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2007/11/30

ベラスケス「侍女たち」の風景(前篇)

「furiae」…ベルグクヴィストの周辺(前篇)」でも書いたけど、「「ケプラーの夢(ソムニウム)」再び」で言及していたジョシュア・ギルダー、アン-リー・ギルダー 著『ケプラー疑惑 ティコ・ブラーエの死の謎と盗まれた観測記録』(山越幸江 訳、地人書館)を読了した。

 本書はいろんな理由があって手にしたのだが、その一つは、西洋における風景画の誕生、あるいはその画法などの変遷の歴史との絡みがある。
 西洋において風景画がどのように変遷してきたか。

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← Diego Velazquez『 Las Meninas (1656)』 (画像は、「ミシェル・フーコーによるベラスケス「侍女たち」の読解」より。この記事は後出する。本文共に参照のこと。)

 その全貌など小生には語るすべもない。せめて少しは勉強をと思い、越宏一著の『風景画の出現 ヨーロッパ美術史講義』(岩波書店)も過日、読了している。
「17世紀ヨーロッパにおける風景画の出現は,美術史のなかでどのような意味を持つのだろうか.絵画の画面から人物が消えてゆくプロセスを,古代壁画,聖堂壁画,タピスリー,中世書物の挿画,暦の飾画などをつぶさに見ながらたどってゆくことで,<風景>が芽生える長い道程が解き明かされる.ユニークな西洋美術入門.」といった内容。

 越宏一著の『風景画の出現』を読んで学んだことは多々あるが、同時にちょっと物足らないような気もしたのは事実。
 絵画の宗教的側面や時代を追っての徐々に風景が全面に出現していく、その移り変わりが分かるのは有り難いが、何故にそのように中世から近世へという時代にあって絵画における風景(画)の位置付けが変ったのかの、肝心の背景の説明が物足りないのだ。

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2007/11/29

「furiae」…ベルグクヴィストの周辺(前篇)

 本稿は11月16日に下書きを書いたけど、アップするタイミングを逃していたもの。
 もう、十日以上も経過してしまった。
 もっといろいろ情報を得て、充実させてからアップさせたかったけど、時間的に難しい。半端だけど、アップしておく。

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→ ジョシュア・ギルダー、アン-リー・ギルダー 著『ケプラー疑惑 ティコ・ブラーエの死の謎と盗まれた観測記録』(山越幸江 訳、地人書館) 読み物として実に面白かった。重版も当然だね。

 さて、今日は「「ケプラーの夢(ソムニウム)」再び」で言及していたジョシュア・ギルダー、アン-リー・ギルダー 著『ケプラー疑惑 ティコ・ブラーエの死の謎と盗まれた観測記録』(山越幸江 訳、地人書館)を読了した。
 際物(きわもの)的な本かと、最初は警戒していたが、すぐに真っ当な内容の本と気付いた。実に面白い。後日、なんとか書評と行かなくとも感想文くらいは書きたい。

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← ギャヴィン・プレイター=ピニー 著『「雲」の楽しみ方』(桃井 緑美子 訳 河出書房新社

 ついで、過日、図書館で発見したギャヴィン・プレイター=ピニー 著『「雲」の楽しみ方』(桃井 緑美子 訳 河出書房新社)を今日から読み始めた。
「大空にさまざまな表情を与えてくれる雲。来る日も来る日も青一色の空を見せられたら人生は退屈だ。本書は、英国でベストセラーになった、豊富な写真入りの愉快でへんてこな雲一族を真面目に紹介する世界初の科学ガイドブック。」って本だけど、雲や空、霧、水などなどがブログ上のマイブームテーマの小生にはうってつけの本である。
 冒頭を読み始めただけだけど、楽しそうな本。著者が書くのを楽しんでいるってのが伝わってくる本である。

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2007/11/28

谷内六郎…そこにあるけどそこになく

横須賀美術館」にて催されている展覧会「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」を観に行ってきた。
 この展覧会では、清宮質文の木版画やガラス絵(水彩画)は勿論だが、常設展、谷内六郎展をまとめて観て来る結果になった。

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→ 『上總の町は 貨車の列 火の見の高さに 海がある』 (『週刊新潮』を創刊号 画像は、「谷内六郎(画)『週刊新潮』の表紙」より) 小生の谷内六郎世界との出会いも、ご他聞に漏れず「週刊新潮」だった。父の書斎の机の上にあった雑誌を、何故かこっそり盗み読んだ記憶が…。この創刊号については、「『週刊新潮』 創刊号 団塊バカ親父の散歩話-ウェブリブログ」が参考になる。復刊されていたとは!

 清宮質文の世界に接するだけでも小生のキャパシティを超えているのだが、自転車やバス・電車を乗り継いで赴く美術館となると、海辺にあってちょっとした旅気分になれるものの、なかなか気軽にというわけにはいかない。
 絵の鑑賞で満腹感を味わうってのは贅沢というより、感性には酷な感じさえ印象的には残ってしまう。
 だからというわけではないが、日にちを掛けてゆっくり観て来た各作家らの周辺を扱っていきたいと思っている。

 目と心には焼き付けたつもりでいるので、その時の感覚や印象を大切に、ボチボチと、そう刻まれた世界を追懐するように楽しみつつ周辺を散策していく。

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2007/11/27

じゃがいもは皮ごとふかしホクホクと

 今日は、「小春日和」をテーマに何か書こうと思っていた。
 昨日の営業の中で、東京など関東では「小春日和」といった日和の日々が続いているといった話題が出たこと、さらに、ジャガイモの新種が研究所段階では出来ていて、今は一般に売り出すための安全性などの検証が行なわれているという話題も聞いた。
 そのジャガイモの新種の名前が何故か「コハル」(「小春」か「こはる」かは分からない)なのである。

