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2007/10/14

冤罪を晴らす日まで生き延びろ

富山冤罪事件」(「たむ・たむ(多夢・太夢)のホームページへようこそ」)が富山のみならず、全国区で話題になっている。
 もう、今日にもニュースの報道対象のメニューからは外れていきそうだけれど。

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→ 10月5日、都内某所にて。

 富山、そして冤罪事件ということで、主にラジオではこの話題がニュースで流れると、可能な限り耳を傾けてきた。
 けれど、それだけだったら、小生がわざわざブログで採り上げたりはしなかったろう。小生が関心を向けている話題は、「海自給油の「転用疑惑」、参院でも民主追及の構え」(「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」)など、数々ある。
 ただ、敢えて書かないだけである。

 給油活動の話題に付いても、一言、言いたいことはある。
「インド洋での海上自衛隊の給油活動継続問題で、民主党は海自が供給した燃料のイラク戦争への「転用疑惑」を参院でも追及する構えだ」というが、転用云々など、小生に言わせれば笑止な話だ。
 海上自衛隊が給油した燃料が直接にはイラクに向うアメリカ軍の艦船に転用されようが、アフガニスタンでの活動にしか使われていなくても、実質、アメリカ(軍)の仕掛けた(失敗に終った)イラク戦争に間接的にサポートすることになっているのは明らかではないか。

 日本の海上自衛隊が給油しなければ、アメリカ軍がアフガニスタンに割かなければならない燃料が、日本軍の助け(給油)で割く必要がなくなり、その分の燃料が浮き、よって、結果的にイラクに振り向ける油に余裕が出てくるという現実に変りはないではないか。
 いずれにしても、直接、アメリカ軍などによるイラク侵攻に転用されようが、アフガニスタンでの多国籍軍の活動に使われようが、日本軍が給油した油には変りはないわけである。
 要するに、日本の海上自衛隊の給油活動が、直接にはアフガニスタンでの活動、間接にはイラクでのアメリカ軍などの戦いに実質的に資する結果になっているという厳然たる事実は動かしようがないわけである。

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← 冒頭の木を違うアングルで。

 よって、小生は、インド洋での海上自衛隊の給油活動継続問題で、海自が供給した燃料がイラク戦争へ転用されたのではないかという「転用疑惑」云々ではなく、どういう形やルートであれ、アメリカ軍主導による対イラク作戦に日本軍が後方支援という名の協力をしていること、そのこと自体の是非を問うべきなのである。
 さらには、アメリカ(軍)が9・11事件への怒りをアフガニスタンを突き抜け、全く見当違いのイラクに向けての侵攻作戦(イラクの政権転覆)に突っ走った現ブッシュ政権の当時の政策を<理解>ではなく<支持>をしてしまったことの是非を問い直すべき、というが小生の見解であり立場である。

 とにかく一言。
 海自給油の「転用疑惑」だなんて、問題を矮小化するなっての!

冤罪を晴らす日まで生き延びろ

 まあ、この問題はさておいて、冒頭の問題に戻る。
富山冤罪事件」が詳しいので、ここでは経緯を改めて説明はしない。
 読めば読むほど、怒りが込み上げて来る。
 この問題について触れるのは、富山、冤罪事件、といったキーワードが並ぶからでもあるが、さらにもう一つ、大きなファクターがあるから敢えて記事に仕立てる。
 そのファクターとは、被害者が「富山県氷見市の元タクシー運転手(40)」という点だ。他の人々には関心事にはならなくとも、小生も同じ稼業なので、同業者としても関心を抱かざるを得ないのである。

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→ 10月5日の仕事も終わりに近付いた6日、未明。あと少し待てば、素晴らしい朝焼けが望めただろう。

 先に進む前に、最低限、下記だけは「富山冤罪事件」から転記しておく:

 富山県氷見市の元タクシー運転手(40)が同県警に婦女暴行と同未遂の2件の容疑で誤認逮捕され服役した富山冤罪(えんざい)事件の再審判決があった。

 判決は、02年1月と3月に起きた婦女暴行・未遂事件の犯行現場の足跡は、松江市の無職男(52)(婦女暴行致傷罪などで公判中)のものだったと指摘したうえで、犯行時間帯に元タクシー運転手が自宅から電話をかけていた通話記録があることなども挙げ、柳原さんの犯行ではないと認定し、「被告が犯人でないことは明らか」として、求刑通り、02年11月に懲役3年を言い渡した富山地裁高岡支部の原審を取り消した。

 なお、富山地検高岡支部は同日、地裁高岡支部に上訴放棄を申し立てため、同日に無罪が確定した。元タクシー運転手は02年4月に逮捕されて以来、5年半が過ぎて冤罪が晴らされたこととなった。

だが、この事件は捜査当時から足跡が男性と一致しないことを県警は認識していたばかりか、電話の通話記録から男性のアリバイは成立していた等の事が判明しており、完全な手抜き及び怠慢捜査というより、「でっち上げ」であった。」!

