« 「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ(後篇その2) | トップページ | 「ホッと一息、でも憂鬱」アップ »

2007/11/25

「清宮質文展」:図録に始まりパンフレットに終わった一日でした

 昨日24日(土)、横須賀美術館へ行ってきた。
 今日で二週間前となる拙ブログ記事「「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」 ! !」で案内していた展覧会「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」を観に行ってきたのである。

2007_1124071003tonai0010

← 横須賀美術館へ向かうバスの車内から海を眺める。 車窓のガラス越しなのに真っ青な空!

 行くのは決めていたけれど、いつ、行くか。
 でも、土曜日の未明、土曜日が前日に続き快晴になるのは分かっていた。
 それでも、行くかどうかは決めかねていたが、とりあえず、土曜日の分の記事は早めにアップしておく。急に思い立って行くことになっても困らないように。

 来週は仕事がある。来週の日曜は用事があって外出は無理。
 再来週に伸ばすと、天気だってどうなるか分からないし、予定がないわけじゃなく、そもそも上掲の展覧会の会期は短い。
 だったら、今日だ、ということで、土曜日の午前十時過ぎに決める。

 急いでありあわせのもので食事を済ませ、雑用などを済ませ、外出の準備。

2007_1124071003tonai0018

→ 横須賀美術館前でバスを降りて、ちょっと歩いたら、巨大なヤシ(?)の木々が小生を出迎えてくれた。人の高さ(白いフェンスほど)と対比してみると、その大きさが分かるだろう。観音崎京急ホテルの敷地内に一杯居並んでいる。あるいは観音崎京急ホテルの名物なのかもしれない。

 小生、3年前の4月以来、本を買うことをやめている(書店に立ち寄らないことにしている)。
 新聞も止めた。6年ほど前だったかに壊れたテレビの買い替えもしない。
 当然ながら好きな展覧会巡りもご法度。

 要は超緊縮財政なのである。

2007_1124071003tonai0021

← 海を眺めながら美術館へ向かう。

 でも、23日にある資格取得のための試験があり、結果の通知は来ていないが(多分、師走の二十日前)、恐らく試験そのものは通っている見込み(この辺りの詳しい事情などは、「ホッと一息、でも憂鬱」として書いて画像と共にアップしてある)。
 試験は学科試験。テキストや問題集を前にしての馴れない勉強の日々が続いていた(そんなに根を詰めてやったわけじゃないけれど、試験が迫ってくる、勉強しなくっちゃというプレッシャーがずっと圧し掛かっていた)。

2007_1124071003tonai0022

→ 横須賀美術館が見えてきた。芝生が広い! 寝そべりたくなる!

 それが、未だ合格通知は来ていないものの、パスはしたと思われるので、いずれにしても半年間ほど勉強しなきゃというプレッシャーの日々だったことは間違いなく、そんな時期を取りあえずは乗り切った自分へのご褒美ということで、一年ぶり(?)の美術展へ足を運ぶことを自分に許したのである。
 何故、そんな大仰な表現をするかというと、小生、性癖に近いのか、美術展へ行ったら、その帰りには必ず図録(カタログ)を買う。
 それも、特別展の図録と、その美術館の収集カタログ(時には売店で見かけた珍しい図録まで)をも買ってしまう。
 加えて、ささやかなコレクションのポストカードや栞(しおり)なども少々、入手。

 なので入場料や交通費だけならともかく、カタログ代そのほかの購入費が嵩み、結果、展覧会めぐりは高いものになってしまうのである。

 それで、自分を少しは褒めてやろうと久々の展覧会、なんて大袈裟な表現になるわけである。

2007_1124071003tonai0025

← 美術館前に立って振り返って海を眺め遣る。遠く東京湾の対岸にはランドマークタワーが小さく見える。

横須賀美術館」へ足を運ぶのは初めてである。
横須賀美術館」という名前や存在さえ、清宮質文展のお知らせの際に目にしたのが初耳(目)だったように思う。

 …調べたら、今年の四月に開館したばかりだった。
 さらに調べたら、この美術館では既に『澁澤龍彦 幻想美術館』が幕開けを記念してなのか、催されていたのだ。この展覧会があることは知っていたが、その場所が横須賀美術館だという認識には到っていなかった。
 