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← 五月みどりコロッケの唄』 (浜口庫之助 (作詞者) 
宮本光雄 (編曲者) 桧原さとし (作曲者) キングレコード株式会社(発売) 画像は、「コロッケの唄- 五月みどり」より)

 で、小生、「コハル」つながりということで、一席を設けよう…まあ、雑文を一つ仕立てようかなと思った次第。
「小春日和」と「コハル」では二題であり、もう一つ何か見つけて三題噺にしたい。
(不思議なもの、そして面白いもので、棒が2本では立たないのが、3本だと平面の上に立つように、お話も二題だと心もとないのが、三題噺となると話に膨らみのようなものが自然と出てくる。話が立体的になるものなのである。)
 その点、「こはる」という言葉なら何かしら見つかるはずで、三題噺が成り立つのは必定(強引にでも三題噺に仕立てちゃう)!

 けれど、小生の目論みは淡く呆気なく潰え去った。
 というのも、小生のこと、「小春日和」をテーマに何か書いているに可能性がかなりの確率である。
 実際、「小春日和」でネット検索してみたら、案の定だった。
 まさに、題名そのものの小文を綴っていたのだ:
小春日和

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2007/11/26

織田一磨…消え去りし世を画に遺す

 横須賀美術館にて催されている展覧会「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」を観に行ってきた。
(この展覧会が開催されていることは、拙稿「「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」 ! !」で案内してあった。)

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→ 織田一磨《駿河台(自画石版画集「東京風景」より)》1916年5月 (画像は、「横須賀美術館」の中の、「イベント」頁より)

 この展覧会で感じたことそのほかは追々書いていくとして(日記風レポートは既に「「清宮質文展」:図録に始まりパンフレットに終わった一日でした」にてメモした)、今日は、この展覧会で得た収穫の一つである、織田一磨という名の版画家を採り上げたい。

 横須賀美術館では、「「清宮質文展」:図録に始まりパンフレットに終わった一日でした」の文末にもメモしたが、所蔵品展として、「小特集:織田一磨《東京風景》」が開かれていたのだ。

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2007/11/25

「ホッと一息、でも憂鬱」アップ

ホッと一息、でも憂鬱」をアップしました。

「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ(後篇その1)」なる記事の冒頭近くで、「さて、世は今日から三連休だとか。でも、小生には関係なし。その理由は後日、書く…かも」などともったいぶった言い方をしていたもの。

 ま、「ホッと一息、でも憂鬱」は、単なる日記であり愚痴であり、胸中の吐露であり、やっぱり愚痴、呟きです。

 はっきり言って、いつも以上につまらないです!


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「清宮質文展」:図録に始まりパンフレットに終わった一日でした

 昨日24日(土)、横須賀美術館へ行ってきた。
 今日で二週間前となる拙ブログ記事「「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」 ! !」で案内していた展覧会「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」を観に行ってきたのである。

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← 横須賀美術館へ向かうバスの車内から海を眺める。 車窓のガラス越しなのに真っ青な空!

 行くのは決めていたけれど、いつ、行くか。
 でも、土曜日の未明、土曜日が前日に続き快晴になるのは分かっていた。
 それでも、行くかどうかは決めかねていたが、とりあえず、土曜日の分の記事は早めにアップしておく。急に思い立って行くことになっても困らないように。

 来週は仕事がある。来週の日曜は用事があって外出は無理。
 再来週に伸ばすと、天気だってどうなるか分からないし、予定がないわけじゃなく、そもそも上掲の展覧会の会期は短い。
 だったら、今日だ、ということで、土曜日の午前十時過ぎに決める。

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2007/11/24

「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ(後篇その2)

 本稿は、「「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ (前篇)」や「「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ(後篇その1)」に続くもので、「むしむしパワーが地球を救う!」関連の記事はこれでお終い!
 11月13日のラジオ番組で聞きかじった話をメモするつもりが意外と手間取ってしまった。
 それでも、小一時間だったかの間に聴いた話の半分もメモできていない。

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→ 昨日23日(金・祝日)、秋晴れの中、明大内の会場で試験を受けてきた。多分、合格はしていると思うけれど、正式な通知は三週間前後先だとか。画像は試験前、落ち葉の散り敷き詰められたキャンパス内を散策していてのもの。試験勉強があって、通常のブログが書けず、本はほとんど読めず、自分の嗜好もあって、美術関連の記事が多くなったのである。試験のことなどは後日、別に記事にする(多分)。

目次:
●番組出演者紹介
●1.蜘蛛の糸パワー
(以上は、「「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ (前篇)」にて)
●2.アリのエコパワー
●3.ヤモリの忍者パワー
(以上は、「「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ(後篇その1)」にて)
▲.追記24日、アップに際し追記
●4.割れないアワビの貝殻の秘密
●5.カタツムリは綺麗好き ? !
●番外.鮫肌の水着 ? !
(項目の追記、4、5、番外は今回)

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2007/11/23

「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ(後篇その1)

目次:
●番組出演者紹介
●1.蜘蛛の糸パワー
(以上は、「「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ (前篇)」にて)
●2.アリのエコパワー
●3.ヤモリの忍者パワー

