渡辺崋山が蟄居を命じられた日
今日12月18日は、「 今日は何の日~毎日が記念日~」によると、「1839年 江戸幕府が渡辺崋山に蟄居、高野長英に永牢を命じる」という日なのだとか。
← 渡辺崋山『月下鳴機図』 (画像は、「渡辺崋山 - Wikipedia」より)
何故に脈絡もなくこんな話題を持ち出すかというと、単に小生が渡辺崋山という人物に興味があり、そして彼の画が好きだからである。
(同時に、事情があって小生自身、ほとんど蟄居の生活をずっと送っている…、ということもあって、僭越ながらちょっと境遇をダブらせていることも…ないではない ? !)
「渡辺崋山 - Wikipedia」によると、時の蘭学者たちのリーダー的存在であると看做されていた渡辺崋山は、幕府の保守派、特に幕府目付鳥居耀蔵に朱子学派に対する裏切り者と思われ、また「蘭学者が幕府の政治に介入することを好まなかった」という:
1839年(天保10)5月、鳥居はついにでっちあげの罪を設けて江川や崋山を罪に落とそうとした。江川は老中水野忠邦にかばわれて無事だったが、崋山は家宅捜索の際に幕府の保守的海防方針を批判し、そのために発表を控えていた『慎機論』が発見されてしまい、幕政批判で有罪となり、国元田原で蟄居することとなった。
→ 渡辺崋山画『一掃百態 寺子屋図』(文政元年 田原市博物館蔵) 『月下鳴機図』を描く渡辺崋山は、同時にこうした画も描いていた。謹厳実直で生真面目。だが、クソ真面目だからこそその反面、世態風俗をありのままに描こうとする気持ちを隠し持っているのかもしれない。
「崋山の写実性へのこだわりを示すエピソード」として、「画家友達であった滝沢琴嶺が没し、崋山は葬儀の場で琴嶺の父・滝沢馬琴にその肖像画の作成を依頼された」際、「崋山はそれ(死者を思い出しながら描くこと)を受け入れず、棺桶のふたを開けて琴嶺を覗き込み、さらに火葬された後に琴嶺の頭蓋骨を観察してそれをスケッチしたという」のだから、当時にあってはとんでもない奴だったのかもしれない。
本人はただ生真面目だったに過ぎないのかもしれないが。
とにかく渡辺崋山は人間味があって興味深い人物である。
渡辺崋山については過去、若干のことを書いてきた。
小生自身としては蟄居の身の渡辺崋山が、蟄居の「翌々年、生活のために絵を売っていたことが幕府で問題視されたとの風聞が立ち、藩に迷惑が及ぶことを恐れた崋山は「不忠不孝渡辺登」の絶筆の書を遺し自らの人生の幕を下ろした」ことも含め、あれこれ思いを馳せることことにして、本日は以下、関連の拙稿を示すだけに留めておく:
「文人は命からがら辛いもの」
「君の貞節堅固は、松や柏と同じである」
(「歌舞妓人探しあぐねて木阿弥さ」)
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