ベクシンスキー:廃墟の美学(後篇)
[本稿は、「ベクシンスキー:廃墟の美学(前篇)」の続編です。前篇でも書いたけど、本稿は翌日(正確には日付上、当日になっていたが)に試験を控えているというのに、ついついネット散策に夢中になり、あれこれ調べつつ書いたもの。内容に、というわけではないが、書いたり画像に眺め入ったりしていたその夜の自分の胸中などがちょっと懐かしい。滅びの美学。廃墟の美学。こうしたものにどうして人は囚われるのか。ベクシンスキーの場合は、ナチ下という過酷な体験がある。なんたってポーランドの人だからね。日本だって、ほんの数十年前、多くの都市が廃墟と化した。高層ビルが林立していても高速道路や地下鉄が縦横に走っていても、ちょっとした事件で美麗なビル群が廃墟と化してしまう。天国と地獄は常に背中合わせなのだ…が、そうしたことを忘れやすい、目を背けたいと思うのも人の慣わし。……と言いつつ、この数日、訳の分からないものが詰まったダンボール類を片付ける作業に没頭していた。見えなかった壁が多少なりとも見えてきて、感激。日常にあっては、こんなことも嬉しい。天と地もあるが、極大もあれば極小もある。崇高なる美もあれば、卑近な癒えもある。その両端に股裂きなのが人間なのか…な?(14日(アップ当日)追記)]
以下、本文は「ベクシンスキー:滅亡の美学(後篇)」へ移動しました。 (10/03/03 記))
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 大山鳴動して元の木阿弥(2023.05.31)
- 庭木の剪定に汗を流した(2023.05.30)
- 雨の休日らしく過ごす(2023.05.29)
- ナイチンゲールのローズ・ダイアグラム(2023.05.26)
- 蓮でも睡蓮でもなく石蕗です(2023.05.25)
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 天才は天才を知る(2023.05.07)
- 月面着陸船 燃料つき落下か(2023.04.26)
- 60年代は<砂>の時代だった ? !(2023.02.05)
- 民謡歌手・中村優の歌に母の歌声を思い出す(2022.12.18)
- ぐったり三昧の一日(2022.10.24)
「書評エッセイ」カテゴリの記事
- 大山鳴動して元の木阿弥(2023.05.31)
- 庭木の剪定に汗を流した(2023.05.30)
- ナイチンゲールのローズ・ダイアグラム(2023.05.26)
- 「蜷川新右衛門」ゆかりの城跡へ(2023.05.22)
- カフカならここから物語は始まる(2023.05.17)
「国外情勢・歴史」カテゴリの記事
- 足元を見るべし(2022.11.25)
- 日中国交正常化50周年(2022.09.22)
- 新聞が届くのは当たり前?(2022.09.21)
- 西之島の運命を気にしてる場合か(2022.02.08)
- カリンじゃなくボケの実でした(2021.10.20)
「近代・現代史」カテゴリの記事
- サツキはまだかいな(2023.05.09)
- 本の買い出しは自重(2023.05.08)
- 地に足を付けた生活(2023.05.03)
- 「かたはらいたし」が気になって(2023.03.13)
- 雄姿を眺めるだけ(2023.02.21)
「美術エッセイ」カテゴリの記事
- 今日は本の日、シェイクスピアの誕生日(2023.04.23)
- バンクシーをも呑み込む現実?(2022.10.27)
- 今の時期にタンポポ(2022.10.22)
- 週末は薪ストーブ小屋で?(2022.04.07)
- 切り絵作家 坂下奈美や雪門玄松の周辺(2022.03.31)
「恋愛・心と体」カテゴリの記事
- 大山鳴動して元の木阿弥(2023.05.31)
- 庭木の剪定に汗を流した(2023.05.30)
- 雨の休日らしく過ごす(2023.05.29)
- ナイチンゲールのローズ・ダイアグラム(2023.05.26)
- 蓮でも睡蓮でもなく石蕗です(2023.05.25)
コメント