[本稿は、「「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ (前篇)」の続編です。長くなったので、2回に分けます。
 ああ、これも書いてから十日経ってしまった。この数日、東京など関東は快晴続き。秋晴れ。その様子を示す一端ということで、「百鬼夜行:クラクションが発端でした事件」と題した思い出話(ドキュメント)風日記文中に幾つか掲げた。拙稿の内容と画像群とのミスマッチが絶妙 ? !
 さて、世は今日から三連休だとか。でも、小生には関係なし。その理由は後日、書く…かも。(本稿アップに際し付記)]

●2.アリのエコパワー

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← 久保田政雄/著『ありとあらゆるアリの話』(講談社) 復刊待ちか。「アリのエコパワー」(下記する)参照。

 砂漠で暮らすアリの巣をヒントにしたエコの話があった。
 沙漠で暮らすアリの巣には、エアコンがない。扇風機もない。
 なのに、零度から時に四十度という外気温にあっても、巣の中は常に一定(範囲)の温度に保たれている。

 何故なのか。理屈は全て解明されたわけではないようだが、少なくとも土に秘密の一端があるらしい。同時に巣の構造にも秘密が。

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2007/11/22

俳優のマイケル・パークスじゃなく

[本稿は、11月12日頃に書いたもの。いつアップしようと思っているうち、タイミングを逸してしまった。とうとう十日も経過。まあ、ジャーナル的な内容ではないので、慌ててアップすることもない。ネット上での美を求めての散策なのだし、ゆっくりゆったり、がいいね。 (22日のアップに際し、記す)]

 マイケル・パークスというアーティストのことを偶然、知った。
 カルロ・モリーノという異色のデザイナーの仕事をあれこれ眺めているうちに、ひょんなことからマイケル・パークスなる存在に行き当たったのである。

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→ カルロ・モリーノ作品(画像は、「ヤマギワオンラインストア」より)

 カルロ・モリーノの斬新極まるテーブルは、家具などのデザイン界に衝撃を与え、その後かなり真似られていて、見る目がないと、
あやうく陳腐作品になりそうだが、今でも際立った存在感を示している。

 まあ、カルロ・モリーノのことは、後日、改めて触れることがあるだろう。関心が湧いた方は、「artshore 芸術海岸 カルロ・モリーノ、熱い身体」を覗かれるのがいいだろう。

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← マイケル・パークス(Michael Parks) 『Model and her Monkey』(Oil Sketch• 2002• 90 x 55cm • 35.5 x 21 2/3in) (画像は、「The World of Michael Parkes」より)

 さて、マイケル・パークスのこと。
 マイケル・パークス(Michael Parks)といっても、「天地創造(1966) 」や「帰郷(1965)」、「キル・ビル」「ザ・ヒットマン/危険な標的(1991)」などの映画に出演した、「さすらいのライダー」でも有名な俳優のマイケル・パークスのことではない。

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「鎌倉高校駅前交差点改良事業計画」のこと

国道134号鎌倉高校駅前交差点改良事業計画見直しを求める署名活動」アップしました。
 関心のある方は、ご協力を!

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2007/11/21

百鬼夜行:クラクションが発端でした事件

 19日、勉強の手を休め、ネットでニュースなど読むともなしに眺めていたら(小生はこの数年、新聞を購読していない。テレビは6年ほど前にブラウン管がプッツンし、その後、買えないまま今日に到っている。モバイルのテレビはあるが、小さくてテロップの文字が読めないし、長時間の視聴は辛い。なので、ネットがほとんど唯一の情報源)、下記のニュースが小生の目に飛び込んできた:

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→ 11月8日だったかの営業の日、都内某公園にて。ようやく秋晴れに恵まれた。

クラクションに憤慨、集団暴行容疑 元暴走族7人逮捕」(「asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト」より)

 後続車のクラクションに憤慨し、集団暴行で重傷を負わせたとして、警視庁少年事件課などは19日までに、傷害容疑で、東京都台東区竜泉、防水工安馬健容疑者(21)(略)ら元暴走族メンバー7人を逮捕した。

 安馬容疑者らは飲酒後に仲間9人でスクーター5台に分乗し、道路いっぱいに広がってのろのろ蛇行運転をしていた。少年は「クラクションを鳴らされ頭にきた」と供述し、容疑を認めている。

 調べによると、7人は昨年11月5日午前1時半ごろ、台東区清川の明治通りで後方の乗用車にクラクションを鳴らされ憤慨。前方をふさいで停車させ、降車した福岡市の果樹園勤務の男性(22)ら3人に殴るけるの暴行を加えたほか、スクーターでひき、あごの骨を折る2カ月の重傷を負わせるなどした疑い。(時事)


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← 同じ日、違う公園にて。小花。小生にしては上手く撮れた! 秋の空に、風に吹かれて気持ち良さそう。

 このニュースが小生の関心を呼び起したのは、小生がこうした暴走族の碌でもない騒動に憤慨するという、良識ある大人である(?)が故だけではない。

 良識はともかく、常識はある。…まあ、平々凡々たる人間である。

 実は、小生には過去、こうした連中に絡まれそうになったことが何度かあるのだ。
 そのうち、今日は、タクシードライバーとして経験したことを一つメモしておく。

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2007/11/20

ドキドキしてきた週末でした

[以下は、日曜日(18日)夜の日記から一部、転記。メモ書き風なのは、ホントに日記なので仕方がないと弁解しておく。一部、表記上そのほかの都合があり、表現などを変えている。…でも、アップする際、やはり、相当程度、書き足しをした。削除も相当にしたけれど。(火曜日、アップに際し、付記)]

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→ おねだりに応えてポーズを決めてくれた二人。足元まで撮りきれなかった。ブーツも立派な衣裳だしね。

ドキドキしてきた理由、その(1)

