アルトドルファー:風景画の出現(後篇)
[本稿は、「アルトドルファー:風景画の出現(前篇)」の続きです。昨日(11日)、スーツを入手した。十数年ぶり。いろいろ面接もあるので、仕方なく。今日(12日)は流し台の脇の調理用ヒーターやらユニットバスの換気扇のタイマーの修理に人を呼んだ。でも、都合があってか修理は後日。ガッカリ。]
「ロト (聖書) - Wikipedia」なる頁には作者名らしきものが見当たらない。
「ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)」なのか。
今は、彼のことを調べる余裕がないので、興味のある方は、下記へ:
「Hendrick Goltzius - Wikimedia Commons」
← ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius) 『Jupiter and Antiope』(1616) (画像は、「Hendrick Goltzius - Wikimedia Commons」より) 母乳アートの走り?
あるいは、下記が詳しい:
「古楽画廊-ヴァイオリン(25) Early Music Art Gallery ―――リュート(25)―――」(ホームページ:「Early Music Art Gallery―――古楽画廊―――」)
冒頭の一節のみ転記する。以下は、当該の頁で:
ハールレムで活躍したヘンドリック・ホルツィウスは、初期はオランダのマニエリスムを代表する版画家でした。火傷のために右手が使えなかったと言われますが、絵画の複製では素晴らしい技量を示し、「ローマの英雄 The Roman Heroes」 (1586)のシリーズに代表される、独創的な作品も残しています。
話は戻るが(と言っても、途中まで戻るだけだが)、「ロトと娘たち」をテーマにして描かれた絵画作品が下記の頁に幾つか載っている:
「旧約聖書~ロトと娘たち」(ホームページ:「Artistorian アーティストリアン」)
→ ライデン/Lucas van Leyden 『ロトと娘たち/Lot and His Daughters』(1509) (画像は、「Artistorian アーティストリアン」より) 「ロトと娘たち」をテーマに扱った絵の中では、この絵に一番、リアリティを感じた。このテーマにリアル感を覚えるってのも問題なのかもしれないが…。
やはり、『旧約聖書』の有名なテーマであり、重い内容の話なので、ドラマチックでもあり、画家としても取り上げてみたくなるのだろう。
(前略)この夫婦の行動にこころ打たれた天使たちは、町が神によって滅ぼされる前に、夫婦とその2人の娘に知らせた。危機一髪を逃れたロト家族は無事に町から遠ざかっていたが、ソドムを振り返ってはいけないという天使との約束を破った妻は、見る見るうちに柱になってしまった。残りの3人は避難に成功するが、ソドムが滅んでしまったため誰もいなくなり、子孫が途絶えてしまうと心配した娘2人は、ワインで父親を酔わせ交互に交わって子孫を増やした。
← Altdorfer, Albrecht 『The Rest on the Flight into Egypt 』(1510) (画像は、「WebMuseum Altdorfer, Albrecht」より) 上で掲げた『エジプトへの逃避途上の休息』と同じ絵のはずだが、色調がまるで違うので、思わず掲げてみた。
話の筋は通っているというべきなのか。そう、思っていいのか…。
ここらでアルトドルファーに戻る。
アルブレヒト・アルトドルファーは、アルブレヒト・デューラーやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ティツィアーノ、コレッジオ、ピーテル・ブリューゲル(父)、エル・グレコらと共に、大きくはルネサンスの画家たちの一人なのだろう。
そうはいっても、名前だけ見ても、その強烈な個性はそれぞれに際立っている。
→ Altdorfer, Albrecht 『キリスト降誕』(1511頃?) (画像は、「WebMuseum Altdorfer, Albrecht」より) 主題はキリスト降誕だが、言われないとテーマが分からない。それほどに、風景描写が立ち勝っている。
そうした天才たちの中にあって埋没しないでいるのは、彼独自のテーマや彼ならではの技法もあったのだろう。
「ドナウ派最大の画家。西洋史上における、純粋な風景画の先駆者である。また、版画や素描の分野にも個性を記している」(「ルネサンス」)というけれど、小生はただ魅入られ眺めるのみである。
← Altdorfer, Albrecht 『Ascension of Christ 』(1527) (画像は、「WebMuseum Altdorfer, Albrecht」より) アルトドルファーの作品をあれこれネット上で渉猟していて、小生が一番、感銘深かったのがこの絵。フューズリー(悪夢)かルドンか、やはりギュスターヴ・モロー(サロメ)などを即座に連想してしまったのだが…。クリックして拡大画像を観るのをお勧めする。
「ルネサンス」(ホームページ:「わんだあぶっく」)によると:
ルネサンスは人間再生の時代といわれる。あまりにも神が中心的だった中世から、人間が中心として個人が尊重される時代である。哲学、文献学、キリスト教学、美術,建築、音楽、演劇、文学、言語学、歴史叙述、政治論、科学、技術などそれぞれの文化領域において顕著な発展がしるされた。→ Altdorfer, Albrecht 『Allegory 』(1531) (画像は、「WebMuseum Altdorfer, Albrecht」より) やはり、最後は風景画で締めるとしよう。
絵画もまた画期的な発見や発明によって飛躍的な発展を遂げ、科学的な写実主義はレオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロで頂点に達した。
