歌麿の官能の美の奥深し
今日は他の事を書こうと思っていたが、気になるニュースが流れてきたので、急遽、変更。
NHKテレビで見聞きしたニュースとは、下記:
「歌麿の幻の肉筆画確認 栃木市の女性所有」(ホームは「下野新聞SOON」)
← 喜多川歌麿「寛政三美人」(画像は、「喜多川歌麿 - Wikipedia」より)
無断で(?)ということになるが、転記させてもらう。テレビで得た情報より詳しいのかどうか分からない。テレビでも見ることができたが、ネットでも早速当該の画像が見られるのが嬉しい:
栃木市の女性が所有している浮世絵が、江戸時代中期から後期にかけて活躍した浮世絵師・喜多川歌麿の肉筆画であることが、4日までに分かった。千葉市美術館の浅野秀剛学芸課長が鑑定し、筆法や署名などから真作と断定した。歌麿の肉筆画は現在30点ほどしか残っておらず、学術的に大変貴重な発見といえる。
見つかったのは喜多川歌麿の「女達磨(だるま)図」。赤い達磨のふん装をした遊女の上半身が描かれている。寛政二│四(一七九〇-九二)年にかけて、描かれたとみられる。歌麿に関する資料にその存在が記されていたが、図柄などは分からず幻の存在とされていた。
テレビでは、この肉筆画をリサイクルか何かの業者から二千円(三千円?)で購入したとあったっけ。
画像で分かるように、折り曲げられた痕が歴然。
購入した時点で既に折り畳まれていたのか、それとも、買ってから、仕舞う際に折り曲げてしまったのか。
そんなどうでもいい詮索をしてみたくなる。
本物と判明したからには値段も天井知らず?
「女達磨(だるま)図」だけに、買おうにももう庶民には手も足も出ない値段なのだろう。
その前に、美人画だから小生には高嶺の花ってことか。
→ 喜多川歌麿「狐拳三美人」(画像は、「神奈川県立歴史博物館」の中の「画像で見る歴史と文化>著名な浮世絵師たち>喜多川歌麿」より)
歌麿について今更小生如きが講釈する必要もないだろう。
「喜多川歌麿 - Wikipedia」が必要にして十分な情報を与えてくれる。
「 宝暦3年(1753年) - 文化3年9月20日(1806年10月31日)は、江戸時代の浮世絵師」とある。ということは、昨年が歿後二百年だったわけである。
「葛飾北斎と並び、国際的にもよく知られる浮世絵師」というが、小生など、歌麿という名前を聴くだけで官能的な気分になってしまう!
そういえば、ゴンクール賞で有名なゴンクール兄弟のうちの兄のほうであるエドモン・ド・ゴンクールは、歌麿を日本のワトー(『シテール島への船出』で有名な画家)と評したとか:「エドモン・ド・ゴンクールの歌麿、北斎 評釈に見る時代精神」(PDF 太田康子)
「繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家」だから。さもあらん。
だけど、それだけだったら、綺麗な浮世絵だな、で終ってしまうはず。
歌麿の浮世絵は何かが違う。
← 喜多川歌麿「教訓親の目鑑 浮気者」(画像は、「神奈川県立歴史博物館」の中の「画像で見る歴史と文化>著名な浮世絵師たち>喜多川歌麿」より) 歌麿の画は、他にも「VR浮世絵展示室 養蚕の浮世絵」で普段あまり目にしない歌麿のほかの画などを多数、見ることができる。
「歌麿はそれまで全身を描かれていた美人画を体を省き顔を中心とする構図を考案した。これにより、美人画の人物の顔の表情や内面を詳細に描くことが可能になった。歌麿が作品の対象にしたのは、遊女、花魁、さらに茶屋の娘など無名の女性たちばかりであった」というが、現代っ娘ほどに表情が豊かとは一見すると思えない。
が、そこが曲者(くせもの)なのである。
なんというか、艶っぽい。
身の下では(内側では)情熱や情念が滾っているはずなのに、表情は下手すると能面かと錯覚されるほど無表情と見えかねない。が、実は、官能の極を行っていて、知も理も吹き飛んでしまっている。
美だけを婉然と描こうとしている。
そのためには時の権力と闘う必要があり、実際、弾圧の憂き目にも遭っている。
だからこそ、美の極を描く画には描き手の気迫が篭っているわけである。
↑ 喜多川歌麿「海女」(画像は、「JNudes さんの公開ギャラリー」より)
小生が喜多川歌麿の浮世絵と初めて出逢ったのは、趣味の切手を通じてだった。
その前に昔、郷里の我が家の居間(茶の間)の壁には数点の浮世絵(ただの印刷物だが)が壁の染みを覆うかのように(?)無造作に貼ってあった(額入りの鈴木晴信もあったけれど)。
その中にも歌麿があったはずだ。
→ せっかくなので、10月3日の営業中に青山で撮った美人さんの画像を! どうやら、「マードゥレクス公式サイト-『女優肌ファンデーション』のエクスボーテ」の「エクスボーテ|「女優肌」|マードゥレクス」の広告看板らしい。
この辺りのことは、下記で大よそのことを書いた。サイトを示し、関連する部分を転記する:
「月に雁(かり)」
思えば、「月に雁」切手を眺めていて、それが安藤広重の筆になる図柄だと知っていたかどうか。父などに聞いたり、切手の図鑑などを見て、目にはしていたはずだが、脳味噌にはまるで刻まれていない。
今、改めて眺めなおしてみると、その図柄の品のよさ、構図の素晴らしさに感服する思いである。我が家の居間(茶の間)には、襖の破れを繕うように、浮世絵(のコピー)が何枚も貼られてあった。安藤広重のあの名品、雪の「蒲原」や、雨の「庄野」、あるいは、鈴木春信の、題名のわからない作品などが無造作に襖や壁に貼ってあったのだった。
が、「月に雁」や「見返り美人」「ビードロを吹く娘」(喜多川歌麿)などは、切手でその存在をそれとは知らないままに遭遇していたわけである。
← やはり10月3日の営業中に六本木で撮ったもの。路上を行き過ぎる方を撮るわけにもいかないし、看板で我慢なのであった! どうやら9月19日に発売された「talkin' 2 myself - 浜崎あゆみ」(エイベックス・トラックス)の広告看板らしい。
ガキの頃、居間の襖や壁にいろんな浮世絵が(あるいは壁の染みや汚れを隠すためだったか)貼ってあったのを今でも思い起こすことが出来る。
写楽の役者、歌麿、鈴木春信の美人画、そして広重。
無論、複製である。ガキの小生にも本物ではないと分かる。
それでも、テレビがあり(その前はラジオが鎮座していた)、食事の部屋であり、団欒の空間である茶の間(居間)にそれらが何故か(父の趣味には違いなかろうが)貼ってあるそれらを、CMの間に、あるいは漫画を書くのに飽きてふっと見上げた瞬間にどうしても目に入ることになる。
広重は「蒲原」と「庄野」だった。
さて、肝心の奥の院である『歌まくら』の世界に触れないと片手落ちということになるが、それはまあ、夢の中で続きを書き綴ることにする。
気になる方は、ここを覗いてみて:
「歌麿の謎 美人画と春画 - とんぼの本・編集者のことば」
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