横須賀美術館」の「イベント」頁を開いてみると、「講演会「澁澤龍彦航海記」+図録サイン会」があったという。
 サイン会? まさか澁澤龍彦が? いくら彼でもそんなことは無理だろう ? !
 よく読むと、下記の通り:

「澁澤龍彦 幻想美術館」の監修者である巖谷國士(いわや・くにお)氏をお招きし、展覧会の見どころや澁澤龍彦との交友について、たっぷりお話いただきます。また、展覧会図録でもある巖谷氏の著作『澁澤龍彦 幻想美術館』を対象にしたサイン会も合わせて開催します。

 知らなかったとはいえ、惜しいことをした!

 県立観音崎公園・旧走水園地跡地に建てられたとか)。
 場所も海辺にある。
 部屋に閉じこもる日々が続いたし、そうでなくとも、仕事自体が狭い空間の中にジッとしていることを余儀なくされる性質のもの。
 
2007_1124071003tonai0027

→ 横須賀美術館のエントランスフロアー。館内は撮影禁止。なので、清宮質文展や常設展を観終え、建物を出た際にパチリ。この時点でもう鑑賞疲れ。

 なので、海辺って要素が自分を踏み切らせる決定打になった。

 家を出たのは正午過ぎ。愛用の自転車を駆って京浜急行の駅へ。それがまた心地いい。
 自転車そのものは通勤に、あるいは図書館へ、勉強会の足として使ってきている。
 が、海辺にある美術館へ行く足として、時間の制約なく自転車に乗るってのは、それだけで解放感がある。
 
2007_1124071003tonai0028

← 横須賀美術館本館を出て谷内六郎館へ移る途中、また、海など眺めパチリ。

 京急を馬掘海岸を目指して一路。
 電車での旅も慣れてきた。
 昨年の八月にバイクを手放して、今は何処へ行くにもバスか電車。
 バイクというドア・ツー・ドアの乗り物から、最寄の駅へ徒歩で、バスを使い、駅の構内でどういう路線を使うのかを考え、電車に乗り、乗り継ぎし…というのが案外と楽しい。

2007_1124071003tonai0033

→ 谷内六郎館の入口から撮影。小生の気配を察したか、受付の女性は俯いちゃった。撮りたかったのに。

 京急も目指す駅へ向かうには、一度、乗り換えないといけない。本を読みつつも、何度も、路線図を眺め、間違っていないかを確認する。
 それでも、次第にローカルな風景になってくると、何故か楽しい気分になる。
 金沢文庫だったかが近くなる頃には、たまに予想外に密集する民家の透き間からそれでも海が見えたりする。
 おお、海だ!
 なんて、わけもなくはしゃぐ気持ちになるから不思議だ。

 馬掘海岸という小生には全く未知の小さな駅で電車を降り、近くのバス停でバスを待つ。
 時間の縛りがないので、待つのも苦にならない。周りの風景を眺めたり、綺麗な女性が通らないかとキョロキョロしたり、持参した本を読むともなしに読んでみたり…。

2007_1124071003tonai0034

← 谷内六郎館にも、さらに別館があり、そこへは外の中庭風の通路を渡る。その際に、通路のフェンスの透き間から海を。
 
 待つこと十数分。バスが来た。
 バスの運転手に横須賀美術館へ行きますか、と尋ねる。
「そのままだと無愛想な返事。

 一瞬、理解ができない。何がそのままなの。
 もう一度、訊く。
 返事はやはり同じ、「だから、そのままだって」
 小生、しばし考える。

 やっと分かった。そうか、降りるバス停の名前が横須賀美術館そのままだと言いたいわけだ。
 小生が察するのが遅い?