ガリレオがいる。ケプラーがいる。天動説から地動説へ。同時に、コロンブスがいた。バスコ・ダ・ガマがいた。その前にはマルコポーロがいた。そう、大航海時代という時代背景もあった(「大航海時代 コロンブスの新大陸発見」参照)。
空の彼方高くには、神や天があるのでなく、永遠の沈黙の宇宙があると気付き始め、海の彼方には、巨大な断崖絶壁となって海が怒涛の如く落ちていくのではなく、何処まで行ってもそこには違う世界があり、やがては世界を一周することが可能だと示されつつあった。
逸早く、中国の艦隊が大航海に乗り出していた(「夢にてもいざ鄭和の大航海」参照)。
← ,Christopher S. Wood 『ALBRECHT ALTDORFER and the Origins of Landscape』(Univ of Chicago Pr (Tx)) (画像は、「ALBRECHT ALTDORFER and the Origins of Landscape., ALBRECHT ALTDORFER, Wood, Christopher」より) 「In this first major English-language study on Altdorfer, Professor Wood investigates both the influence of his work, and the historical conditions that supported the emergence of landscape as an independent genre. This study makes an impressive contribution to the critical literature on northern Renaissance art.」だって。日本語訳は出る見込みはあまりないのかな。こんな歴史的意義のある、絵画として力強い画家についての本なんだけど。そもそも日本語で読める、アルトドルファーを真正面から扱った本はないのかもしれない。
16世紀末には顕微鏡がヤンセンにより発明され、ほとんど相前後して天体望遠鏡が発明された。
望遠鏡も逸早く発明されていた。双眼鏡だったかどうかは分からないが、望遠鏡は大航海にも使われたに違いない。
この世界を見る目が、一気に大変貌を余儀なくされたのである。極大と極小の両方の範囲が爆発的に拡大したのだった。
風景が違った目で見られるようになるのも、無理からぬことだったのだろう(そんな極大や極小については聖書にも具体的な記述が見出せない、そんな世界が見えてきてしまったのである)。
そのことの西欧絵画における象徴的存在が、風景画の産みの親とも称されるアルブレヒト・アルトドルファーなのかもしれない。本稿を作成しながら、そんなことを思ったのである。
(07/11/22作)
[追記(07/12/16)]:
pfaelzerwein さんに戴いたコメントで、「上のAllegoryやAscensionにおける表現方法の問題であると思うのです。その問題はシュトックハウゼンの場合も同じように前面に出て来てしまいます」とある。
pfaelzerwein さんは、早速、「グリューネヴァルトとその同時代人展」を観て来られたようで、下記の味わい深いレポートを書いておられる。さすがと思うしかない記事だ。
特に後者はアルトドルファーとグリューネヴァルトとの関係に付いても興味深い指摘がなされている:
「しなやかな影を放つ聖人」
「肉体に意識を与えるとは」
(拙稿:「グリューネヴァルト…絵の奥に息衝く真(まこと)美か醜か」)
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コメント
アルトドルファーが風景画とは知りませんでした。早速時間を作って、グリューネヴァルトとその同時代人展を観て来ます。そこで、アルブレヒト・アルトドルファー、アルブレヒト・デューラーなどを纏めて観て来ます。
この風景画の話題は、自然と環境とその視点の問題となるのでしょうが、上のAllegoryやAscensionにおける表現方法の問題であると思うのです。その問題はシュトックハウゼンの場合も同じように前面に出て来てしまいます。
投稿: pfaelzerwein | 2007/12/13 02:26
pfaelzerwein さん
アルトドルファーは、純粋な「風景画」を描いた最初期の画家(の一人)のようです。
『ドナウ風景』はその典型(ピーク)かも。
グリューネヴァルトとその同時代人展を観てくる。さすが地の利がまるで違う。地元ですものね。
小生の場合、風景画は、ブログでのマイブームテーマである「空 雲 海 水」の一環です。環境問題へ結びつける考えは今の所、ないんです。
もっとゆったり、捉えていくつもり。
そのうち、意外な人の風景画も特集するつもりです。
あっ、偶然なのか、先程までデューラーに関する記事を書いていました。後日、アップする予定。
投稿: やいっち | 2007/12/13 04:10
pfaelzerwein さんに戴いたコメントで、「上のAllegoryやAscensionにおける表現方法の問題であると思うのです。その問題はシュトックハウゼンの場合も同じように前面に出て来てしまいます」とある。
pfaelzerwein さんは、早速、「グリューネヴァルトとその同時代人展」を観て来られたようで、下記の味わい深いレポートを書いておられる。さすがと思うしかない記事だ。
特に後者はアルトドルファーとグリューネヴァルトとの関係に付いて興味深い指摘がなされている:
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/a4b42c9cb8046a04f5589c1f8e207b15
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/2b4694a9b07f1cad019f3f5501f65ef3
投稿: やいっち | 2007/12/16 05:03