ハドソンリバー派絵画:F・E・チャーチ(後篇)
[数年来の懸案だった、ユニットバスの換気扇のタイマースイッチを土曜日、ようやく修理。嬉しい! さて、いよいよ何かと切羽詰ってきた小生だが、「ハドソンリバー派絵画:F・E・チャーチ(前篇)」の続篇をアップする。こうした風景は今もアメリカに残っているのだろうか。ブログの画面が白いと(小生の場合)読みづらいので、淡いグリーンを背景にした。どうだろうか。(17日アップ当日記す)]
→ Frederic Edwin Church 『Untitled』 (画像は、「Frederic Edwin Church (1826 - 1900) Artwork Images, Exhibitions, Reviews」より)
いかにもアメリカ的でスケールがヨーロッパとは比較にならないほど雄大だが、決して西部ではないことに、妙に感動してしまう。二百年も遡らない過去の東部のアメリカの(少なくとも一部は失われてしまった)風景を描いた人びとがいたわけである。
「アメリカを代表する野外彫刻パーク・美術館のストーム キング アートセンター(STORM KING ART CENTER)は、ダイナミックなハドソン峡谷に囲まれ、調和の良い風景と自然に恵まれた環境に位置する」というが、所蔵するアーティストも性格を異にするようだ。
ハドソンリバー派は、トーマス・コール(Thomas Cole)や「当時のアメリカでコールと双璧をなすとされた風景画家アッシャー・B・デュランド(1796-1886)」らに源流にあるようだ:
「トーマス・コール Thomas Cole」(ホームページ:「無為庵乃書窓」←「無為庵」はいい名称だ。将来、「無精庵」からこっちに変えようかな)
← Frederic Edwin Church 『Mountain Landscape with Catskill Mill House』(1852) (画像は、「Art for Sale for Frederic Edwin Church」より)
一部を転記するが、決して長くはないので、当該の頁で全文を読んでもらいたい。なんといっても、トーマス・コール作品の画像が豊富に載っている:
1801年、イギリス ランカシャー州生まれ。1818年米国に渡り、フィラデルフィア・アカデミーに学ぶ。当時、芸術、美術の分野では米国の”独立"は未だ覚束ない時代にあって”アメリカ絵画"と呼ぶに相応しいものを確立した最初の一人として記憶される。
(略)
また、アメリカ的な雄大な風景画の創始者としても知られている。彼はニューヨーク州のハドソン河畔を愛したが、彼の影響を受けた若い画家たちはやがてハドソン・リバー派という、米国で最初の、かつ最もアメリカらしい風景画の一派を形成した。

→ フレデリック・エドウィン・チャーチ 『キャッツキルクリークの眺め』(66 x 56 cm) (画像は、「キャッツキルクリークの眺め ポスター : Frederic Edwin Church - AllPosters.co.jp」より)
今日は、フレデリック・エドウィン・チャーチに焦点を当てるつもりでいるが、そうでなかったら、「トーマス・コール Thomas Cole」なる頁を足掛かりに、トーマス・コールの世界に浸ってしまうに違いない。
いずれにしても、ハドソンリバー派の絵画作品は彼らが出会った風景を感動もそのままに描こうとしたように思える。やがては、ウィリアム・シドニー・マウント(「写実主義 - MSN エンカルタ 百科事典 ダイジェスト」参照)を代表とする、アメリカの写実主義的な様式の画家らに自然と繋がっていくのだろう。
← フレデリック・エドウィン・チャーチ 《ボレアリスのオーロラ》((1865) 国立アメリカ美術館蔵) (画像は、「Kamio Gallery No.301」より。下記参照)
「Kamio Gallery No.301」(ホームページ:「Kamio Gallery」)によると、「この画家の一派をつくったトマス・コールがハドソン川上流を題材に風景画を描いたことからこの名がついた」ということで、ハドソンリバー派。
非常に分かりやすい。
この頁に、下記の記述がある:
チャーチは初期のハドソンリヴァー(この画家の一派をつくったトマス・コールがハドソン川上流を題材に風景画を描いたことからこの名がついた。チャーチは彼の弟子)派の画家ですが、アメリカの自然を超えて、メキシコやこの絵の舞台のようにニューファンドランドの旅行を重ね、より劇的な風景をキャンバスに描くようにしていました。この絵はバルビゾン派的な写実的自然主義ではけしてないですね。どちらかというと、ドイツのフリードリッヒ(彼の代表作である《難破した希望号》を思い出します)のようなロマン主義を思い出します。この絵でも氷に閉ざされて動けなくなった船、オーロラはドイツロマン主義が好んで描いた無色の虹の弧を思い出します。また、メキシコの風景では、イギリスのロマン主義のマーティンが描くような灼熱の大地の風景を描いたり。
(文中に登場するフリードリッヒについては、拙稿に「フリードリッヒ…雲海の最中の旅を我は行く」があるので、参照願えればと思う。)
→ 千住博著『美は時を超える』(光文社新書 ; 183 . 千住博の美術の授業2. 光文社) 小生は未読なのだが、本書には、「第5章 美を通して宇宙をつかむ?ハドソンリバー派・美の騎士たち」という章がある。興味津々。千住博氏のホームページ:「Hiroshi Senju」 「Insight-メインコラム079-05.05.01」にて、「シリーズ・日本人の心 「美はすべてを超える――芸術と日本人の心」 」と題された、千住博(せんじゅ ひろし)氏本人の談話を読むことが出来る。
「シリーズ・日本人の心 「美はすべてを超える――芸術と日本人の心」 」で見出した一節を転記する:
(略)例えば太古の昔に人々が化粧を始める。天然の岩をすり潰して身体に塗ったり水晶を身につけることで、災いから逃れたり幸せになったり。それが化粧のルーツ。衣服を着ない民族は多いが、化粧はどの民族もする。化粧はコスメティック。語源はコスモス。いわば宇宙と交信するため、人々は化粧をした。で、それを画面に貼り付けたものが日本画。つまり日本画とは、宇宙との交信であり、太古のアニミズム的な記憶にすら言及できるジャンルだ。ところが今、日本画というと、赤富士、舞子、錦鯉とか、すごく矮小化されている。確かにそれも日本画だけど、日本画のほんの一端でしかない。
(ちなみに、「化粧」については、拙稿として「初化粧」がある。)
ハドソンリバー派と呼称される画家たちの作品は、これはこれで写実的な描写なのだが、次代の写実主義的な絵画様式と対比するとなのだろうが、ドラマティックな表現が目立ち、ロマン派的な傾向を感じさせるといった説明がされるのが一般的のようだ。
けれど、移動する手段や<開拓>の度合いからすると、19世紀の初頭から、半ばには未だやや時間がある頃合のアメリカの風景は、手付かずの、ヨーロッパでは失われた茫漠たる荒野として眼前に広がっているのであり、その風景に対峙し、自然そのままに描こうとすると、その結果としての作品は、後の世からするとロマン派的に見えてしまうのであって、その頃に生きた人たちからしたら、ドラマチックに描くつもりがあろうがなかろうが、目の前の風景に魅入られるがままに描いていたら、結果として、それがそのままでひたすらドラマチックだったということなのではなかったろうか。
ハドソン・リヴァー派について、さらに深く知りたい、その世界を堪能したい、時代背景や絵画の特質を考えたいという人には、上掲の本のほか、下記サイトがいいかもしれない(ここでもトマス・コール作品への言及が見られる):
「理想か自然か―ハドソン・リヴァー派のジレンマ― 生田ゆき」
(07/12/13作)
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