彼岸花…闇に浮ぶ赤い花
何年か前の秋口のことである。
但し、一瞬、錯覚したというだけの話である。
思い出話だが、かなりの程度、脚色している(部分的には創作も)。
→ 彼岸花(曼珠沙華) (この画像は、[mixi]上の知り合いより借りたものです。)
[闇に浮ぶ赤い花]
丑三つ時になろうという時間だったような気がする。
何処かのICで高速道路を降り、市街地を走っていた。お客さんの指示に従い、幾つかの角を曲がる。いつしか住宅街を通り抜け、林というには繁りの分厚そうな木々の立ち並ぶ道を走る。
街灯も古い白熱灯が点々とあるだけなので、闇を照らし出すヘッドライトが唯一の頼りという気になってくる。
人影などあるはずもない。
ああ、何処まで行くのだろう。人気のない道を何処までも走る、いつの間にか自分が得体の知れない世界へ引き込まれていくような、闇に飲み込まれていくような感覚を覚え始めている。
運転しているのは自分。そう、ハンドルを握っているのは確かに自分なのだ。
けれど、行く先を決めるのは自分の意志ではない。
後ろのお客さんが行方を決める。
が、後部座席のお客さんの姿はまるで見えない。
姿の見えない何物かが抗い難い意志を自分に強いているような気がする。
客という仮面を被った禍々しい意志が自分を異境へと誘い込んでいく。
どれほど田舎道を走ったろう。住宅街を抜けてから、ほんの十数分かもしれない。
でも、目的地を定かには知れない者の身には、時間の感覚が奪い去られ、際限の無い時の坂道を転がり落ちていくようでもある。
このまま、何処まで行っても止まってくれなかったら…。
いや、止まっても、そこが目的地ではなく、人生の終点だったとしたら。
人知れず、人家の絶えた山間(やまあい)の小路で果てることに、闇の存在者が既に決めてしまっているのだとしたら…。
――あの、何処まで行けば…。
そう、訊けたら、どんなにいいか。
でも、もう、意地である。息遣いから眠っていないことは分かる。暗闇の中に赤黒く心臓が鼓動しているに違いない。清新な空気を吸い、肉体の奥からこの世を悪に染めようとでもいうかのように、代わりに病み爛れた濁った空気を音も無く吐き出しているのだから。
――そこだ!
運転手の不安も限界に達したのを察知したかのように、客が静かに声を発した。
命令しなれた人間の声だ。
だからといって、不躾(ぶしつけ)というわけではない。的確な指示を出すことに慣れている人間の語調。
客がおカネを出している間、領収書を出し、何気なくヘッドライトに浮ぶ黒い影を見る。
照らし出されるのは杉の木の細かな葉っぱだけ。それも表面だけで、密に生い茂った枝葉の奥への眼差しを遮っている。
ふと、脇を見ると、真っ暗闇の中に何か赤いものが浮んでいるように思える。
目が慣れてきた。家の軒灯りが原っぱをベールのような光でやんわりと包んでいる。
赤い花? 光の具合なのか。緑の海のはずが真っ黒な墨にしか見えないだけに、赤が際立っている?
ふと、あれは曼珠沙華に違いないと思った。もう十月。曼珠沙華が咲いていてもおかしくはない。
違う花かもけれど、彼岸花に思えてならない。
客を降ろし、その場をさっさと走り去る。
ほとんど逃げるように!
早く逃げないと、さっきの客が気が変わったとばかりにこちらに向ってきて、当初の思惑通りに今日という日を命日にし、丑三つ時という相応しい時間帯に誰に知られることもなく野辺の彼方へ送られていくかもしれないのだ。
いのち、ありけり。
一分も走ったろうか。
戻ってみたくなった。あの赤く見えた花の正体を確かめたかった。
が、バックミラーに映る背後の光景は…。
光景なんてものじゃない。
何も映っていない!
