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2007/10/26

「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(序)

 事情があって、柄にもなく勉強漬けの日々である。といいつつ、手を休めてネットに音楽に窓外にと、集中が途切れる時間のほうが遥かに多いのは、否定しきれない…。
 食事の時間だからという理屈を付けて、テレビのスイッチをオン!
 モバイルのテレビなのだが、すこぶる調子が悪く、画面が出るまで下手すると十分以上もかかる。木曜日の夜にはとうとうダメになってしまった。
 そう、木曜日の夕方くらいまでは、辛うじて観ることができたのである。

2007_0326070327jitaku0067

→ 何故か今年三月の画像。一番星なのかどうか。

 尤も、今だって、テレビを見ることはできる。何もテレビ自体が消え去ったわけではないのだから、小さいとはいえ、テレビ本体は今だって見ることができる。
 ベランダには十年近く頑張ってくれていた14型のテレビが雨風に耐えて、今も静かに眠っている。
 ブラウン管が6年か7年前にプッツンしてしまったテレビ。
 それがベランダで突然、音声を発したら、こっちが驚く。何たって、ブラウン管が可笑しいし、そもそも、電源のコードは故障した怒りに任せて引き千切ってしまっている。

 そう、テレビは見ることは今だって可能なのだ。
 ただ、放送が見れないというだけの話だ。

 放映された電波が多分、すぐそこ、ベランダに、あるいは我が集合住宅の屋上のアンテナに、ことによったら、幽霊のように我が部屋の中に行き場を喪って彷徨っているに違いないのである。
 肝心の受像機か、それとも電波を受信するアンテナか、その接続が可笑しくなってしまっているだけのことに過ぎないのだ。
 掬えるものなら、電波を掬って集めておぼろげな画面でいいからテレビを観たい!

 いずれにしても、テレビの視聴は叶わなくなってしまった。
 テレビが見れないとなると、おっと、観れないとなると、我が家にテレビが来た昭和三十年代の終わり頃からの、生粋のテレビっ子である小生、手持ち無沙汰である。
 というか、どうやって時間を過ごしたらいいのか分からない。

 テレビがないと本も読む気にならない。
 ここが小生の心性の我ながら不思議なところである。
 多少なりともテレビを観る。で、食事を済ませると、ちょっと散歩でもと思うような気分に比すればいいのか、テレビを観終わった後、すぐ傍らに横たわっている本に手が出る。
 そういう段取りというか、流れになっている。

 この辺り、一人暮らしが長すぎて、人との会話がなく、寂しいからということで、人の生の声を聴くためにどうしようという発想が浮ばなくなっている。
 人間として何か大切なものが欠落してしまっているのかもしれない。

 そうはいっても、その欠落状態にあまりに長く慣れ親しんでしまっているから、本人としては足りないという自覚に至らない。
 寂しいとも思わない。
 ただ、思い返すと、ある年代までは寂しいと思ったことがしばしばだった。週末など、土日を控えて、その休みの間をどうやって間を持たせたらいいのか、途方に暮れたこともある。
 が、会社の誰彼に週末を映画でもテニスでも何でも付き合ってくれとは、自分からは決して言わない。
 逆に誘われたら、エサに釣られる犬コロのように、何処へでも付いていく。
 スキー、テニス、ゴルフ、温泉……。
 
 誘われなかったら、バイクを駆って、ひたすら走るだけのツーリングへ出かける。
 他人から観たら、ストイックなだけの退屈な走りに過ぎないと思えるだろう。
 本人も、実はそう感じている。往路は、何処かへ行きたくてオートバイを駆るのだが、帰りは渋滞する道を時に二百㌔もチンタラ走らなければならないと思うと、うんざりする。
 でも、自宅に篭っているのが苦手だったのだ。
 若い頃は、だから、読書というと、ツーリングに出かけた先で、何処か適当な、静かに風光明媚な風景を愛でることのできる場所を見つけて、素晴らしい風景を背にして、あるいは本の背景にして、読書に耽るというパターンが多かった。

