤ人墓地』! 画像は、「ヤゴブ・ファン・ライスダール(ヤーコプ・ファン・ロイスダール)」より。「ライスダールの類稀な想像力によって生み出された≪ユダヤ人墓地≫の理想的風景で、単なる理想的風景描写に留まらず、自然の圧倒的な力強さや雄大さなど、ある種の自然への畏怖の念を思わせる思想的な表現が用いられている」以下、卓抜な説明を左記の頁にて得るがいい。)

 小生は、今日的な意味での、あるいは我々が思い浮かべるような風景画が一番発達したのは19世紀だとしても、その成立はもっと遡る、そう、17世紀のオランダ絵画で、とまでは示してきた。
 その際、何故にオランダで風景画が誕生しえたのか。

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→ ヤーコプ・ファン・ロイスダール(Jacob Izaaksz van Ruisdael 『ハ-ルレムの眺め』(1670頃 アムステルダム国立美術館) (画像は、「ヤーコプ・ファン・ロイスダール - Wikipedia」より) この絵(の別ヴァージョン)に付いては、「ヤゴブ・ファン・ライスダール(ヤーコプ・ファン・ロイスダール)」に説明がある。

 同時に、地球中心の宇宙観(世界観・宗教観)から太陽中心の宇宙観(世界観)へのコペルニクス的転回があったことが前提にあるのではとも書いてきている。
 ほぼ同時並行する形で、科学技術の急進展も見逃せない。
 天体望遠鏡と顕微鏡の発明と発達。極小と極大の世界の発見である。
 さらには、これもほぼ同時並行であり上記と絡み合うようにして展開された大航海時代という未曾有の形での世界の拡大である。
 風景の先に、森の奥に、山の上や彼方に神秘や神や悪魔や妖精や魔物や、特に宗教的隠喩や象徴・約束事を見るのではなく、望遠鏡と顕微鏡に象徴されるように、肉眼で見たものが、その延長としての極小と極大があるばかりなのだということを思い知る。

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← ヤゴブ・ファン・ライスダール(ヤーコプ・ファン・ロイスダール)作『ドゥールステーデに近いウェイクの風車(Mill at Wijk bij Duurstede)』 (1670年頃 83×101cm | 油彩・画布 | アムステルダム国立美術館) (画像は、「ヤゴブ・ファン・ライスダール(ヤーコプ・ファン・ロイスダール)」より) 「本作に描かれるのはオランダのユトレヒト地方の街ウェイク・ベイ・ドゥールステーデを流れるレック河と風車のある風景で、何気ない単純な風景の中に、雲間から漏れる陽光や、それを反射する水面の斑など、ある種の緊張的な要素を組み込むことによって、画家独特の風景画の世界観を示してい」て、この時代の絵を「多くの研究者は巨匠ライスダールの画業においてひとつ頂点の時代と見なしている」という。

 そんな話を諄々に書いてきたが、小生に欠けていたのは、経済や政治・社会の面からの風景画誕生への影響、あるいは相関関係だろうと自覚している。
 その点を端的に、上で転記した文に「17世紀のオランダにおいて風景画が栄えた背景には、市民階級の勃興がある」云々として示されている。
 だからこそ、スピノザがデカルトがオランダで活躍することができたのだろう。
 宗教的権威の失墜、伝統的勢力の衰退、新たな勢力層の勃興。風景画に限らず、絵画を注文する階級の登場。

ヤゴブ・ファン・ライスダール(ヤーコプ・ファン・ロイスダール)」(ホームページ:「Welcome to Salvastyle.com サルヴァスタイル美術館 ~西洋絵画、西洋美術と主題解説~」)は、小生はただ、覗いてみてほしいと思うだけである。詳しい説明が与えられているが、小生のような美術史にも絵画にも疎いものにも楽しみつつ読めて、大概の解説とは違って、絵が一層、味わい深く感じられる。

