モンゴル相撲「ブフ」と朝青龍と
「<朝青龍>臨時横審に出席、謝罪…「深くおわびします」と」(「Yahoo!ニュース」より)といったニュースが30日(金)に流れた。
→ 中島 隆信 (著)『大相撲の経済学』(東洋経済新報社) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より) 「大相撲の制度を経済学的視点から解き、これらの制度が揺らいできている点を指摘。不足する年寄株、転職に悩む力士など、日本経済が抱える問題の縮図がそこにある」という。弱いのは日本の関取陣だけではない。角界における日本勢の相対的な地盤沈下あるいは見劣りは、経済などを初めとした日本の文化全般の衰退の象徴でもあるやもしれない。喫緊の課題は、角界に限らないということか。日本パッシングは既に始まっているようだ。日本に来てくれるだけでもありがたい ? !
関連して、モンゴル相撲について大よそのことを調べてみた。
まずは、全般的な概要は下記を参考にする:
「ブフ - Wikipedia」
「モンゴル相撲についてしらべてみた。 - たまごまごごはん」
「スポーツのトリビア 相撲は日本だけのものではないの? 早稲田大学助手 渡邉昌史」(ホームページ:「明和出版」)
「スポーツのトリビア 相撲は日本だけのものではないの? 早稲田大学助手 渡邉昌史」にあるように、「「国技」を支える外国出身の力士」の活躍は年を経るごとに目覚しくなっている。
そんな中、「大相撲の「多国籍化」」という現実(「昨年末の
登録で、幕下も含めると12カ国から総勢59名」)が見られ、中でも「ハワイ勢からモンゴル勢へ」という現象(現実)が顕著である。
「日本では相撲と似ているということでモンゴル相撲といわれている」、そのモンゴル相撲は、「ブフ - Wikipedia」によると、「ブフ(蒙古文語:(表記出来ず) Böke、現代モンゴル語:бөх)」が正式な呼称という:
モンゴルに古来より伝わる伝統的な立技組技系格闘技である。その起源は紀元前3世紀頃とされ、馬を早く走らせること、力強く組み合うこと、弓を射ることが人々の間に広まり、この3種目を力で競い合うことから派生してきたとされる。また宗教的な奉納儀式として、さらに軍事訓練的な要素も持っていたといわれる。
近年、日本の角界においてモンゴル勢の台頭は目を見張るものがある。「ブフ」という呼称が耳馴染みとなっているかどうかは分からないが、「ナーダム」という言葉はテレビの特集などを通じて耳にする機会も増えているように思える:
モンゴル国では、年に一度の民族の祭典である国家ナーダムがあり、その催し物の一つとしてブフが行われている。
近年、モンゴル国で行われているブフは、1978年から近代スポーツ化を図るためにルールの改革が進み、1997年には「ブフ・リーグ」が発足し、1999年には賞金制度が導入されプロ化が進んでいる。神技的な儀式を残しつつもプロスポーツ化され、この点は日本の大相撲に類似している。
← 和歌森 太郎 (著)『相撲今むかし』(隅田川文庫) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より) 「故・和歌森太郎先生の著作.北の湖が新弟子時代,相撲教習所の教科書として使われていたものの復刊本」だとか。
まずは、映像乃至は画像も含めてモンゴル相撲を見てみたい。
幸い、下記のサイトが見つかった:
「これが噂の「モンゴル相撲」!」(ホームページ:「板橋区文化・国際交流財団[ICIEF]」)
この頁は、「去る平成9年10月18、19日の板橋区民まつりへ、モンゴルの人気力士であるスミヤバザル選手一行が来日し、モンゴル相撲を板橋区民に披露してくれました。モンゴル相撲の日本での本格的な実演はこれが初めてということで、集まった板橋区民からも技が決まる度に大きな拍手と歓声が沸き上がっていました」という、その様子を見せてくれている。
画像が多いので結構、楽しめる。
まあ、最近はテレビなどで随分と見慣れてきた様子である。
同上の頁の冒頭に、「モンゴル相撲は、大相撲力士の旭鷲山の活躍で一躍脚光を浴びているモンゴルの伝統的なスポーツです。13世紀のチンギス・ハーンの時代に兵士の身体を鍛えるために用いられていたとされ、現在のモンゴルでも大変に人気のあるスポーツです」とある。
「ナーダム」の光景を見てみよう:
「京都の旅・四季の写真集 モンゴル ナーダム2 相撲と弓」