2007_1124071003tonai0038

→ 谷内六郎館を出て、背後の森、そして早くも夕暮れの予感の漂い始めた空を雲を撮る。

 それからはバスに乗って、しばしバスの旅。たまたま海側だったので、眼下やその先に広がる海を見る。
 ああ、久しぶりの海だ。
 東京でも仕事の際、潮の香らしきものを嗅ぐことはある。
 が、実際は運河なので、潮が川の水と混じっているゆえのこと。数年前まではドブの運河だったのだ。

 しかし、今、目にしているのは紛れもなく海!

 やがて、観音崎京急ホテル/横須賀美術館というバス停に。
 なるほど、確かに<そのまま>ではある!

2007_1124071003tonai0039

← 空、水、雲などがマイブームテーマの小生。青空と雲を撮りたくて、ただそれだけで。

 降りるバス停の目の前が観音崎京急ホテル。ホテルの敷地は海に接している。
 なので、バス停を降りたら、潮の香が楽しめたはずだが、小生は嗅覚が鈍いので、分からない。それが残念。
 ホテルの前をとことこ歩くと、観音崎京急ホテルの敷地内には巨大なヤシ(?)の木が居並ぶ。
 とにかく、でっかい。

 バス停から歩くこと百メートルで、横須賀美術館の敷地が、そして建物が見える。
 なんて素晴らしいロケーションにあるんだろう。

 台風が来たら、海からの風をまともに食らうかもしれないが、真夏だと潮風に吹かれて、暑さもひどくはないのだろうと思えた。
響の言葉 横須賀美術館」にもあるけれど、津波も確かに怖い!

 横須賀美術館の前の広場(敷地)の広いこと。
 芝生になっているが、中を歩くことも出来る。映画上映会などイベントもここで催されるとか。

2007_1124071003tonai0041

→ 谷内六郎館の全体像。この建物だけでも立派な美術館として成り立ちそう。

 こんな贅沢な敷地ってのは、都会ではありえないだろう。
 まあ、上野の森の中の美術館とか、竹橋の近代美術館とか、周りが林とか広場になっている美術館はあるが、まあ、爽快さという点では比ではないだろう。
 
 爽快さは、敷地を塀や柵などで囲っていないから、尚更、解放感が感じられるのだろうと思えた。
 海沿いのバス通りに接していて、ある意味、バス通りがないと、海まで敷地がそのまま繋がっていると思えたりもする。
 そんな<錯覚>もまた善しである。
 どうせなら、清潔感漂う本館は、これはこれでいいけれど、屋上も建物自体も植え込みで覆われるようにしたほうが、鳥などの小動物が憩えていいのではなかろうか。
 
 調べてみたら、この美術館を作るに当っても、いささかもめたようである。理由の一つは横須賀市の財政状況の逼迫にあるようだ:
横須賀Life 熱く、そして冷静に見つめてみる ~横須賀美術館~

 建設途中の横須賀美術館の建物の全容を幾つもの写真で眺めることができる:
横須賀美術館建物ツアー

 そうはいっても、「設計を手がけたのは山本理顕設計工場」だというち、実際に美術館を建てた人に意見を聴くのがいいだろう:
横須賀美術館|鉄とガラスの二重皮膜で自然光を内部に取り込む|ケンプラッツ」:

「緑の中にそびえる建築はふさわしくない」。敷地の持つメッセージを受け止めた山本氏は、建物の半分を地下に埋め込んで地上のボリュームを抑えた。

2007_1124071003tonai0042

← 展覧会のことはさておき、道路を降りて海辺へ。猟師さん? それとも、一般人なのか魚釣り。生きのいいサバが何匹もバケツでピチピチ跳ねていた。

横須賀美術館と谷内六郎館、そして観音埼灯台:あんずさんの旅行ブログ by 旅行のクチコミサイト フォートラベル」が建物内の細部を写真で確かめるのにいい。館内は撮影禁止ということで、小生は撮らなかったので、館内の画像は一枚もないのだ。

 横須賀美術館の本館があり、向かって左手側には渡り廊下で繋がれた別館の谷内六郎館がある。
 そう、清宮質文だけじゃなく、念願の谷内六郎展もようやく観ることが叶うのである。
 自分へのご褒美なのだ。楽しんでこなくっちゃ!

