雪の関越自動車道遭難未遂事件(3)
「雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇」
(ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(2:高速道路の真ん中にも側溝がありました篇)」より続く)
そんな時だった。ふと、閃いたことがあった。
紐はもうない!
みんな使って切れ果ててしまった。
でも、ワイヤーチェーンがあったことを思い出した。
← 「ホンダ ベンリイ CB125T-I」(但し、小生が乗ったのはこれより前の世代の「ホンダベンリイCB125T」だった。残念ながら我が愛車と同じタイプのバイクの画像は見つからなかった。詳しくは後記する。画像は、「Hondaホームページ 本田技研工業株式会社」より)
ワイヤーチェーンといっても、雪道走行用のタイヤに巻くチェーンではなく、盗難防止のためのワイヤーロックである。
そう、ワイヤー錠(ワイヤーロック)である。しかも、装備重量が300キロに達しようという大型バイク用の、がっちりした、1メートル余りのワイヤーロックなのだ。
それが標準装備されていたのである!
針金がないなんて、よくも言えたものだ! 針金の親玉みたいなものをトランクに常備しているじゃないか!
どうして思いつかないんだろう。目に入っているはずなのに。
ただ、ワイヤー錠なので、キーシリンダー部分があるが、そこは工夫でタイヤと路面の間に当らないようにワイヤーを巻くことは可能だろう。
ワイヤー(太い針金を幾重にも巻き、縒(よじ)った頼もしいワイヤー)錠をリアタイヤに巻いた。
するとどうだろう。走る、走る。
転倒しそうな気がしない。いっそのこと、百キロでだって走れそうな安定感さえ感じる。タイヤを傷めてしまうことなど、この際、気にしちゃいられない。
銀世界という天然の絨毯の上を走るのだ、大して傷みはしないだろう。
[仙台でバイクと越冬]
降り頻る雪の高速道路の路肩付近でワイヤー錠をリアタイヤに巻きつけていた時、ふと、遠い学生時代、やはり針金をリアタイヤに巻いて仙台の郊外の一角にあった我がアパートから学校へ通ったことがあったのを思い出したりしていた。
起きたら、窓の外は真っ白、銀世界。どうやて学校へ行く。
それまでも、雪は何度か降っていたが、積雪には至らなかった。
駆るのは中古の125ccのオートバイ。
下宿の近所か何処かで太目の針金を拾ってきた。使い古しだが、十分、チェーンの役目を果たしてくれそう。
多分、たまたまのことだったろうが、それまでに路上で誰か見知らぬ人がタイヤに縄か紐を巻いて走っているのを見て、学校を休むわけにいかないし、切羽詰って自分もやってみようと思い立ったのだった。
(はっきりは覚えていないが、郵便屋さんか新聞配達の人がタイヤにチェーンではなく、紐状のものを巻いて臆することなく雪の中を走っているのを見かけていたのだと思う。)
その時、バイクのノーマルのタイヤに(無論、リアタイヤだけだが)針金を巻くだけでこんなにも安定して走行できるものかと驚いたのだった。
ただ、そのときは雪は降り続いていても、積雪自体は十数センチほどだったと記憶する。
積雪量はともかく、少なくとも圧雪状態ではなかった。
路面が車の轍(わだち)部分だけ、黒っぽく見えていたのを覚えている。さすがに、交差点を曲がる時はちょっと怖かった。
懐かしい…。
多分、あれは、74年の冬の朝だったはず。
何故、74年の一月か二月だと分かるかというと、73年から74年に懸けてのの冬休みに教習場に通い、小型免許を取得。
即座に中古だったが、125ccのホンダのバイクを入手、そのバイクで通学は勿論だが、あちこち仙台の町を走って回った。
その年の夏、やはり教習場に通って、今度は大型免許を取得。
当時は、オートバイの免許については、小型と大型に分かれていた。教習場では先生に運転免許試験の際、減点するところがないと言われた!
