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2007/10/31

雪の関越自動車道遭難未遂事件(5)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇」より続く)

 ああ、やっと、一般道だ。きっと、GSもあるに違いない。宿もあるだろう。炬燵に入れる。飯も食える。
  けれど、そんな期待がいかに甘いかをまたまた嫌というほど思い知らされることになるのだった。

2005_12270022

→ 05年末、郷里にて。

 やっとのことで料金所を通過したはいいが、そこから一般道へは緩やかにカーブしており、さらに普段だと下りだとは分からないようなスロープ状になっている。
 怖い! 下りだと動かすのは楽だけれど、一旦、動き始めると今度は止まらない!
 ブレーキを下手に掛けられないので、可能な限りゆるゆる降りようとする。
 とにかく、下りは凍結した路面だし、怖い!

 幸い、同じ塩沢・石打の料金所で降りる車が少なかった。確か、一台だけ、脇を通り越して行ったように思う。路肩の街灯が降り頻る雪の路面や積もった雪をオレンジ色に染めている。
 水銀灯ではない、オレンジの暖かな光。
 でも、自分の心や体を温めてくれるわけでは、一向にない。

[ここで、「舞子ライブカメラ」を見てみよう。小生がやっとの思いで高速道路を脱出した関越自動車道の塩沢石打I.C直近の交差点の様子をライブカメラで眺めることができる。できれば、画面をクリックするといい。この交差点に辿り着いた時は、きっと間もなくGSかオートバイの店が見つかるものと思っていた…宿だって見つかる…飯にありつける…炬燵に体ごと突っ込める…眠れる…そう思っていたのだが…。]

閑話休題

 一般道になんとか辿り着いた。多分、六時半を回ったかどうかという刻限だったろうか(時間については後日、資料が出てきたら訂正する。いずれにしても、真っ暗だったけれど、夜の七時や八時という時間までにはなっていなかったと思う)。

 今までは高速道路を一秒でも早く降りたい、雪の関越自動車道で遭難だなんて、前代未聞だろうし、恥ずかしくてならない、自分がその第一号にだけはなりたくない、ただ、その一心だった。
 でも、一般道をほんの少々走ってみると、走行条件としては、高速道路のほうが遥かにましだと気付かされるのだった。
 なんといっても、高速道路は車線の幅が広い。路肩もタップリある。道は真っ直ぐだから、路肩の側溝も、雪に埋れているとはいえ、どの辺りにあるか見当は付く。

 それが、一般道となると、片側一車線であり、路肩も雪が降り積もっているから、凍結した狭い道路を走るしかない。
 しかも、轍が筋となって走っているので、その筋に沿って走るしかない。車だって轍を走りたいに違いない。
 となると、バイクはワイヤー錠を用途外使用してい後輪に巻いているだけ。轍のちょっとした斜面に乗り上げるとツルリと滑る。
 当然、車で言えば、車の両輪に沿って出来た二筋の轍の、路肩側の轍の真ん中に沿って走ることになる。

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← 05年末は列車で帰省したのだが、長岡で乗り換え、ホッと一安心した。が、その「はくたか」が、「柿崎と某所との間で電車が架線事故に遭い、電車が動かなくなっています。現在、原因を確認中…云々」となり、発車の見通しが経たず。とうとう長岡から直江津までバスの代行運転ということになった。バイクでも電車でもトラブルは、あるってこと。

 刻限は多分、夕方の七時を回ったかどうかという頃だったと思う。
 雪は激しくはないが、依然、降り続いている。雲が空を覆っていることもあり、真っ暗だった。だから余計に道路の両脇の、田畑(田圃だけかもしれない)の向こうの家々の灯りが白々しく眩しい。
 道路に沿って立つ街灯の多分、水銀灯の灯りがこれまた寂しげに弱々しげに足元を照らし出していて、道路の両脇に積もり固まった雪の山の白さを際立たせている。

 車が来る。轍(わだち)に沿って。
 凍結した轍の斜面を横切るようにして路肩にバイクを避けようとする。雪の山に前輪を突っ込ませるしかない。
 倒れそうな重い車体を必死に堪える。車がギリギリに通り過ぎていく。
 後ろを見て、また轍の道に戻る。しばらく走る。また、車が来る。逃げるように避ける。
 そのくり返しが延々と続く。