 外の光をふんだんに取り込もうとしているような近代的な建物。
 展示する清宮質文や谷内六郎らの澄明だったり素朴だったり、いい意味で曖昧な輪郭や捉えどころのない夢のような、思い出のような世界とは、まるで違う近代性の極みである建物との対比が面白い。

 この爽やかさ。清潔感。解放感。海辺。すぐ後ろには森。こういったシチュエーションのせいだろうか、あるいは 、屋上広場があり、そこは海の展望台となっていて、東京湾が一望できるからだろうか、横須賀美術館は、この十月の末に「恋人の聖地」に選ばれたそうな。
(「恋人の聖地に認定されました」(PDFファイル)参照)

2007_1124071003tonai0046

→ 緑色のボートで今から沖に漕ぎ出ようというのだろうか。それとも戻ったところ?

 余談だが、展覧会を観終え、帰宅の徒に付こうとバス停へ向かったが、バス停の地図を見たら、鴨居とある。
 美術館の住所は分からないのだが、少なくとも鴨居という地に接しているのは間違いない。

 鴨居というと、名称つながりに過ぎないのだが、鴨居 玲(かもい れい、1928年2月3日 - 1985年9月7日)のことをどうしても思い出してしまう。
 鴨居 玲については、機会を見つけて特集してみたいものだ。

 さて、本館内部に入る。そのためにはレストランの目の前を通る必要がある。
 このシチュエーションはあまり気分が良くない。
 レストランの客に眺められているようであり、逆もまた真なのである。
 入口の奥のほうにあってしかるべきように感じた。
 
 ようやく入口。
 エントランスフロアーは広くて高くて明るくて気分はいい。

2007_1124071003tonai0048

← 左手の海岸線を伝うと京急ホテルの敷地へ続く。その先は東京湾。

 展覧会の模様自体は、別途、書く(かもしれない)。
 ただ、何処の展覧会でも事情は同じなのだろうけど、作品が額に入り、ガラスの板で覆われているのは、どうしても違和感がある。
 そもそも、木版画にしても水彩画にしても、ガラス板で覆われることを予想して画家(作家)は作品を作っているのだろうか。
 常に生の作品と対峙して制作しているはずであろう。
 中には、美麗な額にいれ艶々のガラス板でぴったり密閉した状態での展示・販売を予想し見込んで制作している人もいるだろう。

 まあ、作品を額に入れるな、生で見せろってのは暴論なのは分かっている。
 生で展示して、鑑賞者がつい咳でもして、唾が作品に掛かったら大ごとである。
 ばか者が作品にイタズラする可能性もありえる。
 
 小生が常々気に食わないと感じるのは、展示室の照明のことである。
 何も明るすぎる、あるいは逆に暗いとか、そういうことではなく、照明が作品をカバーするガラス板に反射して、作品に光(反射光)の映り込みが見えたりして、それが作品を鑑賞する際に実に邪魔になってしまうのである。
 
 無論、展示する側としては、その辺りも考慮しているものと思う。
 要は、ガラス板の製造業者が、光の反射を和らげる材質の開発を研究し工夫すべきと思うわけである。

2007_1124071003tonai0052

→ 東京湾。湾だろうが何だろうが、海だ!

 ガラス板だと、光の加減もあり、鑑賞する人の衣服なども映る。
 なので、小生は展覧会へ足を運ぶ際は、白っぽい服装は避ける。黒とは言わないものの、暗色系の衣服を選ぶ。
 小生は24日は黒いズボン、濃緑のジャケット、緑色の薄手のトックリ首のセーターだった(ついでながら、黒い靴、濃緑の靴下)。

 手も後ろ手にする。手も白っぽいので、作品のガラス板に反射すると白っぽくなって作品の鑑賞の邪魔になるのである。
 神経質。
 でも、作品はもっとずっと繊細でやわらかでいい意味で曖昧で輪郭が滲みぼやけていて、作品の表面にガラス面の映り込みであろうと、白っぽいものがダブって見えるなんて予想しているはずはないのである。