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← 10月9日、冬バージョンのライトアップされた東京タワー。

 さらには、ここも転記しておきたい:

 男性に取材した朝日新聞よると、逮捕直後に自供を覆し容疑を否認したが、県警の取調官から「なんでそんなこと言うんだ」と怒鳴られ、「今後発言を覆さない」旨の念書を書かされたという。公判でも認め続けたことには、「何を言っても通用しないと思い込まされてしまった」と悔しさをにじませた。

 男性によると、任意の取り調べの際、取調官から「家族が『お前に違いない、どうにでもしてくれ』と言っている」などと何度も迫られた。「犯行時間帯には電話をかけていた」と訴えても、取調官は「相手は電話を受けていないと言っている」と認めず、「家族にも信用されていないし何を言ってももうだめだ」という心境になったという。

 逮捕後、思い直して、検察官と裁判官に対し一度は否認した。その後、県警の取調官から「なんでそんなこと言うんだ、バカヤロー」と怒鳴られた。翌日、当番弁護士にも否認した。すると、取調官から白紙の紙を渡され、「今後言ったことをひっくり返すことは一切いたしません」などと書かされ署名、指印させられた。「『はい』か『うん』以外は言うな」と言われ、質問には「はい」や「うん」と応じ続けたという。

 起訴後の弁護士は国選で、数回やりとりをしたが、すでに取り調べで罪を認めざるを得ないと思い詰めていた。「否認しても信じてもらえない」と、公判でも一貫して認め続けた。

 男性は「誰かが、がんばれがんばれと言い続けてくれたら、がんばることができたかもしれない」と無念さをにじませた。判決を言い渡され「申し訳ございませんでした」と言ったが、「やってもいないのに、何でこんなことを」と悔しくて涙が出たという。

 仮出所後、周りから前科者と白い目で見られているようでつらかった。職も居場所も転々とした。自殺しようとしたこともあった。

 一番つらかったのは、判決前に、入院中だった父親を亡くした時だ。拘置所に面会に来た人に「お父さんは悲しんで死んでいった」と言われ、一日中泣き続けた。1月の無実判明後、地元には帰っていない。騒がれ近所に迷惑をかけてしまうと思うからだ。「墓前に無実を報告していないので、早くしたい」

 悲しいかなタクシー運転手というのは、社会的地位はあまり高いとは言えない。地位などどうでもいいが、社会的信用や信頼度という面でも高いとは言えないのが実状ではなかろうか。
 運ちゃんという、良く言えば親しみをこめた呼称、その実、語調の中に見下した視点や呼び捨てにしても構わない対象という、言葉にはされないとしても、暗黙の前提が一部の方にはある(のを痛感することがあまりに多い)。
 そうした結果に至ったのはタクシー運転手の側にもあるのかもしれないが、だからといって、現状が容認されていいわけではない。
 この事件が起きた時、犯人とされてしまった人はタクシー運転手だった。
 ああ、タクシー運転手なら、あるかもね、などと思われたら心外だが、暗黙の内にそういった<悲しい常識>や共通認識がなかったかどうか。
 タクシー業界から締め出され、仲間から見放され、警察の取調べでは家族からも突き放されてしまったと思い込まされてしまったようだ。
 四面楚歌。
 
 富山は政治的には「保守王国」である(「週刊!木村剛 powered by ココログ 富山県人とはどういう民族なのか?」などを読むまでもなく、ガキの頃から実感してきた。読売王国、真宗王国などなど。但し、いずれもやや崩れてきつつある。先の参議院選挙でも民主党が自民党の牙城の一角を崩した。巨大宗教団体の会員が増えてきている。既存の組織の基盤が崩壊しつつあるのだろうか)。