→ 武田 葉月 (著) 『ドルジ 横綱・朝青龍の素顔』(講談社文庫) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より) 「平成の大横綱・朝青龍が歩んできた道。年間6場所完全優勝を始め、数々の大記録を打ち立て、一人横綱としての重責を果たし続ける。モンゴルでの幼少期から、留学生として来日した高校時代、そして横綱への道程と現在に至るまでのすべてを綴る。ハンマー投げ金メダリスト・室伏広治氏との対談と全成績を収録」だとか。
あらためてモンゴル相撲を見てみたい。
「スポーツのトリビア 相撲は日本だけのものではないの? 早稲田大学助手 渡邉昌史」によると、土俵がない。が、土俵のある日本の相撲が珍しいようで、江戸時代に徐々に土俵が形成されてきたもの。
多くの国では土俵がないのが普通のようだ。
その上で、下記の記述が注目される:
モンゴル相撲は、澄み切った青空の下に広がる大草原のどこででもくり広げられます。離れた状態から闘いが始まり、土俵がありませんので、一気に相手に進み寄る「押し出し」や「寄り切り」は見られません。勝負の判定は、手のひら以外の体の一部が先に地面に着くことによってのみ負けとなります。
対戦は一瞬にして決着することもありますが、時には数時間に及ぶことさえもあります。そして、勝者は「鷹の舞」と呼ばれる独特の舞を勇ましくおこないます。これは、両腕を広げ羽ばたかせることで鷹を、そして胸ではライオンをイメージしているとされます。また、取組みの前に、選手を讃える詩が付き人によって吟じられることも特徴的です。
毎年7月の革命記念日に国をあげて開催される相撲、弓射、競馬の三種競技会「ナーダム」において全国チャンピオンが決定します。
選手には戦績に応じて、巨人、ライオン、象、鷹、隼などの称号が与えられ、名選手は国の英雄として尊敬を受けます。
土俵のないことに伴い、押し出しや寄り切りというワザは観られないのは当然として、「対戦は一瞬にして決着することもありますが、時には数時間に及ぶことさえもあ」るというのだ。
(余談だが、「選手には戦績に応じて、巨人、ライオン、象、鷹、隼などの称号が与えられ」とあるが、一体、どういう序列なのか、ちょっと気になる…。)
← 宮崎 里司 (著) 『外国人力士はなぜ日本語がうまいのか―あなたに役立つ「ことば習得」のコツ』(日本語学研究所) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より) 「モンゴル勢を中心とする外国人力士は非常に日本語がうまい.武蔵丸や曙,そして協会を離れてしまった小錦も然り.実は,一番日本語がヘタなのは高見山なのかもしれない...それはさておき,相撲部屋で生活する外国人力士達がいかにして日本語を上達させたのか,を早稲田大学の宮崎 里司助教授が分析した」という本。小生は、以前から、朝青龍関を初め「モンゴル勢を中心とする外国人力士は非常に日本語がうまい」ことに舌を巻いてきた。彼らが日本の文化に馴染むに、言葉、日本語での会話力の重要度への理解があったことは想像に難くない。その努力をもっと評価すべきではなかろうか。日本に来た大リーガーで日本語の習得に努力した人はどれほど居るというのか。
モンゴル相撲というより、「ブフ」にもっと焦点を当てての説明となると、下記が詳しい:
「特集2◎多様化の進むモンゴル世界 ブフ(相撲)文化から見るモンゴル世界 バー・ボルドー・本学非常勤講師」(ホームページ:「東西南北2002 目次」:「和光大学 総合文化研究所」)
この頁での説明は興味深いが、特に「すべてのブフに共通していることですが、強い力士は英雄または神格的な存在として扱われます。強い力士が亡くなると、昔は風葬といって、外に放っておいたんですけれども、そのときに必ず言われることは、力士の胸は関節がなくて、全部つながっていると言われます」以下の記述は、モンゴルの「ブフ」理解の上でも、あるいはモンゴルを理解する上でも一読の価値があると思える。
日本にとって相撲は神事という側面があるが、モンゴルにしても、2500年の歴史があると言われるように、分厚い伝統(と歴史)は日本以上とも思える。
日本とモンゴルとの交流の歴史も久しい:
「皇太子殿下の外国ご訪問前の記者会見の内容」(モンゴル国初訪問を控えての記者会見)
「第四話 モンゴル相撲と大相撲 - 五輪銀メダリスト太田章の「格闘技の源流」」を読む。また、読んでもらいたい。
「ブフでは闘う前に必ず酒を指につけ「天の神、地の神、水の神」とそれぞれの方向にはじく儀式をしなければならない」という。何故なら、「自分の闘いが神に捧げられたものだ」からだ。