 上記したように清宮質文の作品を見ての鑑賞は、今回は略す。
 ただ、木版画の素晴らしさは言うまでもないが、水彩画の素晴らしさに改めて感動したことだけ、メモしておく。

 谷内六郎は、予想外にというより、想像を遥かに超えて素晴らしかった。
 週刊新潮の表紙の絵として観て、いいなって思ってきたのは事実だが、そこには主に昭和三十年代前半への個人的な感傷や追懐の念が預かって大きいと思っていた。

2007_1124071003tonai0053

← 寄せえは返す波。単調極まるはずなのに、見飽きないのは何故?

 が、いざ現物の作品の数々を一覧して、現物が素晴らしいのだと強く感じさせられた。
 単純で素朴で郷愁の念が掻き立てられる。が、作品のどれもが実に考えつくされた(かのような)構成・構図になっているし、色使いが素晴らしい。
 そうか、彼の絵を見て郷愁の念に駆られるのは、絵の題材や選び方・主題の切り口にあるのではなく、絵の持つ力そのものが素晴らしいからなのだと今更ながらに痛感させられたのである。
 谷内六郎についても、後日、何かの形で特集を組みたいとつくづく思った。

 
 清宮質文展を観終えると、すぐに常設展の展示会場へ続く。
 ある意味、清宮質文展で素敵な作品群を堪能して、満足感・満腹感がある。
 その上の常設展。しかも、展示されている作家の歴々の凄さ。
 
 もう、これだけで感傷疲れしている。もういい!

 しかし、小生の居住する町から再度、この町へ来るってのは、そう気楽にはできることではない。
 やはり、全館を観て回れる券を買った以上は、谷内六郎展も観ずばなるまい!

 が、谷内六郎展のみを目当てに来ても、拍子抜けすることはありえない充実した展示内容なのである。
 資料によると、収集は1300点にも及ぶという。
 となると、谷内六郎展のみを目当てに来ても、十分、堪能できるということである。
 
 貧乏性で、清宮質文展に常設展に別館とは言うものの、この建物だけでも優に美術館と称するに値する、その谷内六郎展をも欲張って観て回って、目が、脳味噌がくらくらする。
 感傷疲れ。ノックダウンである。

2007_1124071003tonai0054

→ もう一度、左手のほうを撮影。帰り際、ホテルの前を通ったら、玄関前で花嫁・花婿さんらを囲んで(記念)撮影会をやっていた。白いウエディングドレス姿の女性が遠目にもはっきり見える。余程、ホテルの敷地内に入ってこっそり(?)撮影しようと思ったけど、ダメだよね ? !

 ミュージアムjショップで物色。清宮質文展と常設展と谷内六郎展の三つの図録などを購入。
 さすがに本には目を遣らないよう自制した。
(『澁澤龍彦 幻想美術館』展の図録は我慢、我慢!)

 そうそう書き漏らすところだったが、今回、美術館で発見したこと、気付いたことはいろいろあったが、清宮質文展と谷内六郎展はともかくとして、常設展の会場で意外な、そして嬉しい発見があった。
 下記があったのである:

所蔵品展
小特集:織田一磨《東京風景》

 織田一磨の名だけは聞いたことがあるが、まとまった形で実物を見たのは初めて。
 予想もしないところで素晴らしい出会い。
 彼に付いては、いつか、必ずミニ特集を組みたい!

