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2007/11/28

谷内六郎…そこにあるけどそこになく

横須賀美術館」にて催されている展覧会「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」を観に行ってきた。
 この展覧会では、清宮質文の木版画やガラス絵(水彩画)は勿論だが、常設展、谷内六郎展をまとめて観て来る結果になった。

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→ 『上總の町は 貨車の列 火の見の高さに 海がある』 (『週刊新潮』を創刊号 画像は、「谷内六郎(画)『週刊新潮』の表紙」より) 小生の谷内六郎世界との出会いも、ご他聞に漏れず「週刊新潮」だった。父の書斎の机の上にあった雑誌を、何故かこっそり盗み読んだ記憶が…。この創刊号については、「『週刊新潮』 創刊号 団塊バカ親父の散歩話-ウェブリブログ」が参考になる。復刊されていたとは!

 清宮質文の世界に接するだけでも小生のキャパシティを超えているのだが、自転車やバス・電車を乗り継いで赴く美術館となると、海辺にあってちょっとした旅気分になれるものの、なかなか気軽にというわけにはいかない。
 絵の鑑賞で満腹感を味わうってのは贅沢というより、感性には酷な感じさえ印象的には残ってしまう。
 だからというわけではないが、日にちを掛けてゆっくり観て来た各作家らの周辺を扱っていきたいと思っている。

 目と心には焼き付けたつもりでいるので、その時の感覚や印象を大切に、ボチボチと、そう刻まれた世界を追懐するように楽しみつつ周辺を散策していく。

 今日は、谷内六郎の周辺をゆっくり歩いてみる。

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← 『遠い日の歌  谷内六郎文庫 2』(マドラ出版

 驚いたことに(驚くほうが頓珍漢なのか)、「谷内六郎 - Wikipedia」で得られる情報は、知名度に比してあまりに少ない。
 人気がないわけがないだろうに。以下でほぼ全てなのである:

谷内 六郎(たにうち ろくろう、1921年12月2日 - 1981年1月23日)は、画家。
東京都出身。駒沢尋常高等小学校卒業の後、見習い工員などをしながら、絵を独学で学んだ。
1955年『おとなの絵本』で文藝春秋漫画賞を受賞。
翌1956年の『週刊新潮』の創刊号から表紙の画家として登場、古きよき日本への郷愁をさそう独特の画風で人気を集めた。
1981年1月23日、急性心不全のため死去。享年59。

 それとも、谷内六郎の世界を愛する人は少なからずいるとして、片手間ではなく、自分のサイトで本格的に紹介してみたいと思うのだろうか。
 例えば、「「映画の友」と「週刊新潮」の表紙が見られます」という「zizis Website」の中の「谷内六郎(画)『週刊新潮』の表紙」なる頁は、「昭和31年2月19日付けの創刊号から昭和56年12月24・31日号まで故谷内六郎氏が描き続けた表紙」を「順次スキャンして掲載」しているということで、その充実ぶりは目を瞠るものがある。

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→ 谷内 六郎 著『旅の絵本 (谷内六郎文庫 (1)) 』(マドラ出版) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)
 
 無論、順番が逆になったが、「谷内六郎オフィッシャルサイト」を逸するなんて論外だろう。
 また、 「横須賀美術館」と同じ敷地内にあり、本館と並ぶようにして建っている「谷内六郎館」もファンなら本願の地(館)であろう。
「谷内六郎の作品や資料5100点(内、表紙の原画1319点)が1998年の命日に当たる1月23日に遺族から横須賀市に寄贈され、これらの作品が2006年に開館予定の谷内六郎記念館で保存、展示される予定」(既出の「zizis Website」の中の「谷内六郎(画)『週刊新潮』の表紙」より)なのである。

 小生が観たのは、「1960年(昭和35年)の表紙絵展 (日程:10/14-12/2)」だった。小生が六歳の頃のもので、実物を観たはずはないが、観たに違いないという心地いい錯覚を覚えさせてくれる。