 政治的に保守性が高いことを見るには公共事業の落札率を見るのが一つの指標として分かりやすい。
 富山県はともかく(富山県レベルでは長野県並みの落札率!)、富山市となると、かなり怪しい(談合の可能性が疑われる)落札率である。

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→ 10月11日、都内某所でメーターの予備検査。その検査場所の庭にて検査待ちの間に撮影

「2006年度 入札調書の分析結果についての報告 全国市民オンブズマン連絡会議」(pdf)
 折々、都道府県レベル、あるいは市町村レベルの談合がニュースになるが、富山の話はあまり聞かない。
 富山には公共事業に関し、談合がない?
 だったらいいが、実際はどうなのだろう。 

 まあ、我が県のことを疑うのはやめておこう。悲しくなる。でも…。

 ただ、地方分権がこの数年の政治課題である。その前提なのだろうか、市町村合併も進められている。

 が、地方自治という場合、公共事業の談合に類するような事態が、つまり、癒着や馴れ合いのような事態がお役所や地元の有力者、政治家、法律関係者(司法・立法・行政)、警察関係者の間で事実としてあったら、実に悲惨だということだ。
 国など上のからの監視がなくなり、地方に司法も行政も任せっきりとなると、談合や癒着は今まで以上に指弾や告発されなくなるのではないか。
 お偉方に不祥事があったら、警察の上層部に知り合いが居て、揉み消してもらえるってことはないのか。あの警察幹部は、奥さんの知り合いの旦那さんで、ちょっと貸しがあるから、便宜というか融通が利くのよ、なんてことはないのか。
 医学界も法曹界も警察関係も裁判所の方も、みんな親戚か知り合い、顔馴染みで、コネが幾らでも利くってことはないのか。狭い地元の中の仲間関係、凭れ合い関係の縺れた網にトップの連中はみんな絡まれていて、グルになる。
 あるいはグルとは自覚していなくても、仲間への理解は下々の者への理解より深いだろうってことは十分に理解できる。ありえる話である。
 出身大学でも、何処何処の先輩後輩の関係が濃厚にあるのは容易に想像が付く。

富山冤罪事件」には、「自白頼るな」異例指導=富山冤罪で最高検通知」という項目がある。
最高検は全国8高検と50地検の次席検事に対し「自白などの供述証拠に安易に頼ることなく、基本に忠実に検察権を行使するように」と指導する通知を出した。最高検のこうした通知は極めて異例で、2009年の裁判員制度導入を前に、危機感を募らせているとみられる。」云々。

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← 同じく10月11日、メーターの予備検査所にて。春なら、遠目に葉八重桜と見えるかも(小生だけか)。

 が、これはコトが露見し、社会問題化した場合である。本件のように、「別の罪で公判中に無職の被告(51)がこれらの事件の容疑を認めたため「えん罪(無実の罪)」事件であったと発表したことで明らかになった」という、極めて幸運なケースだったからである。
 本当の犯人が自白しなかったら、闇から闇へと葬り去られただろうことは明白だろう。関係者がよってたかって無実の人を犯罪者に、服役後は前科者に陥れてお終いにしてしまっただろう。
 
 地方分権で中央の目が届かなくなり、地元関係者だけの間で捜査が行なわれ、告発され、裁判され、判決が下され、ムショ行きとなり、前科者とされてしまう。
 で、当の犯人がノウノウと娑婆で暮らしてしまう(本件の場合、たまたま他の事件で捕まったけれど、それが貧富の格差の拡大で上層階級と下層階級に分裂したままに、地方分権が進んだなら、犯人が上流階級の人間だと、上流階級の仲間同士の友情や縁故関係や義理や馴れ合いで、罪が見逃されるという可能性が一層高まる。社会的地位が低かったり、本人が気が弱かったりすると、あっさり犯人に仕立てられ、あっさり告発され、あっさり前科者になる…)。

 地方の閉鎖された社会で、真っ当な捜査は可能なのだろうか。上層の連中の思惑で捜査の対象は偏向するって心配は皆無なのか。地方分権って、万能とは到底、思えない。

 同時に、「やってもいないのに、何でこんなことを」と臍(ほぞ)を噛むだけではなく、やっていないなら、断固、汚名を晴らすという意志を貫く人間的な強さも必要だとつくづく感じた。
 今回の事件で、仲間が居ない、孤立しがちな、大人しい人間は尚の事、用心しないといけないし、正しいことへの渇望・意志を強く保つことの大切さを改めて痛感したのだった。