Odka010001_08

← 織田一磨《駿河台(自画石版画集「東京風景」より)》1916年5月 (画像は、「横須賀美術館」の中の、「イベント」頁より)

 いろんな意味でも、横須賀美術館が海辺にあるのはいい。
 館の外に出たら、潮風に火照った頬や体が、そして多少なりとも緊張していた心が解(ほぐ)される。
 
 眠気なのか疲労のせいなのか、帰りのバスや電車内ではコックリコックリ。でも、心地いい疲労だし眠気なのだた。
 
 美術館に入ったのは二時頃。出たのは三時半過ぎ。小生はお茶などしないで、ずっと見て回るから決して短い滞留時間とは言えないはず。
 家に着いたのは五時半過ぎだったろうか。我が邸宅の階段を登ったら、ほぼ満月の月が。思わず見惚れた。
 しかも、郵便受けには車のパンフレット。セールスマンがやってきて、不在だったため、豪華な、展覧会の図録より紙質の勝るパンフレット類を置いていったようだ。

 図録、そしてパンフレット。
 今夜は…、当分は、これらを眺めつつ寝入ることになりそうである。

|

« 「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ(後篇その2) | トップページ | 「ホッと一息、でも憂鬱」アップ »

文化・芸術」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

美術エッセイ」カテゴリの記事

コメント

試験お疲れ様でした!
ご自分へのご褒美いいですね、しかも横須賀美術館というのがいい。
澁澤の展覧会は埼玉県立近代美術館でやったものの巡回で図録は平凡社から一般書籍としてでていますね。
しかし約一時間半の鑑賞時間とはやや物足りなくはありませんか?
それとも美術館がそれほど大きくないのかな?
ここの美術館のスタッフの応対、監視員の態度などはいかがでしたか?
何はともあれ素敵な土曜だったようでなによりです。
僕はこれから「たばこと塩の博物館」です。

投稿: oki | 2007/11/25 12:45

okiさん

試験、終わってやれやれです。
まあ、先は長いですが。

ご褒美としては、いい美術館だったと思います。
建物も海辺で且つ森に抱かれる、という来訪者には嬉しいけど、展示する作品には必ずしも絶好とは言いかねる中にあって、表を二重構造にするなど、工夫しているようでした。

澁澤の図録は、今回は我慢です。本は買わないというポリシー(?)も42ヶ月目。まだまだ続きそう。

滞留時間の一時間半というのは、小生にはギリギリ限界。帰宅したら、案の定、グッタリでした。
音楽でも生の演奏を二時間ってのは辛いかもしれない。
思えば、サンバパレードも、間の30分の休憩は別にして、パレードそのものは約一時間半。
もしかして、この見物の時間に体が慣れてしまった?!

観終わって、海辺でのんびりできたのはよかった。

>ここの美術館のスタッフの応対、監視員の態度などはいかがでしたか?

スタッフの対応は、車椅子の人への世話も含め、良かったと思います。

ただ、ミュージアムショップで買物していたら、物色の様子に不審を感じたのか、店員じゃない人が二人来て、商品の展示を直す振りをしつつ、小生の様子を伺っている。
なるほど、小生の面貌は不審を呼ぶものかもしれないけれど、もう少し、さりげなく警戒すればいいのに。
不愉快だった!!!!!!

oki さんは、忙しい中、相変わらずいろいろ見て回っておられるようですね。
小生は、多分、年内は無論のこと、来年になっても、いつ行けるか分からない。
フェルメールとか来ているんだけど。

投稿: やいっち | 2007/11/25 19:01

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/17179357

この記事へのトラックバック一覧です: 「清宮質文展」:図録に始まりパンフレットに終わった一日でした:

» 幻想美術館 〜澁澤龍彦〜 [横須賀Life]
最近横須賀美術館について取り上げてないが、 しっかり足は運んでます。 夏におこなわれていた企画展、 「アルフレッド・ウォリス」は書けませんでしたが、 先日までおこなわれていた企画展、 「澁澤龍彦 幻想美術館」展は少し書いておこうかな。 みなさん、澁澤龍彦って知ってますか? 正直なところ自分は美術に疎く、 ぜんぜん知りませんでした。 美術館で見るまで、 澁澤龍彦という作家の作品が飾られていると思ってたぐらい。 美術館の説明を読んでいくと、 どうやら、作家・批評家でありフランス文学者... [続きを読む]

受信: 2007/11/26 20:21

« 「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ(後篇その2) | トップページ | 「ホッと一息、でも憂鬱」アップ »