→ 松田 忠徳 (著) 『朝青龍はなぜ負けないのか』(新潮社) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より) 「モンゴル通の著者が、モンゴル相撲取材や、朝青龍・白鵬の両親インタビューを敢行!草原の国の元横綱が語る、関取の条件と美学とは。日本人弱体化の理由のひとつは、なんと高齢化。相撲の見方が一変する、砂かぶりノンフィクション」だって。
「女性横綱審議委員である内館牧子氏」は、「東北大学大学院で相撲の歴史を研究している」というが、モンゴルから来た英雄、そして日本の角界を長く背負ってきた朝青龍関を、モンゴルの神への思いも背負っている彼を、相撲への造詣が深いはずの彼女が非難するとは理解し難い。
(「内館牧子の仙台だより」参照。)
日本の角界の長年の陰湿な体質や後ろめたい慣習を見過ごしてきた(あるいは、見てみぬ振りをしてきたのは角界関係者、さらには横綱審議委員らにも同等の責任があるのではないか。その)ことへの反省、自覚の言葉がないのが、小生には理解し難いのである。
内館牧子氏らは、朝青龍関の行動や振舞を客観的な尺度で評価しているというより、個人的な好悪を優先して(ナショナリズム的傾向で)理不尽な論難をしているとしか見えない。
目に付くのは、力量では敵わないモンゴル勢への嫉妬心ばかり。
何一つ、納得できる非難の根拠を示したことがない。
← 井上 邦子 (著)『モンゴル国の伝統スポーツ―相撲・競馬・弓射』 (スポーツ学選書 叢文社) 「相撲の動きに宿る生活世界、自然との連続性、それらを表出する力士の身体の聖性と「競馬ウマ」の聖性の類似点、弓射競技の背景にひそむ呪術性…モンゴルの伝統スポーツをとおして、「スポーツする身体」が想起する「記憶」―多元的、重層的な身体観を読み解く」といった内容とか。本書も小生は未読。(画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)
まず第一に反省が求められるのは横綱審議委員の方々だろう。
角界を去ってほしいのは、朝青龍関ではなく、内館牧子氏らの一部の横綱審議委員である。
率直に言って、内館牧子氏が朝青龍関相手に文句を言っている姿は、グレート・ピレニーズやセント・バーナードなどの超大型犬に、身の程知らずにもキャンキャン吠え掛かって無謀な戦いを挑んでいる(戦いを挑んでいると思っているのは本人だけ)小型のペット犬、という光景を髣髴させる。
超大物は、そんな感情剥き出しの子犬など、歯牙にも掛けない。相手にせず、ゆうゆうとその場を立ち去っていく。
なのに、相手を謝罪させた、こちらの威力(実はマスコミなどの権力の力なのだが)で相手を追い払ったと思っている。
そんな様子は、哀れでもある。
にもかかわらず、全てを飲み込んで、<謝罪>して見せた朝青龍関の度量の大きさをつくづく感じた今日の<謝罪>会見だった。
→ 「それでもぼくは朝青龍に愛をおくる」「ぼくは、朝青龍へのこのぼくの気持ちと愛をこめて、一枚の影絵をつくった。やんちゃにして、堂々とした朝青龍の土俵入りの姿を表現したつもりだ」という藤城清治氏。小生も同感・共感する。小生には、藤城清治氏に縁窮した「影絵の世界」なる小文がある。(画像は、「藤城清治影絵の世界」より。藤城清治氏のホームページ:「藤城清治 影絵の世界」
以下は相撲関連の拙稿である:
「日本発世界的スポーツの誕生!?」(国技としての相撲jに焦点を合わせている)
「朝青龍バッシングは異常じゃないの?」
「時津風部屋傷害致死事件と朝青龍バッシング騒動と」
「朝青龍バッシングはやっぱり異常だ!」
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コメント
大和民族の一人として、朝青龍関に申し訳ない気持ちです。
投稿: 金港人 | 2007/12/01 07:18
金港人さん
誰も大和民族を代表することなんて、できないのでは?
一人の人間として、不当な仕打ち、バッシングに怒るだけです。
NHKさんは、検証番組を作って、どうしてあんな偏向報道をしてしまったのか、反省すべきでしょう。
トップの海老沢氏の引退も勧告したい気分。
投稿: やいっち | 2007/12/01 08:41
やいっちやん、おはようございます。
朝青龍に関しては、当初からいろいろと言われていましたよね。
その時も確か内舘牧子さんがコメントしていたと思うのですが
個人的な感情を露わにしてるなぁって感じました。
確かに問題点はあると思いますが、こうした発言は影響を及ぼすと思います。
何も理解していない人まで朝青龍を非難する...
