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2007/12/21

浮世絵版画に文明開化:小林清親(前篇)

 本稿は、新装開店の「壺中水明庵」へ移しました:
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コメント

 レンブラントやフェルメールをみて得られる心の安らぎと清親の版画から得られる安らぎとはまったく別のものという気がしますし、現在の私にとっては清親の描く明治は、明治の文学に親しみを感じているだけに、懐かしくもたいへん新鮮です。

 いつも労力を惜しまずにつくっておられるブログを拝見できてて感謝しています。

投稿: かぐら川 | 2007/12/21 23:12

かぐら川さん

仰られるとおりですね。浮世絵版画、それも特に明治以降のこうした名所の類いを描いた版画を見ていると、絵の素晴らしさに見惚れているのか、自分にも多少なりとも馴染みのある土地の今昔に思いを馳せ、面影を追っているのか、わからなくなります。
まあ、眺めて見飽きないならそれはそれでいいのですが。

唐突に小林清親を採り上げたのは、この数日、川瀬巴水関連の記事へのアクセスが急増したからです(多分、テレビで彼の特集があった?)。
で、自分の浮世絵版画関係の記事を読み直してみて、小林清親の名を挙げていながら、そのまま忘れてしまっていたことに気づかされたのです。

なので、今回は小林清親を採り上げました。
さらに予定としては、その弟子の井上安治を採り上げるつもりなのです。

投稿: やいっち | 2007/12/22 00:58

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