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2007/11/07

絵画は自然科学的実践 ? ! …コンスタブル(後篇)

[本稿は、「絵画は自然科学的実践 ? ! …コンスタブル(前篇)」の続篇です。無論、マイブームテーマである「雲」の一環でもある!]

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← ジョン・コンスタブル『主教館の庭から見たソールズベリ大聖堂』(画像は、「ジョン・コンスタブル (ロマン派)」より。ホームページ:「アート at ドリアン 西洋絵画史・ギリシャ神話・聖書の物語」)

 さらに、「ジョン・コンスタブル - Wikipedia」によると、「コンスタブルは1776年、ロンドンの北東にあるサフォーク州イースト・バーゴルトに裕福な製粉業者の子として生まれた。画家を志したのは比較的遅く、20歳の時、商売を覚えるためロンドンへ出たときに、ジョージ・スミスという風景画家に出会ったのがきっかけという」が、以下、「ジョン・コンスタブル - Wikipedia」を参照願いたい。

 瞠目とは言わないが、コンスタブルは注目に、そしてじっくりと観、味わうに値する画家なのである。
 スペースの許す限り、画像をネットで捜して載せたけれど、その作業も楽しかった。

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→ ジョン・コンスタブル『水門』(画像は、「ジョン・コンスタブル (ロマン派)」より。ホームページ:「アート at ドリアン 西洋絵画史・ギリシャ神話・聖書の物語」)

 さて、「絵画と気象 ジョン・コンスタブル」という頁には、冒頭に以下のように書いてある:

この絵には、暗くなった景色の上を躍動的に流れる荒れた空模様が描かれている。コンスタブルは、ハムステッド・ヒースの雲の研究を基に絵を描いたと考えられる。しかし、天候条件を記録したメモはない。彼は絵に対しては、情緒を表すための試みというよりも、「科学的な勉強」という意識で興味を持っていたと言われている。(中略)彼の描く風景は、父親の出身地であるイギリス東部のサフォーク州、コンスタブルの生まれ故郷周辺が中心で、ただイギリスの田舎の風景を描きつづけた。コンスタブルのような森や木、川の風景画を描いた画家は、いない。コンスタブルの絵には、特に風景に流れている雲が特徴的である。決して空が大きく描かれているわけではないが、風の流れによって形が変わっていく雲、さまざまな雲の姿が、それぞれ違う画の中に見られて興味深い。

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← ジョン・コンスタブル『海を覆う雨雲』(画像は、「ジョン・コンスタブル (ロマン派)」より。ホームページ:「アート at ドリアン 西洋絵画史・ギリシャ神話・聖書の物語」)

 転記文中、「ハムステッド・ヒースの雲の研究を基に絵を描いた」というくだりが見受けられる。
 ハムステッド・ヒースという研究者がいるかのようだが、あくまで地名である。
 ハムステッド・ヒースの高地で雲の観察をし、雲を科学的に、コンスタブルの場合は絵画という方法で描いたのだった。

 コンスタブルが王立科学研究所の講演で述べた言葉を使うと、「絵画は科学であり、自然の法則における問いとして追い求めなければならない」のであり、同じ講演で「にもかかわらず風景画が自然科学の一部とみなされず、絵画が、自然科学の実験と捉えられないのは、なぜか」と問い掛けた。

 また、転記文中に「天候条件を記録したメモはない」とあるが、上掲書によると、「空を描いたコンスタブルのスケッチの多くには、背面に、絵が乾くまでの数時間に書かれた天候記録が残っている」という。

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→ ジョン・コンスタブル『チェイン・ピア、ブライトン』(画像は、「ジョン・コンスタブル (ロマン派)」より。ホームページ:「アート at ドリアン 西洋絵画史・ギリシャ神話・聖書の物語」)

 但し確かに、天候記録は残したが、天候条件は記録していないのかもしれない。
 本書から少し転記する:

 気象学的理解を追求する上でのコンスタブルの試みは、気圧記録をつけるという方法ではなく、絵画というすばらしい実践をもって行なわれた。組み立て式椅子の周りに広がる光景は、屋外の製造実験室のようだった。コンスタブルの絵の具箱には、『マンガン赤色酸化物』、『水銀化合物』、『クロム三二酸化物』というラベルの貼られた魔法のガラス瓶がいっぱい詰まっていた。

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← ジョン・コンスタブル『ハムステッド・ヒース  ブランチ・ヒル・ポンド』(画像は、「ジョン・コンスタブル (ロマン派)」より。ホームページ:「アート at ドリアン 西洋絵画史・ギリシャ神話・聖書の物語」)

 けれど、容易に想像が付くように:

 そうした装備が実験的調査に対するコンスタブルの忠誠心の表れだとしても、その結果の表現は絵画の物質的特性を超えることはなかった。可能な限り薄められたとしても、その表現は、コンスタブルが願った通りに紙の上を縦横無尽に飛び交ってはくれなかった。空の表情は、あっという間に変わる。ヒースの空高く、世界の上空に、計画されない自然は、連続した計画されない姿へと移ろっていく。その影、色合い、形は、ゆっくりとした絵画的な配置という原則に従うことを拒否した。

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→ ジョン・コンスタブル『ハドリー城』(画像は、「ジョン・コンスタブル (ロマン派)」より。ホームページ:「アート at ドリアン 西洋絵画史・ギリシャ神話・聖書の物語」)

 そう、幾らコンスタブルが、「想像力はそれ自体では何もなさず、何もなしえず、『現実』との対比をかたわらに置いて初めて創作物を生みだす。コンスタブルの絵画は、絵画のための絵画ではない。その基準を、自然に置いているのだ」と確信していても、雲はコンスタブルをもってしても捉えどころがなく、彼の観察や試みは挫折に終らざるを得なかったのである。

 その悲劇を決してあげつらうべきではないだろう。崇高なる挫折。
 風景、空、雲、霧、風、その全ては描かれ観察され愛でられる主役であることを彼ほどに絵画で教えてくれた人物は居ないのだから。

 あああ、こうなると、今度はジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner)を採り上げたくなる!
 なんたって、好きな画家であり、展覧会を観る機会にも恵まれた肝心のターナーについては、「古今なる異形の人とトークせん」などでついでのように触れているだけなのだ。

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← Ф・ワシーリェフ『雨上がりの草原』(1872)70×114cm (モスクワ,トレチャコフ美術館) (画像は、「トレチャコフ美術館I」より)

 でも、その前に、「絵画は自然科学的実践 ? ! …コンスタブル(前篇)」へ寄せていただいたオペラ座の灰燼さんのコメントにも紹介されていたロシアのワシーリェフという画家のことも気にかかる。
 一番最後に、ワシーリェフの『雨上がりの草原』なる作品だけ掲げておいた。

 うむ! 世界には小生の知らない画家がまだまだ居る!!

 それはそれとして、オペラ座の灰燼さんのブログで「鴨川夕景」なる記事に載っている雲の画像群の見事さ!

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