土曜日(17日)の夜、ネット上の友というか、同じサンバチームに属する方(仮にAさんとしておく)が出演するライブショーを見てきた。
Aさんは彼女がサンバチームに誘ったというBさんらとBaby Birdsというユニットを作り(実際には3人のユニットらしいが一人は都合が付かず、土曜のデビューは二人だけの出演となったようだ)、土曜が初めてのショー。

ちなみに、小生、Aさんが参加したパレードは何度となく追っ駆けしてきたが、同じチームでありながら、きちんとした挨拶はしたことがない。
小生はやたらとデブ症じゃない(こともないが…)、出不精なのである。
よって、小生には彼女は馴染みだが、彼女は小生を名前以外、知らない。練習の場であるスタジオで擦れ違ったことがある程度。
実際のところ、バーが初対面と挨拶の場となったのだった。


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2007/11/19

ネットでインド現代美術を散歩する(後篇)

 本稿は、「ネットでインド現代美術を散歩する(前篇)」の続篇。
 その前篇の冒頭に、「事情があって外出が憚られる。好きな画廊や美術展巡りも今は自制。でも、あれこれ観たいという欲求まで抑えるわけにはいかない。なので、ネットで画廊・美術展めぐりをする」なんて書いているけど、自宅では音楽(と居眠り)三昧なのは言うまでもない!
 数日前からは特に、中村紘子さんのCD『GRAND RECITAL』を流しっ放し!

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← 中村紘子『GRAND RECITAL』(エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ) 「2007年12月6日(土)12:57~16:00 文化放送「吉田照美のやる気MAN MAN!」 13:20~13:40のコーナーに出演」するとか。

 バッハやショパンを中村紘子さんの演奏で聴く。贅沢な気分だ。
 2004年秋の収録らしいが、この年、デビュー45周年を迎え、翌年までデビュー45周年記念リサイタル・ツアーを行なったという。
 但し、このCDはリサイタルの模様を収録したのではなく、エイベックス移籍後の最初のソロを、ベルリンのテルデックス・スタジオで録音したものである。

 だから、音が違う? 生憎、小生にはそこまで聞き分ける耳は持ち合わせていない。
 でも、心地いい!

 さて、本題に入ろう!

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2007/11/18

「ケプラーの夢(ソムニウム)」再び

 昨年の秋口、「ケプラーの夢(ソムニウム)」と題した記事を書いた。
 題名にあるとおり、「ケプラーの夢(ソムニウム)」が話の焦点なのだが、いかんせん、小生のこと、例によって例の如しで前置きが長い。
 肝心の話に入るまでの導入部が本文の半分を占めている。
 なので、ここに肝心の部分のみを若干の加筆の上、転記する。
 何を今更と思われるかもしれないが、拙稿「月探査機「かぐや」 打ち上げ迫る」のコメント欄に記したように、「「かぐや」ハイビジョンカメラによる映像「地球の入り(Earth-set)」」といったニュースが最近、ちょっと話題になったからである。

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→ 『ケプラーあこがれの星海航路』(平成16年 「カナリーホール」にての公演のチラシ画像) 詳しくは本稿の末尾近くを参照のこと。

ケプラーの夢(ソムニウム)

 渡辺正雄著の『文化としての近代科学』(講談社学術文庫)から話題を一つ。
 日曜日、列車中で読んでいて興味を引いたので、是非ともメモしておきたかったのだ。
 それは、表題にあるごとく、「ケプラーの夢」である。
 ケプラーとは、ヨハネス・ケプラーのこと。ソムニウムとは「夢)」の意。

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2007/11/17

「初恋の人を見た!」アップ

初恋の人を見た!」をアップしました。
 昨日、見た夢をちょっと駄文調に描いてみました。
 文中に掲げた画像は極め付けです。

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命と引き換えの自然描写:大下藤次郎(後篇)

[本稿は、「命と引き換えの自然描写:大下藤次郎(前篇)」に続くものです。大下藤次郎の澄明で静謐な世界をお楽しみください。]

 大下藤次郎は友人の三宅克己(文末近くに彼の作品画像を掲げる。近代日本水彩画の第一人者である彼に付いても単独に特集するに値する人物である)と共に、但しそれぞれ別々の地で、バルビゾン派などの絵画に影響を受け、日本におけるバルビゾン村を作ろうとまで決意する。

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→ 大下藤次郎『久々子湖』(1911(明治44)年作 紙・水彩 35.0×24.5(cm)) (画像は、「千葉県立美術館」より) なんて澄明で静謐な世界なんだろう。ちなみに、久々子湖(くぐしこ)は、「三方五湖」の一つである。

 大下はやがて『日本風景論』で有名な志賀重昂と、ついで小島烏水と出会うことで決定的な転機を迎える(「松岡正剛の千夜千冊『日本風景論』志賀重昂」参照)。
 以下、「「コンスタブル」と「大下藤次郎」」より転記する:

小島と知己を得たのをきっかけに、大下は当時小島が設立に努力した「日本山岳会 (山岳会の後身) 」に入会します。入会後、大下は上高地、穂高、木崎湖、青木湖などを旅行することが多くなり、したがって描く絵も山岳風景が多くなっていきます。

当時は上高地といっても、現代からは想像もできぬ未踏の地でした。

登山姿で画架をかつぐ大下の姿には、産業化への足音が聞こえだした今こそ日本の風景を採集しておかなければならない、という使命感に満ちたものが感じられます。

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2007/11/16

「むしむしパワーが地球を救う!」だってさ (前篇)

