「KY」現象のこと少々
[以下は、12月29日の日記からの転記です。呟き風なのは私的なメモだからかな。]
今年、ある時期、「KY」現象なるものがちょっとばかり世上を賑わせた。
最初に聞いたとき、流行に疎い小生、なんのことだか分からなかった。
今年のNHKの大河ドラマの主役が「山本勘助」、つまり頭文字が「KY」なので、山本勘助のイメージを篭めた、何かの流行現象かと勘助って…じゃない、勘ぐっていた。
→ 画像は、「スウェーデン壁紙特集」から。こういう画像って、郷愁の念を掻き立てる。紋切り型って分かっているんだけど。郷里は今頃、雪国か…。
つまり、勘助という軍師(参謀)の存在の意義や重要性を唱えるとか、外見がともかく実力こそ大事とか(勘助はブ男だったとされる。史実は分からない)、あるいは、KYに絡んでNHKさんが大河ドラマがヒットするように話題を仕組んだのでは…なんてことまで勘助…じゃない、勘ぐっていたものだ。
ところが、である。
「KY」とは、「現代用語の基礎知識2007」(自由国民社)によれば「空気を読め」の略。メディアなどではもっぱら「空気が読めない」の略として使われているとか。
あるいは、「現代用語の基礎知識 2007 年ユーキャン新語流行語大賞の候補語 60 語」によると、下記の通り:
Kは「空気」、Yは「読めない」の略。以前は「空気を読め」といった意味で使われていたが、最近は「あいつKYだ」のように「空気を読めない」あるいは「空気を読めないヤツ」の意味で使われる。9月に辞任した安倍首相に関して頻用され、一般に広まった。
ナンじゃ、こりゃ、である。
小生の当てずっぽうな勘はモノの見事に外れた。
小生、ペンネームは国見弥一、つまり、全国に何万といるだろう、頭文字が「KY]であるものの一人なのである。
代表するつもりはないが、「KY」現象に不快感を覚えていた一人であることは事実。
不愉快千万である。
「空気が読めない」って、どういうこと?
その場の「空気が読めない」が、時に職場や学校やさらには社会、そして政治においても空気を沈滞させてしまうこともあるだろうってことは事実。
福田首相も、肝炎の薬害問題では空気を読んだのかどうか(それとも、福田首相の腹の中では解決の見通しが当初からあって、ある程度、マスコミで話題が沸騰したところで着地点を、水戸黄門さまの天の一声、ツルの一声で、どうだ、オレさまは偉いだろうと)、解決案をここぞという時に示したのは、まさにその事例なのだろう…か。
が、「空気が読めない」って、こんな怖い言葉はないとも思う。
職場で学校で、あいつはダメな奴という空気が流れたら、一体、その流された当人はどうする。出来ない奴、仲間になれない奴、弱い奴、真面目すぎる奴、精神的肉体的欠陥に苦しむ奴…。
えてして、そういった者が虐めの恰好のターゲット(犠牲)に選ばれる。
「空気が読めない」…。
その空気って、自然に湧いてくるもの?
そんな場合がありえることまでは否定しない。
が、多くの場合、発信源がある。誰かが騒ぎ始める。仕掛け始める。
仕掛け人は一人の時もあるが、大概はグループ(複数)である。学校や職場なら(虐め)仲間であり、社会や特に政治では政治テログループである。
特に政治テログループは、政治的に気に喰わない相手がいたら、そのブログを集団で脅迫的なコメントなどで炎上させる。やがては何が何でも謝罪に持ち込む。主張を引っこませる。
背後にかなり意思統一された団体を予想させる(宗教団体や政治団体)。
学校において職場において、不穏な空気が漂う。その空気を読めって、一体、どういうこと?
← クロード・モネ 『日傘の女』 夏の日は遠ざかっていく。
出て行けってこと? 死ねっていう空気だったら、死ななきゃならないってこと? 虐めグループの仲間の輪にお前も加われってこと?
そんな空気を読まなきゃならないの?
変だろう!