 バイクには液晶のメーターパネルが装備されている。なので、時間はすぐに確かめられる。
 今は当時、どんな時間帯だったか正確には思い出せないが、夕食の時間帯と思っていいだろう。もう、年末とはいえ、車の通行量は少なくはない。

 当てもなく走っていたわけではなかった。バイク屋さんを探していた。あるいはガソリンスタンド。
 要は、バイクを突っ込んで、タイヤチェーンを買いたい。買って装着したい。ガソリンだって給油の必要がある。
 が、年末であり休みの店が多い。幾つかはガソリンスタンドを見かけたが、何処も消灯されたまま。
 バイク店も見つからない。
 ヘトヘトになっているが、気力だけで雪の道を走っている。ワイヤー錠は今も切れることなくリアタイヤに巻かれたまま。タイヤも見かけ上は損傷がない(少ない)ようだ。

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→ 戴いた画像。雪の妻籠。眺める分には雪景色ほど美しいものはないのだが…。

 ガソリンスタンドは休みの店ばかり。オートバイの店も見当たらない(あっても、閉まっていたことだろう)。
 一般道での走行に疲れ果ててしまった。車をやり過ごす繰り返しの恐怖に精神的に参っている。
 とうとうタイヤチェーンを得るという望みは諦めた。

 体が参っている。悲鳴を上げている。装備重量300キロのバイクを何百回も転倒させ、その度に起こしてきたのだ。しかも、雪の道、凍結した道を延々と走ったのだ。食事は午前の十時前だったから、この難行の果て、そろそろ十時間ほど水分も含め口に何も入っていないことになる。
 バイクを何処か脇に止めて、せめて自動販売機で何か温かいものをという発想はなかった。そんなことを思いつく余裕などなかったのである。

 もう、こうなったら泊まるところを探そう。
 方針転換である。
 といって、そう上手い具合に宿が見つかるものだろうか。


雪の関越自動車道遭難未遂事件(6):番外篇」へ続く。

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コメント

過酷で心細い状況がひしひしと伝わってきますね。

雪によるトラブルといえば、二十五年ほど前に、
金沢から北陸線~上越線で上野まで帰ってくる途中、
新潟の能生で六、七時間くらい立ち往生したことがありました。
雪で架線が切れたということでしたが、食べる物がなくて困りましたね。
――今となれば懐かしい想い出ですが。

投稿: ゲイリー | 2007/10/31 09:46

ゲイリーさん
読んでくれてありがとう!
己(おのれ)の愚かしさで自ら招いた「関越自動車道あわや遭難事件」(タイトルは表題とこれとで迷っていた)なのですが、なんだか、今から思うと、なのですが、ホントにわざわざ労苦の多いほうへと突っ込んでいっているように思えてなりません。
やはり、この「あわや遭難事件」の前段での自分の愚かしさに対し、心の何処か奥底のほうで、自分で自分を罰しないと気がすまないというメカニズムが働いていたということなのか(断言はできかねるけど)。

余程、高速道路の路肩、あるいは一般道に降りてからでも、バイクを捨ててその場を立ち去ってしまいたい、逃げ去りたいという衝動に幾度も駆られたのですが、買ったばかりのオートバイなので、ケチな性分の小生としては勿体無いという意識もあったのか、あるいは、もっともっと自分を追い詰めないとダメだという心理的メカニズムなのか、それとも、単に男の意地、負けてたまるかという思いに過ぎなかったのか、その辺りの心理分析は自分では未だ行なっていません(これからの課題。当時の日記などの資料が出た段階で健闘する)。
ドキュメント風ですが、本稿はあくまでメモで、資料が出てきて追記や改筆などするとこの数倍になりそう。
もう、大よそのことは書いたので、次回でなんとかエピローグに持っていきたいと思っている…のですが、さて、どうなりますことやら。

車、列車、バス、自転車、オートバイ、徒歩、マラソン…、そのいずれについても、(移動中の)トラブルの経験があります。
追々、書いていくことになるかもしれません。

投稿: やいっち | 2007/10/31 18:32

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