角界では、少し前にあった事件も含めて・・いや、角界ばかりじゃないですね。
日本中の歯車がどこか狂いだしてるように思います。
投稿: マコロン | 2007/12/01 09:06
TBありがとうございます。
私はナーダムで優勝した頃の朝青龍を現地で見ている(はず)んです。1995年のナーダムで彼は優勝しているらしく、その時私は会場で見ていたんです。もっとも、会場が広くて顔が見分けられるほど見えませんでしたが(笑)
投稿: 佐藤秀 | 2007/12/01 09:35
マコロンさん
横審の連中は未だ朝青龍に謝らせようとしている。
本来、不当な仕打ちをした当人たちこそが謝罪すべきはず。
例の時津風部屋の問題を隠蔽し関心を他に逸らすために読売グループ(例のボス、古だぬきが音頭を取って)辺りNHKを巻き込んで(海老沢氏が協力して)が当時の親方らに協力して朝青龍バッシングキャンペーンを張ったのでしょうが、情けない限りです。
マスコミ人の端くれとは到底、思えない。
NHKは率先して朝青龍に詫びることです。
そうしないと、角界の立ち直りはずっとないでしょう。
内舘牧子氏を初め、横審のメンバーも総入れ替えしたほうがいい。名誉職でやる仕事じゃないはず。感情論で人をバッシングするようじゃ、客観的な立場にあるとは思えない。
もっと若手の角界を心底から憂える(角界の古い体質と利害関係のない)人たちが自分たちの将来に関わる問題として審議したほうがいい。
ホント、日本の恥さらしをモンゴルやハワイなどの海外にまで晒している!
投稿: やいっち | 2007/12/01 09:45
佐藤秀さん
TBだけでは失礼と思い、コメントも入れさせてもらいました。
>私はナーダムで優勝した頃の朝青龍を現地で見ている(はず)
凄い!
同じ場に在ったというだけで、感激でしょう。
まあ、同じ地球人として、同じ場(地球上)に一緒に立っているんだけど、でもね。
投稿: やいっち | 2007/12/01 09:51
いやあ・・・日本人横綱であのようにきちんと頭を下げた人を見たことがなかったので、本当に心より申し訳ない気持ちがしました。腰はともかく肘が完全に治っているのかどうか?心配です。でも記者ではなくカメラマンに「元気」と声をかけたそうで、「お前も記者につきあわされて大変だなあ」という本来の朝青龍関の気遣いが感じられました。やはり存在感絶大ですよ。
投稿: 金港人 | 2007/12/02 00:24
金港人さん
朝青龍関の謝罪会見ですが、本文の末尾に書いたように、「全てを飲み込んで、<謝罪>して見せた朝青龍関の度量の大きさをつくづく感じた今日の<謝罪>会見だった」というのが小生の率直な感想です。
内心では、朝青龍関は日本のマスコミの偏頗さに、多分、横綱審議会のメンバーの狭隘な度量に呆れ果てているのしょう。
なんでワシが謝らにゃあかんのだ~という心境だったのは想像に難くない。
でも、そんなわからずやや感情だけで浅薄な言動に走る連中にまともな議論など、通用しない。
それよりも、大好きな相撲をしっかり取れればそれでいい。
それで誰にも文句は言えないってことなのでしょう。
そこまで考えつくせる関取やスポーツアスリートなんて日本にどれほどいるものか。
朝青龍関の今後活躍を静かに見守りたいと思います。
投稿: やいっち | 2007/12/02 04:31
今週号の「週刊朝日」のトップは「朝青龍「レイプ騒動」の示談金」というもの。夫人が長女を出産する前に事件は起こったそうなー。
また写真週刊誌「フライデー」には「横綱朝青龍が六本木キャパクラで美女を口説きまくった夜」という記事も載ったことがあるそうな。
強いからその反動でこういう記事も出てくるんでしょうかね。
それにしてもこの前の場所のガラガラぶりはひどかった。
朝青龍だけでなく、相撲界全体が大きな問題を抱えていますねー。
投稿: oki | 2007/12/12 22:27
okiさん
今日(水曜日)は図書館へ行ったので、チラッと見えた「週刊朝日」の表紙でその記事の見出しも分かったのですが、バカらしいので読むのをやめました。
未だに大手系の雑誌などのマスコミの記事は朝青龍関について、悪意と偏見に満ちた視点からのものが多い(目にする範囲では全て)。
出稽古で荒っぽいワザを若手に使うといった記事などを読むと、日本の角界の虐め体質問題を朝青龍関になすりつけようとしている印象を受ける(多分、誤解じゃない気がする)。
いよいよ時津風部屋の前の親方や兄弟子ら関係者は立件に向かっているようなので、尚更、大手新聞社やその系統のマスコミは、再度、朝青龍関を悪者に仕立てないと、持たないと思っているように見受けられます。
朝青龍関が強いからというか、日本人じゃないからなのでしょう。ケチなひがみ根性と嫉妬のなせるワザだと思います。
問題を抱えているのは、朝青龍関じゃなく、日本の角界や、古い体質の角界と結びついている○ミウリの▲タナベを筆頭とする旧弊な連中です。
早く古臭い重石が取れて欲しいと切に願ってます。
投稿: やいっち | 2007/12/13 03:50
いや、僕はこの前の場所のガラガラぶりを見ると角界の将来が本当に心配なのですよ。
一部の連中は相撲は国技だから横綱に品格が必要と判で押したようなことをいっている。
朝青龍はモンゴルでビジネスもしているそうですから、別に引退しても困らないでしょう。
それを日本に戻ってきて頭を下げた。
こんなことの繰り返しをしていると若い人は面白いものがいっぱいあるからどんどん別のほうにいっちゃう。
今の綱とり表で上位陣に日本人がほとんどいないことを上のほうの人はどう考えているのでしょう?