 六歳というと小生が保育所に通っていた(預けられていた)頃である。六歳までの小生は、個人的には辛いものだった。手術に次ぐ手術で各地の病院を点々としていた。入院期間そのものは、それぞれ一ヶ月ほどのものだったらしいが、後年に残る記憶や印象というと、どうしても入院し検査し診断し手術し長い長いベッド生活を送りという光景ばかりが残る。

 子供の頃の最後の入院と手術は十歳の時で、まあ、生意気な表現をすると、保育所時代には既に人生に疲れきっていた、あるいは諦めきっていた、自分の人生は終わっているという<感懐>の中に沈みきっていたのは否めない。
 早計過ぎる、思慮の欠けらもない、諦めの早い思い込みに過ぎなかったのだが、疲れちゃっていたのは事実なのである。止めを刺されたのは十歳の時の最後の入院と手術(この時の体験についてはいつか書く機会が来るものと思っている)。
 
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← 『趣味のぬり絵 谷内六郎の描く子どもの眼』(自由国民社

 そんな小生には谷内六郎の世界は眩しすぎる。二重の意味で懐かしすぎる世界なのである。
 一つは、誰しも程度は違うとしても、ある年代を過ぎたなら感じる、失われた遠い過去の世界、過去の自分への懐かしさの念である。特に昭和の三十年代や四十年代の前半というのは、道路もコンクリートやアスファルト舗装はほんの一部で、ほとんどが土かせいぜい砂利道だった。
 それが昭和四十年代の後半には裏道を含めコンクリートに塗り固められてしまった。子供にとっての遊び場がコンクリートジャングルなのか土の上なのか、つまり雨が降ったら泥濘(ぬかるみ)となる、そこを走ったら水飛沫が飛ぶ、水たまりが方々に出来る、ちょっと歩けば子供にとっての秘密の基地が、つまり空き地が見出せるような世界がほぼ皆無になってしまったのである。
 
 もう一つの眩しさというのは、上記したように手術の結果(当然ながら原因があるからの結果なのだが)、保育所時代には全てにおいて投げやりなガキ(そんなものはガキとも呼べない、生ける屍だろう!)に成り果てていた。
 小学校に上がっても、担任の先生に、まるでやる気のないお子さんですねと、母親が何度となく呼び出されていたという。
 意欲のまるでないガキなんて、論理矛盾みたいで気味が悪い。
 そんな碌でもないガキには、無邪気な世界、遊びに没頭する心などあったのか、ありえたのか不思議でならない。

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→ 『趣味のぬり絵―谷内六郎のはるなつあきふゆ』(自由国民社) 「お祭り、お正月、わらべうた…。」

 誰か近所のガキ連中に誘われたら、そのときは誘われるままに仲間の輪に入るが、誘われなければ、ボヤーとしているだけである。一人の時は、マンガらしいものを画いたり、何かしらしていたはずだが、のめり込むようなことはなかった。
 世界は壁の向こうにある。壁といっても、透明な、但し分厚い板ガラスで、しかも、自分をうまく密閉している、不可思議な、不可視の隔壁なのである。
 あるいは、自分を取り巻いているというより、目の前の世界こそが奇妙に可塑性のある、アクリルの、つまり叩いても割れない、手の指で掻き削ろうにもキズの付くことのない、そんなドームの中に納まってしまっているようでもあった。

 いずれにしても、そこに自分は居ない。
 誰も自分を除け者にしているわけでもないのに。
 だだっ広い野原。空き地。突き抜けた空。風。匂いのない時空。
 そう、小生には実際上、嗅覚が失われたも同然なので、世界には匂いが欠落している。生々しさがない。リアリティが欠如している。
 音はあるし、その気になったら一時的には匂いだって嗅ぐことはできるが、ちょっと無理があるが、誰もが感じるような子供の世界がそこにはあったはずなのに、自分がそこに居るという実感だけがないのである。

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← NOKKO【詩】・谷内 六郎【絵】
フルサト―DVD付き絵本』(マドラ出版) 「日本人の心のふるさとを描き続けた谷内六郎の名画計28点が絵本とDVDで楽しめる。」

