« 「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(後編) | トップページ | 阿久(あきゅう)なる縄文遺跡をいつか見ん! »

2007/11/05

雪の関越自動車道遭難未遂事件(6)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(6):番外篇:捜していた日記が見つかりました篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇」より続く)

 今回は、「これでエピローグにしたい!篇」をアップしてこの回想ドキュメント(レポート)は終わりにするつもりだったが、予想外の事態が発生し、急遽「番外篇」を提供する。
 一つ報告がある。
 ある意味、嬉しい発見があった。
 なんと、この「雪の関越道であわや遭難事件」当時の日記が見つかったのである!

0711055

← 見つかった日記の冒頭付近。文字の乱れは線路の軋みでも愛の迷いでもなく、もともと乱筆(乱文)なのである!

 小生は手書きの日記を15歳の頃より今日に至るまで書いてきたのだが、二十歳までの日記は焼却してこの世にはない。
 が、それ以降の日記は多分、捨てていないので家の何処かしらにあるはず。だが、数ヶ月ごとにファイルに挟んだりビニールの袋に突っ込んで、溜まると他の古い書籍類などとともにダンボール箱に詰め込み田舎に送ったり(多分、納屋行き!)我が部屋の何処かダンボール箱の山の中に埋れていく。
 当然ながら91年頃の日記類など、古いからとっくの昔に田舎行きの憂き目に遭っているものと思い込んでいた。

 が、何故か小生が現に今、居住している部屋の下駄箱の中から見つかった。
 我輩は靴など突っ掛けを含めても数足しか所有していないので、下駄箱などは物入れになっている。何が入っているか分からない。
 過日、ガキの頃に描いた漫画類を束にして収めたファイルがあるはずと思って部屋の中をガサ入れしていて、もしかして下駄箱にファイルがあるやもしれないと、ちょっとでも触ると押し込んだ雑物が崩れ落ちそうなのを、慎重に(恐る恐る)手を突っ込んでみたら、青いファイルを発見。
 やっとの思いで引っ張り出してみたら、背に「91年から92年」と書かれてあるではないか。
 一瞬、目を疑った!
 おやっ、まさか、こんなところに、でも、もしや…と思い、引っ張り出して、中を覗いてみたら、案の定、当時の日記なのである。

 言うまでもなく、この<事件>があった当夜になんとか見つけた宿で書いたもの。
 体の芯から冷え切っていて、手も体も震えが止まらないままに、体を首まで炬燵に突っ込んで、細い水性ペンのようなものでせっせと書きなぐっている。
 しかも当夜だけでもレポート用紙に6枚に渡って(翌日もレポート用紙数枚にあれこれ書いている)。

Kanetu1_2

→ ガソリンスタンドもバイクの店も見つからず…。とりあえず腹ごしらえだと入った店「いなかっぺ」のパンフレット。今もこの店はあるのだろうか。この店の方に泊まる宿を教えてもらった。裏面には漫画家のわちさんぺいさんの絵が載っている。わちさんぺいさんは当時はご存命だったが、1999年12月10日に亡くなられていたようだ。

 溢れ出る辛かったという思いを白い紙面に書き連ねることで、ようやく脱した窮地で受けた心身のダメージやストレスを少しでも和らげようとしたのだろう。

 あるいは、頭から布団を被って酒など飲んで眠るのが普通の人なのだろうが、小生はとにかく書く。
 何が何でも当日の体験の印象が鮮やかなうちに書き尽くすんだという、文筆の才能の有無はともかく、書くのが天性であり根っからの習い性となっている自分だから、何もかも忘れて眠りたいという願いより書き尽くしておかないと眠るなんて自分には決して許さないという、そういう行動形態というか姿勢が如実に現れている。

 さて、ここには、さすがに全文を書き写すというわけにはいかないので(今月一杯は事情があって時間がない。後日、必ずやる! 必ず全文を書き写す。但し、ネットにアップするかどうかは別儀である!)、とりあえず、今まで書いてきた回想レポート(ドキュメント)の流れに従い、料金所を出て宿を見つける辺りの記述を可能な限り転記する。

 可能な限りとは変な表現だが、当夜は上記したように手が震えていて(これは、あわや遭難という難儀で体の芯から冷えての結果でもあるが、同時に、バイクに長時間乗ると、ハンドルを握る手がバイクのエンジンなどの振動の故にジーンと痺れるような状態になってしまう結果でもある。バイクの振動が骨身に伝わって震えが止まらないという事情も加わっているのだ)、自分が書いた日記ながら文字が読み取れない部分が相当にある!

 さすがに当夜は、手や指の痺れもあるが冷静さを欠いてしまっている。
 また、とにかく急いで書き留めておかないと、たった今経験した<現実>から受けた印象が消え去りはしないとしても、一気に鮮度を喪ってしまう…そんな焦りというか危機感のような心理があって、文字の形などには構っておられなかったのである。
 尤も、小生はもともと乱筆乱文の徒なのである!

