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2007/10/14

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇
(本稿は、「ノリック追悼記念レポート:雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)」より続く)

 確か91年だったと思う。
(「趣味 オートバイ」にバイク乗りとしての大雑把な履歴を書いている。参照するも良し。)

Toyamaumi

← ありし日の富山の海。電車であるいはオートバイで帰省する折、富山の海を見ると、ホッとする。帰ってきたという感覚が胸の底から湧いてくる。なんて透明度の高い海だろう!

 当該部分を転記する(太字部分に注目):

1991年8月 7代目のオートバイ入手   パシフィックコーストPC800本田技研工業株式会社
ツーリングに行かなくなり荷物を積めるという利便性に走る。入手したその日は8 月5日。つまり本田総一郎氏の逝去の日。それ故か8年以上乗った。91年の12 月29日に東京から富山へ関越自動車道を走った。関越トンネルを抜けるとそこは雪国だった。あやうく関越自動車道で遭難しかけた。深い雪の中を数十キロも転んでは起こしを百回以上も繰り返してやっと塩沢・石打ICを降りた時、命のありがたみを知った。そのICを降りるだけに一時間以上を費やしたものである。その夜、やっと見つけた宿で凍て切った心身を炬燵で一晩中癒し続けたけれど、体の震えは止まらなかった。さすがにバイクはオートバイの店に置かせてもらい、列車で帰省。春3月になって引き取りに出向いた

 91年の12 月29日は、東京は快晴だった。だけど、やたらと寒かった。

 寒かった…。
 防寒着などの寒さ対策は万全だった。
 ただ、東京や関東はともかく、雪の恐れのあるはずの北陸地方の天気情報は得ようとしなかった。
 この点が小生の間抜けなところである。

(実はこの無謀な旅、そして強行日程に至るには前史がある。会社での苦しい思い…。辛い恋…。そうした背景事情を書くと、今のメモ風なレポートの何倍も書かないといけなくなるし、まだ生傷状態なので、客観的にはなれない。且つ、当時書いた日記が所在不明。「雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)」など参照)

 小生の足りない頭脳での思考によると(実際には根拠のない希望的観測に過ぎなかったのだが)、万が一、関越トンネル付近で雪に降られても、雪の恐れのある地域を日の高い昼過ぎに通過すればいい。
 そうすれば、雪はあっても、道は泥濘(ぬかるみ)状態に留まり、日が落ちてきた頃には北陸自動車道に入れる。
 あとは何とかなる!
 実際、それまでだって、藤岡で高速を降りて山間の道を走り雪の高山を通って富山へ向うという経験がある。昼間は車やバイクが走る部分は雪が溶けていたじゃん!

 そのときも上手くいくはずだった。
 でも、うまく行くはずは実は全くなかった。

 寒さを体感しつつも観閲自動車道をひた走った。高崎、藤岡…。空は青空。雲も(ないことはないが)薄い!
 そのとき、微かにだが、悪い予感が背筋をゾクッとさせたような気がする。
 思えば、そのとき、引き返す勇気が自分にあったればと思う。

 でも、あるはずがない!

 やがて、バイクは観閲トンネルに差し掛かる。
 その手前付近から、高速道路の路肩付近には溶け切れない雪が塊となって黒いススを被っているのを見かけ始めた。
 でも、気にしなかった。気にしないことにした!
 そして、関越トンネルに突入。

13_601

→ 「パシフィックコーストPC800」(本田技研工業株式会社) このバイクを買ってわずが数ヶ月にして雪の関越自動車道であわや遭難の憂き目に!

 血の気が引いた。背筋がゾクッとした。
 トンネルを抜けると、そこは雪国だった。真っ白な世界。積雪が既に五十センチほど。しかも、圧雪。
 トンネルに入る前とは大違いの光景。
 ほんの一瞬だけ好きな作家の川端康成の「雪国」を想った。
(「「魔の雪」…雪国」や「雪国を夜窓に映し康成忌」などを参照。)

 でも、あまりの降雪に文学的夢想などは他愛なく吹き飛んだ。
 トンネルを出て間もなく、高速の脇にタイヤチェーンの脱着場があり、多くの車はドンドンそのスペースに誘導されていく。
(ここのところは記憶が曖昧で、「タイヤチェーンの脱着場」と表記しているが、あるいは「トンネルに出入りする車両に対して、タイヤチェーンを脱着させることを目的に設置された」「関越トンネルの北(新潟県)側すぐのところに位置する」「土樽パーキングエリア」かもしれない。やたらと広かった、店も何もなかったという印象があるばかり。きっと雪のせいで建物があったとしても見えなかったのだろう。当時の小生の目には、「タイヤチェーンの脱着場」にしか見えなかった! (07/10/15 追記))

 小生も流れに乗り、オートバイのタイヤが雪面を滑るのを気にしつつ入っていく。

 が、我がオートバイにチェーンなど積んであるはずもない。
 そんなことなど頭の中にはまるでなかった。
 こんなはずじゃなかったのだ。
 信じられない光景に呆然として、とりあえずは高速道路の本線という戦線から離脱してみただけなのだ。
 現実からの逃避、と言っても間違いない気分。

 でも、チェーン装着場で賑やかにタイヤにチェーンを巻く車の人々の隅っこにいて、何をする案も思い浮かばなかった。
 車が降りしきる雪の中、慣れた手つきでチェーンを装着しているのを横目に、ただ、呆然と立ち尽くすだけだった。
 どうするすべもない。

(「雪の関越自動車道遭難未遂事件(2):高速道路の真ん中にも側溝がありました篇」に続く)


参考:目次
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(序):ノリック追悼記念レポート]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇]
雪の関越自動車道遭難未遂事件(2):高速道路の真ん中にも側溝がありました篇)]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(6):番外篇:捜していた日記が見つかりました篇]
[雪の関越道あわや遭難事件(7):完結篇:これが全貌でした篇]

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