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← これも一番星の画像? 21日(日)に撮ったもの。拡大しないと星は見えない。

 さて、テレビがないとなると、本も何故か手に付かない小生、となると、情けないことに勉強する気にもなれない。
(内緒というか、ここだけの話だが、パソコンだと、「YouTube - Broadcast Yourself」という強い味方がある。あるいは、「無料動画:映画、海外ドラマ、アニメほか|パソコンテレビ」という、「GyaO[ギャオ]」なんてのもある。後者は画面が綺麗で、早速、「柴咲コウファーストライブ」を視聴した! でも、一番、好きだし観たいのはニュース番組で、これが観ることが叶わないのは痛い!)
 勉強した後にご馳走というか、ご褒美としてテレビを観るという、小生ならではのエサがないのだから、なのかどうか。

 そんな中、昨日、観た番組でだったのか、あるドラマの中で観た言葉が木曜の夜になって気になってならなくなった。
 ドラマは、刑事モノだったような気がする(あるいは、小生の好きな『相棒』だったかもしれない)。
 そのドラマでは、幾度となく警察庁長官(警視庁長官だったかもしれない。曖昧で申し訳ない)の部屋がシーンとして使われる。
 警察庁長官(あるいは警視庁長官)の部屋の壁に掛け軸があった。

 我がモバイルの小さな画面、しかも、電波事情が悪いテレビ(テロップが読めない!)で、どんな言葉だったか、記憶に定かではない。
(くっきり画面が観えても、掛け軸の言葉が難しくて読めなかったかもしれない。こういう場合は、テレビの映りが悪いから読めなかったのだと絶好の言い訳が出来るので、モバイルのテレビは助かる。)
 
 さて、ようやく本題である。

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コメント

釣月耕雲は中国にもあるようです。
道元禅師は1200年から1253年の方のようですが、中国の天台宗の道斎という方か、その関係の方が「釣月耕雲自琢磨」という語句を残しています。
http://www.qlzhouyi.com/ShowArticle2.asp?ArticleID=2561
何分、中国語ですので良く理解出ませんが、924年から1126年の間には「釣月耕雲自琢磨」の語句は有ったと思われます。
他に「釣月耕雲倦也那」の語句もありましたが、時代は判りませんでした。
種月耕雲も中国にあるようですが篆刻しか見出せませんでした。

投稿: 岸川 | 2007/12/04 16:33

岸川さん

ご指摘、ありがとうございます。

なるほど、下記ですね:

「神子贊」の項:
有一日倒騎驢子歸天嶺,釣月耕雲自琢磨。

「何分、中国語ですので良く理解出ませんが、924年から1126年の間には「釣月耕雲自琢磨」の語句は有ったと思われます。」とのことですが、どのように年代を割り出されたのか小生には分かりません。
ただ、「釣月」「耕雲」のそれぞれの言葉自体は、道元の時代以前に中国にはあったようですね。

「種月耕雲」の篆刻:
http://blog.roodo.com/akitahata/archives/442177.html

いずれにしても、中国語(漢詩など)に堪能でないとこれらの言葉の淵源は辿れない。
ただ、道元らが日本で広めた、という事実があるだけ。

投稿: やいっち | 2007/12/04 20:34

訂正いたします。
濟公活佛是南宋台州(今浙江臨海)人,俗家姓李名心遠(一稱修元或修緣),生於宋紹興十八年,逝於嘉定二年,享年六十一歲。 濟公廿一歲出家,法號「道濟」
との文が見付かりました。道濟は1148年に生まれ1209年に無くなったようです。

「924年から1126年の間には『釣月耕雲自琢磨』の語句は有ったと思われます。」と前述したのはの誤りです。お詫びいたします。
http://www.qlzhouyi.com/ShowArticle2.asp?ArticleID=2561
にある道濟の家譜の説明に「宋初以來,李府一門高官叠出」とあります。
济公家谱人物に年号がふってありこのうちの誰かが道濟だろうと勝手に考えてしまったものです。