ヘッドライトで照らし出されている前方でさえ、林や小路の表層が薄っぺらな衝立(ついたて)のように微妙に変幻するばかりなのだ。
でも、見たい!
赤い花、いのちの花。
とうとう切り替えして後戻りしてしまった。
…けれど、たった今、立ち去った場所に戻れないのだ。
道を間違えた?
そんな?!
多少は曲がりくねっていたとしても、一本道だったはずだ。
客の家には灯りがあったはずだ。軒の灯りは消されたとしても、いくらなんでも未だ窓明かりがカーテン越しにでも漏れてきているはずではないか。
その家をさえ、見逃した。
道は絶対に間違っていない。
さっき、走ったばかりの道をどうやって間違えるというのか。
…やはり、ダメだった。
あの赤い花の群生しているらしき原には辿り着けないのだった。
理由は分からないけれど、行き過ぎてしまったらしい。
もう一度、戻る?
ダメだ。そんな蛮勇などあるはずもない。
もう、丑三つ時を過ぎた。
それでも生きている。
赤い花は、脳裏に刻み付けた。漆黒の闇の海に点々と赤い小花が咲いていた。
まるで血飛沫(しぶき)だ。
記憶を辿れば、いつでも、脳髄のスクリーンに赤い花が咲いてくれているに違いない。
…そのはずなのに、思い浮かべようとするたびに、脳裏に浮ぶ光景は、真っ赤なスクリーンに黒い点々。色が逆転しているのである。
血糊が凝固して黒くなった…。
では、真っ赤な背景の意味は?
まさか、あまりの恐怖に客を手に掛けたってことはないよな?!
路上に昏倒したような鈍い音も、錯覚だよな?!
あの場所を走り去る際、バックミラーに客の影を見るのはタクシードライバーの習性のようなものだ。
無事、家に帰る姿を見届けたいという心理なのかどうか、自分でも分からない。
が、あの客に関しては、バックミラーに全く影が映らなかった。
暗かったから…。そうに違いない。
間違っても、闇の海に溺れさせたってことはないはずだ。
闇の海の、のっぺらぼうの黒い海面に赤い花を咲かせたくって、客の頭蓋を叩き割ったってことなどないはずだ?!
================
こんな話を思い出したというのも、ネット散歩していたら、RKROOM さんの「徒然なるままに」の中の「実りの季節 彼岸の季節」で(ここには奇妙な話が載っていた!)、さらには、赤とんぼさんの「武蔵野だより」というブログで偶然にも(でも、考えてみたら季節柄、決して偶然ではないのだが)、「巾着田の曼珠沙華」や「雨の巾着田」などの頁で曼珠沙華の素晴らしい画像群に出逢ったからである。
あの闇の中の赤い小花たちの姿も、日中に見ていたら、(彼岸花というイメージよりも)こんな可憐な花々の光景として目を楽しませてくれていたに違いない。
尤も、真っ暗闇だったので、どんな花だったのか、本当に曼珠沙華だったのかどうか、今以て分からないままなのだが。
(言うまでもなく、実話ではありません。錯覚の話。仕事の最中に、ちょっと幻想を垣間見たことがあっただけのこと。上掲の頁などの画像は話を読んで、ふと、思い出したので、せっかくなので書き綴ってみただけなのです。)
ちなみに、小生には曼珠沙華や彼岸花にちなむ雑文や掌編が幾つかある:
「曼珠沙華…天界の花」(雑文)
「曼珠沙華と案山子」(掌編)
「彼岸花の頃」(掌編)
「曼珠沙華」(掌編)
「曼荼羅華のことなど」(雑文。曼珠沙華は、曼荼羅華などと共に四華(しけ=4種の蓮華)のうちにある。「四華とは、瑞相(喜ばしい兆し)の現れの一として、空から降るという四種の蓮華(れんげ)をいうとか。)
[本稿は、「闇に浮ぶ赤い花」として独立させました。 (07/10/06 記)]
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