 とにかく、虐めもそうだが、サバイバルが大切だ。
 いつかは汚名が晴れる、虐めた奴らが回心・後悔する、誰かが助けてくれる…、被った冤罪を晴らす…、そういう幸運が訪れなくとも、生き延びること。自分を信じることが大切なのだ。
 誰も見ていなくても、神や仏だって関心でも、自分だけは自分の心に火を灯し続け、とにかく生き延びることだ。
 自分を信じなくて、他にどうするすべがあろう。

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コメント

冤罪の原点はやはり狭山事件でしょうか。
11/5に「なぜ冤罪はおきるのか」トいう集いがありますね。
中山千夏さんと鎌田慧さんで大井町きゅりあんホール。
参加費千円。
裁判員制度導入で何か変わるのかな。
ところで立川駅に止まっているタクシーはなぜみな黒塗り?

投稿: oki | 2007/10/24 11:29

okiさん
情報、ありがとう。

 === === === ===
★11月5日(月) 18時30分~ きゅりあん小ホール (大井町駅東口) 1000円

人権の21世紀をつくる文化の集い2007~なぜ冤罪は起きるのか?~(中山千夏×鎌田慧)
@きゅりあん
http://www.shinagawa-culture.or.jp/curian/hall/curian.html
 === === === ===

(余談ですが、小生は今まで、「キュウリアン」だと思い込んでいた!)

>冤罪の原点はやはり狭山事件でしょうか。

調べてみたら、下記の集会が間もなく開かれる:
 === === === ===
「10・31狭山事件の再審を求める市民集会」が2007年10月31日、午後1時から東京・日比谷野外音楽堂で開催されます。(主催:狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会)
http://www.sayama-jiken.com/
 === === === ===

裁判員制度の件、一度は何かの裁判を傍聴してから、ブログで採り上げようと思っているのですが、やはり腰が重くて霞ヶ関まで足を運べないでいる。
聴くところによると、十数人ほどの候補者に通知が行く。でも、あくまで候補者であり、そのなかから面接で適任な方が数名、選ばれて初めて晴れて裁判員となれるのだとか:
「裁判員制度:辞退事由の政令案公表 「思想信条」明記せず」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071024k0000e040051000c.html

辞退もできるけど、実際には面接などで選ぶ人の一存ってことです。

これで、安心しました。
小生は、面接に(も)弱いので、間違いなく面接で落ちますから、裁判員という大役を果たすことは、まずないだろうと確信したのです。
okiさんは、選ばれたら、務めを果たされる覚悟があるのでしょうか。裁判(案件)の内容によっても違うでしょうが。
あくまで一般論として言うと、実際に裁判に関わるというのは重い責任の伴うことですが、本来、民主主義というのは、特定の専門家だけのものではない。特に裁判は、アメリカのように陪審員制度があって初めて民主主義が成立するものと考えられる。
……のですが、何せ、お上意識の強い、責任回避の姿勢に馴れた日本人には民主主義の精神を全うするのは、まだまだ無理かなとも思える。
でも、遅かれ早かれ民主主義の原則に従って、裁判の過程にも普通の市民が関わるのが当然の流れなのでしょう。
でも、やはり、いざ、自分がとなると、いささか躊躇いが生じてしまう。
我ながら情けないことです。


立川駅の事情は小生には分かりかねます。ただ、黒塗りの車が増えてきたのは確か。高級車志向の現れなのでしょうか。
我が社の場合、乗務員の中でも優秀な方が(但し、担当している車が目安である50万キロ前後に達した方たちの中から)適宜、選ばれるようです。
小生は、埒外。売り上げが悪すぎるし。
車は必要のある人には誰でもが所有できるし、乗れる時代。となると、乗る車も選別されてくる。高級車とか評判のいい運転手とか、3ナンバーの車とか、個人とか、特定の会社とか、運賃の安い会社とか…。
東京に付いては12月にも値上げとなる見込み。となると、ますます競争が激しくなり、客の側からの選別も激しくなることが予想される。サービス競争、値下げ(少なくとも値上げはしない)競争、客の奪い合い。
問題のある会社や運転手は淘汰されるという、社会的規制はまるで効いていない。
運転手はますます弱者のほうへ追い込まれそうです。

