命と引き換えの自然描写:大下藤次郎(後篇)
[本稿は、「命と引き換えの自然描写:大下藤次郎(前篇)」に続くものです。大下藤次郎の澄明で静謐な世界をお楽しみください。]
大下藤次郎は友人の三宅克己(文末近くに彼の作品画像を掲げる。近代日本水彩画の第一人者である彼に付いても単独に特集するに値する人物である)と共に、但しそれぞれ別々の地で、バルビゾン派などの絵画に影響を受け、日本におけるバルビゾン村を作ろうとまで決意する。
→ 大下藤次郎『久々子湖』(1911(明治44)年作 紙・水彩 35.0×24.5(cm)) (画像は、「千葉県立美術館」より) なんて澄明で静謐な世界なんだろう。ちなみに、久々子湖(くぐしこ)は、「三方五湖」の一つである。
大下はやがて『日本風景論』で有名な志賀重昂と、ついで小島烏水と出会うことで決定的な転機を迎える(「松岡正剛の千夜千冊『日本風景論』志賀重昂」参照)。
以下、「「コンスタブル」と「大下藤次郎」」より転記する:
小島と知己を得たのをきっかけに、大下は当時小島が設立に努力した「日本山岳会 (山岳会の後身) 」に入会します。入会後、大下は上高地、穂高、木崎湖、青木湖などを旅行することが多くなり、したがって描く絵も山岳風景が多くなっていきます。当時は上高地といっても、現代からは想像もできぬ未踏の地でした。
登山姿で画架をかつぐ大下の姿には、産業化への足音が聞こえだした今こそ日本の風景を採集しておかなければならない、という使命感に満ちたものが感じられます。
← 大下藤次郎『紫陽花』(1904(明治37)年作 紙・水彩 21.0×33.0(cm)) (画像は、「千葉県立美術館」より)
転記文中に「産業化への足音」という文言が見受けられる。そう、「日清戦争から日露戦争にかけての時代」だったのである。殖産興業と産めや殖やせやの時代。戦勝に日本中が浮かれ出した時代。漱石が憂鬱に沈んでいった時代。
そうした時代にあって、「戸外に画架を構え、自然と直接対峙するという大下の風景画家としての姿勢は、晩年まで貫き通され」たのだった。
戸外と言っても転記文中にあるように、ただの屋外という意味ではなく、「現代からは想像もできぬ未踏の地」を意味している。
→ 大下藤次郎《秋の海(小豆島)》(1910年頃、田辺市立美術館蔵) (画像は、「水彩画の魅力展」より)
「大下藤次郎著「尾瀬沼」」なる頁を覗くと、臨時増刊「みずゑ」尾瀬沼特集号に載せた尾瀬を紹介する紀行文の一部が読める。
ほんの一部だけ転記する:
ここに止まること五夜,その間出来るだけスケッチした,あまりに材料の多いので,落ちついて二三枚の絵を作って満足して帰ることは出来ぬ,よいと思ふところは一つ残らず画いてゆきたい,一日に七八枚も写生した時もある,高原に咲いてゐる花ばかり集めて画いても,一月や二月の画材に苦しむことはない。六日目にここを去ったが,この上留まるべき時日と用意のないのが如何にも残念に思はれた,私は出来ることならこの地に完全な小屋を作って年々来て研究したい,そして世の風景画家にこの地を紹介したいと思ふ。旅行中の有様は,次項尾瀬日記について承知せられたい。
← 大下藤次郎 『秋の雲』(1904) (画像は「考える葦笛 日本の風景画……ラスキンの赤い糸(4)」より)
大下藤次郎作の『久々子湖』(1911(明治44)年作 紙・水彩 35.0×24.5(cm))については:
この作品は、明治44年8月に松江から福井にかけて講習会のため旅行した際の所産である。三方五湖のひとつ久々子湖で、水辺で遊ぶ母子を描いたもの。色彩の豊かな大下としては、めずらしく全体が脂っぽい色調で統一された作品であり、少し感傷的な雰囲気を漂わしている。大下は、この直後体調を崩し、10月に41歳で亡くなっている。
冒頭に示した「「コンスタブル」と「大下藤次郎」」という頁でも、「小島烏水との接触により、大下の心の中に、自然を通して人生を見る諦観に似た感情が生じ、それが大下の絵の中にも現れてきたようで」あり、「晩年の山岳風景を中心とした作品には、かつての青梅時代のような人物の姿は消え去り、すばらしいけれども、人を寄せつけぬ冷たさがただよってくるようになりました」という。
→ 三宅 克己『白壁の家(ベルギー、ブリュージュ)』(1921(大正10)年 水彩、紙 67.3×105.0cm) (画像は、静岡県立美術館「【主な収蔵品の作家名:三宅 克己】」より)
大下藤次郎の「自然を通して人生を見る諦観に似た感情」は何処に由来するのだろう。死を予感していて、大いなる自然のほんの一部をも描ききれない絶望?
自然を眺める者誰もが感じる郷愁?
自分が描く営みよりも遥かに圧倒する速さで進む自然破壊への諦念?
それとも、自然を眺め描く営為は命と引き換えを意味するほどに過酷なことと気付かされた?
それはそれとして、本文に掲げた作品が醸し出している静けさはこの上なく美しい。
(文中にも示したが、大下藤次郎理解には、高階秀爾『水絵の福音使者・大下藤次郎』(美術出版社)が参考になりそう。が、小生は今以て未入手・未読。本書については、「高階秀爾『水絵の福音使者・大下藤次郎』 - 関心空間」が参考になる。 (08/06/01 追記))
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