 13日は営業の日。当然(?)、ラジオが友の日。

 あれこれ聴いたけど、今日はNHKラジオ第一で夜の8時台に聴いた、下記の内容の番組を扱う(この記事は14日の夜半過ぎに書いた。情報を集めるのに手間取り、とりあえずの下書きである草稿を纏めるのに4時間を要した。アップに際しては、さらに手直しに一時間。それでも、この出来具合。我ながら、読まれもしないのに、ようやると思う。ま、好きでやっていることなんだけどね):

ふれあいラジオパーティー 「むしむしパワーが地球を救う!
 東北大学教授…石田 秀輝
 女優…中嶋 朋子

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← 中嶋朋子写真集『Viento』(ワニブックス) 小生が雪の関越道であわや遭難しかけた年(91年)の刊行!(画像は、「Yahoo!オークション - ◆即決◆ 中嶋朋子写真集。「Viento」」より)

 ラジオパーソナリティが誰だったかは名前を聞き漏らした(あるいは聞いたけれど、忘れた)。

 このあと、9時台に「真打ち競演」も大半を聴いた:

 - 落語“湯屋番” -       林家 正雀
 - 漫 談 -            牧  伸二
 - コント -             コント山口君と竹田君

 落語や漫談もだが、コントでも小生は、コント山口君と竹田君が好き。昔のコント・レオナルドとか。
 でも、今日は「むしむしパワーが地球を救う!」を話題の俎上に載せる。

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2007/11/15

トゥールーズ=ロートレック……世界は踊るよ!

 本稿は、「壺中水明庵」へと横滑りさせました:
トゥールーズ=ロートレック……世界は踊るよ!

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2007/11/14

ボードレールと「雲」とブーダンと (後篇)

[本稿は、本稿は、10月26日に書きかけていたもので、「ボードレールと「雲」とブーダンと (前篇)」に続くもの(完結篇)です。できるだけ、ボードレールの「雲」を巡る言葉(詩)を集めるようにしました。]

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→ ウジェーヌ・ブーダン(Eugène-Louis Boudin)『トルーヴィルの浜(1867)』(画像は、「ウジェーヌ・ブーダン - Wikipedia」より。「青空と白雲の表現に優れ、ボードレールやコローから、「空の王者」としての賛辞を受け」たという。) ブーダンについては、「写真:ミレーと6人の画家たち 5.写真の人物査定の発端ブーダンを語る」(ホームページは、「写真:ミレーと6人の画家たち」)がかなり詳しい。画像や写真も豊富。「artshore 芸術海岸 ウジェーヌ・ブーダンの空」もやはりいい!

第3室:ボードレール-メリヨン-19世紀のパリ」(「三重県立美術館」の中の「これまでの常設展示作品と解説」より。太字はボードレールの言葉):

 昨年末から今年の2月にかけて美術館で開催された「ブーダンとオンフルールの画家たち展」は、19世紀フランスの風景画の変遷を見通すものだった。風景画という糸がロマン主義から印象派までをつなげていくさまは、断片的な19世紀の知識に深みを与えてくれたが、それに加えて印象的だったのは、風景画とボードレールの関係である。ブーダンのアトリエを訪れたボードレールは、膨大な数の空と雲のパステル習作を目にし、1859年のサロン評のなかでこう述べている。「これらの幻想的で輝かしい形をした雲、これらの混沌とした暗闇、これら緑色と薔薇色の涯しもないものが、宙吊りになり互いに重なり合っているさま、ぽっかり口を開けたこれらの大窯、ぼろぼろになり、丸まったりすり切れたりしている黒や紫の繻子でできたこれらの天空、喪に服し、あるいは溶融した金属をしたたらせるこれらの地平線、これらすべての深み、これらすべての壮麗さは、芳醇な美酒か阿片の雄弁のように私の脳髄を酔わせました」(阿部良雄訳『ボードレール全集』筑摩書房より)。

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2007/11/13

「ウブ」アップ!

 創作作品「ウブ」をアップしました!

 本作は、「Mystery Circle 11/23締め切り出題 SMC 参加見送り作品」です。

 時間的な都合もあり、参加の意志を表明する機会を逸し、参加は叶わなかった。
 なので、創作上の縛りは、勝手に「数えきれない程の抵抗を試みた」を話の前後に付すことに。
 ただ、テーマ上の課題である「同性愛」 は盛り込めなかった。

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ネットでインド現代美術を散歩する(前篇)

 事情があって外出が憚られる。好きな画廊や美術展巡りも今は自制。でも、あれこれ観たいという欲求まで抑えるわけにはいかない。なので、ネットで画廊・美術展めぐりをする。
 本稿は、11月6日に書きかけていたもの。とりあえず、前篇として提供する。

 いつか何処かで眺めたような画風のものもあるけど、さすがインドと思わせる作家・作品も多い。徹底して探索したら、どんな作家が見つかるか想像を超える!

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→ ピラジ・サガラ Piraji Sagara 『The Lost Legend』 (画像は、「absolutearts.com - Art News - Contemporary Art - Artist Portfolios」より) 次のピラジ・サガラなどと併せて眺めると、あくまで印象の上でなのだが、ジャン・フォートリエの「人質」などをふと連想しないでもない。「弐代目・青い日記帳  「モダン・パラダイス展」」参照。

 インド現代美術の一端をネットギャラリーで眺めてみたい。現代美術といっても、今回紹介するのは既に中堅の域を超えて既に古典と言わないまでも現代美術の歴史の中に一定の位置を占めている作家が多いかもしれない。
 ネットで容易に見出せる作品ということになるので、必ずしも現代作家たちの代表作とは言いかねるかもしれない。
 そこは絵を見る側のほうが想像で補ってもらうしかない。

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2007/11/12

命と引き換えの自然描写:大下藤次郎(前篇)

 外を出歩く余裕がない!
 ストレスが溜まっている。
 せめてもの慰みに、ネットで美術巡りの旅をする!

