雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)
「ノリックが交通事故死、トラックと衝突」(モータースポーツニュース nikkansports.com)といったニュースがあったのはつい最近のこと。
← 列車で、時にオートバイで眺めた雪原の関越道。<事件>のあった日は降る雪も激しく…。
一部、転記させてもらう:
7日午後6時20分ごろ、神奈川県川崎市の市道で、2輪ロードレースの人気ライダー、阿部典史(のりふみ)さんが乗ったバイクがトラックと衝突、阿部さんは病院に運ばれたが間もなく死亡した。32歳だった。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝を達成。世界選手権(WGP)でも通算3勝を挙げるなど「ノリック」の愛称でファンに愛され、日本に2輪ブームを再来させた立役者だった。
世界を舞台に活躍したライダーが非業の死を遂げた。川崎署によると、阿部さんは同市川崎区大島1丁目の片側2車線の市道の右車線をスクーター型の500CCバイクで北上中、前方の左車線からUターンしようとした4トントラックを避けようとしたが、衝突して対向車線に放り出された。当初は意識があったものの、午後8時52分、搬送された市内の病院で死亡が確認された。阿部さんは胸を強打し、ろっ骨骨折や臓器の損傷などもみられたもようだ。
阿部典史さんの事故に付いてはひたすら痛ましく思うばかりである。
ノリック(阿部典史さん)は日本でのロードレース界デビュー当時からいきなりトップに躍り出た。
生憎、彼が活躍し始めた頃には小生は日本各地で行なわれるロードレースには、それまでのようにバイクを駆って観戦に行くことはなくなっていた。
82年の4月に東京でバイクに乗り始めてから(仙台での学生時代、3年余りのバイク歴があるが、上京してバイクを数年、控えていた)、すぐにロードレースに興味を持った。菅生、富士、筑波、鈴鹿とバイクを駆って各地を観戦して回った。
片山敬済、加藤大治郎、原田哲也、上田昇、坂田和人、青木治親、辻村猛、平忠彦、本間利彦、伊藤真一、藤原 儀彦、宮城光らの活躍をテレビで、あるいはサーキットで見てきた。
80年代前半は、バイクブームでテレビでもロードレースが夜中ではなく、日曜の昼間に実況することもあった。
無論、テレビでもバイクを見る。
通勤はバイク。休日もバイク。一般道をひたすら走る(他人が見たら味も素っ気もない)ツーリング。
何か美味しいものを食べに行くわけではない(たまたま何かを食べるとしても、そこに食べ物屋さんがあったから)。
せいぜい、美しい風景がご馳走と言えるだろうか。
時に本をバッグに忍ばせて、これぞという風光明媚な地点に遭遇したら、バイクを目立たない場所に止め、岩か草葉に腰を下ろし、絶景に囲まれつつ吹き過ぎる風を感じつつ読書。目が疲れたら本を閉じ、風景を愛でる。
思い起こしたら、バイク生活30年で誰かと一緒にツーリングしたことは一度もなかった。
常に一人。
泊まりで走る時にも(泊まりといっても、ほとんどが帰省だが)、計画性は全くない。先のこともあまり考えない。苦労するのは自分だから何も考える必要性がないのだ。
結果、とんでもない失敗に遭遇する。
数々の失敗があるが、以下は雪の関越自動車道での愚か過ぎる失敗談。
この<雪道あわや遭難事件>は、いつか書こうと思っていた。その日のことを書いた日記があるので、その日記を資料として手にして書くつもりでいた。
けれど、整理の苦手な小生、古い日記は何処へやら。あれこど夢中になって書き込んだ日記なのにダンボールに詰め込んで田舎に送付したまま、所在不明。
→ 「パシフィックコーストPC800」(本田技研工業株式会社) このバイクを買ってわずが数ヶ月にして雪の関越自動車道であわや遭難の憂き目に!
これではいつまで経っても書く機会は訪れそうにない。
よって、ここにメモ書きになるし、記憶も曖昧な部分もあるが、大体のことを書き残しておきたい。
いつか、日記を発見したら、日記から転記して補充するか、あるいは全面的に書き換え…ってことは、新たに書き起こすってこと? まあ、そのときはそのときである。
バイクに夢中になっていた頃。ただ、仕事が忙しいので日曜日もツーリングへ行けない。となると、帰省をバイクで。
ん? 帰省にバイクを使うのは学生時代以来、ずっとじゃん。
ということで、以下、阿部典史さん追悼として番外編を書く。
それには単なる感想や追想ではなく、バイクに纏わる自分の経験談を書くのがいいだろう。
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)](別タイトル「雪の関越道あわや遭難事件」)
…帰省にバイクを使うのは学生時代以来、ずっとじゃん。
実は違うのである。
それまではお盆とか五月の連休とか、春休みとかにオートバイを使って帰省ツーリングと洒落込んだ。
が、80年代の後半からは、毎年ではないが、正月の帰省の折にもバイクを使うようになってしまったのだ。それだけ、普段のツーリングの機会が減っていたので、そんな折にでも思いっきり走るしかない。
それに、電車の乗り継ぎが嫌いだし苦手ってこともある(何度、乗り継ぎに失敗し、あるいは寝過ごしたりしたことか。それと電車や列車の中で食事するのが難儀ってこともある)。
「雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇」に続く。
[参考:目次]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(序):ノリック追悼記念レポート]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(2):高速道路の真ん中にも側溝がありました篇)]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇]
[雪の関越自動車道遭難未遂事件(6):番外篇:捜していた日記が見つかりました篇]
[雪の関越道あわや遭難事件(7):完結篇:これが全貌でした篇]
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