 今風に表現するならデジタルで架空された仮想空間とでも言うべきか。
 保育所時代には世界が遠い、自分だってその世界の中の一人だという感覚が、世界の中にあるというごく自然な自明性がなくなっていた。あるいは感じることに恐怖して、いつかしら気が付いた時には自分の感性を麻痺させるという処世術を身につけてしまっていたのだろうか。
 何があっても、他人事。苦しさも喜びも他人の出来事。絵空事。そう思っておけば気が楽だったのかもしれない。

 なので、谷内六郎の世界というのは、小生にとっては遠い過去の失われた世界であると同時に、というより、その前に手の届かなくなった、目を閉じたなら脳裏に刻まれた、確かにそこで生きていた世界ではなく、そこにありたかった、そこに生きていたならどんなふうだったのだろうと思いたい、そんな念で目の前を流れすぎていく、流れ去っていくのをただ呆然と見送っていた、そんな隔離された自分を可哀想に思わせられる世界であるらしいのである。

 生きられなかった現実。無邪気さとは無縁の世界。子供らしさを、流れの中で、見よう見まねで演じるともなしに演じてみせる世界。息を潜めて伺い観察し真似るだけの舞台。

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→ 『谷内六郎 昭和の想い出』(谷内六郎/著 谷内達子/著 橋本治/著 芸術新潮編集部/著 とんぼの本 新潮社) 「彼を支えたのは、いつも満ちていた家族の愛。懐かしい風景、純真な子供たち、夢見るような空想世界――日本人の心の原風景を描き続けた画家・谷内六郎のすべて

 が、内から湧いてくるものが何もない、あるいはあっても、見当違いな、まるで筋違いな、ピントのずれたところでひょこっと顔を覗かせて、気がついたらやっぱりそこには誰もいないことに気付かされ、途方に暮れるしかない自分。

 この二重の意味で谷内六郎の世界は小生には眩しすぎる世界なのである。かつては居たと思いたいけれど、一度もそこには仲間として入れなかった、触れ得ざる禁忌の領域。純真さとは完璧な溶解の極。自分を殺しさって初めて可能な無垢。

 だとしたら、一体、自分は何処に居たのだろう。自分のいのちってどこに息衝いていたのだろう。
 時間とは空間である。つまりは通り過ぎるだけのための空間の積み重ね。透明なパイプの中を通過する一個の繭。但し中味は乾いてパサパサ。食い散らされた蓑虫。柿のヘタ。世界を畏怖し恐怖する蛹。本来の形を忘れた胎児。

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← 谷内 六郎 著『海と風船』(アートデイズ) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より) 「子供が置き忘れた紙風船。海辺の町を楽しげに旅していった…。幼き日への郷愁と日本人の心の風景を描き続けた画家・谷内六郎が遺した18枚の油絵と、自ら書き添えた詩的なストーリー。没後、初めて絵本として刊行。」

 どっちにしても、『谷内六郎 昭和の想い出』(谷内六郎/著 谷内達子/著 橋本治/著 芸術新潮編集部/著 とんぼの本 新潮社)の内容紹介で、「彼を支えたのは、いつも満ちていた家族の愛。懐かしい風景、純真な子供たち、夢見るような空想世界――日本人の心の原風景を描き続けた画家・谷内六郎のすべて」とあるけれど、それは小生には対蹠点にある世界だったのである。

 だからこそ、きっと、誰よりも谷内六郎の世界を愛惜する。かつて自分にもあってほしかったけれど、それはないものねだりに過ぎなかった世界への追懐の念。論理矛盾。自己撞着。
 そして、きっと、恐らくは小生は誰とも違う思いで谷内六郎の作品を眺めてしまっていて、誰よりも誤解しているのかもしれない。
 それも仕方がないのかもしれない。自分で感じるものを感じるしかないのだろうし、所詮は自分の世界をしか生きられないのだろう。