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→ 大下藤次郎:『穂高山の麓』 (1907) (画像は、「独立行政法人国立美術館」より) 是非、クリックして拡大画像で見てほしい。この作品は、小生にとっても発見だった!

 コンスタブルの周辺をネットであれこれ探っていたら、その過程で「「コンスタブル」と「大下藤次郎」」という頁(ホームページ:「笹山登生の政策道場」)に行き当たった。

 この頁には、ルソー、ミレーなど、いわゆるバルビゾン派と言われる、自然を描いた多くの画家たちにその切っ掛けを与え、自然を描くことに目覚めさせた画家コンスタブルに焦点が当てられている。
 それまでの宗教上のテーマを描くための背景でしかなかった風景に、まさに描かれるべき主体としての魅力が溢れていることを教えたのがコンスタブルだったわけである。

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2007/11/11

「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」 ! !

 とあるサイトで「横須賀美術館」にて下記の展覧会が催されることを知った:
清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人
期間 11月23日(金・祝)~12月16日(日) (休館日:12月3日 )

 清宮質文は小生の大好きな木版画家である。
 知っている人は多いとは言えないのだろうか。

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→ 清宮質文 【深夜の蝋燭】1974年 (画像は、「駒井哲郎・清宮質文」より(ホームページ:「大川美術館」))

 上掲の頁には下記のように紹介されている:

清宮質文(せいみや・なおぶみ、1917-1991)は、近世版画の研究でも知られる画家・清宮彬(Seimiya Hitoshi,1886-1960)の長男として東京に生まれました。東京美術学校を卒業後、1953年ごろから画業に専念し、主な表現手段となる木版画の制作を始めます。木版画といっても、摺りの仕上がりに精力を注ぎ込んだその作品は、限りなく1点制作に近く、同じ版からまったく異なった表情の作品が生み出されることも少なくありませんでした。 心の中にあらわれるうつろいやすいイメージを、平明なかたちと抑制された色彩をつかって写しとった作品は、豊かな詩情に満ちています。 本展では、横須賀美術館の所蔵する90点の清宮作品のほか、初期の油彩画や絶筆となったガラス絵なども交えた約110点の作品によって、その独特の世界に迫ります。

 清宮質文(敬愛の念を込めて敬称は略させてもらう)の存在を知ったのは、練馬区立美術館で1994年秋に開催された「「駒井哲郎」・「清宮質文」二人展」を見た際だった。その時は、駒井哲郎の作品に会いに行くためだったのだが、ついでに見るつもりだった清宮質文の諸作品に深く感銘を受けたのである

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2007/11/10

ボードレールと「雲」とブーダンと (前篇)

[本稿は、10月26日に書きかけていたもの。ボードレールの世界を「雲」をキーワードにちらっと眺めてみたいということで書き起こしていたもの。「雪の関越道であわや遭難事件」の記事の作成などに追われ、半端なままに放置していた。拙稿の冒頭に題名の出てくる『雲の「発明」』など、10月末には読了している。この記事を書く過程で、ウジェーヌ・ブーダンという画家に魅せられたこともあり、彼の絵を挿画として幾つか載せていく。]

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← ウジェーヌ・ブーダン『満潮の波止場, トローヴィル
』(画像は、「 世界最大のポスター、絵画、写真の専門店!」と銘打っている「AllPosters.co.jp」より ) ブーダンというと帆船(ヨット)の絵が好きだという方が多いのでは。彼の絵に船が描かれていることが多いのは、それもそのはず、彼は「船乗りの息子として生まれ」たのである。

 リチャード・ハンブリン著の『雲の「発明」 気象学を創ったアマチュア科学者』(小田川佳子訳、扶桑社)を就寝前、寝起きの時にちびりちびりと読んでいる。
 面白い。雲の科学なんて、ちょっと敬遠気味だった自分が勿体無いことをしていたと後悔させられる。
 お蔭で、最近、雲(海、空、水、湖沼、鳥……)がマイブームである。
「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(序)」なんて小難しい題名の雑文を書くことになったのも、気がつく人は気付いているだろうが、たまたま「耕雲」という言葉をテレビドラマの中で目にしたからである!

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2007/11/09

雪の関越道あわや遭難事件(7)

[以下は、「雪の関越道あわや遭難事件」のあった翌日の夜に書いた日記である。
 小生の記憶とは違う部分が結構ある。また、読み返して、ああ、そんなこともあったっけと思い出したことも。思えば随分、いろんな方に迷惑を掛け、あるいはお世話になっていたのだった。
 文中の太字部分はこれまで書いた回想レポート(ドキュメント)とは事実関係が違う部分、あるいは記憶に全くない部分である。
 今回は、予定では「雪の関越自動車道遭難未遂事件(7):これでエピローグにしたい!篇」をお送りするはずだった。
 が、つい先日、当時の手書きの日記が見つかったため、当該の日の日記を転記した文を「完結篇:これが全貌でした篇」に代わるものとして提供する。

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→ 手書きの日記の冒頭部分。レポート用紙だと6枚に渡って書いているのだが、活字にするとこんなものなんだね。当人が大騒ぎしていても、終ってみたら呆気ないエピソードに過ぎないってことなのか。

 無論、その日の日記に「雪の関越道あわや遭難事件(7:完結篇)」なんて題名など付すはずもない!
 実際、ほとんどが(7)として、期せずして「これでエピローグにしたい!篇」に相応しい総集編的記述になっているとも思える。