空気なんて(無論、目に見えない論調だとか学校などの雰囲気とかの意味での空気なんて)、いつ流れが変わらないとも限らない。
あるいは、空気のターゲットになっている者が黙り込むとか、自主的に(!)辞めていく、去っていくとか、病気になるとか、最悪の場合、死ぬとか。
空気を読んだ結果、澱んだ空気が透明になり平穏になり、平和が戻る…。
誰か一人の犠牲が空気の下の大地に肉体の、あるいは心の躯(むくろ)として横たわっていることを無視すれば、ホントに平和な風景が広がる。
ああ、空気を読んでくれて、よかったねって、安堵の胸を撫で下ろす?
やっぱり、変だよ。
国見弥一、KYの一人として、碌でもない流行語なんて、そんな流行語で誰彼を虐める奴らなんて、クソッ喰らえだよ。
大切なのは一人ひとりの意思であり考えであり気持ちのはず。
だよね? って訊くと、空気を読めってことになるから、まあ、小生はそう思いますってことですよ。
さすがに「新語・流行語大賞」の選からは漏れたようだ。少しは救いか。
=== === === === === === ===
(以下は、上掲の日記に戴いたコメントへのレス:その1)
「KY」現象に不快感を覚えていた人は、案外と多いんだね。
空気を読むということではなく、その場の雰囲気を敏感に感じるってのは、顔色を読むことも含め、日本的なこと、なのかな(海外の事情は分からないけどさ)。
そんな日本なのに、敢えて空気を読めってことは、空気を読めない、鈍感な日本人が増えているってこと、という解釈も可能だろうけど、むしろ、敢えてそういうってことは、ある考え(誰かを排除しろ、虐めろ)を社会に強いる、不穏というか横暴な発想を感じてしまった。
小生としては、KYって言葉(符合?)が逸り始め、紙面に目立つようになった頃は、まだ年初だったということもあり、きっと山本勘助が主役の大河ドラマに絡む話題だって、勘ぐっていたんだけど、勘が外れた。
虐めについては、古傷があるので、KYって現象には神経質になっちゃう。
もっと、言葉を楽しむ、遊ぶって心のゆとりも必要なのかな。
→ 平成元年の四月二十日に起きた朝日新聞による自作自演事件で、珊瑚礁に刻まれたK・Yという落書き。(画像は、「朝日新聞の「朝日珊瑚事件」」より)
余談だけど、覚えている人は少ないだろうけど、「KY」に絡む揮い話題。
「K・Y事件」
つまり、平成元年の四月二十日に起きた朝日新聞による自作自演事件のこと。
朝日新聞記者が沖縄にある珊瑚礁にK・Yという落書きを発見、夕刊一面で報じました。
その後の調査の結果、朝日新聞記者が傷をつけて記事として書いた自作自演報道であることが発覚したって事件。
何故、この事件が今も小生には印象深いか。
何もサンゴ礁を傷つけてまで、話題を提供しようという新聞記者への怒りってことじゃない。
実は、小生が表向き「国見弥一」ってペンネームを使い始めたのは、平成元年の正月十五日。
勢い余って創作した短編を投稿した。確か春三月。
その翌月の四月にこんな「K・Y事件」が発生したので、頭文字が「KY」の小生には、何か、あてつけのようで、不快でもあり、時期的にどうしても印象に残ってしまうことになったのさ。
参考:
「国見弥一という名前の読み方や由来」
=== === === === === === ===
(以下は、上掲の日記に戴いたコメントへのレス:その2)
(コミュニケーション能力に多少の障害のあるお子さんをお持ちの方へのレス)
お話を伺うと、小生自身の子供の頃のことを思わずにいられません。
いろんな困難を抱えている事情もある。
そんなことを思うと、余計に「KY」なんて言葉を人を揶揄したりなどする際に使うなんて、マスコミに限らず、無神経な報道や会話に違和感を覚えたりします。
[こんなニュースがある:
「小栗旬「オレは許せない」 「KY」現象に批判噴出」
小生は小栗旬という人物を知らないのだが、自分の意見を堂々と言える人は立派だね。(07/12/31 追記)]
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