対照的なのがプロレスだ。
馬場も猪木もいなくなったし、レフリーがプロレスはすべて八百長だという本を出したけど熱狂的な若い人たちは集まっている。面白いからですよ。
ブッチャーやらタイガー・ジェット・シンといった六十を超えた選手がリングに上がる。
観客もショーと心得てそれを楽しむ。
たいして相撲は「八百長疑惑」と報道されただけで週刊誌を告訴するだのなんだの。
営業努力をしなさいっていいたいです。
投稿: oki | 2007/12/14 00:44
okiさん
朝青龍関が頭を下げたことに、彼の度量の大きさを感じました。彼は本当に相撲が好きなんだなって感じたし。
それに引きかえ、品格をやかましく言う連中に限って、その資格はないってことが多い。品格の欠けらもない。
実力も風格もまるで太刀打ちできず、文句のつけようがないから、曖昧極まりない難癖をつけている。
そんなことをやっていると、モンゴルを初めハワイやロシアなど、これから角界を背負う人材の宝庫がひしめき合っている国々はどう思うか。
いじめそのものの行為をマスコミや横審の連中が先頭切って衆人環視の下、世界のマスコミが見ている前で恥ずかしげもなくやっている。
恥を知れ! ですね。
これじゃ、日本の角界に未来はないって、海外だけじゃない日本の真っ当な相撲ファンだって悲観してしまう。
だったら、モンゴルかロシアかハワイか韓国か何処かに拠点を作って、品格と実力を競う土俵の場を作ろうという話に将来、なる可能性だって生まれそう。
とにかく、○ミウリの偉い人や、横審の審議員らは総入れ替えしないとダメ。
▲ク○ツル氏にも失望した。朝青龍関には難癖をつけるくせに、審議会の連中の部屋周りは、日程を予め決めてだって。
ダブるスタンダードだね。
投稿: やいっち | 2007/12/14 03:09
「サンデー毎日」最新号の岩見隆夫さんのコラムによると最近タクシーを使う機会が増えたが、どの運転手も判で押したように<あっという間に>今年もすぎたというそうですよ。
弥一さんも「あっという間に」って使っていませんか。
それはともかく岩見さん「朝青龍がんばれ!」とひとこと。
きちんとわかっている知識人もいるんですね。身近に。
投稿: oki | 2007/12/15 22:38
okiさん
朝青龍関バッシングの元凶は、内舘牧子氏にあるようですね。何か個人的な恨みでもあるのか。彼女特有の生理的な嫌悪感が朝青龍関に対してあるようで、数年前から毛嫌いするような言動が目立っていましたし。
好き嫌いは仕方がないと思うけど、それを公式の世界に持ち込むなんて、非常識の極みです。
(同氏を横綱審議会委員に選定した人物がバックにいるのでしょうが。)
そう、分かる人は分かっています。実力も識見も品格も朝青龍関が際立っているってことは。
事実は事実。素直に現実を認めないと。
揚げ足取りばかりしていたんじゃ、それこそ先細り。自分(当人は角界の現状や行く末を危惧しているかのように装っているけれど)で自分たち(日本の角界)の首を絞める結果になりかねない。
現に相当になってしまった。
もっと大らかに。
但し、陰湿な体質は徹底して改善。
投稿: やいっち | 2007/12/16 03:57