 なお、思いつくままに思い出すままに熱に浮かされるようにして書いたものなので、文章的に変な部分もある。改行も原文のままである(まさに日記なので改行などする必要もない。というか、正直なところ、改行するもなにも、溢れ出る言葉を書き記すのに懸命だったのだ)。読みづらいことは重々承知の上で、できるだけ原文の雰囲気を残すためもあって、改行その他も読み手への配慮を欠いたままにアップする。

 事情をご理解願い、寛恕を請うものである。
 翌日の31日には、何ゆえこんな暴挙に走ったかや、こうして命からがらの旅から生還し(ちょっと大袈裟?)、自分の限界や愚かしさに否応なく向き合ったが故に心が剥き出しになり、恋話など赤裸々に延々と書き連ねている。
 個人的には懐かしいが、野暮になるので手書きの日記のまま闇に埋めておく。 (転記の日に記す)]

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2007/11/08

空と山を眺め描くのみ…ラスキン

 一昨年、「ノルウェーの画家エドワード・ムンクが代表作「叫び」の背景を赤く描いたのは、火山噴火のせいで本当に空が赤かったから?」という話題を巡って、あれこれ綴ったことがある:
番外編「山焼く」

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→ ジョン・ラスキン 「早くから聖書と詩にめざめていたが、少年ラスキンをとりこにしたのは鉱物だった。天保2年の12歳のころ、鉱物に熱中して一人で鉱物事典を自作している」という。(文章・画像ともに、『松岡正剛の千夜千冊『近代画家論』1・2・3 ジョン・ラスキン』より)

 ムンクが友人との散歩中に血のように赤い空を見たこと自体は、ムンク自身の下に示す言葉もあって、事実のようだ。問題は、その背景であり、その空を見ての感じ方の如何なのである:

 夕暮れ時、私は二人の友人と共に歩いていた。すると、突然空が血のような赤に染まり、私は立ちすくみ、疲れ果ててフェンスに寄りかかった。それは血と炎の舌が青黒いフィヨルドと街に覆い被さるようだった。そして、自然を貫く果てしない叫びを感じた。

 こうした天災、自然現象が社会や政治・経済・文化に及ぼす影響は甚大なものがある。

 18世紀の日本での噴火に限っても(「18世紀の後半は異常気象」参照):

宝永4年(1707)に富士山大噴火
安永4年(1775)に三原山の噴火
安永8年(1779)に櫻島の大噴火
天明3年(1783)に浅間山の大噴火

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2007/11/07

絵画は自然科学的実践 ? ! …コンスタブル(後篇)

[本稿は、「絵画は自然科学的実践 ? ! …コンスタブル(前篇)」の続篇です。無論、マイブームテーマである「雲」の一環でもある!]

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← ジョン・コンスタブル『主教館の庭から見たソールズベリ大聖堂』(画像は、「ジョン・コンスタブル (ロマン派)」より。ホームページ:「アート at ドリアン 西洋絵画史・ギリシャ神話・聖書の物語」)

 さらに、「ジョン・コンスタブル - Wikipedia」によると、「コンスタブルは1776年、ロンドンの北東にあるサフォーク州イースト・バーゴルトに裕福な製粉業者の子として生まれた。画家を志したのは比較的遅く、20歳の時、商売を覚えるためロンドンへ出たときに、ジョージ・スミスという風景画家に出会ったのがきっかけという」が、以下、「ジョン・コンスタブル - Wikipedia」を参照願いたい。

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2007/11/06

阿久(あきゅう)なる縄文遺跡をいつか見ん!

 縄文時代観をくつがえした遺跡というと、筆頭に上がるのはやはり「三内丸山遺跡」(さんないまるやまいせき)だろうか。
三内丸山遺跡 - Wikipedia」によると、「遺跡には、通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫の他に、大型竪穴住居が10棟以上、さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されている」という。
特別史跡 三内丸山遺跡」なるサイトでは、三内丸山遺跡の紹介を動画の形で見ることができる。

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→ 「三内丸山遺跡」で復元された「大型竪穴式住居」(画像は、「三内丸山遺跡 - Wikipedia」より)

 さて今日は、小山 修三【著】『美と楽の縄文人』(扶桑社)を読んでいて、たまたまその存在を知った長野県は原村柏木にある「阿久(あきゅう)遺跡」のことを話題にしたい。

天竜川水紀行:遺跡I 縄文時代観くつがえす資料 ~阿久遺跡~」(記事は「長野日報 (Nagano Nippo Web) - 信州のニュース -」より)によると:

 三十万個もの石を集めて築いた、巨大な環状の祭祀(さいし)場。その中央に立つ立石からは、北に向かって二列の石列が伸び、間に蓼科山を見通した―。「環状集石群」と呼ばれる同祭祀場跡など、学術的な新発見が相次いだ原村柏木の国史跡「阿久遺跡」。貴重な遺構は「縄文時代観をくつがえす発見」とまでいわれ、全国規模の保存運動を経て今に残された。

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2007/11/05

雪の関越自動車道遭難未遂事件(6)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(6):番外篇:捜していた日記が見つかりました篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇」より続く)

 今回は、「これでエピローグにしたい!篇」をアップしてこの回想ドキュメント(レポート)は終わりにするつもりだったが、予想外の事態が発生し、急遽「番外篇」を提供する。
 一つ報告がある。
 ある意味、嬉しい発見があった。
 なんと、この「雪の関越道であわや遭難事件」当時の日記が見つかったのである!