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→ 『北風とぬりえ  谷内六郎文庫 3』(マドラ出版

 そうそう、「松岡正剛の千夜千冊『北風とぬりえ』谷内六郎」の末尾で松岡正剛は以下のように書いている。擬似的には(漸近線的に近いかもという意味では)、少し同感するところも:

 谷内六郎はイディオ・サパンではない。「少年」の幻視を描きつづける才能の持ち主なのである。下町のヒルデガルトであって、ぬりえの宮沢賢治だった。
 その谷内六郎に「週刊新潮」がおもいのたけだけ夢を見てもらおうと決断したのは、日本のメディア史上の画期的な英断だった。考えられるかぎりの最高のギャラリーだった。おそらく大半の日本人はその不思議な絵の世界に共感をおぼえたにちがいない。そこには「日本の少年」というものの決定的な原型があったからである。
 けれどもその谷内がどんな少年期を送ったかは、おそらくは知られていない。本書はそれを知る唯一の「よすが」ではないかとおもう。ぼくは泣いてしまった。

 要は、小生にとって谷内六郎の世界とは、そこにあるけどそこになく、そこにないけどそこにあるような存在なのかもしれない。


 なお、小生は既に、旅日記風なレポートは書き終え公表している:
「清宮質文展」:図録に始まりパンフレットに終わった一日でした
 その前に、展覧会の案内というか予告編(?)的な記事も書いた:
「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」 ! !
 展覧会で観て来た作家の一人に付いて、周辺を巡っている:
織田一磨…消え去りし世を画に遺す

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コメント

おっ、遊行さんだ、弥一さんさすが付き合いが広いですね。
僕は前の弥一さんと同じ事情からか、遊行さんのブログでもアクセス制限を受けていて書き込めないのです!
marunouchi.tokyo.ocn.ne.jpで制限されていると思うのですがー。
それはともあれ、谷内六郎の展覧会ってデパートで結構やりますね、年末年始の銀座三越に観にいきましたし、横浜そごうにも観にいきました。
弥一さんも触れられているけど新潮社というのは太っ腹ですね。
海のものとも山のものとも知れない人間に週刊誌の表紙を任せるのですから!
ところで谷内はもちろん「週刊新潮」の表紙だけをやったわけではなく、ほかにもいろいろな仕事をしたわけですが、横須賀美術館の展示ではどこまでふれられていたのでしょうかね?

投稿: oki | 2007/11/28 23:47

oki さん
遊行さんは、oki さん経由で知ったような(ちょっと曖昧な記憶)。
いずれにしても、普段の交流はないんです。勝手に覗きに行くだけ。
今回、ネット検索で織田一磨をいちはやく採り上げていることに気付き、TBさせてもらった。
でも、全く知らない相手じゃないので、TBだけでは失礼と、簡単なコメントを入れさせてもらいました。

谷内六郎はやはり人気があるのかな。でも、人気があって当然の画家だと思います。
実物を見て、改めて、素朴だけと往時の昭和を知る人にはたまらない世界を描ける才能があると思いました。
「オールウエイズ 三丁目の夕日」の人気もあるし、谷内六郎人気は一層、高まりそう。

横須賀美術館の展示は、今回はあくまで週刊新潮の表紙を年代を追って展示していくというもの。展示のコーナーには谷内六郎の壁画(我が富山の有名書店の壁画も)などの幅広い活動には触れていなかったように思います。
カタログにも表紙の絵だけ掲載されている。
ま、彼についてはいろんな形で紹介されていくでしょうから、あれはあれでよかったと思っています。

小生、谷内六郎の世界は、前々から採り上げたいと思っていた。
でも、著作権が切れていないので画像のアップが基本的に難しい。
なので、本稿で掲載した画像は書籍の表紙!!
苦肉の策です。

投稿: やいっち | 2007/11/29 01:12

この度ブログ記事をたくさん載せていただこうと思いWEBマガジンを作成しました。もし良かったら
http://www.edita.jp/allbrog/
より登録よろしくお願いします。もちろん無料です。
アクセスアップにもご協力できるかと…

投稿: RAVELS | 2007/12/23 16:57

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