投稿: やいっち | 2007/10/24 17:50

裁判員制度は本当に難しいですよね。
人が人を裁けるのかという根本的問題がある。
神は裁くという、しかし聖書の神は旧約新約両方とも裁きと赦しが一体化した神で、赦しが先行しているのですよね。
裁いて赦すというのではなく、「まず赦しあり」
人が本当に悔い改められるのは自分が赦されていると感じてのことではないでしょうか?
そういう意味で人が人を裁くというのは本当に難しいと思いますね。
あと立川のタクシーちょっと調べたら昔米軍基地があったからとかいろんな説が出ていますね。
しかしタクシー運転手の年収平均400万とちょっとと週刊誌に載っていましたが、介護職員と同じくハードな仕事をこなしてこれではたまりませんね。
介護職員も事業所によりますが時給千円くらい。
それで訴えられたりなんなりと苦労が絶えないようですよ。

投稿: oki | 2007/10/26 00:31

okiさん
水曜日だったか、テレビドラマ『相棒』がまさに裁判員制度をテーマにしていましたね。
途中からしか観ることができなかったのですが、市民がどう裁判に関わるのか、裁判官が判決を下す心境や信念。なかなか面白かった。
いずれにしても、判決を下すのではなく、評決を下すのであって、裁判員の多数決がそのまま判決に直結するわけではなさそう。
いずれにしても、判断は専門家だけの領域ではなく、市民こそがそれぞれの自らの判断と責任で一定の役割を果たすという民主主義と深く関わっている事柄と思います。
裁判ということになると、判断・判決が明確に脚光を浴びるけれど、そもそも選挙にしても、日頃の世論にしても、誰も彼もが実際に関わっていること。その世論の動向が選挙結果に反映され、支持を得た政党が政策を左右する。
実際には、そのほうが生活に(貧富の差、医療・年金・保険制度)に関わっているわけで、既に判決(判断)を下し、自らの生活に自らの手で影響を与えてきたとも言えるわけですね。

タクシー運転手の年収平均400万!
羨ましい!

投稿: やいっち | 2007/10/26 02:08

真夜中失礼、目が覚めて眠れない。
昨日の東京新聞「こちら特報部」に「裁判員制違憲のデパート」という記事が載っています。
西野喜一「裁判員制制度の正体」講談社現代新書が異例のうれいきを示しているとか。
裁判長面接もあまりにも露骨な思想的偏見を示さないとめんじょされないとあります。
で、究極の手段裁判員を免除されるには公判当日に酔っぱらう方法!
僕も人を裁きたくないな。

投稿: oki | 2007/10/30 03:11

okiさん
昼夜、分け隔てのない小生です?!
コメント、ありがとう。
裁判員制度は困難な課題を、あるいは根底的な問題を抱えているようですね。

ご紹介いただいた本、下記の感想文が参考になるかな:
「夜明け前の独り言  水口洋介 読書日記「裁判員制度の正体」西野喜一著」
http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2007/09/post_ece8.html

著者の西野喜一氏は元裁判官で、法科大学院の教授だとか。その方が裁判員制度を徹底的に批判しているとあっては、あくまで一つの立場からの意見であっても、傾聴すべきなのでしょうね。

人を裁く。問題は法曹関係の専門家の手に委ねたままでいいのかどうかですね。困難や障害はあっても、市民自らが一定の関与をするという方向性は間違っていないと思うのですが、小生の場合、まだ、勉強が決定的に足りません。

投稿: やいっち | 2007/10/30 11:34

「富山の冤罪、「真犯人」に懲役25年実刑判決」(11月14日14時40分配信 読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071114-00000007-yom-soci
 富山県氷見市で2002年、元タクシー運転手柳原浩さん(40)が誤認逮捕され、服役した冤罪(えんざい)事件で、犯行を自供し、婦女暴行・同未遂罪などに問われた松江市西川津町、無職大津英一被告(52)の判決公判が14日、富山地裁高岡支部であり、藤田敏裁判長は、懲役25年(求刑・懲役30年)を言い渡した。

 判決によると、大津被告は02年1月14日、富山県内の民家に侵入し、少女(当時18歳)に乱暴。同年3月13日には同県内の別の民家で少女(同16歳)を乱暴しようとした。この2件について、柳原さんが富山県警に誤認逮捕された。大津被告はこの2件を含め、同県や石川県などで、いずれも10歳代の少女に対して計14件の婦女暴行・同未遂などを繰り返した。
              (転記終り)

投稿: やいっち | 2007/11/14 14:55

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