李崇矩(924-988):曆官櫃密使、右千牛衛上將軍;
李繼昌(948-1019):李崇矩子,官至左神武軍大將軍、正任刺史;
李遵勖(988-1038):李崇矩孫,宋真宗駙馬,左龍武將軍、鎮國軍節度使;
李端懿(1023-1060):李遵勖長子,甯遠軍節度使(子五:李詵、李 、李詢、李諄、李 );
李端願(?-1091):李遵勖次子,太子太保;子李評
李端愨(?-1092):李遵勖三子,安德軍留後;
李 評:李端願子,成州團練使(年五十二卒);
李 涓(1074-1126):李遵勖曾孫,知鄂州崇陽縣
李茂春:濟公之父,春坊善贊

投稿: 岸川 | 2007/12/05 21:00

岸川さん

わざわざ訂正のコメント、ありがとうございます。

いずれにしても、道元の前に「釣月耕雲」なる文言はあったのだろうということですね。
となると、気になるのは「種月耕雲」のほう。

まさか、小生が憶測するように、「釣月耕雲」の「釣月」を達筆な字で誤読し、後の世の誰かが「種月」と思い込み、ついには、「種月耕雲」って掛け軸に使われがちな成句が出来たってこと、ないですよね。

投稿: やいっち | 2007/12/06 02:28

やいっちさん
ご指摘いただいたこと、取り上げていただいたこと、有難うございます。

「種月耕雲」は探し出せませんでした。見つけられたのは「耕雲種月」です。
中国の曹洞宗の禅僧萬松行秀(1166-1246)が萬松老人評唱天童覺和尚頌古従容庵録という書を著したようです。http://books.google.com/books?id=NtkG7nlpGy0C&pg=RA1-PA78&lpg=RA1-PA78&dq=%22%E5%A4%A9%E7%AB%A5+%E8%A6%BA+%E5%92%8C%E5%B0%9A%22&source=web&ots=z9eFkL2vRv&sig=7E2ueDNP8arlfhWBwvKdP3NGSh0
その天童覺和尚の法語「宏智禅師廣録巻第六」の2/3くらいのところに「耕雲種月」の語句がありました。
http://greatbook.josephchen.org/GREATBOOK/T48/T48N2001_P0073B21.htm

「種」と「釣」の字を間違える可能性についてですが、夫々の字の偏と旁の画数が違いすぎるので、読み間違えた可能性は低いと考えます。
偏と旁の位置を入れ変えて書いたことも有り得ると思います。そうすると「重」と「金」の違いは書き方によって判定し難くなると思いますので、読み間違えた可能性も出てくるかと思います。

「釣月耕雲」が頭に残っている状態で「耕雲種月」を読んで「種月耕雲」として頭に残ることもありえるかなと思います。

インターネットで探しただけですので、間違いや表現につきましては、お許し下さい。

投稿: 岸川 | 2007/12/07 13:02

岸川さん
丁寧なコメント、ご指摘、ありがとうございます。

「種月耕雲」じゃなくて「耕雲種月」は見つかるわけですね。
順序が違っても、意味合いはわれわれが理解するようなものと思っていいのかな。
だとしたら、「種月耕雲」(「耕雲種月」)も「釣月耕雲」同様にほぼ相前後して(文章に書かれ)道元か、そうでなければ禅宗系統の誰かが日本に持ち込んだ言葉だと思っていいのでしょうね。

「種」と「釣」の字を間違える可能性については、上記のように、「種月耕雲」も「釣月耕雲」も中国の典籍に見出されるのであれば、もう、小生のただの妄言に過ぎないと思います。

岸川さんの根気には頭が下がります。
ありがとうございました。

投稿: やいっち | 2007/12/07 20:59

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