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→ ヤゴブ・ファン・ライスダール(ヤーコプ・ファン・ロイスダール)作『太陽の出現 (A Burst of Sunshine) 』(1660年頃 83×99cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)) (画像は、「ヤゴブ・ファン・ライスダール(ヤーコプ・ファン・ロイスダール)」より) 「本作に描かれるのは、他の画家もしばしば描いてきた、ありきたりな山岳の風景であるが、太陽の出現により光が差し込み美しく輝きを放つ雲域や大地、遠景の小高い丘に建てられる街や風車、旅人や水遊びに興じる者らの詩情感に溢れた表現は特筆に価する。また非常に高度な写実的描写を用いながらも、観る者にある種の哲学的思想を感じさせる本風景の雄大な印象までも描く先進的な手法は、同時代やそれ以降の画家らの風景画制作(風景描写)において多大な影響を与えており、ロマン派の巨匠ドラクロワも(特に冬景色の作品に)強い感銘を受けたことが知られている」という。本作などは、下で転記してみせるケネス・クラークの一文を典型的に証左していると言えるのではなかろうか。

 風景画を論じたラスキンの本は、我が区には一冊もなかった。ちょっと情けない。
 代わりに、というわけではないが、昨日、ケネス・クラーク 著の『風景画論 改訂版』(佐々木 英也 翻訳 岩崎美術社 版)(但し、本書は現在入手不可とかで、『風景画論』 (佐々木 英也 翻訳 ちくま学芸文庫 筑摩書房)が07年1月に出ている)を借りてきた。
 内容紹介によると、以下のとおり:

神話や象徴の世界の表現から現実の表現へ。背景を描く際の便利なシンボルとしての風景は、ファン・エイク、ベリーニ、ボス、レオナルド、ロラン、クールベらを経て、光を描こうとした画家ターナーにより絵画の中心的なテーマへと引き上げられてゆく。中世末期から現代にいたるまでの画家たちの心象と製作意図を読み解き、風景画の変遷をたどる。西洋美術史の碩学がさまざまな画家や作品を縦横に語りつくし、西洋美術の奥底に潜む、信仰心、欲望、想像力を浮き彫りにした名著。

9784480090379

← ケネス・クラーク 著『風景画論』 (佐々木 英也 翻訳 筑摩書房) 小生が読んだのは、「岩崎美術社 版」である。

 まだ、冒頭部分を読み始めたばかり。
 ちょっと先取りして、本書からヤゴブ・ファン・ライスダールに関係する記述を転記してみる:

(前略)彼(ヤゴブ・ファン・ライスダール)はコンスタブル以前では最大の自然主義的ヴィジョンの持主にかぞえられるべき人である。この生まじめで孤独な男はあきらかに抑鬱症の発作にかかりやすく、その症状にあるときは、情感や生命力の閃めきなしに制作した。しかし情感がふたたび燃え上がると、真にワーズワース的な迫力をもって単純な自然の偉大さや哀感を胸にうけとめたのである。あらゆる偉大な風景画家の例にもれず、彼は明暗を大きく画面に配分することによってこの感情を表出した。そのためわれわれは彼の絵のそばまでゆかなくとも、すぐさまその劇的な意味を感じとることができる。そしてもっと近くに寄ったとき、初めてそこにさまざまの観察された事物が描きこまれていることがわかる。事実はふたたび光によって、現実のより新しい境域に高められた。だがこの光には新しい性格がある。もはやベリーニの絵の光のように静的でもなく事物に深くしみわたってもいない。絶えまない運動状態にある光――空には雲が積みかさなり、影は野面をよぎって進む。コンスタブルはかつて自分が得た芸術上の最良の教えは次ぎの数語に含まれていると語ったことがある。「光と影は決して静止せぬものと心得よ」。コンスタブル以前の絵画において、ライスダールほどこの教訓をみごとに実証した作品はほかにない。そして事実ライスダールは、イギリスの東アングリア派の風景画全体の手本となるはずである。

 ケネス・クラークはライスダールを高く評価している、のだろう。本書の中でライスダールへの言及がこの一箇所に留まるとしても。 
                                (07/12/07 作)

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コメント

昼過ぎまで寝ていたラララ!

投稿: ラララ | 2007/12/19 16:59

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