Kanetu4

← 悪戦苦闘した29日。高坂SAでガソリンを給油。その時はまさかこんな悪夢のような事態が待ち受けているとは露知らず。高速券は塩沢石打IC出口のもの。やっと高速道路を出た、助かったと思ったのだが、先はまだまだ長く辛いものだった…。日記は29日の夜中に書いたが、なんとか帰郷した30日にも書いたようだ。

 ただ、言い訳させてもらうと、書く字が日記に付いては特に下手なのには理由がある。上記したように、15歳の頃から日記を書き始めたのだが、高校時代のものは高校を卒業する3月に、自宅の裏庭にあったゴミの焼却のためのドラム缶で手紙や葉書類も含め全て燃やしてしまった。

 問題は学生になってからの日記である。
 日記帳や学生ノートに日記をせっせと書いたのだが、下宿やアパートの部屋に本が溜まると、置き場に困るのでダンボールに詰めて田舎に送ってしまう。
 その際、日記帳も一緒に送った。
 が、ある年(多分、二十歳の頃)、田舎に帰省したら、ご丁寧にも書籍類が書棚に収められている。
 だけならともかく、日記までがちゃんと並べられているではないか。
 !!…ってことは、中味が読まれた?!
 好奇心の薄からざる両親のことである。間違いなく読まれてしまった!
 
 そんな事件があってから、小生はこと日記に関しては、他人には解読不能な文字で書くように決心したのである。
 その前に、二十歳までの日記は全てやはりドラム缶で燃やしてしまった(当時は未だドラム缶があった)。その頃までの日記は、自分で読める字で書いていたのだし、未だ高校時代の失恋の余波があって、その辺りの真情が連綿と書き連ねてあったという事情もあった(それが読まれたという可能性が高いのだからショックだったのだ)。

 が、羹に懲りてではないが、極端に用心深くなって自分でも解読も判読も不能な文字で書くようにさえなってしまったのだった。
 もともと下手だから、他人が読むには辛い文面なのだったが。
 それに、こうした失敗に懲りて、日記にさえ心情の限りを書くようなことはなくなった。ある意味、読まれても大して痛痒を覚えない内容しか書かなくなってしまったのだが。
 皮肉なものである。

 ま、字の汚さの言い訳はこれくらいにして、さて、そういうわけで、次回こそ「雪の関越自動車道遭難未遂事件(7):これでエピローグにしたい!篇」を当時の生々しい日記を転記する形で提供する予定である。
 このドキュメント風レポートも随分と書き連ねてきたので、そろそろ打ち止めにしたいものである。
 問題は、我が日記ながら何処まで判読できるか、なのだが…。

雪の関越道あわや遭難事件(7.完結篇:これが全貌でした篇)」に続く。

|

« 「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(後編) | トップページ | 阿久(あきゅう)なる縄文遺跡をいつか見ん! »

オートバイエッセイ・レポート」カテゴリの記事

ドキュメント」カテゴリの記事

思い出話」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

番外編」カテゴリの記事

コメント

私も、若かりし頃に書き溜めた日記が実家のどこかにあるはず。捜索したくなってきました。

――「これでエピローグにしたい!篇」、楽しみにしていますよ。

投稿: ゲイリー | 2007/11/05 09:21

ゲイリーさん
コメントや励まし、ありがとう。
次へ続ける元気が出ます。

昔の日記。ゲイリーさんはどんなことを書かれたのでしょう。
差し支えなかったら、一部でも公表してみたらどうでしょう。

小生に付いて言えば、今回は必要があった比較的最近(?)の十数年前の日記ですが、そうじゃなく、若かりし頃の日記は気恥ずかしくなるものです。
でも、何十年も経つと、逆に微笑ましくも思えたりする。
夢のようだけど夢ではなかったと訴えかけてくる。
日記や領収書の類いって(写真類は皆無に等しいだけに)、時間を経て実物を見ると生々しい存在感があります。

投稿: やいっち | 2007/11/05 10:30

 こんばんわ。
 日記が見つかって嬉しい限りです。

 誰にって・・・・・私に(笑)

 大変失礼ながら、このシリーズは、実に興味深く読ませていただきました。
 もうバイクは乗らないとはいえ、かつては私も単車乗り。
 加えて、ツーリング(2輪であろうが4輪であろうが)が好きとなれば、けして他人事ではなく・・・・・。

 やいっちさまのご都合もあるでしょうが、可能ならばやはり、拝読させていただきたいと思います。。。。。

投稿: RKROOM | 2007/11/05 23:13

RKROOM さん
一連の記事を読んでくれているとは嬉しい限りです。

RKROOM さんがかつては単車乗りだったとは。
そう、小生も昨年の夏までは単車乗りだったのです。

オートバイ乗り(まあ、車は車でドラマがあると思うけど)なら、誰しも一つや二つ(多分、数知れず?!)ドラマがあったはず。
何故、ドラマなのか。事故で敢え無く散っていたなら、話は闇の彼方なのであって、生きていればこそ、ドラマなのですね。
他にも大きなドラマはある(初めて中古のバイクを買ったその年の夏の帰省に仙台と富山を往復した、二千キロにも及ぶツーリングはいつかは、レポートに仕立てたいと思っている)けど、まあ、追々に。

日記の判読がかなり苦労。自分の文章であり文字なのだけど、ミミズが風邪引いてのたくっているようで、眺めていて我ながらうんざりしている。
まあ、とりあえず、近日中には一部だけでも書き起こしたいと思っているのですが、さて。

投稿: やいっち | 2007/11/06 02:02

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/16978880

この記事へのトラックバック一覧です: 雪の関越自動車道遭難未遂事件(6):

« 「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(後編) | トップページ | 阿久(あきゅう)なる縄文遺跡をいつか見ん! »