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← 見つかった日記の冒頭付近。文字の乱れは線路の軋みでも愛の迷いでもなく、もともと乱筆(乱文)なのである!

 小生は手書きの日記を15歳の頃より今日に至るまで書いてきたのだが、二十歳までの日記は焼却してこの世にはない。
 が、それ以降の日記は多分、捨てていないので家の何処かしらにあるはず。だが、数ヶ月ごとにファイルに挟んだりビニールの袋に突っ込んで、溜まると他の古い書籍類などとともにダンボール箱に詰め込み田舎に送ったり(多分、納屋行き!)我が部屋の何処かダンボール箱の山の中に埋れていく。
 当然ながら91年頃の日記類など、古いからとっくの昔に田舎行きの憂き目に遭っているものと思い込んでいた。

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2007/11/04

「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(後編)

 本稿は、「「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(前編)」の後篇である。
 この手の文章は内容からしてあまり読まれないのは分かっているのだが、それはまあ、致し方ないとして、つい好奇心で調べ始めた以上は、ネットで分かる範囲で暫定的となるのは必定ながらも、一定の結論は出しておきたい。
 その上で素養のある方に、あるいはもっと探究心のある方にフォローしてもらえればと思う。

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→ 一昨年だったかの正月に富山の海辺で撮った松林越しの雲。これは何という名の雲だろう。鉛色の垂れ込めた分厚い雲が当たり前の冬の富山(北陸)でこんな晴れ渡った空なんて珍しい。言うまでもないだろうが、本稿にしても、小生のマイブームテーマである「雲」つながりの一環なのである。だから、雲の画像を載せている!

 ということで、さて、次は、「種月耕雲」である。

 似て非なる言葉なのか、似て、実際に含意も似ている言葉なのか。一体、誰の言葉なのか。やはり、道元の言葉なのか。

種月耕雲」でネット検索すると、トップに浮上するのは、下記の頁だった:
名古屋なんでも情報 - 284 種月耕雲

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2007/11/03

体重計は見ていた!

[月初め恒例の目次の記事です。先月10月一ヶ月分の目次。その前後に書いてあるのは、今朝、書いた日記(多少書き直しや追加)である。]

二週間の猛勉強の成果?!
 昨日、金曜日、二週間ぶりに仕事に復帰。二週間前、勉強会で出された模擬試験問題の出来があまりに悪く、翌週からの二週間、急遽仕事を休んで猛勉強と相成った。
 その勉強の成果はともかく、ある数字がこの二週間の小生の生活ぶりを如実に物語っていた。

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← 昨年9月に郷里にて小生が筆ペンで描いた絵。幼少の頃の自分をモデルにしたのではなく、ペット人形をモデルにして。

 実は、会社(営業所)には風呂場がある。従業員のための施設の一環である。
 但し、風呂には入らない主義の小生、一度も利用したことがない。
 が、その浴室には定番なのだろうか、体重計がある。
 小生は営業で出社した日には、車の点検が終り朝礼の始まるまでのちょっとした合間に(浴室には誰もいない場合に限るが)、体重計にそっと乗ることにしている。
 そっと乗るのは、何も体重計が小生の体の重みで破壊されるのを怖れるからではない。
 体重計が見るからに古い代物で、大事に扱わないと、へそを曲げて変なデータを突きつけるのではないかと怖れるからに他ならない。

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2007/11/02

模試よりも写真展が目当てでした

 10月31日(水)にある資格のための模擬試験があった(以下、10月31日夜に書いた日記を元に、若干、手直しし、補筆した)。

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→ [写真展:ALCOHOLE]のポスター

 井の頭線で渋谷から十数分の駅で降り、そこから歩いて数分のところに模試会場があった。駅から会場までの道は、たまたま駅のホームで一緒になった方が昔、この近辺に住んでいたということで、お喋りしながら、導かれるままに歩いていても、さすがに迷うことなく辿り着けた。
(記憶する限り、この井の頭線には初めて乗った。それが何故か嬉しかった。)

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← 模擬試験会場の中の様子

 試験の結果は分からない。45点満点で41点なら合格で、40点はダメ。小生、ギリギリかも。
 これから、自己採点する(多分、結果の通知が後日、来ると思うけど)。

 さて、会場を早めに後にして(試験開始から30分経ったら、答案用紙を係員に提出すれば、そのまま帰ってもいい。多くの人は、残ってその場で採点をしていたようだ)、ある場所へ急いだ。

 それは、ある写真展の会場。

 写真展の名前は:
[ALCOHOLE]

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2007/11/01

絵画は自然科学的実践 ? ! …コンスタブル(前篇)

水、海、と来ると、次は雲である!」などの記事で、リチャード・ハンブリン著『雲の「発明」 気象学を創ったアマチュア科学者』(小田川佳子訳、扶桑社)を、そして、本書で採り上げられている(テーマそのものでもある!)ルーク・ハワードのことは、多少なりとも紹介している。

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← ジョン・コンスタブル『ハムステッド・ヒースの木立、日没』(ホームページ:「静岡県立美術館」)

 ルーク・ハワードについては、その気象学の歴史などで果たした役割や重要さに比して、少なくとも日本語でのネット上ではあまり情報が多いとは言えない(小生の探し方が悪いのかもしれないが)。

 ゲーテに雲の(科学の研究の)面白さを、もっと端的に雲の魅力を教え気付かせた人物として銘記してもいいかもしれない。ハワードにより雲の観察や研究の面白さを啓発されたゲーテは、その後はハワードへの感謝の念を終生忘れなかったし、雲の観察をずっと続けたのだった(この辺りも調べたら面白そうだけど、今回は割愛する)。

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