免許を取得後、同じ夏、我が中古のバイクで帰省した。
既にチェーンがチェーンカバーに当っていたりして、不穏な音を出していたその中古バイクを駆り仙台~富山の帰省ツーリングを敢行したのだった。
仙台から東京、三島と海伝いに走り、本州を横断、富山へ帰省。二週間ほどだったか滞在してまた、そのバイクで仙台へ。帰ってきた頃には、というか、その前に既にバイクはほとんど走行不能になっていた。
で、その年(74年)の秋には手放してしまったのだった。所有していたのは十ヶ月ほどだった。確か、1万円でバイクに詳しい知人に売り払った。
そのくすんだピンク色の、CB125T(あるいは、CB125Kだったか、それともベンリィCB125か)という名のホンダのオートバイでの雪の中の針金チェーン走行だった。
まあ、そんなわけで、針金をチェーン代わりにしての雪道通学が74年の初頭だったと言えるわけである。
雪の中の走行は、学生時代の終わりごろにも体験したことがある。
中古の125ccのバイクは、74年の秋、遅くとも冬までには手放していた。が、77年頃に50ccのバイクをゲットしたのだ。
ダックスホンダという、ほとんどミニバイクと見紛うような小さなバイクだったが、ギアが付いていて、シフトする、立派なオートバイ。
車体の色はカラシ色に近い黄色だったように記憶する。
50ccだが、学校帰りに何度か二人乗りもやったっけ。
そのバイクで少なくとも一冬、仙台の冬を越したのだった。そのバイクに乗り始めた頃は、小生は引っ越していて、仙台の郊外、中山という山間の地を切り開いて作られたニュータウンの、そのまた奥のほう、なだらかな斜面の一角にある二階建てのアパートに住んでいた。
部屋の窓から外を見ると、すぐそこには森が迫っていた。ニュータウン(新興住宅地)のほとんど端っこの辺りに住んでいた。
通学には勿論、バイク。夏もだが、真冬も。
仙台は寒い。朝、目覚めると水道管が凍結し水が出ないのはしばしばで、破裂していたってこともあった。
→ 「ダックスホンダ」(画像は、「Mori's Monkey Page[ホンダ ダックス ST50Z]」より)
このバイクとの付き合い(因縁)は長い。仙台では2年ほど乗っただけだが、78年に上京した際には、一旦は別便で東京に送ったものの、ほんの何回か乗っただけで、実質、お蔵入り。
とうとう邪魔になって、小荷物として富山(郷里)の家に送ってしまった。
そのまま、埃を被るはずが、小生が乗らないことに痺れを切らしたのか、誰かが見て欲しいと言ってきたのか、父が小生に断りも無く、父の知人に譲ってしまった。
が、父はバイクは他の品物と違って、登録関係の問題があるのを知らず、バイクはあげたが、登録の変更手続きはしないまま。
それが後日、問題となった。知人が<所有>している間に盗まれてしまったのである!
法律上の所有者は我が家にある。で、警察の方が事情聴取に法的には持主である我が家に何度も訪れたらしい。東京にいる小生のもとにも警察から電話があった。
そのうち、盗んだ奴が捕まったとは聞いていない。
実は、問題はここからで、登録は我が家にあるから、税金が毎年、請求されてくる。多分、最終的に登録の抹消を認めてもらえたのは00年頃ではなかったか。
80年頃には既に盗難の憂き目に遇い、しかも、その前に小生が乗らなくなったのは78年の春先だったから、延々20年ほど、盗まれた、当の所有者は全く乗らない(姿さえ見ることの叶わない)バイクのために毎年税金を払い続けたことになる!
この小さなバイクで仙台の冬を共に乗り越えたのだ…。
当然ながら、雪は勿論のこと、路面は凍結している。
そう、積雪の量は大したことはないが(富山に比べたら段違いに少ない。せいぜい、積もっても数十センチか)、寒さは富山より厳しく、雪は路肩に残るだけの時でも路面は凍結していることを覚悟しなければならなかった。
しかも、小生が住んでいたアパートは小高い丘陵地帯を切り拓いて作られた、まだ出来て間もない住宅地。
市街地からは離れているだけではなく、ニュータウンに辿り着くには、途中、急斜面がある。
その斜面は、夏場でも50ccのバイクでは登るのが苦しい。ギアを一番下に落としてパワー全開にしても、息絶え絶えという体(てい)で、やっと登れるほどの坂。
それが、真冬には路面凍結である。登ろうとすると、登った勢いで途中、逆にズルズル滑り落ちることもあったりする。
怖いのは、しかし、上りより下り。
下り始めたら止まらない。ブレーキが怖くて使えない。エンジンブレーキのみが頼りになることも珍しくはない。
学校から帰るとき、我がタウンに向うには、途中、曲がりくねった下り坂を通る必要があった。しかも、ややきつめの下りのカーブを曲がった途端、長さ数メートルほどのトンネルに差し掛かる。
凍結した路面では、ブレーキも使えなければ、腰を使ってのコーナリングも怖くてできない。
もう、そろそろ…といった風に、ゆっくり怖々下り落ちるしかないのだった。
そんな仙台の郊外でバイクと共に<越冬>したことがあるのだ。
というわけで、曲がりなりにも雪道でのバイク走行の経験は少なからずあった。
でも、雪の関越自動車道は、全く異次元の世界だった。思えば、完全な圧雪状態の道(しかも、高速道路)をノーマルか針金を巻いただけのほぼノーマルタイヤで走ったことなど、それまでなかったのだ。
ちょっと脱線してしまった。
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